陳道談




陳道談(ちん どうだん、? - 549年頃)は、南朝陳の文帝陳蒨や宣帝陳頊の父。陳の武帝陳霸先の兄にあたる。名は道譚(どうたん)とも書かれる。始興昭烈王を追贈された。




目次






  • 1 経歴


  • 2 没後の事情


  • 3 子女


  • 4 伝記資料





経歴


陳文讃の子として生まれた。梁に仕えて、東宮直閤将軍となった。侯景の乱が起こると、弩手2000を率いて建康の援軍となったが、城中で流れ矢に当たって戦死した。



没後の事情


557年(太平2年)、侍中・使持節・都督南兗州諸軍事・南兗州刺史の位を追贈され、長城県公に追封された。諡は昭烈といった。陳が建てられると、さらに驃騎大将軍・太傅・揚州牧の位を贈られ、始興郡王に改封された。子の陳頊は梁の承聖末年に西魏により関中に連行されていたが、陳霸先は陳頊に始興王の封を嗣がせて、道談の祭祀を奉じさせることとしていた。559年(永定3年)6月に陳霸先が死去し、陳蒨(文帝)が即位したが、陳頊はまだ北周から帰国していなかったため、同年10月に陳蒨は陳頊を安成王とし、陳蒨の次男の陳伯茂を始興王に封じて、道談の祭祀を奉じさせた。



子女




  • 陳蒨(文帝)


  • 陳頊(宣帝)

  • 信義長公主(到郁の妻)



伝記資料



  • 『陳書』巻28 列伝第22

  • 『南史』巻65 列伝第55








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