トンガ





トンガ王国

Pule'anga Fakatu'i 'o Tonga











トンガの国旗 トンガの国章
(国旗) 国章


国の標語:Ko e Otua mo Tonga ko hoku tofi'a
(トンガ語: 神とトンガは私の遺産)


国歌:トンガ諸島の王の歌


トンガの位置









































公用語

トンガ語、英語

首都

ヌクアロファ
最大の都市
ヌクアロファ

政府












国王

トゥポウ6世

首相

アキリシ・ポヒヴァ(英語版)


面積











総計

748km2(174位)
水面積率
4.0%


人口











総計(2008年)

104,000人(196位)

人口密度
147人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2008年) 6億[1]パアンガ(Pa'anga)


GDP (MER)





合計(2008年) 3億[1]ドル(178位)


GDP (PPP)











合計(2001年)
6億[1]ドル(179位)
1人あたり 5,373[1]ドル



独立
 - 日付

イギリスから
1970年6月4日

通貨

パアンガ(Pa'anga) (TOP)

時間帯

UTC +13(DST:なし)

ISO 3166-1
TO / TON

ccTLD

.to

国際電話番号
676



トンガ王国(トンガおうこく)、通称トンガは、南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国家で、イギリス連邦加盟国のひとつである。オセアニアのうちポリネシアに属し、サモアの南、フィジーの東に位置し、首都のヌクアロファは最大の島トンガタプ島にある。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 近年の動き




  • 3 政治


    • 3.1 国王の一覧




  • 4 地方行政区分


  • 5 地理


    • 5.1 気候


    • 5.2 主な島




  • 6 交通


  • 7 経済


    • 7.1 カボチャ


    • 7.2 情報・通信




  • 8 軍事


  • 9 国民


  • 10 文化


    • 10.1 スポーツ


    • 10.2 特徴


    • 10.3 祝祭日




  • 11 脚注


  • 12 参考文献


  • 13 関連項目


  • 14 外部リンク





国名


正式名称は、Pule'anga Fakatu'i 'o Tonga(トンガ語)。


公式の英語表記は、Kingdom of Tonga。通称、Tonga


日本語の表記は、トンガ王国。通称、トンガ。漢字表記は、湯加


国名は、トンガ語で南の意味。



歴史



考古学的な証拠から、トンガへの最初の植民者はサンタ・クルーズ諸島から船で来たことが分かっている。紀元前4000年頃から、元々東南アジアにいたオーストロネシア語を話す人々の祖先(ラピタ人)がポリネシアへ移住してきたが、トンガへの植民はこの動きの一部である。トンガは、考古学的な年代推定から、BC800 - 750年前の独特のラピタ式土器が出土しているため、ポリネシアで一番古い遺跡として認められている。ラピタ人たちは1000年に渡り、現在はトンガ、サモア、フィジーとして知られている島々で生活し、航海し、戦争を行い、異なった種族間の結婚を行っていた。その後、より多くの探検者たちが東へ出発してマルキーズ諸島やタヒチ、最終的には太平洋の残りの島々を発見した。このことにより、人類学者たちは、トンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評する。




トンガの航海カヌー


12世紀までに、トンガ人とトンガの大酋長、すなわちTu'i Tonga(神聖王)はニウエからティコピア島まで、太平洋中に知れ渡っていた。このことから、ただちにトンガ帝国と言及する歴史家もいる。もっと良い言い方としては、相互にやりとりを行う、航海者、首長、冒険者のネットワークというのが妥当であろう。15世紀と17世紀には、内戦が勃発した。オランダ人の探検家のスホーテン(Willem Schouten)とルメール(Jacob Le Maire)が1616年にヨーロッパ人として初めてトンガに到着したのは、このような時期であった。他のヨーロッパ人の来航としては、もっとも重要なジェームズ・クックの1773年、1774年、1777年の到着、また最初のロンドンの使節の1797年の到着、メソジストのWalter Lawreyの1822年の到着が挙げられる。ジェームズ・クックの来航は、トンガがイギリス帝国の一地域として組み入れられる過程への決定的な第一歩となった。


トンガは若き戦士、戦略家、雄弁家であり「トゥイ・カノクポル(Tu'i Kanokupolu)」という「首長」の称号を持つ家系の子孫であるタウファアハウ(Taufa'ahau)により、ポリネシア人の王国として1845年に統一された。彼は、首長の称号のTu'i Kanokupolu(トゥイ・カノクポル)を持っていたが、伝統的な信仰を捨て、「ジョージ王(King George)」との洗礼名でプロテスタントの洗礼を受け、キリスト教へ改宗した。一方で、トンガでは島にポリネシア人が入植した遥か昔から連綿と続いてきた神聖王(トゥイ・トンガ)の家系が伝統的な権威として存続していた。その末裔であるラウフィリトンガ(Laufilitonga)は39代目のトゥイ・トンガであり、最後のトゥイ・トンガであった。ラフィリトンガはカトリックへ改宗し、カトリック勢力から銃器の供給を受け、最初はジョージ王に対して優勢に戦いを進めた。しかし、ジョージ王はプロテスタント勢力(メソジスト)からラフィリトンガを遥かに上回る量の銃器を入手し、血みどろの戦闘の末にラウフィリトンガを破った。この結果、有名無実と化していた神聖王(トゥイ・トンガ)は滅亡し、ジョージ王として新王朝を開いた。こうして、トンガの聖俗二重王権構造(神聖王としてのトゥイ・トンガ王朝と首長として実権を握るトゥイ・カノクポル王朝)の構造は終焉を迎えた[2]


1875年に、使節のシャーリー・ベーカー(Shirley Baker)の助けで、彼は法典を整備し、トンガを立憲君主国として宣言した。その時には、彼は奴隷を解放し、また法典、土地保有、出版の自由を大事なものとして扱い、そして首長(国王)の権力を制限した。1900年にトンガは、友好条約の下でイギリスの保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2代目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領の地位は、3代目の君主のサローテ・トゥポウ3世(サローテ女王)が亡くなる前に結ばれた条約の下で、1970年に終わりを迎えた。トンガは1970年にイギリス連邦に参加し、1999年には国際連合に参加した。植民地化の力にさらされたにも関わらず、トンガは決して現地人による統治を失うことが無かった。このことは太平洋の国では珍しいことであり、彼らに多くのプライドを与えている。



近年の動き




  • 1987年 ファタフェヒ・トゥイペレハケ(英語版)王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の弟)が首相に就任。


  • 1991年 日本の無償資金協力によって建設中だったファアモツ国際空港のターミナルビルが完成した。同年、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子が首相辞任。


  • 2005年8月 王政への批判が高まり、以後集会やデモ、ストライキが頻発する(トンガ動乱)。


  • 2006年2月 首相のウルカララ王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の三男)が辞任。

  • 2006年7月5日夜 アメリカ合衆国・カリフォルニア州の高速道路で、18歳の少女が運転する車が暴走し、元首相ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子夫妻と王室関係者が乗る車に激突。暴走車を運転していた少女は無事だったが、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子、カイマナ妃、運転手、ほか同乗の2名の王室関係者が死亡。

  • 2006年9月 タウファアハウ・トゥポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア皇太子が王位を継承(ジョージ・トゥポウ5世)。

  • 2006年11月 国内で暴動が発生、死者7名が出る。

  • 2006年11月17日 ジョージ・トゥポウ5世が戒厳令を発令。鎮圧の為にオーストラリアとニュージーランドに軍の派遣を要請する。

  • 2007年4月 戒厳令一部解除、首都では継続される。2012年現在でも首都では戒厳令が継続されている。


  • 2008年8月 動乱により延期されていたジョージ・トゥポウ5世の戴冠式を挙行。


  • 2012年3月 ジョージ・トゥポウ5世死去。トゥポウトア・ラバカ王太子(前述の元首相ウルカララ王子)がトゥポウ6世として即位。


  • 2015年7月4日 トゥポウ6世の戴冠式を挙行。



政治




王宮



元首は国王。立憲君主制で一院制の立法議会(閣僚および貴族議員9名、民選議員17名により構成[3])があるが、国王に多くの権限がある。


国民は王族、貴族、平民の3つの身分からなる。身分の変更は基本的に認められない。1980年にオナライバハママオ王子が平民の娘と結婚したために王族の称号を剥奪され、平民になった事例以外、公式な記録がない。身分制度が存在するが、全ての法律は全ての身分に平等に適用されることが憲法に明記されている。憲法が制定されたのは1875年で、日本の大日本帝国憲法(1889年)よりも早い。現在の憲法もこの当時の改定憲法である。



国王の一覧




国王・トゥポウ6世の戴冠式(2015年7月4日)


ツイ・カノクポル王朝の系譜が続いている。




  1. ジョージ・トゥポウ1世 (1875年 - 1893年)


  2. ジョージ・トゥポウ2世 (1893年 - 1918年)


  3. サローテ・トゥポウ3世 (1918年 - 1965年、女王)


  4. タウファアハウ・トゥポウ4世 (1965年 - 2006年)- サローテ・トゥポウ3世女王の長男。


  5. ジョージ・トゥポウ5世 (2006年 - 2012年)- トゥポウ4世の長男。


  6. トゥポウ6世 (2012年 - 在位中)- トゥポウ4世の三男。



地方行政区分





トンガの国土 トンガを構成する172の島は南北600kmに渡って広がる



トンガの地方行政区分は、北からヴァヴァウ、ハアパイ、トンガタプの3つに分かれる。



地理



トンガは4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人である。島々は南北600km、東西200kmの幅に広がる。東西の幅が狭いのは、すぐ東にトンガ海溝が南北に伸びているためである。トンガ海溝はインドプレートに南太平洋プレートが東側から潜り込むために形成されている。このため、トンガは基本的には火山群島である。西側の島の方が新しく、東側の島は火山島が沈下したことによるサンゴ礁から形成されている。また、標準時としてUTC+13(日本標準時より4時間早い)を採用しているため、日付変更線をはさんで東隣にあるニウエなどとは同じ時刻を示すものの、トンガの日付は1日早くなる。世界で最も早い時間帯を採用しているのはトンガではなく、キリバスのライン諸島 (UTC+14) である。



気候


トンガ全域がケッペンの気候区分でいう熱帯雨林気候 (Af) に属する。気候は海洋性であり、気温の年較差よりも日較差の方が大きい。5月から11月にかけては南東貿易風の影響下にあるため、涼しくなる。首都ヌクアロファ(南緯21度9分、東経175度14分)の1月の平均気温は25.8度、7月は21.3度、年間降水量は1643mmである。気温は島によってあまり変化がないが、降水量はヴァヴァウ島の2790mmまで幅がある。



主な島





ヴァヴァウ諸島




  • トンガタプ島 - 首都ヌクアロファが置かれた最大の島。トンガの国土の約1/2を占める。


  • エウア島 - トンガタプ島の南東10kmに位置する島


  • ハアパイ諸島 - トンガタプ島の北東150kmに広がる群島


  • ヴァヴァウ諸島 - トンガタプ島の北東400kmに広がる群島


  • ニウアトプタプ島 - トンガタプ島の北北東600kmに位置する島


  • ニウアフォオウ島 - ニウアトプタプ島の西に位置する環礁


  • タファフィ島 - ニウアトプタプ島に隣接する小島で、トンガ最北の島



交通



国内の島嶼間の交通はフェリーなどの船舶が主である。なおヌクアロファ郊外にあるファアモツ国際空港とヴァヴァウ国際空港に、トンガ航空やヴァージン・オーストラリア、エア・パシフィック航空 などの国内外の多くの航空会社が就航している。



経済





トンガの通貨パアンガ(Pa'anga)




首都ヌクアロファ


トンガの産業は農業、漁業と観光、出稼ぎ労働者の送金である。主要農業作物はカボチャ、コプラとバナナ。国内市場が小さく、貿易に頼る。輸出品はカボチャ(93%)、香辛料、マグロ、輸入品は、トラック、乗用車、内燃機関である。


アジア開発銀行によると2013年の輸出入は輸出額1480万ドル・輸入額は2億2990万ドルであり[4]、貿易赤字も大きい。日本に対してはかつては大幅な貿易黒字(2002年時点で対日輸出14億6千万円に対して対日輸入2億1500万円[5])であったが、2013年現在は対日貿易も大幅な赤字[4]となっている。



カボチャ


トンガでは元来カボチャを食べる習慣がなかったが、気候がカボチャ栽培に適している上に、冬至にかぼちゃを食べる習慣などで日本でかぼちゃ需要の多い12月に収穫シーズンとなるため、1990年代に日本の商社がカボチャ栽培を持ち込んだ。現在ではカボチャはトンガ経済の柱となっており、対日貿易黒字のほとんどをカボチャ輸出が占め、また近年では韓国、中国、ニュージーランドなどへも輸出されている。一方でカボチャ栽培が成功しすぎたため、モノカルチャー経済化が懸念されており、トンガ政府は新しい輸出作物の開発を進めている。


中央銀行はトンガ国立準備銀行である[6]




情報・通信


トンガの主要放送局はOBNとTBCがあり、TBCはテレビチャンネルのテレビジョン・トンガも放送している。インターネットにおいては、Tonga Network Information Centerというプロバイダが主流である。新聞は売店などでの販売が主流。



軍事





トンガ防衛局の海軍(海兵隊)兵士




  • 主に治安維持や海難救助を主任務とした常設の国防軍を保有する。

  • 徴兵制はなく、志願制

  • 国防費は国家予算の4.5%



  • 兵力

    • 陸軍歩兵部隊:108人

    • 王室近衛部隊:50人

    • 海軍:50人

    • 警察隊:310人

    • 合計518人



  • 2004年6月からアメリカ軍の後方支援のため、44名の兵士をイラクに派遣している。


2006年11月の暴動で6人が戦死。兵力不足で治安が維持できなくなり、ニュージーランド軍とオーストラリア軍に派兵を依頼し、暴動を鎮圧した。両国軍は2006年の年末には帰国した。



国民




ダンスを踊るトンガ女性



住民は、長身でがっしりした体格のポリネシア人が98%であり、また少数のミクロネシア人もいる。


言語は、トンガ語と英語が公用語である。日常生活ではトンガ語が使われるが、英語も広く通用する。


宗教は、キリスト教がほとんどである。



文化




スポーツ


トンガは、ラグビーが盛んなことで有名である。ラグビートンガ代表はラグビーワールドカップには8大会中7回出場しているが、ベスト8進出経験はない。日本で有名なトンガ出身者の中には、アマナキ・レレィ・マフィのようにラグビー日本代表となっている選手もいる。


また、日本の角界にも、トンガ出身の力士(南乃島など)がおり、キング・ハク、シオネ・ヴァイラヒ、バッドラック・ファレなど大相撲からプロレスに転向して成功を収めた者もいる。


国土が南太平洋の熱帯地域に位置することから、雪が降らない上に氷点下になることもないが、夏季オリンピックとともに、冬季オリンピックにも出場していることでも有名である。



特徴


トンガの人々は全体的に大柄で、ツポウ4世は1976年のギネスブックで「世界で最も大きな国王 (209.5kg)」として登録されていた。トンガの女性の平均身長は170cmで、婦人靴の最小サイズは26cm。男性の平均身長は177cmで、足のサイズが30cm以上ある人も少なくない。



祝祭日















































































祝祭日
日付
現地語表記
日本語表記
現地語表記
(英語、トンガ語)
備考

1月1日
'Aho 1 'o Sanuali

元日
New Year's Day
'Uluaki 'Aho 'o e Ta'u Fo'ou


イースターの前の金曜日
聖金曜日
Good Friday
Falaite Lelei

4月になることが多い。
イースターの次の日
イースター・マンデー
Easter Monday
Monite Toetu'u
4月になることが多い。

4月25日
'Aho 25 'o 'Epeleli

ANZACの日
ANZAC Day
'Aho Fakamanatu 'o 'e ANZAC


5月4日
'Aho 4 'o Me
皇太子トゥポウトアの誕生日
HRH Crown Prince Tupouto'a's birthday
'Aho 'Alo'i 'o e Pilinisi Kalauni


6月4日
'Aho 4 'o Sune
解放記念日
Emancipation Day
'Aho Fakamanatu e Tau'ataina


7月4日
'Aho 4 'o Siulai
国王タウファアハウ・トゥポウ4世の誕生日
HM King Taufa'ahau Tupou IV's birthday
'Aho 'Alo'i 'o 'Ene 'Afio


11月4日
'Aho 4 'o Novema
憲法記念日
Constitution Day
'Aho 'o e Konisitutone


12月4日
'Aho 4 'o Tisema
国王シアオシ・トゥポウ1世の記念日
King Siaosi Tupou I Commemoration Day
'Aho Fakamanatu 'o Tupou I


12月25日
'Aho 25 'o Tisema

クリスマス
Christmas
'Aho Kilisimasi


12月26日
'Aho 26 'o Tisema

ボクシング・デー
Boxing Day
'Aho hoko 'i he 'aho Kilisimasi



脚注




  1. ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])


  2. ^ 『海洋島嶼国家の原像と変貌』(編集:塩田光喜、アジア経済研究所、ISBN 4-258-04473-3、執筆:大谷裕文、「第4章 異人と国家 -トンガの場合-」、pp.147-189)


  3. ^ 「トンガ王国」『世界年鑑2016』(共同通信社、2016年)225頁。

  4. ^ ab“トンガ王国 基礎データ”. 国・地域. 外務省 (2015年6月8日). 2015年10月31日閲覧。


  5. ^ “トンガ 表-2 我が国との関係”. 政府開発援助国別データブック2004年版. 外務省. 2015年10月31日閲覧。


  6. ^ お金ナビ"トンガ 通貨 お金投資マネー.net"(2012年4月1日閲覧。)




参考文献


  • 『海洋島嶼国家の原像と変貌』(編集:塩田光喜、アジア経済研究所、ISBN 4-258-04473-3、執筆:大谷裕文、「第4章 異人と国家 -トンガの場合-」、pp.147-189)


関連項目



  • トンガ関係記事の一覧

  • トンガ大首長国

  • 日本とトンガの関係


  • 中尾重平 - 王族と結婚した



外部リンク






政府


  • トンガ王国政府 (英語)

日本政府



  • 日本外務省 - トンガ王国 (日本語)


  • 在外公館リスト - 在トンガ日本国大使館 (日本語)


観光


  • トンガ政府観光局 (英語)

その他


  • PIC - トンガ

  • 国際機関 太平洋諸島センター







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