クルド人
Kurd | |
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総人口 | |
約2800万人 | |
居住地域 | |
トルコ 約1140万人 [1] オランダ 約7万人 | |
言語 | |
クルド語、等 | |
宗教 | |
イスラム教スンナ派、アレヴィー派、ヤズィーディー |
クルド人(クルドじん、クルド語: Kurd, 英語: Kurds)は、中東のクルディスタンに住むイラン系山岳民族。
目次
1 概要
2 歴史
3 トルコ
4 イラク
5 シリア
6 イラン
7 ジョージア
8 レバノン
9 アルメニア
10 アゼルバイジャン
11 ロシア
12 日本
13 参考文献
14 関連項目
15 脚注
16 外部リンク
概要
トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2,500万~3,000万人といわれている。中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多い。宗教はその大半がイスラム教に属する。一方、宗派については、イスラム教のスンニ派(トルコのクルド人のあいだではスンナ派シャーフィー法学派が多数)、アレヴィー派の順に多く、ヤズィーディー(Yazidi)やアフレ・ハック(ペルシア語:Ahl-e Haqq、あるいはヤルサン クルド語:Yârsân とも)なども存在する。言語的にはインド・ヨーロッパ語族イラン語派のクルド語に属する。主な生業は牧畜で、この地のほかの民族と同じく遊牧民として生活する者が多かったが、近年トルコ等を中心に都市へ流入し、都市生活を送る割合も相当数存在する。アイユーブ朝の始祖サラーフッディーン(サラディン)はクルド人の出自と見られている。
歴史
クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあった。
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスとロシアによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。
1922年から1924年まではクルディスタン王国が存在した。
1946年、現在のイラン北西部に、クルディスタン共和国(英: Republic of Kurdistan、1月22日 - 12月15日)が、ソヴィエト連邦の後押しによって一時的に樹立された。
20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。近年では、各国の枠組みの中でより広範な自治権獲得を目指したり、当事者間による共存のための対話を模索する動きもある。一方でこれらの地域を離れ、欧米などへの移民となるケースも増加している。
トルコ
クルド人口が最も多いのはトルコで、ザザ人を含めると、約1,144万5千~1,500万人が居住する。ヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。伝統的な居住地は、トルコ南東部および東部であったが、オスマン帝国後期に、コンヤ、アンカラ、クルシェヒール、アクサライなどの内陸アナトリア地方に移住させられた部族もあり、これらは、今日、中部アナトリア・クルド人 (トルコ語:Orta Anadolu Kürtleri、クルド語: Kurdên Anatoliya Navîn)と呼ばれている。また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、イスタンブール、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した[2]。今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している[3]。
オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり[要出典]、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年にトルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。
しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合や欧州評議会、欧州人権裁判所から非難されている。
2006年5月24日、イスタンブールのアタテュルク国際空港貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出した。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。
2007年の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20~30議席前後を獲得した。
2009年12月11日、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。この決定直後に、欧州連合(EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国のエルドアン首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した[4]。
17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にもかかわらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした[5]。
2015年6月の総選挙では、エルドアン大統領系与党政党が過半数をとれず258議席にとどまった[6][7]。一方、クルド系の国民民主主義党(HDP)が世俗派のトルコ市民、リベラル派、左派からも支持を得て全体の10%以上の79議席を獲得した[8]。
イラク
イラクはトルコに次いでクルド人が多く居住しており、北部をクルディスタン地域としている。サッダーム・フセイン大統領により、少数民族クルド人は長らく迫害を受けてきた。特に、イラン・イラク戦争では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して化学兵器で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた(ハラブジャ事件。一説ではイラン軍による虐殺であるとも言われている)。一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていたムッラー・ムスタファ・バルザーニーが属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した。
2003年からのイラク戦争によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を占領当局に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。2005年、イラク移行政府では、クルド愛国同盟を率いたジャラール・タラバーニを大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。また2017年9月25日には国際社会が反対する中、独立住民投票が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、クルディスタン地域も参照のこと。
イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく虐待行為を行い殺害まで至っているとして、国際連合(国連)が懸念の声を上げている。2007年4月7日にはイラク北部地域でムスリムの男性と駆け落ちするためにヤズディ教からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによってリンチを受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった(名誉の殺人#批判を参照)。
シリア
北部に少数が在住。2011年から続くシリア内戦の長期化によって政府軍の影響力が低下し、各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァ(西クルディスタン地域)が事実上のクルド人独立地域となっており、シリア政府もアルカイーダ系反政府勢力やIS(イスラム国)との戦闘を優先しているため、事実上黙認している状態である。2014年以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、コバニ(アイン・アル=アラブ)では反乱勢力(自由シリア軍)と、カーミシュリーやハサカなどではシリア軍(アサド政権)との共闘が見られている[9]。
イラン
ジョージア
レバノン
アルメニア
アゼルバイジャン
ロシア
日本
参考文献
クルディスタン#脚注・参考文献も参照
朝日新聞社『クルドの肖像―もうひとつのイラク戦争』彩流社、2003年、ISBN 978-4882028598
イスマイル・ベシクチ『クルディスタン=多国間植民地』柘植書房、1994年、ISBN 978-4806803508
S.C.ペレティエ『クルド民族―中東問題の動因』亜紀書房、1991年、ISBN 978-4750591018
勝又郁子『クルド・国なき民族のいま』新評論、2001年、ISBN 978-4794805393
川上洋一『クルド人もうひとつの中東問題』集英社、2002年、ISBN 978-4087201499
クルド人難民二家族を支援する会『難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの』緑風出版、2005年、ISBN 978-4846105112
小島剛一『トルコのもう一つの顔』中央公論社、1991年、ISBN 978-4121010094
鈴木崇生『今日も病院に銃弾の雨が降る―クルディスタンはちゃめちゃ医療奮闘記』亜紀書房、1999年、ISBN 978-4750599151
高崎通浩『民族対立の世界地図 アジア/中東篇』中央公論新社、2002年、ISBN 978-4121500427
高橋和夫『アメリカのイラク戦略―中東情勢とクルド問題』角川書店、2003年、ISBN 978-4047041264
中川喜与志『レイラ・ザーナ―クルド人女性国会議員の闘い』新泉社、2005年、ISBN 978-4787705006
- 中川喜与志『クルド人とクルディスタン―拒絶される民族』南方新社、2001年、ISBN 978-4931376595
中島由佳利『新月の夜が明けるとき―北クルディスタンの人びと』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703125
ヒネル・サレーム『父さんの銃』白水社、2007年、ISBN 978-4560027639
松浦範子『クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703002
渡辺悟『クルド、イラク、窮屈な日々―戦争を必要とする人びと』現代書館、2005年、ISBN 978-4768469019
関連項目
- キルクーク油田
クルディスタン労働者党 (PKK) - トルコ
クルド自由民主議会 (KADEK) - トルコ
クルディスタン民主党 (KDP) - イラク
ペシュメルガ・・・陸海空軍
アサイシ[要リンク修正]・・・治安軍
パラスティン・・・諜報部- ヤズディ教
- 剣の舞
安彦良和「クルドの星」
船戸与一「砂のクロニクル」
アララト山 - クルドのシンボルとされる高峰- マハバード共和国
ネブローズ - 新年の祭りで3月21日に世界各地で開かれる。- en:Early Kurdish nationalism
脚注
^ http://www.milliyet.com.tr/2007/03/22/guncel/agun.html
^ Christopher Houston, "Creating a Diaspora within a Country: Kurds in Turkey", in Encyclopedia of Diasporas, Part II, ISBN 978-0-306-48321-9, pp. 403-404.
^ Bekir Ağırdır, Kürtlerin nüfusu 11 milyonda İstanbul"da 2 milyon Kürt yaşıyor,Radical, 21 Aralık 2008.
^ 2009年12月12日、毎日新聞
^ しんぶん赤旗 2009年12月19日(土曜日)
^ http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87857230Z00C15A6000000/
^ http://www.asahi.com/articles/ASH681PPKH68UHBI001.html
^ http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87727800V00C15A6000000/
^ シリアのPKK系PYD、反政府派と共同戦線
外部リンク
クルド人問題 - 日本国際問題研究所
- 一般社団法人日本クルド友好協会
Links to different Kurdish political sites - 立場が異なるクルド政治サイトのリンク集(英語)
Kurdistan Maps - GlobalSecurity.org