カアバ
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カアバ(كعبة Kaʻba または Kaʻaba)は、メッカ(マッカ)のマスジド・ハラームの中心部にある建造物で、イスラーム教(イスラーム)における最高の聖地とみなされている聖殿である。カアバ神殿(カーバ神殿)とも呼ばれる。カアバの南東角にはイスラームの聖宝である黒石(くろいし)が要石として据えられている。
カアバはもとはイスラーム以前(ジャーヒリーヤ)におけるアラブ人の宗教都市であったメッカの中心をなす神殿であったとされる。
「カアバ(カーバ)」とはアラビア語で「立方体」を意味し、形状はその名の通り立方体に近い(縦にやや長い)。
目次
1 歴史
2 信仰
3 形状
4 絵文字
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
歴史
カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた多神教の神々の神殿として使われ、アニミズム時代(ジャーヒリーヤ、無明時代)には、360[1]もの神々の聖像が置かれていた。当時のカアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神はアッラーフであり、救済を司る神として崇められていた。また、アッラート、マナート、アル・ウッザーという三女神の父とされていた(「三位一体」も参照)。アッラーフを除いた神々の中での最高神が月の女神であるアッラート(アッラーフの女性名詞形。アリラト[2]、アルラトとも)であり、月経を司る五穀豊穣の老婆の女神であった。なお、イスラーム教は純粋太陰暦であるヒジュラ暦を採用している。アッラートの「御神体」は、天然ガラスである黒曜石(もしくは隕石由来のテクタイト)でできていると言われており、アニミズム時代は「月からの隕石」と信じられていた。現在この黒石は、カアバ神殿の東南角に丁重にはめ込まれており、イスラームの巡礼であるハッジにおいてこの石に触れることができれば大変な幸運がもたらされると、イスラーム世界では信じられている。ハッジはイスラーム成立期のアラビア半島での伝承を色濃く残しており、考古学的にも大変興味深いものである。
ムスリム(イスラーム教徒)の伝承によれば、カアバはそもそも神が人類の祖であるアーダム(アダム)とその妻ハウワー(イヴ)に命じて建設させた聖殿であり、その周囲を回ることは天上の神の玉座とそれを巡る天使たちの地上における再現で、神がアーダムに命じたことであるという(旧約聖書の創世記にはカアバ神殿の記述は無い)。しかし最初のカアバの建物はヌーフ(ノア)の時代の大洪水によって失われたとされている。
イスラーム教の聖典『クルアーン』によると、カアバの場所は大洪水以来その場所がわからなくなっていたが、預言者イブラーヒーム(アブラハム)は神からカアバの場所を教えられた。そして、イブラーヒームは息子のイスマーイール(イシュマエル)[3]とともにカアバを建設した、という(第2章「牝牛」125-127節)。その後、カアバはイスマーイールの子孫であるアラビア人が信仰の中心とする神殿となったが、やがてイブラーヒーム親子の真正な一神教は忘れ去られて多神教の神殿となったとされる。
イスラーム教の事実上の創始者で最終かつ最高の預言者とされているムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの生まれた時代、カアバはこの地の豪族であるクライシュ族が管理していて、その当時メッカはアラビア半島の交易路の十字路だったためにキャラバンの避難所としても使われていた。そのキャラバンは当時支配的だった多神教の偶像をカアバに奉納し続け一年にちなんだと考えられる360もの偶像があった。しかし、多神教と偶像を否定するムハンマドの興したイスラーム共同体は、クルアーンを通じてカアバを宗教的に重要な場所と認識していた。
このためマディーナへ移転(ヒジュラ)したムハンマドらイスラーム共同体側は、628年に交戦中にあったクライシュ族側と交渉し、メッカへの小巡礼(ウムラ)を行えるよう10年間の休戦を約定した(フダイビーヤの和議)。翌629年にはムハンマド自身もメッカへの小巡礼を行っている。しかし、その後も巡礼中などでの部族間の刃傷事件が絶えず、これを口実としついに630年に預言者ムハンマド率いるムスリム軍がアブー・スフヤーン(ムアーウィヤ1世の父)を筆頭とするクライシュ族のメッカを無血開城して征服した。この時上記のアッラートの「御神体」とされていた「黒石」( حجر الأسود Ḥajar al-Aswad)を除く359の聖像が全て破壊されて名実共にイスラームの聖殿とし、同時に伝承によるとムハンマド自身の手によって「黒石」は聖別され、カアバの建物の東の角に据え付けられた。このため現在でもカアバの内部は天井を支える柱などを除くと装飾のない空洞になっている。
信仰
カアバは、世界が創造されてから最初に真正の唯一神であるアッラーフに奉納された聖殿であるとされ、イスラーム教における最高の聖地とされている。ムスリムはムハンマドがマディーナにあって当地のユダヤ教徒との仲が険悪になった頃、礼拝する方向をエルサレムの方向からカアバの方角(キブラ)に改められ、以来、1日5回の礼拝はカアバの方角(キブラ)に向かって行われるようになった。
カアバのあるマスジド・ハラームを除く世界の全てのモスクは、必ずキブラの方向にミフラーブというくぼみを持ち、モスクに集まったムスリムはミフラーブを目印としてカアバに向かって礼拝を行う。
ただし、ムスリムにとってカアバはアッラーフでもなければ、それ自体が聖なる建物でもない。最初に奉納された、アッラーフを象徴する「奉納」を通じての、ただし、アッラーフとの伝達手段で、神道に例えるならば神鏡という位置付けであるに過ぎない。[疑問点 ]
また、ムスリムは聖地であるカアバに巡礼することを義務とされ、メッカに赴いて巡礼に参加する余裕があるならば、一生に一度カアバに巡礼しなければならない(五行のひとつハッジ)、とされている。
形状
カアバの基本的な形は、ムハンマドの青年時代に火災で損傷したカアバが再建されたものであり、1630年の大改修を経て現在の姿になった。
建物は大理石の基盤の上にたつ石造モルタル造りで、北東を正面とする立方体の長さは約10メートルあり、北西と南東を向く側面は約12メートルの幅をもち、高さは約15メートルである。屋上は大理石が敷き詰められており、北西に向かって雨どいがある。
入り口は正面の高さ約2メートルのところにしつらえられており、普段は内部に入る必要がまったくないので階段は外されている。内部は三本の柱で支えられた空間になっているが、ムハンマドが偶像を破壊して以来、何も置かれていない。
東の角には、イブラーヒームが建設したとき以来カアバに使われているものと伝承される黒石が高さ約1.5メートルの箇所にはめこまれている。黒石は大きな黒曜石で、イブラーヒームがカアバを建立したとき、天使が運んできたものと伝承されており、巡礼者が一人一人着衣で拭って接吻するため磨り減ってしまったので、現在は金属の覆いがかけられて保護されている。
建物全体はキスワと呼ばれる黒い布で覆われている。キスワはイスラーム以前から神殿にかけられていたもので、カアバをすっぽり覆う黒い布に金色の糸で聖なる言葉が刺繍されている。キスワは毎年一度交換される慣わしで、これを奉納する栄誉は歴代のメッカの最高支配者によって担われてきた。現在ではメッカを領土の一部とするサウジアラビア政府がその奉納者であり、キスワもメッカ市内で制作されている。
カアバが中枢に据えられたマスジド・ハラームは、サウジアラビア政府によってエスカレーターなどの最新の設備を備えた立派なモスクに改装されている。マスジド・ハラームはカアバを中心とする中庭と、中庭を取り巻く二階建ての礼拝施設からなっており、モスク全体をあわせると中華人民共和国の首都北京にある天安門広場とほぼ同じの約100万人を収容し、同時に礼拝を行うことができる。カアバを取り巻くようにムスリムが整然と集まって礼拝し、巡礼のためにカアバのまわりを周回する様子は写真によく写され、イスラーム教のもたらす信徒同士の一体感の強さを示すものとして引用されている。
絵文字
Unicodeにはカアバ神殿の絵文字、🕋がある。[4]
脚注
^ 「1年=360日」および「円周=360度」と関係があると考えられている。
^
ヘロドトスは次のように書いている。『私の知る限り、ペルシア人の風習は次の通りである。(略)また彼らは日、月、地、火、水を祭る。彼らが太古から祭るのは右のものだけであるが、後になってさらに「アプロディテ・ウラニア(天上の女神)」を祭ることも覚えた。アッシリア人やアラビア人からそれを学んだのである。なおアッシリア人はアプロディーテーのことをミュリッタ、アラビア人はアリラト、ペルシア人はミトラと呼んでいる。』
^ 旧約聖書によれば、イブラーヒーム(アブラハム)の後継者はイサクであるが、クルーアンによればイスマーイール(イシュマエル)であるとされている。
^ https://www.fileformat.info/info/unicode/char/1f54b/index.htm
関連項目
- メッカ
- マスジド・ハラーム
- アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ
- 黒石
- 世界軸
外部リンク
カーバ神殿ライブ(トルコ語)
- カアバ
座標: 北緯21度25分21秒 東経39度49分34秒 / 北緯21.42250度 東経39.82611度 / 21.42250; 39.82611