張奮
張 奮(ちょう ふん)
張奮(後漢中期)
張奮(ちょう ふん、? - 102年)は、中国後漢中期の人物。字は雅通。武始侯。父は張純。
和帝の時代である94年から97年にかけて司空を務めた。前任の司空は劉方であり、司徒に移っている。同時期の太尉は張酺である。97年に司空を免職となり、後任の司空は韓棱が任命された。後に太常を務めたが、101年に病気で免職となった。
張奮(後漢末)
張奮(ちょう ふん、? - ? )は、中国後漢末期の人物。
司隷河南尹の出身。
董卓の乱時、任峻と図り郡を挙げて曹操に従った。
張奮(三国時代)
張奮(ちょう ふん、? - ? )は、中国三国時代の呉の人物。伯父は張昭。いとこは張承・張休ら。
20歳の時、城攻め用の大攻車を案出した。戦功を挙げて半州都督となり、楽郷亭侯に封ぜられた。
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