藤岡弘、


































































ふじおか ひろし
藤岡 弘、
本名
ふじおか くにひろ
藤岡 邦弘
別名義
藤岡 弘(旧芸名)
生年月日
(1946-02-19) 1946年2月19日(72歳)
出生地
日本の旗 日本・愛媛県上浮穴郡久万高原町
身長
180 cm
血液型
O型
職業
俳優、タレント、武道家、声優、歌手、ナレーター、探検家
ジャンル
映画・テレビドラマ・CM
活動期間
1965年 -
活動内容
1965年:松竹入社・主演デビュー
1971年:『仮面ライダー』
1973年:『日本沈没』
1974年:『勝海舟』
1976年:『大空のサムライ』
1977年:『特捜最前線』
1981年:『おんな太閤記』
1984年:日本人初のSAG入会
1997年:『せがた三四郎』
1998年:空手道連盟の名誉会長
2002年:『藤岡弘、探検隊』
2014年:大十字勲賞
2016年:『仮面ライダー1号』
配偶者
鳥居恵子(1987年 - 1990年)
一般人女性 (2001年 - )
事務所
SANKIワールドワイド
公式サイト
公式ウェブサイト
主な作品

日本映画
『野獣狩り』『日本沈没』
『野獣死すべし 復讐のメカニック』『エスパイ』
『東京湾炎上』『大空のサムライ』
『SFソードキル』『K2/ハロルドとテイラー』
『仮面ライダー1号』




テレビドラマ
『仮面ライダー』『白い牙』『勝海舟』『特捜最前線』『草燃える』『おんな太閤記』 『関ヶ原』『春の波涛』『春日局』『花の乱』『真田丸』

CM
『せがた三四郎』





備考

『グローバルレインボーシップ』理事
『全米映画俳優組合』会員
『スイスペ!』藤岡弘探検隊隊長

藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年2月19日[1] - )は、日本の俳優、タレント、武道家[1]、声優、歌手、ナレーター、探検家、実業家。本名:藤岡 邦弘ふじおか くにひろ[2][1]、旧芸名は最後の読点「、」がない藤岡 弘[1]


1971年に主演した特撮テレビドラマ『仮面ライダー』で一躍人気俳優となる[1]。また、日本人として初めて全米映画俳優組合(SAG、現・SAG-AFTRA)のメンバーとなった事でも知られる[1]。2002年(平成14年)に川口浩の後任として『藤岡弘、探検シリーズ』が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている[3]


愛媛県[1]上浮穴郡久万町(現:久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。個人事務所である株式会社SANKIワールドワイド[4]所属。




目次






  • 1 略歴


  • 2 人物


    • 2.1 芸名に読点(「、」)を付けるまで


    • 2.2 俳優以外の活動




  • 3 エピソード


    • 3.1 上京・デビュー当初


    • 3.2 『仮面ライダー』関連


      • 3.2.1 負傷降板


      • 3.2.2 後年の活動


      • 3.2.3 その他




    • 3.3 藤岡弘、探検シリーズ


    • 3.4 交友関係




  • 4 出演作品


    • 4.1 テレビドラマ


    • 4.2 映画


    • 4.3 オリジナルビデオ


    • 4.4 声優


      • 4.4.1 テレビアニメ


      • 4.4.2 OVA


      • 4.4.3 劇場アニメ


      • 4.4.4 ゲーム


      • 4.4.5 パチンコ


      • 4.4.6 吹き替え




    • 4.5 情報番組


    • 4.6 バラエティ


    • 4.7 ドキュメンタリー


    • 4.8 CM




  • 5 音楽


    • 5.1 シングル


    • 5.2 アルバム




  • 6 著書


  • 7 脚注


    • 7.1 注釈


    • 7.2 出典




  • 8 参考文献


  • 9 関連項目


  • 10 外部リンク





略歴


1946年2月19日、警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道や華道、琴の師範だった母との間に生まれる。当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんに「お接待」を施してもてなしていたのが印象的だったとしている。生まれたばかりの頃は病弱で、肺炎を患った時には「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影された程だった。この時は母の献身的な看病で一命を取り留めるが、小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だった。6歳の頃から病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。少年時代から滝行も経験している [5]


小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされた。そんなある日、我慢できなくなって相手に反撃し、重傷を負わせる。すぐさま母の知るところとなり、帰宅するなり仏壇の前に連れて行かれ、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」と、母子心中も辞さない覚悟を示され、反省を促された。弁解しようとすると「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認めなかった。その迫力に、武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したという。また、父との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ、窓の桟や畳の縁など「手抜き」をして掃除をさぼると、父はそれを見抜き、その場所を指でなぞるとそれを舐め「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか」と、よく怒鳴られたと述べている[5]。また「一子相伝」とされる家伝の古武道について、「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と、特に厳しく申し渡されていたという[6]


1957年、小学校6年の時に父が突如失踪。その日から家族の暮らしは貧しさを極め、3度の食事にも事欠き、学校に給食費すら納められない状況に陥る。藤岡はこの頃からアルバイトで生活を支える一方、惨めな生活を誰にも相談できず、後年まで父を許すことができなかったと語っている[注釈 1][7]


1961年、松山聖陵高等学校に入学。柔道部に在籍して主将を務めた。長身でその容姿・容貌が一際目立つこともあり、よく不良にからまれた。ある日、「5人以上はいた」という不良にからまれ、相手の攻撃は全て見切った上で、かわしたり間合いを外したりしていたが、止まらないために堪忍袋の緒が切れて、集団に1人で反撃する(逃げた者もいたが、全て撃退した)。ただ、武道を通じて我慢することや耐えることが日常だったため「堪忍袋の緒は(人より)長いですよ。物凄く我慢強いですよ」と語っている[8]


1964年に劇団NLT俳優教室に入所。1965年には松竹映画ニューフェイスとして入社[1]。香山美子と都はるみの主演映画『アンコ椿は恋の花』(監督:桜井秀雄)でデビュー[1]。同年、『若いしぶき』(監督:八木美津雄)で初主演。


1970年、アクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ系・東映制作)第12話「密売大組織」(5月1日放送分)より、「藤弘」役としてレギュラー出演。のちに『仮面ライダー』で共演する千葉治郎も同じ回からレギュラー入りしている。


1971年(25歳)、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(毎日放送 - NET系・東映制作)に、主人公・本郷猛 / 仮面ライダー1号役で出演。最高視聴率30%の大ヒットとなり、一躍人気スター俳優となる。この年、五社協定が事実上の崩壊となり、出演決定を契機に松竹との専属契約を正式に打ち切る。


1972年、NHKドラマ『赤ひげ』のオーディションを受けて合格したが、『仮面ライダー』の制作元である東映・毎日放送には無断でのことだったため、トラブルが発生。『赤ひげ』への出演は見送られることになった[注釈 2]。藤岡は一時失踪。このことは『仮面ライダー』の第66 - 68話と劇場版『仮面ライダー対じごく大使』の制作に影響を及ぼしている(詳細は『藤岡弘の失踪と制作中断』を参照)。


同年7月1日、ファンクラブ「藤岡弘友の会」が発足[9]。ひと月で5万人が入会したが、会員は子供がほとんどのため会費を多くとることができず赤字運営となり、スポンサーからの寄付金で賄われた[9]


1973年、12月29日公開の東宝映画『日本沈没』(監督:森谷司郎)に主演。1974年邦画部門興行収入第1位の大ヒットとなる。


1974年、NHK大河ドラマ『勝海舟』の坂本龍馬役に抜擢。大河ドラマではこの作品を含め7作品に出演している。


1977年(31歳)、4月6日からテレビ朝日系でスタートした東映制作の刑事ドラマ『特捜最前線』に桜井哲男(哲夫)警部役でレギュラー出演。途中、他作品への参加のため、一時降板しているが、その後復帰。10年間に及ぶ人気長寿番組となった今作品の中で、二谷英明、本郷功次郎らと共に「番組の顔」的存在として中枢を支えた。


1984年(38歳)、SFサムライ映画『SFソードキル』(制作国:アメリカ、監督:J・ラリー・キャロル)の主演を務め、国際俳優となる[1]。日本人として初めて全米映画俳優組合へ加入する[1]。この映画を見て感激したオーストラリアの総督(オーストラリアの名目上の元首であるエリザベス女王の代理人)は、後に結婚したばかりの藤岡夫妻に対して、新婚旅行先としてオーストラリアに招待したほどであった。


1986年には東京国際ファンタスティック映画祭でヒーロー賞を受賞。1987年、『白い牙』で共演した女優・鳥居恵子と結婚(3年3ヵ月後に離婚)。


これと前後して、本人いわく「最も信頼していた者達の裏切り」に遭い、多額の負債を抱える。また、同時期に健康を害した[注釈 3][6]ことでしばらく芸能活動を休止し、一時活動が停滞する事態となった。


1992年、統一教会の信者であると報じられたが、関与はないと語った。この件については「俳優以外の活動」を参照。


1997年、家庭用ゲーム機「セガサターン」のテレビCMでイメージ・キャラクター「せがた三四郎」に起用され、CMコピー「セガサターン、シロ!」とともに大人気となる[注釈 4]。11月から1年間オンエアーされたこのCMを契機に本格的に芸能活動を再開。『仮面ライダー』のリバイバルブームも追い風となり、藤岡自身の再評価・本格復帰にもつながった。このセガサターンのCMと翌年のオートレースのCMが、ともにCM大賞を受賞している。


1999年、10月からNHK連続テレビ小説『あすか』に竹内結子演じるヒロインの父親役で出演。11月には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に招かれている。


2001年11月(55歳)、24歳年下の一般女性と再婚。同年12月には長女が誕生している。


2002年、川口浩の後任として、藤岡が2代目隊長に起用された『藤岡弘、探検隊シリーズ』が開始。


2007年8月23日、知人から融資実態がないにもかかわらず、2億円の抵当権を設定され、民事訴訟を起こされる。最高裁の決定により藤岡への4億5000万円の支払い命令が確定する[注釈 5]


2008年、テレビ愛知 - テレビ東京系『トミカヒーロー レスキューフォース』の劇場版『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』(監督:岩本晶、制作:ドッグシュガー、制作・配給:松竹)では、俳優としての古巣である松竹作品で、レスキューフォースR0こと世界消防庁長官・刑部零次役で出演。「37年ぶりに仮面ライダー以外のヒーローに変身する」として話題となった。この役についても、藤岡自身から「謎の男っぽさや過去の出来事をイメージ」して顔や手の傷、衣装、「変身後は(汚しや傷を入れて)少し古いデザインのスーツに変えてもらえないか」などスタッフに役作りのアイデアが出されている(ただ、変身後のスーツは「全員が同じスーツを着用する」と言う番組上の制約のためデザインの変更はされていない)。また『レスキューフォース』の続編である『トミカヒーロー レスキューファイアー』(2009年4月 - 2010年3月、テレビ愛知 - テレビ東京系)でも同じ役を演じた。


2014年1月23日、33年ぶりに『徹子の部屋』にゲスト出演[10]。この中で敬愛する母が2013年の春に103歳で他界した事を報告した。下積み時代には自分の着物を質草にし、『SFソードキル』でのハリウッド進出の際には既に高齢だったにも関わらず自ら現地に足を運ぶなど、明治生まれの気丈さで藤岡をまさに物心両面で支え続けた。亡くなる直前まで意識が鮮明で「子供のことを考えて生きるように」と藤岡を諭した後、眠るように息を引き取ったという[11]


同年5月13日、自ら企画したフジテレビ系のドキュメンタリー番組『海を越えた侍たち〜藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心〜』[12]の取材・収録のため訪伯中、過去5回の訪伯でのボランティア支援で日本とブラジルの国際交流に貢献したことや、日系人社会を正しく伝えるための番組作りなどが評価され、ブラジル連邦議会より「感謝表彰」、名誉下院議員より「大十字勲章」が授与された[13]


2015年、ベストジーニスト2015(協議会選出部門)を受賞[14]



人物




  • 自宅地下には自身の主宰する「藤岡道場」を開設しており、現在の門下生は約20名である[要出典]

  • 大好物は自然薯で、特に掘りたてを水で洗い、そのまま食べるのを好んでいる。煮物やホヤの酢の物など和食全般のほか、クリや羊羹などの甘い物も好物。嫌いなものはホワイトアスパラガスで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王選手権」で明らかになった。

  • 所持している資格は調理師免許、普通自動車免許、小型船舶操縦士、大型特殊自動車免許、大型自動二輪免許、自家用操縦士免許、スキューバダイビング、無線従事者免許(アマチュア)、鉄砲[4]。このうち、大型自動二輪については750ccに乗ろうと教習所無しで受けた試験に3回の不合格を経て4回目で合格し、『仮面ライダー』の終了後に初めてホンダ・CB750を購入したそうである[15]

  • 少年時代にヘビがカエルを飲み込む姿を見て以来、ヘビがトラウマになっているという[3]。そのためか、事務所の裏には「マムシ注意」と書かれた看板があるという(『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で紹介されている)。


  • コーヒーを愛飲しており、1日に5、6杯は飲むという。自ら汲みにいくほどのお気に入りの富士山系の自然水を沸かして「ありがとう」「おいしくなれ」と呟きながら、時間をかけて1滴ずつゆっくりドリップし、抹茶のように茶せんでかき回して十分に空気を含ませてから嗜むという独自の手法が、テレビで紹介されている[16]。これ以外に、エチオピアで知ったという粗挽きしたコーヒー豆を薬缶で煮出すワイルドな飲み方を楽しむこともある[17]。自身のホームページではオーガニックの「藤岡、珈琲」やコーヒーカップなどを自身に関する各種グッズとともに販売している[18]

  • 酒も嗜んでいたが、2013年8月4日に行われた平山亨の「お別れ会」に参列した際、同席した堀田眞三に「期するところがあって酒を辞めました」と明かしたことが伝えられている[19]


  • 英会話を得意としており、アメリカ映画への出演を通じて知り合った映画監督のジェームス・キャメロンとは「キャメロン」「サムライ」と呼び合うほど、親交が深い[20]。2009年5月に出版された『藤岡弘、の武士道入門』(並木書房)は、著者の小峯隆生が、ある日、来日中だったキャメロンと浅草で蕎麦を食べている際にキャメロンから「明日サムライに会いに行くんだ」と、藤岡を紹介されたことがきっかけで小峯が藤岡に「弟子入り」し、出版に至った書籍である。また、この中で藤岡は元アメリカ陸軍大尉で軍事評論家の飯柴智亮と対談を行っており、その際に飯柴からアフガニスタンの戦場で実際に使用した護身用ナイフを譲られている。

  • こうした藤岡のこだわりや暮らしぶりに関して2013年7月3日放送のバラエティ番組『ドラゴンレイディSP』[注釈 6](フジテレビ)では「自称、現代の侍と豪語する藤岡弘、」と紹介、「藤岡がコーヒー1杯を入れるのに30分、車移動込みだと合計2時間かかった」と誇張や虚偽、揶揄を加えて事実と異なる内容を放送。「侍」と自ら名乗ったこともなく、コーヒーの時間も大げさで、ロケ場所などは番組側の指定によるものだった[21]。この事実についてフジは8月20日付けの同局の公式サイトで藤岡とその関係者、ならびに視聴者への「訂正とお詫び」のコメントを掲載[22]。所属事務所も公式ブログでこのことに関する公式コメントを発表している[23]。このトラブルをきっかけに、番組は打ち切りとなった。

  • 映画『ラストサムライ』のオーディションのオファーを引き受けたが、結果としては起用されなかった。

  • 藤岡は自身の生き方について、過去を振り返らず失敗しても自身で納得いくまで追求する姿勢であることを述べている。何事に対しても全力で取り組む姿が笑い者にされていることも認識しているが、他者からどう思われるかよりも自身で納得できるかどうかを重視している[24]。信念を貫くことで灰汁の強い役者になったと自認しており、それによりクライアントから敬遠されることもあったと述べている[25]



芸名に読点(「、」)を付けるまで


1984年、アメリカ映画『SFソードキル』に主演し、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞。日本人として初めて全米映画俳優組合員となった。この出来事がきっかけとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と、「『我未だ完成せず』との意味を込めて」芸名の最後に“読点”を付けることにした。その一方、「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているという[26]



俳優以外の活動


お笑いコンビ、とんねるずやダウンタウンのバラエティ番組に出演するようになる。とんねるずは、『オールナイトフジ』で藤岡と初共演した際には狂喜乱舞、『とんねるずのみなさんのおかげです』では『仮面ライダー』のパロディ『仮面ノリダー』を演じる。また、『とんねるずの生でダラダラいかせて』では藤岡とカートレース対決を行っている。ダウンタウンは自身の番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナー「藤岡弘と遊ぼう!」で藤岡と共演。鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開している。


世界各地の紛争地帯や被災地などへの救援ボランティアとしても勢力的に活動している[1]。1993年の北海道南西沖地震の際には「映画撮影の際にお世話になったので」と水などの援助物資を持てるだけ持って奥尻島に駆けつけ、当時の新聞もこの行動に「仮面ライダーは実在した」と大きく記事になった。また、2011年(平成23年)の東日本大震災の際にも、被災地へ1トンの米を寄付している[27]


1990年頃より雑誌、新聞で統一教会との関連性が報道されるようになる。1992年(平成4年)9月、「東京スポーツ」などで「統一教会の信者」と報じられた。詳細は統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていただけであり、本人は全く関与がなかった[要出典]


1998年、「梁山泊空手道連盟[28](代表:富樫宜弘[注釈 7])」を中心に結成された「眞日本武道空手道連盟[29]」・名誉会長に就任。


コーヒー豆などのインターネット販売を行っている(「人物」の項を参照)。



エピソード



上京・デビュー当初


上京した時は、養成所に入る予定はあったものの確かな当ては何もなく、泊まる場所もないため上智大学の横の土手で野宿するなどしていた[30]。藤岡は後年のインタビューでこの頃を振り返り、たった一人きりで世間と向き合う自身にとっては世間そのものがショッカーのようであったと述べている[30]


養成所入所後も東京の流れの速さについていくのが精一杯であり、周囲が優秀であったため劣等感を感じていた[30]


松竹時代は、社風により青春映画のお坊ちゃん役が多く、自身とはかけ離れた役柄に悩んだ[30]。出演作品には恵まれていたものの、次第に会社から与えられた仕事に甘んじていることや自身の役者としての方向性に疑問を感じるようになり、松竹を離れることを決意した[25]



『仮面ライダー』関連



負傷降板


当初、藤岡は本郷猛役だけでなく仮面ライダーのコスチュームも着用し、スーツアクターを兼任していた。危険度の高いアクションを除き、トランポリンを使用したアクションやオートバイで階段を登るバイクアクションなどもこなしている[注釈 8]。藤岡はスーツアクションを行うことは特別なことではなく当然だと思っていたが、その苦労までは想像できておらず[30]、後年のインタビューでは過酷な撮影ゆえに毎日現場へ向かう際に恐怖を感じていたことを明かしている[24]。第1話の撮影では、マスクをつけてのアクションは自身の息で前が見えなくなり、革製のスーツも動きづらかったが、準備に忙しいスタッフに申し出ることはできなかったことを述べている[31]


こうして撮影に取り組んでいたが、第9話・第10話[注釈 9]では下り坂をバイクで走り下りるシーン[注釈 10]でコーナーを曲がる際、たまたま工事中だったために砂利が多い場所で、オーバースピードからスリップし、曲がりきれないまま電柱を支えるワイヤーに突っ込む。その際にワイヤーに足が引っかかってワイヤーが跳ね上がり、そのまま反動でバイクとともに飛ばされるというアクシデントに見舞われる。藤岡は路上を2 - 30メートル転がって動けなくなったが、事故直後はまだ意識があり、背中の後ろの方から肩越しに見えていた自分の左脚を元の位置に戻し、靴が脱げていたために親指が動くかを確認し、かすかに動いたことに安心したところで意識を失ったという。容体は全身打撲のうえに左大腿部の骨が粉砕して筋肉に刺さる複雑骨折の状態で、全治3か月 - 6か月の重傷と診断され、長期休養を余儀なくされる[32]。この事故以降、仮面ライダーシリーズの主演俳優は演出上の一部例外を除いてスーツアクターを兼務することはなくなり、スーツアクターは全面的に大野剣友会やジャパン・アクション・クラブ(JAC、現・JAE)所属のスタントマンが担当するようになった。


救急搬送後、最初に手術を受けた東京都町田市内の病院は骨の接合手術に関して旧態依然とした技術しか持っておらず、藤岡は同じ病院で手術を受けた患者から「大腿部を複雑骨折して同様の手術を受けて1年ほど入院しているが、まだ完治していない」と聞かされ、車椅子生活すら覚悟した。この状況を知った知人の紹介で、東京都渋谷区千駄ヶ谷(当時)の前田外科病院に転院できることとなったが、当初、最初の病院は転院希望を断り、転院が決定した後も「(転院に関して)当院は一切保証しない」と、移動のためのストレッチャーなどを用意することなく黙視し、カルテやレントゲン写真などの必要な情報提供も拒んだ。前田外科病院で行われた再手術では、ベトナム戦争の傷痍軍人のために開発されたという方法が用いられた。それは筋肉に刺さっていた左脚の骨片を丹念に全て拾い集め、大腿骨の骨髄に金属パイプを通してその周りに骨片を細いワイヤーで巻きつけるというものだった。それまで日本ではほとんど実例がなく、当時の最新技術だったこの手術は無事に成功した[32]が、『仮面ライダー』第1話の放送は病室のベッドで観ざるを得なかった[33]。ギプスが外れると、看護師の眼を盗んで筋肉がすっかり委縮して痩せ細った左脚の筋力強化のため、周囲が寝静まった時間帯にトレーニングを始めるが、その過酷さゆえに夜ごと床には汗だまりができたほか、時には発熱したため、日中になると疲れきって寝込むという「戦い」の日々を数か月送る。そんな当時のことを、藤岡は「看護婦さんとかに『この人は寝てばっかりだなぁ』って思われたのではないかなぁ」と振り返っている[32]。藤岡は後年のインタビューで、この時の体を動かせない苦痛やスタッフに多大な迷惑をかけたという想いで気持ちが先走っていたが、長い思索と心身ともに痛みに堪えなければならないという状況で精神的な成長を遂げることができたと述べている[25]


放送開始前の大事故で主演俳優の重傷という事態は、番組の存続に関わる一大事であり、通常であれば即刻番組降板も止むなしという状況に、緊急企画会議では毎日放送側から本郷猛を死亡させる案も出た。しかし、東映プロデューサー・平山亨は「子供たちのオールマイティーの夢を壊すことはできない」としてこれに強硬に反対すると、代案として2号ライダー登場のアイデアを取りまとめ、主役交代を機にこれまでの反省点を一気に修正し、番組をリニューアルすることで継続を決めた。これが功を奏し、番組は第14話[注釈 11]から登板した藤岡の劇団NLT時代の同期である佐々木剛演じる一文字隼人 / 仮面ライダー2号の人気で社会現象となるほど、大ヒット作と化した[注釈 12]


『仮面ライダー』での本格復帰は第53話[注釈 13]からだが、第40話・第41話[注釈 14]にゲスト出演という形で現場復帰を果たし、1971年末の桜島・阿蘇山でのロケに参加する。この時、骨折箇所にはまだ金属パイプと固定用のボルトが入っており、傷口は絆創膏と包帯で抑えた状態だった[31]。主治医からは「下手すると脚のパイプが曲がって抜けなくなるばかりか、一生歩けなくなるかもしれない」と猛反対されたが、藤岡は「この舞台を用意してくれたスタッフのため、それでも構わない」とロケを強行する[31]。ただ、最初の撮影シーンがバイクに乗るスタントシーンで、目の前に事故を起こしたバイクが置かれていた時は「頭が真っ白になった」と語っている[34]。撮影中には足から鉄棒が出かかって出血するなどしていたが、東京へ戻ってすぐレントゲン撮影で曲がっていないことが確認され、無事に除去手術が行われた[31]。回復後の左脚はわずかに長くなってしまい、長年の腰痛の元になってしまったと自伝で述べている[要文献特定詳細情報]



後年の活動


大きなアクシデントを乗り越えて『仮面ライダー』で全国的に知名度が上がったものの、藤岡はあまりの人気ぶりに、当初は自分自身がそのイメージで固定されてしまうのを怖れたほどだった[要出典]。こうした理由もあり、後の仮面ライダーシリーズでは、本郷役での客演が実は少ない[注釈 15]


ただ、本人は自分の役者としての飛躍が『仮面ライダー』をきっかけにしたものであることは当時から忘れておらず、俳優として地歩を築くことに成功した現在では、「『仮面ライダー』は僕の青春でした」と語り、ゲームソフトなどでも本郷を演じている。また、「自分の代わりに怪我をしてくれたアクションチームの裏方のみんなを差し置いて、ヒーロー役だったということで今さら自分だけが表に出るわけにはいかないと思った」とも後年語っている[要出典]


2001年、映画『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』では、本郷とは明示されていないものの警視総監役で出演し、主人公・津上翔一らに「今の俺にできないことをやってくれ」と激励するという、仮面ライダー1号からのメッセージともとれる意味深な台詞で話題となった。


2005年9月、11月11日から13日まで福岡市で開催されたイベント「FUKUOKAヒーローフェスタ2005 国際ヒーロー映画祭」[35]の実行委員長に就任する。イベント前の記者会見では「子供たちに夢と希望と生きる勇気を与えてきたヒーローの復権を訴えたい」と語った[36]。開催期間中に行われた屋外ステージでのセレモニーでは真剣で8本の巻藁を切り落とし[37]トークショーでは盟友ショッカーO野の進行で往年の映像を交えながら自らの人生を熱く振り返り、最後には「レッツゴー!! ライダーキック」を熱唱した[要出典]


2011年4月1日公開の『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』では、1号の声を担当する。声のみとはいえ、映像作品で1号を演じるのはテレビスペシャル『全員集合!7人の仮面ライダー』以来35年ぶりとなった。丸の内TOEIにて行われた舞台挨拶にも登壇してコメントを述べたが、壇上で同じく声の出演となった佐々木と宮内洋(風見志郎 / 仮面ライダーV3 役)がそれぞれ変身ポーズを披露した流れで、観客から「変身ポーズをみせてほしい」とのリクエストが出され始める。藤岡はうつむいて困ったような仕草を見せたが、ちょうど隣にいた1号(のスーツアクター)が機転を利かせ、藤岡に代わってポーズを披露して事なきを得る一幕があった[38]


2011年に発売された『ウルトラマンVS仮面ライダー』のBD/DVD版では、1993年のビデオ版発売当時には実現できなかった、ハヤタ隊員 / ウルトラマンを演じた黒部進との対談及び記者会見の模様が収録された。


2014年3月29日公開の劇場版『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』では、『全員集合!7人の仮面ライダー!!』以来38年ぶりに本郷役を演じた。変身シーンでは「自分の歴史がよみがえり、血が騒いだ。不思議なもので体は覚えていたんですね。演じるというより、本郷はそのままの自分。何とも言えない感動がありました。」と感慨深げに感想を語っている[39][40]


2016年3月26日公開の映画『仮面ライダー1号』では、本郷役で44年ぶりに主演したうえ、企画から参加した[41]。撮影当時には69歳にしてスタントマンを使わずにアクションを演じており、本編冒頭で暴漢を返り討ちにしている[42]


2016年3月30日・4月8日に日本テレビで放送されたトーク番組『(秘)荷物!開封バラエティー ビックラコイタ箱』では、「歴代の仮面ライダー俳優」として藤岡が佐野岳(葛葉 紘汰 / 仮面ライダー鎧武 役)や竹内涼真(泊進ノ介 / 仮面ライダードライブ 役)と共に2週に渡って出演し、藤岡については『仮面ライダー1号』や45年前のバイクスタントにまつわる話題、ガンアクション作品や漫画家・村枝賢一との交流にまつわる話題が紹介された。なお、4月8日放送分の最後では、藤岡が佐野と竹内に「仮面ライダーの火を消すんじゃないぞ」と告げている[43][44]



その他


1995年11月、愛媛県久万町で新たな2つの小惑星が発見され、2000年(平成12年)3月にそれぞれ「Fujioka(藤岡)」「Kamenrider(仮面ライダー)」と名付けられた。これは、藤岡が久万町出身であることと、『仮面ライダー』にちなんだもので、小惑星に漫画のキャラクターの名前が付けられたのはこれが初である[要出典]



藤岡弘、探検シリーズ


近年、藤岡の幅広い人気を決定的にしたのはテレビ朝日の『スイスペ!』枠で不定期に放送された「藤岡弘、探検シリーズ」である。もともと同局では1978年(昭和53年3月から『水曜スペシャル』枠で俳優・川口浩を探検隊長に「川口浩探検隊シリーズ」が放送されており人気番組となったが、1985年(昭和60年)10月に同局の『アフタヌーンショー』で発覚した「やらせリンチ事件」の影響や、川口のがん発病もあり、同年11月に終了。その後、川口が1987年(昭和62年)11月17日に死去したことで自然消滅の状態になっていた。しかし、探検シリーズ復活を希望する声が途絶えないことと、藤岡のワイルドなイメージや以前から旅番組や海外紀行番組を通じて、旅好き・アウトドア好きは知られていた事もあり、藤岡を2代目隊長に起用し2002年(平成14年)12月25日に復活。「藤岡弘、探検隊」はこれまでに6度の探検を行っている[45]


全6回の平均視聴率(関東)が9.7%と、高視聴率には至らなかったが、これ以降、川口に代わり「隊長といえば藤岡弘、」と広く認知され、パブリック・イメージ、タレント・キャラとして浸透することとなった。バラエティ番組などに出演する際のスタイルとして、サファリ・ルックやサバイバルベストが定番となったのもこの頃からである[注釈 16]。結局、2005年(平成17年)3月19日の第6弾が事実上の最終作となった。また、2014年現在まで再放送などの機会は得られていない。単発では2009年(平成21年)2月1日に放送された『よゐこの無人島0円生活』(テレビ朝日開局50周年記念番組)内のコーナーとして4年振りに復活している。



  1. 今夜復活! あの伝説の探検隊が帰ってきた! アマゾン奥地1500km! テラプレータの密林に 謎の猿人 ジュンマは実在した!(2002年12月25日放送)

  2. アマゾン奥地6000km! 密林の恐怖 イプピアーラ 大追跡! これが半魚人伝説の正体だ!(2004年9月8日放送)

  3. ミャンマー奥地 赤い密林縦走3000km! 伝説の野人 ナトゥーを追え!(2005年3月19日放送)


  • 番外. 衝撃!無人島の大蛇伝説! 松の木よりもでかい蛇!(『よゐこの無人島0円生活』内にて放送。隊員は内藤大助&よゐこ)

また、『シルシルミシルさんデー』(テレビ朝日系)では探検シリーズのパロディとして、藤岡が企業や巷の謎を調査するコーナー「藤岡弘、探検隊」を、また同局の『ナニコレ珍百景』では自然界の珍百景を紹介する「探検珍百景」「ワイルド珍百景」、照英とコンビを組んでの「洞窟珍百景」などで藤岡がリポーターを務めている(どちらも不定期放送)。



交友関係






『仮面ライダー』でアクションを担当した大野剣友会に対しては、番組上は敵であるショッカーを演じていたが、共にアクションを作り上げた本当の仲間であると述べている[30]


『特捜最前線』で共演した二谷英明や荒木しげる[46][47]、東映プロデューサーの平山亨や阿部征司らが死去した際には追悼のコメントを寄せた[48]。2012年10月2日にはスケジュールの合間を縫って、入院中の平山を見舞っており、既に認知症を発症していた平山もこの時は状態が安定し、満面の笑みだった事が伝えられている[49][50]



出演作品



テレビドラマ


NHK



  • NHK劇場 / マイ・ポンコツ車(1967年)

  • はだれゆき(1973年)


  • 大河ドラマ


    • 勝海舟(1974年) - 坂本竜馬


    • 草燃える(1979年) - 三浦義村


    • おんな太閤記(1981年) - 織田信長


    • 春の波涛(1985年) - 奥平剛史


    • 春日局(1989年) - 織田信長


    • 花の乱(1994年) - 大内政弘


    • 真田丸(2016年) - 本多忠勝




  • 銀河テレビ小説 / さようならの夏(1975年) - 主演・二郎


  • いごっそう段六(1976年) - 長谷山


  • 土曜ドラマ / 高層の死角(1977年) - 平賀高明

  • 土曜ドラマ / 松本清張シリーズ・一年半待て(1978年) - 岡島久男

  • 土曜ドラマ / 魂の夏(1980年)

  • 銀河テレビ小説 / 海辺の家族(1980年) - 繁太郎


  • ドラマ人間模様 / 海峡(1981年) - 下館岩男


  • 雄気堂々 若き日の渋沢栄一(1982年) - 尾高長七郎

  • NHKファミリードラマ / 夢家族 (1985年 - 1986年) - 八木浩太郎


  • ビジネスマン空手道(1995年) - 秋葉勘九郎


  • 天才てれびくん / ザ・ゴーストカンパニー 第5話「ぼくは剣士だ!」 (1998年)


  • NHKドラマ館 / 余命半年(1998年) 岩田純朗


  • ズッコケ三人組(1999年) - 平賀源内


  • 連続テレビ小説 / あすか (1999年 - 2000年) - 宮内禄太郎


  • 新・ズッコケ三人組(2002年) - 音羽警部補


  • 僕の島/彼女のサンゴ(2008年) - 大城大吉


  • Q.E.D. 証明終了 第6回「賢者の遺産」(2009年) - 龍門寺虎男


日本テレビ系列




  • ゴールドアイ (1970年) - 藤弘

  • めくらのお市 第2話「荒野に赤い花が散る」(1971年) - 檜左近


  • グランド劇場 / 三年前の約束 (1972年)

  • 夫婦日記 ダーリンは意地っ張り(1973年)

  • 人妻だから(1973年 - 1974年)


  • 白い牙(1974年) - 主演・有光洋介


  • 消えた巨人軍(1978年) - 主演・探偵 左文字進


  • 木曜ゴールデンドラマ / 大誘拐(1981年) - 主演・戸並健次

  • 木曜ゴールデンドラマ / 北アルプス脱獄誘拐事件(1981年)

  • 木曜ゴールデンドラマ / 花嫁を求めて幾千里(1982年)

  • 木曜ゴールデンドラマ / 知床の子 (1983年)


  • 長七郎江戸日記スペシャル 天下を取れ! 仕掛けられた反乱(1988年) - 別木軍兵衛


  • 五稜郭(1988年) - 松平太郎


  • 火曜サスペンス劇場 / 事件記者(1999年) - 堅田鉄平

  • 火曜サスペンス劇場 / 事件記者2(1999年) - 堅田鉄平


  • 明日があるさ 第7話「健康ダイエット!!」(2001年) - マッスル佐々木


  • ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語(2018年8月25日) - 藤岡弘(本人) 役


TBS系列




  • 千葉周作 剣道まっしぐら (1970年 - 1971年)


  • 私は忘れたい (1972年 - 1973年) - 哲次


  • 思い橋(1973年) - 北晴彦


  • 東芝日曜劇場 / でんでん太鼓2 冬の巻

  • 東芝日曜劇場

    • でんでん太鼓 結婚しますの巻(1974年)


    • うちのホンカン (1975年)

    • ガラスの向う側 (1979年)

    • 夢の蘭子(1980年)

    • 港町まごころ坂(1982年)




  • 白い華燭(1975年) - 高木

  • 平家伝説(1975年) - 浜田吾郎


  • 仮面ライダーストロンガー 第38話「出現! ライダー1号 2号!!」第39話「さようなら! 栄光の七人ライダー!」(1975年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)


  • 全員集合!7人の仮面ライダー!!(1976年)


  • 白い秘密(1976年 - 1977年) - 藤田和久

  • うさぎ飛ぶ海(1977年)

  • 愛の殺意(1979年)


  • 熱い嵐(1979年) - 前田正名

  • 望郷の星 長谷川テルの青春(1980年)


  • 関ヶ原(1981年) - 加藤清正


  • 10号誕生!仮面ライダー全員集合!!(1984年) - 本郷猛(ライブラリ出演)

  • 義経北走(1986年)


  • 月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理 死を呼ぶ離婚慰謝料! (2001年) - 吉川寛平


  • 3年B組金八先生 第6シリーズ(2001年 - 2002年) - 鶴本佑介


  • 水戸黄門 第30部 第4話「殿を殴った指南役 -松島-」(2002年) - 又部弥七郎

  • 月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理2 死を呼ぶ早期退職者(2002年) - 吉川寛平

  • 月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理3 死を呼ぶ遺産相続(2003年)

  • 月曜ミステリー劇場 / 上条麗子の事件推理4 死を呼ぶ老後資金(2004年)


フジテレビ系列



  • 愛のはじまるとき(1973年)


  • 新選組(1973年)- 藤田精一郎

    • 第1話「芹沢鴨死す 豪雨止まず」

    • 第6話「三条大橋に黒い人影」



  • 霧氷(1977年)


  • 汽笛が響く!(1978年) - 主演・宮崎康平


  • 時代劇スペシャル / 二人の武蔵 - 岡本武蔵

  • 望郷 美しき妻の別れ(1983年) - 石泊守幸


  • カバチタレ! 第5話「免停と交通違反キップで警察と対決!」 第11話「セクハラ男に置き去られ結婚式で恥をかく」(2001年) - さわやかなライダー


NET→テレビ朝日系列




  • 仮面ライダー(1971年 - 1973年、毎日放送)-主演・本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)初期はスーツアクターも兼任。


  • さすらいの狼 第13話「死の追跡」(1972年)


  • 仮面ライダーV3(1973年-1974年、毎日放送) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)


  • ご存知時代劇 / 赤城の子守唄 (1973年) - 板割りの浅太郎


  • 仮面ライダーX(1974年)- 本郷猛(ライブラリ出演)


  • 新・二人の事件簿 暁に駆ける! 第5話「眼には眼を」(1976年)

  • 愛と死の夜間飛行 (1977年) - 主演・洋一


  • 特捜最前線 (1977年 - 1987年) - 桜井哲夫


  • 土曜ワイド劇場 / ある誘拐 裁かれる刑事

  • 土曜ワイド劇場 / 白銀の死闘 鮮血のシュプール(1979年)

  • 土曜ワイド劇場 / 京都神戸殺人事件(1988年) - 中川

  • 土曜ワイド劇場 / おんな秘密調査員・立花江梨子(1992年) - 笠井実

  • 鬼麿斬人剣 天下無双の刀鍛冶(1995年) - 清原彦右衛門


  • 熱血!周作がゆく(2000年) - 中西忠兵衛


テレビ東京



  • オジロの海(1990年) - 主演・龍岡逞也


  • 月曜・女のサスペンス / 復讐岬に舞う真紅のバラ(1990年7月)

  • 平成就職物語(1992年)


  • 徳川剣豪伝 それからの武蔵(1996年) - 柳生十兵衛


  • 事件・市民の判決 第10話「岐路」(1996年)


  • ボイスラッガー第7話「危うしスーパーヒーロー! 吠える大捜査線」(1999年) - ヒロシ


  • トミカヒーロー レスキューファイアー(2009年 - 2010年) - 世界消防庁長官 刑部零次



映画



  • アンコ椿は恋の花(1965年)- 猛 ※デビュー作

  • 若いしぶき(1965年)- 主演・夏川啓一

  • 血と掟(1965年)- 町田雄一

  • やさぐれの掟(1965年)- ツトム

  • さよならはダンスの後に(1965年)- 池原隆一

  • 青雲やくざ(1965年)- 早川

  • 続青雲やくざ 怒りの男(1965年)- 良太

  • 日本ゼロ地帯 夜の狙え(1966年)- 恭二

  • 涙の連絡船(1966年)- 鈴木正太

  • 雨の中の二人(1966年)- 魚源ひろし

  • 天下の快男児(1966年)- ゴン

  • 東京無宿(1966年)- 伸一

  • 「青春の言葉」より 風にきけ雲にきけ(1966年)- 汐見泰平

  • かあちゃんと11人の子ども(1966年)- 吉田耕

  • 男の顔は履歴書(1966年)


  • スチャラカ社員(1966年)- テキサス・リース日本支社社員

  • 熱い血の男(1966年)- 五郎

  • シンガポールの夜は更けて(1967年)- 陳

  • あゝ君が愛(1967年)- 北村宏之

  • 宴(1967年)- 小三郎


  • 宇宙大怪獣ギララ(1967年)- 月ステーション通信員

  • また逢う日まで 恋人の泉(1967年)- 藤浦昇

  • 小さなスナック(1968年)- 三橋昭

  • 初恋宣言(1968年)- 松岡

  • コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年)- 岩野純一

  • 落葉とくちづけ(1969年) -ジュン

  • コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ(1969年)- 谷口順吉

  • チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行(1969年)- ヘルメットの青年

  • 夕陽が呼んだ男(1970年)- 相良秀司


  • 仮面ライダー対ショッカー(1972年)- 主演・本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)


  • 仮面ライダー対じごく大使(1972年)- 主演・本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)


  • 仮面ライダーV3対デストロン怪人(1973年)- 仮面ライダー1号(声)


  • 野獣狩り(1973年)- 主演・舟木明


  • 日本沈没(1973年)- 小野寺俊夫


  • 野獣死すべし 復讐のメカニック(1974年)- 主演・伊達邦彦


  • 五人ライダー対キングダーク(1974年)- 仮面ライダー1号(声)


  • エスパイ(1974年)- 主演・田村良夫


  • 東京湾炎上(1975年)- 館次郎


  • 大空のサムライ(1976年)- 坂井三郎


  • 恋の空中ぶらんこ(1976年)- 松野英一郎

  • 錆びた炎(1977年)- 北原警部


  • SFソードキル(1984年)- 主演・多賀義光

  • 香港・東京特捜刑事(1988年)- 藤岡弘


  • K2/ハロルドとテイラー(1991年)- 清水タカネ


  • ゴト師株式会社(1993年)- 菅原


  • 愛について、東京(1993年)- 遠藤


  • ヤマトタケル(1994年)- クマソタケル

  • La VIE 共生!(1995年)- 清石

  • SHOGUN COP(1999年)- 真田


  • さくや妖怪伝(2000年)- 榊備前守芳明


  • 劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4(2001年)- 警視総監


  • ホーム・スイート・ホーム2 日傘の来た道(2003年)- 鉄庵


  • ファンタスティポ(2005年)- 武田芳郎


  • 逆境ナイン(2005年)- 校長


  • いらっしゃいませ、患者さま。(2005年)- 三島武雄

  • 恋まち物語(2005年)


  • 恋するトマト(2006年)- 勇作


  • I am 日本人(2006年)- ジョージ


  • かにゴールキーパー(2006年)- 藤村


  • 日本以外全部沈没(2006年)- 防衛庁長官・石山新三郎


  • ユメ十夜 第八夜(2007年)- 夏目漱石


  • トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!(2008年)- 刑部零次 / R0(声)


  • オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー(2011年)- 仮面ライダー1号(声)


  • 平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊(2014年)- 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)


  • 仮面ライダー1号(2016年)- 主演・本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)※企画も兼任



オリジナルビデオ




  • ウルトラマンG(1990年) - ナレーター(第1話 - 第6話)

  • 汚れし者の伝説(1991年)


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)(ライブラリ出演)


  • ブラック・ジャック(1996年) - 本間丈太郎


  • 仮面ライダー メモリアル(1998年) - ナレーター

  • 必殺! バトルロード 妖剣女刺客 (2005年)



声優



テレビアニメ



  • クレヨンしんちゃんスペシャル 野原ひろし探検隊 秘境に秘書だけの村を見た(2003年) - 本人役


OVA




  • まんがビデオ 仮面ライダー(1999年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号


  • アーケードゲーマーふぶき(2002年) - ギュラシック団首領


  • LAST ORDER FINAL FANTASY VII(2005年) - ザンガン



劇場アニメ




  • 劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ(2006年) - ファントム・トループ


  • 真救世主伝説 北斗の拳ZERO ケンシロウ伝(2008年)- ナレーション



ゲーム



  • 仮面ライダー(1993年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号(ライブラリ出演)


  • 仮面ライダー(1998年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号(ライブラリ出演)


  • せがた三四郎 真剣遊戯(1998年) - せがた三四郎

  • せがた三四郎 超人伝説(1998年) - せがた三四郎


  • シェンムー 一章横須賀(1999年) - 芭月巌

  • 仮面ライダーV3(2000年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号


  • シェンムーII(2001年) - 芭月巌


  • 仮面ライダー 正義の系譜(2003年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号


  • キングダム ハーツII(2005年) - シャン・ユー


  • PROJECT X ZONE 2:BRAVE NEW WORLD(2015年) - せがた三四郎[51]


  • 仮面ライダー バトライド・ウォー創生(2016年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号


  • 仮面ライダーバトル ガンバライジング(2016年) - 仮面ライダー1号



パチンコ



  • CR仮面ライダー(2004年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号


  • CRぱちんこ仮面ライダー ショッカー全滅大作戦(2007年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号

  • CR我 藤岡弘、柳生十兵衛見参(2008年) - 柳生十兵衛


  • CRぱちんこ仮面ライダーMAX Edition(2009年) - 本郷猛 / 仮面ライダー1号



吹き替え




  • ドラゴン危機一発(チェン・チャオワン) - ブルース・リー


  • ムーラン(シャン・ユー) - ディズニーアニメーション。



情報番組




  • 第49回NHK紅白歌合戦(1998年) - せがた三四郎 / 仮面ライダー1号(声)


  • 熱中時間 忙中"趣味"あり(NHK)

  • 藤岡弘、探検シリーズ(テレビ朝日、不定期放送)


  • おもいッきりイイ!!テレビ(日本テレビ、2007年10月1日 - 2009年3月)月曜日『食材バカ一代』リポーター


  • わけもん!GT(宮崎放送)レギュラー[52]



バラエティ




  • 深夜戦隊ガリンペロ(フジテレビ系、2003年3月終了)


  • ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ)※コーナーレギュラー


  • @サプリッ!(日本テレビ、2005年9月終了)※「男前ニュースコーナー」に出演


  • ヴァケスケ(フジテレビ、2006年3月終了)※準レギュラー


  • シルシルミシルさんデー(テレビ朝日、2014年9月終了)※「藤岡弘、探検隊」コーナー レポーター


  • ナニコレ珍百景(テレビ朝日、2016年3月終了)※ワイルド珍百景、洞窟珍百景、他レポーター


  • さよなら、フーテン人生〜フーテン達が自分を変える720時間山ごもり〜(日本テレビ)※番組ナビゲーター


  • 秘密のケンミンSHOW(読売テレビ)※不定期出演



ドキュメンタリー


  • 海を越えた侍たち〜藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心〜(2014年)


CM




  • 日産自動車 - 日産・バイオレット(1976年)


  • 青山商事(1980年)


  • 日本コカコーラ - リアルゴールド(1982年)


  • KIRIN - アイスビール(1995年)


  • POLA - バランスアップ(1996年)


  • フリスキー - ワンプチ(1997年)


  • セガ セガサターン - せがた三四郎 役(1997年 - 1998年)


  • オートレース(1999年 - 2000年)- 仮面ライダー1号の掛け声も担当。


  • モランボン - キムチチゲの素(2000年)


  • ネスカフェ - サンタマルタX(2003年)


  • 静岡県 - 交通安全キャンペーン(2005年 - 2006年)


  • 資生堂 - uno(2005年)


  • 京楽産業 - CRぱちんこ仮面ライダーショッカー 全滅大作戦(2007年)- 仮面ライダー1号(声)


  • サントリー - ゼロナマ・「ティザー」編、「居酒屋」編(2008年)


  • ゆうちょ銀行 - ゆうちょ家族 (2010年)


  • JARO - 「自己紹介」編、「電話」編(2012年 - 2013年)


  • 第一三共ヘルスケア - カロヤン(2012年)


  • JAR - 即PAT(2016年)

  • 四電エナジーサービス株式会社 - でんのすけ・「でんのすけとの出会い」編、「歌うでんのすけ」編(2016年)


  • ショップジャパン - デュアルソー ダブルカッター・「DIYオヤジ」編(2016年)


  • エスビー食品 - 濃いシチュー(2016年)


  • 日清食品 - 日清焼そばU.F.O. 「エクストリーム!ヤキソボーイ」編、「未確認藤岡物体襲来」編、「エクストリーム!ヤキソボーイ2」編(2017年)- レジェンド・クロオビ


  • ミクシィ - モンスターストライク、夏だ!モンともミッションキャンペーン・「肉の希少部位」編、「身代わりロボ」編(2018年)


  • ミスズ - HANDA Watch Worid・「時計男」編、「ダジャレ」編(2018年)


  • 東京都福祉保健局 - 東京都子育て支援キャンペーン「テンシン!」・「藤岡弘、」編(2018年)



音楽



シングル




  • レッツゴー!! ライダーキック (1971年)藤岡バージョンが収録されているのは初回盤のみ。

  • セガサターン、シロ!(1998年)

  • レッツゴー!! ライダーキック 〜2000 Ver.〜(2000年)

  • 荒野のサムライ〜明日に向って走れ〜(2006年)



アルバム


  • 愛こそすべて 合掌、(2005年)


著書



  • 『仮面ライダー 本郷猛の真実』 ぶんか社 1999年 ISBN 978-4-8211-0640-0

  • 『サムライ学』 アスペクト 1999年 ISBN 978-4-7572-0431-7

  • 『熱血・藤岡弘の「人生に喝!」』 ビジネス社 2002年 ISBN 978-4-8284-0969-6

  • 『実践・五輪書-武道を通して学んだ宮本武蔵』 ビジネス社 2002年 ISBN 978-4-8284-1014-2

  • 『愛と勇気と夢を持て!』 ごま書房 2005年 ISBN 978-4-7771-0257-0

  • 『藤岡弘、の武士道入門』 並木書房 2009年 ISBN 978-4-89063-243-5[53]

  • 『仮面ライダー=本郷猛』 扶桑社 2009年 ISBN 978-4-594-05661-2

  • 『藤岡イズム。』 無双舎 2011年 ISBN 978-4-86408-454-3

  • 『藤岡弘、の人生はサバイバルだ。』 本の泉社 2012年 ISBN 978-4-7807-0748-9

  • 『あきらめない』 メタモル出版 2014年 ISBN 978-4-89595-860-8



脚注


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注釈





  1. ^ その後、1980年頃に父から突然電話が入る。父は静かな口調で「お前には財産も何も残してやれなかったが、地位や名誉という財産は他人に奪われることはあっても、『生き方』という財産は決して奪われない。だから、お前も誇りを持って生きなさい」と告げられた。しかし、突然のことでその言葉を理解しようとは思わなかった。その数日後、父の死を知らされて父の知人たちから失踪の真相を聞かされるうち、父に対する不信感は氷解したという。その真相については「差し障りがある」として明かしていないが、幼少時から父によく聞かされた「この国のために生きたい」との思いに、決して恥じないことだったとしている。


  2. ^ ちなみに、藤岡が演じる予定だった保本登役にはあおい輝彦が配役された。この時、『赤ひげ』の合格に加え、1973年の大河ドラマ『国盗り物語』のオーディションにも合格しており、織田信長役にキャスティングされていたが、信長役には改めて高橋英樹がキャスティングされた。藤岡としてはあくまで「勉強のため」との意識であり、合格するつもりなどなかったという。この作品での信長は高橋の当たり役となったが、藤岡は『おんな太閤記』(1981年(昭和56年))や『春日局』(1989年(平成元年))で信長役を演じることとなる。


  3. ^ 2013年8月15日、産経新聞関西版に掲載された阿含宗管長・桐山靖雄との対談の中で、「睡眠時間を削るなどしてがむしゃらに仕事したあげく、肝臓を壊してしまった」と明かしている。


  4. ^ せがた三四郎人気はNHK紅白歌合戦(1998年)に応援ゲストとして登場するまでの勢いを見せた。この時は舞台上で藤岡がコメントしていると、ショッカー怪人や戦闘員が現れ、舞台上でアクションを展開、ついに変身ポーズの末、仮面ライダーが登場し怪人らを一網打尽、という演出だった。


  5. ^ 週刊ポスト2007年11月23日号より。知人と称するこの人物は、過去にも土地取引で問題を起こし、約6年の服役生活を送っていたなど、詐欺の常習者であった事と、別件で暴力行為による刑事事件も起こしており、藤岡自身も己の未熟さから騙されてしまったと告白している。この人物の娘の結婚式に藤岡が出席。程なく融資話を持ちかけられ、それに応じてしまい、金銭授受のない状態にも関わらず、口車に乗せられ、先方へ借用証書、直筆の領収書、礼状の3点を予め提出してしまった事から敗訴判決が命じられる結果となった。最高裁の判決に対してはあくまで戦うという意志表示を行っている。


  6. ^ 制作:フジテレビバラエテイ制作センター、チーフプロデューサー・演出:挾間英行、演出:奥村達哉、森田篤、司会:バナナマン、生野陽子 出演者:デヴィ・スカルノ、淡路恵子、中尾ミエ、美川憲一、ミッツ・マングローブほか。


  7. ^ 「日本空手道無門会」代表・富樫宜資の実弟。


  8. ^ シーンによっては、大野剣友会の岡田勝・中村文弥・中屋敷鉄也が演じ分けている。


  9. ^ 第9話「恐怖コブラ男」(1971年5月29日放送分)、第10話「よみがえるコブラ男」(1971年6月5日放送分)。


  10. ^ 走り下りるシーンは第10話のラストカットとして使用されている。


  11. ^ 第14話「魔人サボテグロンの襲来」(1971年7月3日放送分)。


  12. ^ 佐々木は、藤岡の復帰が正式に決まった際にスタッフから「是非ダブルライダーで引き続き主演を」と依頼されたが、「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは彼が付録のようになってしまう。」と固辞すると、当初の約束どおりに第52話『おれの名は怪鳥人ギルガラスだ!』(1972年3月25日放送分)をもって降板した(詳細は仮面ライダー#本郷猛(仮面ライダー1号 / 新1号)の復帰を参照)。


  13. ^ 第53話「怪人ジャガーマン決死のオートバイ戦」(1972年4月1日放送分)。


  14. ^ 第40話「死斗(しとう)! 怪人スノーマン対二人のライダー」(1972年1月1日放送分)、第41話「マグマ怪人ゴースター桜島大決戦」(1972年1月8日放送分)。


  15. ^ 声のみの出演は『仮面ライダーV3』第21話と映画『仮面ライダーV3対デストロン怪人』、映画『五人ライダー対キングダーク』、『仮面ライダーストロンガー』第38話、映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』、顔出し出演は『V3』第1話・第2話・第33話・第34話と『ストロンガー』第39話と正月特番だけである。『仮面ライダー (スカイライダー)』と『劇場版仮面ライダースーパー1』、『仮面ライダーZX』、『仮面ライダーBLACK RX』、『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』にも1号が登場しているが、藤岡自身は出演しておらず、素顔の本郷としての登場シーンはない。『オールライダー』では1号の声を声優・稲田徹が担当した。


  16. ^ なお、隊長と初めて呼ばれたのは『深夜戦隊ガリンペロ』(2002年10月26日 - 2003年3月22日、フジテレビ系)で、探検隊復活もこの番組がきっかけといわれている。




出典




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  20. ^ ただし、キャメロンの作品に出たことは一度も無い。


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参考文献



  • 大全集シリーズ(講談社)

    • 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3。

    • 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー怪人大全集』 講談社、1986年10月10日。ISBN 4-06-178402-1。



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  • 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日。ISBN 978-4-06-218566-0。

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関連項目



  • 仮面ライダー

  • リアル斬鉄剣



外部リンク



  • 藤岡弘、オフィシャルサイト

  • 藤岡弘、オフィシャルブログ「藤岡弘、の侍道」


  • 藤岡弘、 - allcinema


  • 藤岡弘、 - KINENOTE


  • 藤岡弘、 - インターネット・ムービー・データベース(英語)

  • 藤岡弘、 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇

  • GRS - グローバルレインボーシップ -


  • 藤岡弘、 侍語録 (@samuraihiroshi) - Twitter

  • 藤岡弘、 - NHK人物録








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