岡崎市
おかざきし 岡崎市 | |||||||
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国 | 日本 | ||||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||||
都道府県 | 愛知県 | ||||||
団体コード | 23202-5 | ||||||
法人番号 | 3000020232025 | ||||||
面積 | 387.20km2 | ||||||
総人口 | 386,639人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) | ||||||
人口密度 | 999人/km2 | ||||||
隣接自治体 | 豊川市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、新城市、額田郡幸田町 | ||||||
市の木 | ミカワクロマツ | ||||||
市の花 | フジ、サクラ | ||||||
市の鳥 | ハクセキレイ | ||||||
岡崎市役所 | |||||||
市長 | 内田康宏 | ||||||
所在地 | 〒444-8601 愛知県岡崎市十王町二丁目9番地 北緯34度57分15.6秒東経137度10分27.7秒座標: 北緯34度57分15.6秒 東経137度10分27.7秒 | ||||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||||
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 | |||||||
ウィキプロジェクト |
岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市。全国的には「八丁味噌」の産地として知られ[1]、豊田市とともに西三河を代表する都市。中核市に指定されている。
目次
1 概要
2 地理
2.1 気候
2.2 市内の町名
2.3 住宅地形成
2.4 人口
2.5 隣接する自治体
3 歴史
3.1 原始・古代
3.2 中世
3.3 戦国・安土桃山時代
3.4 近世
3.5 近現代
3.6 市名の由来
3.7 年表
3.8 市域の変遷
4 行政
4.1 歴代市長
4.2 市組織
4.3 支所
4.4 財政
4.5 広域行政
4.6 市歌
4.7 行政機構
5 議会
5.1 岡崎市議会
5.2 愛知県議会
5.3 衆議院
6 国家機関
6.1 厚生労働省
6.2 国土交通省
6.3 財務省
6.4 防衛省
6.5 農林水産省
6.6 法務省
6.7 裁判所
7 施設
7.1 警察
7.2 消防
7.3 医療
7.4 文化施設
7.5 交流施設
7.6 公園
7.7 スポーツ施設
8 対外関係
8.1 姉妹都市・提携都
8.1.1 海外
8.1.2 国内
9 経済
9.1 工業
9.2 商業など
9.3 金融機関
10 マスメディア
10.1 新聞・雑誌社
10.2 放送局
11 教育・研究機関
11.1 大学・短期大学
11.2 専修学校
11.3 高等学校
11.4 中学校
11.5 小学校
11.6 特別支援学校
11.7 研究機関
11.8 その他
12 交通
12.1 鉄道
12.1.1 廃線
12.2 バス
12.2.1 路線バス
12.2.2 高速バス
12.3 道路
12.4 「岡崎」ナンバー
13 観光
13.1 文化財
13.1.1 建築物
13.1.2 絵画・彫刻・工芸品等
13.2 名所・旧跡
13.3 観光スポット
14 文化
14.1 祭事・催事
14.2 名品・郷土料理
14.3 スポーツチーム
15 出身著名人
15.1 武将・歴史上の人物
15.2 政界
15.3 財界
15.4 法曹・官吏
15.5 学界・教育界
15.6 文化人
15.7 スポーツ選手
15.8 音楽家
15.9 芸能人
15.10 アナウンサー
15.11 その他
15.12 マスコットキャラクター
15.12.1 オカザえもん
16 広報・公聴関係
16.1 映像・ラジオ広報事業
17 脚注
17.1 注釈
17.2 出典
18 参考文献
19 関連項目
20 外部リンク
概要
足利氏族である細川氏、仁木氏、戸崎氏、また、鳥居氏、大久保氏、土井氏の発祥地、江戸幕府を開いた徳川家康や、その臣下で、半蔵門の由来となった忍者服部半蔵こと服部正成や、東京青山に名が残る老中青山忠成ら、多くの三河武士たちの生誕地として有名である。
中世の鎌倉街道や、江戸時代の東海道宿場町、城下町として栄え、歴史的に西三河地方の中心都市として機能してきた。中心部は旧額田郡で、明治時代初期には額田県の県庁所在地であった。また、一部に旧碧海郡の地域もある。
研究教育施設や史跡が多く、市の規模に比して文教都市の色が濃い。また、伝統地場産業には八丁味噌、花火、石製品、額田の豆腐などがある。
共通語では「おかざき」と発音されるが、岡崎市民をはじめとした地元民は、「川崎」と同じように「おかざき」と平板に発音する(JRの駅の行き先放送では「おかざき」と発音されている)。人名(姓)の場合は「おかざき」と発音して区別する。岡崎が舞台となったNHK連続テレビ小説『純情きらり』や大河ドラマ『徳川家康』の中でも、放映開始当初は「おかざき」と発音していたが、途中から平板な発音に改められた。2016年にはNHKにおいて平板な発音が「地元放送局アクセント」として正式に許容されるようになった[2]。
地理
岡崎市は愛知県の中央部にあり、中央高地に連なる美濃三河高原と岡崎平野の接点に位置する。中京圏の中心都市名古屋市から約35キロメートルの距離にあり、市内を東西に国道1号、南北に国道248号及び国道473号が通っている[3][4]。また東名高速道路の岡崎インターチェンジや、新東名高速道路の岡崎東インターチェンジといった広域交通網の拠点のほか、主要地方道等の愛知県道も多くあり、市内各所で渋滞が発生している。鉄道は市内を東西に抜けるJR東海道本線及び名鉄名古屋本線と、岡崎駅から豊田市方面へ結び、名鉄三河線や、愛知高速交通東部丘陵線、JR中央本線と接続する愛知環状鉄道線の計3路線、17駅が設置されている。
面積は387.24平方キロメートルで豊田市、新城市に次ぎ愛知県内3位。人口は2015年10月1日現在の国勢調査結果速報によれば381,031人で、名古屋市、豊田市に続く愛知県内3位となっており、2030年まで増加傾向が続くとの推計がなされている[5][6]。市域の4割を占める東部の山間地帯にあたる額田地区(旧額田郡額田町)の人口は8,551人と少なく、平野部に人口が集中している。太平洋側気候で、特に平野部は温暖で、冬でも雪が降ることはほとんどない[7][8]。また、市内に活断層や推定活断層は見つかっていない[9]。
中央アルプスの大川入山に発する矢作川が市内を南北に流れ、東西に流れる乙川など、市内に20本程流れる河川の全てが矢作川の支流である。市内にはこの豊富な水を利用した大規模工場や水田地帯が多くある。多数の河川により形成された沖積平野上に市の中心市街があり、市の東部は美濃三河高原を構成する山地となっている。最高峰は標高789mの本宮山であるが、平野部にも丘陵が点在しており、市内の標高差が700メートル以上ある変化に富んだ地形となっている。市域の約60%が森林であり、その豊かな自然環境から、自然公園法に基づき南部の桑谷山周辺が三河湾国定公園に、東部の本宮山及び巴山周辺が本宮山県立自然公園にそれぞれ指定されている[10]。また、市の中心部には岡崎城があり、城を中心とした岡崎公園は桜の名所として有名である。
岡崎という地名は、中世に明大寺町にあったとされる明大寺城や矢作東宿が、竜美ヶ丘のある丘陵の出崎にあったことから名付けられたものとされる。初めてその名が確認できるのは、1484年作成の上宮寺「門徒次第之事」にある「オカサキ」との記述である[11][12]。
気候
例年[注 1]、年平均気温は15.2℃、平均日最高気温は32.3℃、平均日最低気温は-0.8℃、年間降水量は1452mmである[13]。
- 岡崎市の気象観測極値[14]
要素
観測値
観測年月日
最高気温
39.3℃
2018年(平成30年)7月23日
最低気温
-7.6℃
1999年(平成11年)2月4日
日降水量
263.5mm
2008年(平成20年)8月29日
時間降水量
146.5mm
2008年(平成20年)8月29日
市内の町名
住宅地形成
隣接する豊田市にはトヨタ自動車の中枢機能があり、岡崎市周辺にはトヨタ自動車関連企業が多いため、近年は住宅地を次々と造成しベッドタウンとしての性格が強くなりつつある。
人口
岡崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 岡崎市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 岡崎市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
岡崎市(に相当する地域)の人口の推移 ► | |
総務省統計局 国勢調査より |
2015年10月1日現在:381,031人(国勢調査結果速報)[5]
1921年の人口は約42,000人で、名古屋市、豊橋市に次ぐ愛知県第3位、西三河最大の人口を有していたが、いわゆる「平成の大合併」では、岡崎市は人口の少ない中山間地域たる額田地区の併合にとどまった一方、三河では豊田市が、尾張では一宮市が、それぞれ大きく拡大した。その後、2016年2月15日に公表された国勢調査結果では、2015年の人口は381,031人とされ、名古屋市、豊田市に次いで、再び愛知県第3位の人口となった[6]。
隣接する自治体
愛知県
- 豊川市
- 豊田市
- 安城市
- 西尾市
- 蒲郡市
- 新城市
額田郡幸田町
歴史
原始・古代
矢作川や乙川流域の肥大な平野部に位置し、温暖な気候のこの地域には、旧石器時代から人々が生活していた[15]。仁木八幡宮遺跡や美合の五本松遺跡等が旧石器時代の遺跡である。また額田地区の西牧野遺跡は旧石器時代から江戸時代にかけての複合遺跡である。国の史跡となっている六名の真宮遺跡は、縄文時代から鎌倉時代までの土器片や遺構、土器棺などが多く発掘されている複合遺跡であり、官衙跡ともいわれる[16][17][18]。
古墳時代には、当初安城周辺に比して小さな勢力しか存在しなかった。のちに大きな権力を有する豪族が現れ、4世紀後半には比較的大きな帆立貝形古墳である於新造古墳が西阿知和に作られ、4世紀末には、直径100メートル以上の、当時の三河地方では最大級となる甲山第1号墳が六供に作られた[19]。また景行天皇皇子である五十狭城入彦皇子墓として宮内庁から治定されている和志山古墳などの前方後円墳も現れ、ヤマト王権勢力下となっていたことが伺われる。同じく景行天皇皇子であるヤマトタケルの東夷征伐に関わる伝承も、矢作神社の由緒など、市内に多く伝わる。飛鳥時代に入ると、6世紀に物部守屋の子・真福が願主となり三河最古寺院真福寺が築かれ[20]、7世紀には物部氏氏寺とされる巨大古代寺院北野廃寺が建立された。また同時期に岩津古墳群も作られた[16][21]。702年(大宝2年)には、持統天皇が壬申の乱の功労をねぎらうため村積山を訪れたが、同山山頂にも物部氏建立と伝わる村積神社が鎮座する[22]。
8世紀中頃に、新城(仁木)郷、鴨田郷、位賀(伊賀)郷、額田郷、麻津郷、六名郷、大野郷、駅家郷(山綱)の額田八郷及び碧海郡の駅家郷(宇頭)や谷部郷(本郷)、鷲取郷(北野)、河内郷(上和田・下和田)、碧海郷(青野)などができた。また927年成立の延喜式では、三河国三駅として山綱駅家や宇頭の鳥捕駅などが挙げられている[16][23][24][25][26][27]。
中世
古代の物部氏に代わり、中世になると藤原氏の勢力が当地でも伸長した。11世紀の平安時代後期に藤原南家の藤原季綱が三河守になると、一部の領土等を譲り受けた兄弟の藤原季兼が岡崎に移り住み、開発領主として荘園開発を進め勢力を伸ばした。額田冠者を名乗った季兼の子藤原季範の三女由良御前は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の母であり、季範の養女(実孫)は、足利氏宗家初代当主足利義康の妻である[28][12][29][30]。
鎌倉時代には三河は関東御分国となり、三河守を務めた、季範の養子で頼朝の弟の源範頼が、上地八幡宮を創建した。鎌倉街道沿いの明大寺の地には矢作東宿(矢作宿)が設置され栄えた。また、滝山寺は初代将軍源頼朝の従兄弟が住職を務めるなどし、幕府の庇護を受けた。13世紀に藤原季範の玄孫にあたる足利氏宗家第三代足利義氏が、承久の乱の恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として矢作東宿に拠点を構えて以降、足利氏や、足利氏系氏族、足利氏家臣などが代々三河守護を務めた。足利氏系の細川氏及び仁木氏が現在の市内細川町及び仁木町にそれぞれ置かれたほか、吉良氏、一色氏、今川氏といった足利氏支流が西三河に分立されて足利氏の第二の拠点となった。1335年に中先代の乱の混乱の中足利直義が甥の千寿王や成良親王とともに矢作に逃れ、1336年の矢作川の戦いでは、三河の足利一族が矢作東宿に集まった[30]。
室町時代になると幕府御料所として栄え、多くの奉公衆が置かれた。また、義氏により本堂が建立された滝山寺や、将軍足利義満により建立された天恩寺等が幕府の庇護を受けた。幕府を二分する観応の擾乱が起きると、三河の足利一族の間でも争いがなされた。三河守護を務めていた高氏一族は乱でほぼ滅亡し、乱後に将軍足利尊氏から菅生郷の寄進を受けた高氏出身の尼僧明阿により、一族の菩提所として現籠田町に総持尼寺が開かれ、門前町が発展した。特に15世紀の室町時代中期から大きな発展を見せ、三河守護仁木氏の守護代だった西郷氏が明大寺や龍頭山(現岡崎城)に城や砦を築くとともに、矢作川に北野から矢作にわたる堤防を作り、幾筋にも分流していた矢作川を、一筋の流れにまとめた[16][31][32][33][30]。
戦国・安土桃山時代
室町時代後期頃になると、六代将軍足利義教により三河守護一色義貫が殺され、代わって細川氏が守護に就いたものの、他地に先駆け内戦状態となった。
岩津城を本拠とした国人領主松平氏第三代松平信光は、保久城主山下氏を滅ぼしたのち、井ノ口の砦を拠点として発生した額田郡一揆を幕府政所執事伊勢貞親被官として平定し力を伸ばした。応仁の乱では、三河への復権を狙う一色氏を、三河守護細川成之とともに破り、戦国時代に岡崎城や安祥城を獲得し、南部まで勢力を伸ばした。
その後三河守護が置かれない状態となり、信光の後は、当初鴨田に分立されていた四代松平親忠が、井田野で挙母城主中条氏らを破り、鴨田の館跡に大樹寺を建立するなどした。五代松平長親は、三河に侵攻してきた今川氏親家臣の北条早雲を井田野で破ったとされる[30]。
1524年(大永4年)、松平宗家七代松平清康が、山中城の岡崎松平家を攻略し、安城岡崎を兼領する。そして明大寺の岡崎城から龍頭山の砦に拠点を移し、1531年(享禄4年)には龍頭山の砦を整備・拡張し、岡崎城(別名、竜城、竜ヶ城)とした。清康の死後、松平氏が今川氏の庇護下に入ると、市域は今川と織田の抗争の前線となり(小豆坂の戦い)、多くの城が作られた。
桶狭間の戦いで今川義元が戦死した後、第九代松平元康は、大樹寺で住職に諭されたのち、生誕の地岡崎城に戻って旧家臣団を再編成し、やがて今川氏から独立、徳川家康と改名する。以後織田信長の盟友として勢力を拡大した。1564年(永禄7年)には、針崎町の勝鬘寺等を拠点に起きた三河一向一揆を平定した[30] 。武田信玄の侵攻に備えるため、1570年(元亀元年)に家康の拠点が浜松城に移ったのちも、岡崎城は長男松平信康(徳川信康)が城主を務めるなどし、長篠の戦いでは、岡崎城から出発した家康らが、片寄の天恩寺を経て長篠城に向かった。また、本能寺の変に伴う伊賀越えの際には、畿内から逃れた家康が岡崎城に帰還した。
1590年(天正18年)、家康が関東移封により多くの三河武士とともに江戸に移ると、豊臣家臣・田中吉政が岡崎城に入った。吉政は家康に対する抑えとして城を拡張し、石垣や城壁などを用いた近世城郭にふさわしいものに整備したが、秀吉の死後家康に接近し、関ヶ原の戦いでは家康側についた。また、城下町の整備も積極的に行われ、岡崎の郊外を通っていた東海道が岡崎城下町の中心を通るように変更され、現在の岡崎城の原型が造られた。
近世
江戸時代に入ると、岡崎藩が立藩され、徳川家康誕生の地として別格の扱いを受けるようになった。家康の死に際しては、大樹寺の住職が立ち会い、死後大樹寺に位牌が納められた。第3代将軍の徳川家光は家康への尊敬心が強かったとされ、滝山東照宮の創建、伊賀八幡宮及び六所神社の改築などを行い、現在いずれも国の重要文化財となっている。東海道沿線には岡崎宿、藤川宿の2宿が置かれ、宿場町が栄えた。また、「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われているように、矢作川と乙川の合流地点にある岡崎は水運の要衝であり、矢作川には当時としては日本最長の矢作橋が架けられる程であった。
岡崎藩初代藩主の本多康重は、東海道の整備、城下町の建設などに尽力し、「岡崎の27曲がり」といわれる多数のクランク状の道が整備された。これは、普段の生活では影響は無い曲がり角が、敵軍の急襲の際には進攻の妨げとなるように設計されたものである。また、江戸中期には矢作川沿いの農村で綿作が盛んに行なわれるようになり、三河木綿が特産品として生産されるようになった。
歴代岡崎藩主は全て名門譜代大名から選ばれ、老中を務めた水野忠之や松平康福、本多忠民など、江戸幕府の要職者を輩出した。歴代藩主が幕閣に入ったことや臨時課役による出費で、岡崎藩の財政は悪く、第6代藩主の水野忠辰が幽閉されるなど度々藩政の混乱を招いた[34]。幕末に岡崎藩主を務めた本多忠民は、徳川家康の側近徳川四天王であった岡崎出身の本多忠勝系本多氏宗家第15代であったが、戊辰戦争で徳川方には付かず明治新政府軍に与したため、脱藩浪士との対立が起きた。最後の藩主となった次の本多忠直は、明治維新後岡崎藩知事を務めた。
岡崎の地は岡崎藩の他にも、南部には三河中島藩や、大岡越前として有名な大岡忠相から始まる西大平藩が、北部には大給松平家が支配した奥殿藩がそれぞれ置かれ、奥殿藩第8代藩主の松平乗謨は老中や陸軍総裁を務めた。また、藩の他に、直轄領や幕府官僚の知行、徳川家菩提寺の大樹寺領を始めとした多数の寺社領が配置され、徳川家康出身地として広義の幕府領として扱われた[35][36]。
近現代
明治の世になると、廃藩置県により岡崎藩が岡崎県となり、岡崎県、次いで額田県の県庁が置かれた。8世紀から伝わる伝統の三河木綿を引き継いだ水車動力のガラ紡、官営愛知紡績所が操業し、国鉄東海道本線、名鉄岡崎市内線、挙母線、名古屋本線が開通し、岡崎の近代化を一層促進した。岡崎は西三河の中心都市として栄え、西三河中から学生が集まる愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、愛知第二師範学校(現・愛知教育大学)、岡崎町立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)なども置かれた[37]。
1916年(大正5年)7月1日に市制を施行し、愛知県3番目、全国では67番目の市として岡崎市が誕生した。太平洋戦争時には岡崎海軍航空隊が置かれたことなどから、1945年(昭和20年)7月20日に空襲を受け、市街地の大部分が焼失した(岡崎空襲)[16][38]。市内を走る路面電車の車庫が燃えたため、急遽京都から車両を調達したこともあった。また、資材供出のために西尾線は休止された。太平洋戦争末期には、全国4番目の高等師範学校として岡崎高等師範学校(現名古屋大学教育学部)が設置された。
戦後、モータリゼーションの流れに押され名鉄岡崎市内線、挙母線が廃線となるが、その後国鉄岡多線が開通し、トヨタ自動車の自動車輸送やユニチカ岡崎工場向けの原料輸送が行われた。
1970年(昭和45年)に三菱自動車工業が北野町に大規模な開発センター兼工場を設置するなど、岡崎市にも工業化の波が押し寄せてきた。それに伴い、康生地区への大型商業施設の進出も激化した。1971年(昭和46年)4月10日には「岡崎ショッピングセンター・レオ」(核店舗は松坂屋岡崎店)が、1972年(昭和47年)10月5日には「セントラルパークビル・セルビ」が、1973年(昭和48年)4月には「名鉄サンリバー」が完成。1977年(昭和52年)7月5日には「岡崎シビコ」(核店舗はジャスコ岡崎店)が開店した[39]。その後、商業の中心地は康生から移り分散したものの、今日にいたる間に西三河地方屈指の商圏が形成され、同地方随一の商業都市として発展した。
後に三河安城駅として結実した東海道新幹線新設期成同盟会による豊橋 - 名古屋間の新幹線停車駅誘致運動では岡崎市正名地区も候補にあがったが、都市部から離れていること、連絡する鉄道路線がない(並行して新交通システムを整備する予定だった)ことが欠点となり選定されなかった。[要出典]
市名の由来
岡崎という地名は、もともとは中世に明大寺町にあったとされる明大寺城や矢作宿が、竜美ヶ丘のある丘陵の出崎にあったことから名付けられたものとされる。その後、西郷氏により明大寺から菅生郷に城が移され、岡崎という地名が拡張されて用いられるようになったものと考えられる[40][12]。初めて岡崎という地名が確認できるのは、1484年作成の上宮寺「門徒次第之事」にある「オカサキ」との記述である。『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年-1531年)以来の名號にして、其以前は菅生郷なり」、と記載されているため、1524年(大永4年)に松平清康が龍頭山砦を占拠後、砦を拡張整備し岡崎城と命名して、松平宗家の本城として以降と思われる。
年表
- 古代
- 702年(大宝2年) - 持統天皇が村積山を訪れる。
- 鎌倉時代
- 三河守護の足利義氏が、矢作東宿(岡崎市明大寺付近と推定)に守護所と額田郡公文所を設置する。
- 戦国時代
- 1452年(享徳元年) - 西郷稠頼、龍頭山砦を築く。
- 1524年(大永04年) - 松平清康が、龍頭山砦(岡崎城)入城。
- 1531年(享禄04年) - 松平清康、龍頭山砦を拡張して岡崎城とする。
- 1542年(天文11年) - 徳川家康、岡崎城に生まれる、第一次小豆坂の戦い。
- 1548年(天文17年) - 第二次小豆坂の戦い。
- 1601年(慶長06年) - 東海道五十三次が定められ、岡崎宿(岡崎城下)と藤川宿が置かれる。
- 江戸時代
- 1615年(元和元年) - 岡崎藩が成立。
- 1638年(寛永15年) - 深溝藩が藩庁を移転、中島藩となる。
- 1672年(寛文12年) - 中島藩が下野烏山へ移封、廃藩となる。
- 1707年(宝永04年) - 大給藩が藩庁を移転、奥殿藩となる。
- 1748年(寛延元年) - 大岡忠相、西大平藩を設立し、西大平陣屋が設けられる。
- 1806年(文化03年) - 奥殿藩が藩庁を移転、田野口藩となる。
- 明治・大正
- 1871年(明治04年) - 廃藩置県で額田県に属する。
- 1872年(明治05年) - 額田県が廃止され、それ以降は愛知県に属する。
- 1889年(明治22年)10月01日 - 町村制施行に伴い、額田郡30町村が合併し岡崎町が発足。
- 1892年(明治25年)11月15日 - 岡崎商業会議所が設立される。県下で2番目、全国で16番目の設立であった[41]。
- 1902年(明治35年)09月23日 - 男川村の一部(大字欠)を編入。
- 1906年(明治39年)05月01日 - 三島村、乙見村の一部(大字稲熊、大字小呂)を編入。
- 1914年(大正03年)10月01日 - 広幡町を編入。
- 1916年(大正05年)07月01日 - 岡崎市、市制施行(県下3番目、全国67番目)。
- 1918年(大正07年) - 当時の人口:38,803名。マラリア患者数:12名。
- 昭和・平成
- 1928年(昭和03年)09月01日 - 岡崎村、美合村、男川村、常磐村の一部(大字箱柳)を編入。
- 1944年(昭和19年)12月07日 - 東南海地震により死者9人、負傷者29人の被害[42]。
- 1945年(昭和20年)
01月13日 - 三河地震により死者29人、負傷者22人の被害[42]。
04月01日 - 岡崎高等師範学校が設立される。
07月19日未明-20日 - 岡崎空襲により死者280名[43]、被災戸数約7,500戸の被害を出す。
- 1948年(昭和23年)08月 - 第1回「観光夏まつり」開催。
- 1950年(昭和25年)01月 - 第1回「岡崎市民駅伝競走大会」開催。
- 1954年(昭和29年)10月25日 - 県立愛知病院(現・愛知県がんセンター愛知病院)が結核専門病院として開院する。
- 1955年(昭和30年)
02月01日 - 岩津町、福岡町、本宿村、山中村、藤川村、竜谷村、河合村、常磐村を編入。
04月01日 - 矢作町を編入。
04月10日 - 第1回「家康まつり」開催(現在の「家康行列」)[39]。
- 1959年(昭和34年)
04月05日 - 岡崎城の天守閣が復興する。一般公開開始[39]。
09月26日 - 伊勢湾台風により死者27名、負傷者128名、家屋全壊986戸、家屋半壊2,503戸、床上浸水5戸、床下浸水212戸の被害[42]。
- 1960年(昭和35年)01月01日 - 旧矢作町の一部(河野町、宇頭茶屋町、尾崎町、柿碕町、橋目町の一部)を安城市へ編入[注 2]。
- 1962年(昭和37年)
06月17日 - 路面電車である名鉄岡崎市内線が全線廃止。- 10月15日 - 六ツ美町を編入。
- 1963年(昭和38年)04月01日 - 「岡崎博 -花と産業科学大博覧会-」が開幕[39]。
- 1964年(昭和39年)11月22日 - 第1回「造形おかざきっ子展」が籠田公園で開催される。
- 1967年(昭和42年)06月22日 - 岡崎市民会館が竣工。
- 1968年(昭和43年)04月24日 - 東名高速道路岡崎インターチェンジ開通。
- 1969年(昭和44年)11月22日 - 第1回「岡崎市民マラソン」開催。
- 1972年(昭和47年)08月11日 - 岡崎市美術館が竣工[39]。
- 1975年(昭和50年)04月22日 - 分子科学研究所が愛知教育大学の旧図書館を仮庁舎として設立される。
- 1976年(昭和51年)
04月26日 - 岡多線の旅客営業開始。
07月01日 - 岡崎市体育館の完成式開催[44]。- 11月08日 - 岡崎商工会議所が明大寺町兎ヶ入(現在の町名は竜美南)に新築移転。
- 1978年(昭和53年)
09月18日 - 人口が25万人に達する。- 11月04日 - 第1回「岡崎まつり」開催(11月5日まで)[45]。
- 1980年(昭和55年)03月01日 - 岡崎市竜美丘会館がオープン。
- 1987年(昭和62年)03月21日 - 市制70周年記念事業である「葵博 岡崎 '87」が開幕。
- 1988年(昭和63年)
01月31日 - 岡多線は愛知環状鉄道に転換。
03月13日 - JR西岡崎駅が開業。
- 1989年(平成元年)04月08日 - 人口が30万人に達する。
- 1991年(平成03年)04月15日 - 岡崎中央総合公園が開園。
- 1996年(平成08年)
04月20日 - おかざき農遊館が開館。
07月06日 - 岡崎市美術博物館が会館。
- 2002年(平成14年)04月22日 - 岡崎市シビックセンターが開館(隣接する岡崎地方合同庁舎と合わせて「岡崎シビックプラザ」と呼ばれる)。
- 2003年(平成15年)04月01日 - 中核市に移行(県下3番目、全国31番目)。
- 2006年(平成18年)
01月01日 - 額田町を編入。- 11月04日 - 第1回「岡崎ジャズストリート」開催(11月5日まで)。
- 2007年(平成19年)07月17日 - 「まちバス」が運行開始。
- 2008年(平成20年)
08月28日 - 平成20年8月末豪雨が発生。1時間に146.5ミリの雨量を記録する。- 11月01日 - 岡崎市図書館交流プラザ(通称「りぶら」)が開館。
- 2013年(平成25年)
04月01日 - 岡崎活性化本部開設。
08月10日 - 「あいちトリエンナーレ2013」が開催される。
- 2014年(平成26年)
03月28日 - 東名岡崎インターチェンジ西交差点から衣浦海底トンネルを結ぶ「都市計画道路衣浦岡崎線」(25.7キロ)が全面開通した[46]。- 10月末 - 人口38万人を超える[47]。
- 2015年(平成27年)06月07日 - 六ツ美悠紀斎田100周年記念お田植えまつりが開催。
- 2016年(平成28年)02月13日 - 新東名高速道路岡崎東インターチェンジ、岡崎サービスエリア供用開始。
市域の変遷
郡 | 明治22年以前 | 明治22年10月1日 | 明治23年 - 明治45年 | 大正1年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
額 田 郡 | 羽根村 | 岡崎村 | 岡崎村 | 岡崎村 | 昭和3年9月1日 岡崎市に編入 | 岡崎市 | 岡崎市 | 岡崎市 | 岡崎市 | |||
柱村 | ||||||||||||
戸崎村 | ||||||||||||
若松村 | ||||||||||||
針崎村 | ||||||||||||
和合村 | 美合村 | 美合村 | 美合村 | |||||||||
岡村 | ||||||||||||
保母村 | ||||||||||||
大平村 | 男川村 | 男川村 | 男川村 | 男川村 | ||||||||
丸山村 | ||||||||||||
小美村 | ||||||||||||
高隆寺村 | ||||||||||||
洞村 | ||||||||||||
欠村 | 明治35年9月23日 岡崎町に編入 | 岡崎町 | 大正5年7月1日 市制 岡崎市 | 岡崎市 | ||||||||
三島村 | 三島村 | 三島村 | 明治39年5月1日 岡崎町に編入 | |||||||||
岡崎横町 | 岡崎町 | 岡崎町 | ||||||||||
岡崎亀井町 | ||||||||||||
岡崎久右衛門町 | ||||||||||||
岡崎魚町 | ||||||||||||
岡崎康生町 | ||||||||||||
岡崎材木町 | ||||||||||||
岡崎十王町 | ||||||||||||
岡崎松本町 | ||||||||||||
岡崎上肴町 | ||||||||||||
岡崎伝馬町 | ||||||||||||
岡崎田町 | ||||||||||||
岡崎唐沢町 | ||||||||||||
岡崎島町 | ||||||||||||
岡崎投町 | ||||||||||||
岡崎能見町 | ||||||||||||
岡崎八幡町 | ||||||||||||
岡崎板屋町 | ||||||||||||
岡崎福寿町 | ||||||||||||
岡崎門前町 | ||||||||||||
岡崎祐金町 | ||||||||||||
岡崎裏町 | ||||||||||||
岡崎両町 | ||||||||||||
岡崎連尺町 | ||||||||||||
岡崎六地蔵町 | ||||||||||||
岡崎籠田町 | ||||||||||||
六供村 | ||||||||||||
梅園村 | ||||||||||||
八帖村 | ||||||||||||
菅生村 | ||||||||||||
中村 | ||||||||||||
日名村 | 広幡村 | 明治28年5月13日 町制 広幡町 | 大正3年10月1日 岡崎町に編入 | |||||||||
能見村 | ||||||||||||
井田村 | ||||||||||||
伊賀村 | ||||||||||||
箱柳村 | 乙見村 | 乙見村 | 明治39年7月1日 合併 常磐村 | 常磐村 | 昭和3年9月1日 岡崎市に編入 | |||||||
田口村 | 常磐村 | 昭和30年2月1日 岡崎市に編入 | ||||||||||
板田村 | ||||||||||||
大井野村 | ||||||||||||
岩中村 | ||||||||||||
小呂村 | ||||||||||||
稲熊村 | ||||||||||||
滝村 | 常磐村 | 常磐村 | ||||||||||
米河内村 | ||||||||||||
安戸村 | ||||||||||||
小丸村 | ||||||||||||
新居村 | ||||||||||||
蔵次村 | ||||||||||||
大柳村 | ||||||||||||
岩津村 | 岩津村 | 岩津村 | 明治39年7月1日 合併 岩津村 | 岩津村 | 昭和3年5月1日 町制 岩津町 | |||||||
八ツ木村 | ||||||||||||
西阿知和村 | ||||||||||||
東阿知和村 | ||||||||||||
真福寺村 | ||||||||||||
西蔵前村 | ||||||||||||
東蔵前村 | ||||||||||||
丹坂村 | ||||||||||||
恵田村 | ||||||||||||
駒立村 | ||||||||||||
奥殿村 | 奥殿村 | 奥殿村 | ||||||||||
桑原村 | ||||||||||||
川向村 | ||||||||||||
宮石村 | ||||||||||||
渡通津村 | ||||||||||||
日影村 | ||||||||||||
細川村 | 細川村 | 細川村 | ||||||||||
仁木村 | ||||||||||||
奥山田村 | ||||||||||||
大樹寺村 | 大樹寺村 | 大樹寺村 | ||||||||||
大門村 | ||||||||||||
上里村 | ||||||||||||
鴨田村 | ||||||||||||
藪田村 | ||||||||||||
百々村 | ||||||||||||
福岡村 | 福岡村 | 明治26年11月8日 町制 福岡町 | 福岡町 | 福岡町 | ||||||||
上地村 | ||||||||||||
本宿村 | 本宿村 | 本宿村 | 本宿村 | 本宿村 | ||||||||
上衣文村 | ||||||||||||
大幡村 | ||||||||||||
鶫巣村 | ||||||||||||
鉢池村 | ||||||||||||
竜泉寺村 | 龍谷村 | 龍谷村 | 龍谷村 | 龍谷村 | ||||||||
桑谷村 | ||||||||||||
才栗村 | 河合村 | 河合村 | 河合村 | 河合村 | ||||||||
秦梨村 | ||||||||||||
切越村 | ||||||||||||
蓬生村 | ||||||||||||
須淵村 | ||||||||||||
岩戸村 | ||||||||||||
茅原沢村 | ||||||||||||
古部村 | ||||||||||||
生平村 | ||||||||||||
羽栗村 | 山中村 | 山中村 | 山中村 | 山中村 | ||||||||
池金村 | ||||||||||||
舞木村 | ||||||||||||
山綱村 | ||||||||||||
藤川村 | 藤川村 | 藤川村 | 藤川村 | 藤川村 | ||||||||
市場村 | ||||||||||||
蓑川村 | ||||||||||||
桜形村 | 形埜村 | 形埜村 | 形埜村 | 形埜村 | 昭和31年9月30日 合併 額田町 | 平成18年1月1日 岡崎市に編入 | ||||||
鍛埜村 | ||||||||||||
南大須 | ||||||||||||
大高味村 | ||||||||||||
井沢村 | ||||||||||||
毛呂村 | ||||||||||||
小久田村 | ||||||||||||
切山村 | ||||||||||||
亀穴村 | 宮崎村 | 宮崎村 | 宮崎村 | 宮崎村 | ||||||||
石原村 | ||||||||||||
明見村 | ||||||||||||
中金村 | ||||||||||||
大代村 | ||||||||||||
雨山村 | ||||||||||||
河原村 | ||||||||||||
千万町村 | 巴山村 | 明治23年12月17日 改称 栄枝村 | 明治39年5月1日 宮崎村に編入 | |||||||||
木下村 | ||||||||||||
夏山村 | 明治39年5月1日 合併 豊富村 | 豊富村 | 豊富村 | |||||||||
細光村 | 高富村 | 高富村 | ||||||||||
片寄村 | ||||||||||||
滝尻村 | ||||||||||||
淡淵村 | ||||||||||||
鳥川村 | ||||||||||||
樫山村 | 豊岡村 | 豊岡村 | ||||||||||
桜井寺村 | ||||||||||||
牧平村 | ||||||||||||
鹿勝川村 | ||||||||||||
下衣文村 | ||||||||||||
保久村 | 下山村(一部) | 下山村(一部) | 下山村(一部) | 下山村(一部) | ||||||||
中伊村 | ||||||||||||
外山村 | ||||||||||||
一色村 | ||||||||||||
冨尾村 | ||||||||||||
碧 海 郡 | 合歓木村 | 阿乎美村 | 明治24年11月10日 分立 合歓木村 | 明治39年5月1日 合併 六ツ美村 | 六ツ美村 | 六ツ美村 | 昭和33年10月15日 町制 六ツ美町 | 昭和37年10月15日 岡崎市に編入 | 岡崎市 | |||
福桶村 | ||||||||||||
高橋村 | ||||||||||||
上青野村 | 明治24年11月10日 分立 上青野村 | |||||||||||
下青野村 | ||||||||||||
在家村 | ||||||||||||
下中島村 | 中島村 | 中島村 | ||||||||||
安藤村 | ||||||||||||
高畑村 | ||||||||||||
上和田村 | 糟海村 | 糟海村 | ||||||||||
法性寺村 | ||||||||||||
牧御堂村 | ||||||||||||
井内村 | ||||||||||||
宮地村 | ||||||||||||
赤渋村 | ||||||||||||
中之郷村 | 明治29年6月11日 分立 中井村 | |||||||||||
土井村 | ||||||||||||
下和田村 | 占部村 | 占部村 | ||||||||||
坂左右村 | ||||||||||||
野畑村 | ||||||||||||
定国村 | ||||||||||||
国正村 | ||||||||||||
中村 | ||||||||||||
正名村 | ||||||||||||
上三ツ木村 | ||||||||||||
下三ツ木村 | ||||||||||||
矢作村 | 矢作村 | 明治26年2月19日 町制 矢作町 | 明治39年5月1日 合併 矢作町 | 矢作町 | 矢作町 | 昭和30年4月1日 岡崎市に編入 | 岡崎市 | |||||
坂戸村 | 中郷村 | 中郷村 | ||||||||||
島村 | ||||||||||||
小望村 | ||||||||||||
池端村 | ||||||||||||
館出村 | ||||||||||||
桑子村 | ||||||||||||
西牧内村 | ||||||||||||
富永村 | ||||||||||||
新堀村 | ||||||||||||
西本郷村 | 本郷村 | 本郷村 | ||||||||||
東本郷村 | ||||||||||||
北本郷村 | ||||||||||||
暮戸村 | ||||||||||||
渡村 | 明治34年4月4日 分立 渡村 | |||||||||||
筒針村 | ||||||||||||
西大友村 | 長瀬村 | 長瀬村 | ||||||||||
東大友村 | ||||||||||||
中園村 | ||||||||||||
舳越村 | ||||||||||||
北野村 | ||||||||||||
森越村 | ||||||||||||
橋目村 | (下記以外) | |||||||||||
(茶臼) (中茶臼) (宮東) (新居林) (北茶屋浦) (郷前) | 昭和35年1月1日 安城市に編入 | (安城市) | (安城市) | |||||||||
尾崎村 | 志貴村 | 志貴村 | ||||||||||
柿碕村 | ||||||||||||
宇頭茶屋村 | ||||||||||||
宇頭村 | 岡崎市 | 岡崎市 | 岡崎市 | |||||||||
小針村 | ||||||||||||
上佐々木村 | 藤野村(一部) | 明治24年8月8日 分立 志賀須香村 | ||||||||||
下佐々木村 | ||||||||||||
東牧内村 | ||||||||||||
河野村 | 昭和35年1月1日 安城市に編入 | (安城市) | (安城市) |
行政
市長:内田康宏(2012年10月21日就任、2期目)
歴代市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 千賀又市 | 1916年(大正05年)10月14日 | 1918年(大正07年)07月12日 | |
2-4 | 本多敏樹 | 1918年(大正07年)12月17日 | 1922年(大正11年)12月00日 | |
1922年(大正11年)12月06日 | 1926年(大正15年)12月00日 | |||
1926年(大正15年)12月06日 | 1930年(大正15年)12月05日 | |||
5 | 小野庄造 | 1930年(昭和05年)12月12日 | 1931年(昭和06年)12月08日 | |
6 | 小瀧喜七郎 | 1933年(昭和08年)01月16日 | 1935年(昭和10年)11月23日 | |
7-9 | 菅野経三郎 | 1935年(昭和10年)12月23日 | 1939年(昭和14年)12月22日 | |
1940年(昭和15年)02月22日 | 1944年(昭和19年)02月00日 | |||
1944年(昭和19年)02月22日 | 1946年(昭和21年)11月01日 | |||
10-12 | 竹内京治 | 1947年(昭和22年)04月05日 | 1951年(昭和26年)04月04日 | |
1951年(昭和26年)04月28日 | 1955年(昭和30年)04月27日 | 無投票 | ||
1955年(昭和30年)04月00日 | 1959年(昭和34年)05月01日 | |||
13-15 | 太田光二 | 1959年(昭和34年)05月02日 | 1963年(昭和38年)05月01日 | |
1963年(昭和38年)05月02日 | 1967年(昭和42年)05月01日 | 無投票 | ||
1967年(昭和42年)05月02日 | 1971年(昭和46年)05月01日 | |||
16-18 | 内田喜久 | 1971年(昭和46年)05月02日 | 1975年(昭和50年)05月01日 | |
1975年(昭和50年)05月02日 | 1979年(昭和54年)05月01日 | |||
1979年(昭和54年)05月02日 | 1980年(昭和55年)06月30日 | 無投票 | ||
19-23 | 中根鎭夫 | 1980年(昭和55年)08月17日 | 1984年(昭和59年)08月00日 | |
1984年(昭和59年)08月12日 | 1988年(昭和63年)07月00日 | |||
1988年(昭和63年)07月31日 | 1992年(平成04年)07月00日 | |||
1992年(平成04年)07月26日 | 1996年(平成08年)07月00日 | |||
1996年(平成08年)07月21日 | 2000年(平成12年)00月00日 | |||
24-26 | 柴田紘一 | 2000年(平成12年)09月10日 | 2004年(平成16年)09月09日 | |
2004年(平成16年)09月12日 | 2008年(平成20年)09月11日 | |||
2008年(平成20年)10月05日 | 2012年(平成24年)10月04日 | |||
27-28 | 内田康宏 | 2012年(平成24年)10月21日 | 2016年(平成28年)10月20日 | |
2016年(平成28年)10月21日 | 現職 |
市組織
岡崎市役所 (十王町2丁目9番地)
総合政策部 | 企画課、秘書課、広報課、地域創生課 |
---|---|
財務部 | 財政課、行政経営課、市民税課、資産税課、納税課 |
総務部 | 総務文書課、人事課、契約課、情報政策課、庁舎車両管理室 |
市民生活部 | 自治振興課、安全安心課、防災課、市民課、 岡崎支所、大平支所、東部支所、岩津支所、矢作支所、六ツ美支所、額田支所、消費生活センター |
社会文化部 | 文化振興課、スポーツ振興課、男女共同参画課、国際課、市民協働推進課、 中央図書館、美術博物館、岡崎地域文化広場、美術館、市民センター |
福祉部 | 地域福祉課、総務課、障がい福祉課、長寿課、介護保険課、国保年金課、医療助成室、 福祉の村、こども発達支援センター、こども発達相談センター |
保健部 | 保健企画課、生活衛生課、健康増進課、動物総合センター |
こども部 | こども育成課、家庭児童課、保育課 |
環境部 | 環境政策課、環境保全課、廃棄物対策課、ごみ対策課、 八帖クリーンセンター、中央クリーンセンター、総合検査センター |
経済振興部 | 商工労政課、観光推進課、農務課、林務課、農業支援センター |
都市整備部 | 都市計画課、まちづくりデザイン課、拠点整備課、乙川リバーフロント推進課、 市街地整備課、公園緑地課 |
土木建設部 | 事業調査課、土木管理課、道路維持課、道路建設課、河川課、農地整備課 |
建築部 | 建築指導課、建築課、施設保全課、住宅課 |
市民病院 | 岡崎市民病院、看護専門学校 |
消防本部 | 消防本部 |
上下水道局 | 総務課、サービス課、水道工事課、水道浄水課、下水施設課、下水工事課 |
会計管理者 | 会計課 |
議会事務局 | 総務課、議事課 |
教育委員会事務局 | 総務課、学校給食センター、施設課、学校指導課、社会教育課、 総合学習センター、少年自然の家、教育相談センター |
監査委員事務局 | 監査委員事務局 |
農業委員会事務局 | 農業委員会 |
支所
名称 | 建物 | 住所 |
---|---|---|
岡崎支所 | 岡崎市シビックセンター | 羽根町字貴登野15番地 |
大平支所 | 大平市民センター | 大平町字皿田6番地 |
東部支所 | 東部市民センター | 山綱町字天神2番地9 |
岩津支所 | 岡崎市北部地域交流センター・なごみん | 西蔵前町字季平45番地1 |
矢作支所 | 岡崎市西部地域交流センター・やはぎかん | 矢作町字尊所45番地1 |
六ツ美支所 | 六ツ美市民センター | 下青野町字天神64番地 |
額田支所 | 額田センター(2018年2月13日供用開始)[48] | 樫山町字山ノ神21番地1 |
財政
2018年度(平成30年度)当初予算[49]
一般会計 | 1,235億円 | (前年度対比0.2%増) |
特別会計 | 648億6,771万2千円 | (前年度対比5.2%減) |
企業会計 | 530億1,202万4千円 | (前年度対比4.8%増) |
全会計 | 2413億7,973万6千円 | (前年度対比2.4%減) |
広域行政
- 岡崎市中央クリーンセンター (板田町字西流石2番地1)
- 岡崎市八帖クリーンセンター (八帖南町立島2番地1)
- 岡崎市リサイクルプラザ (高隆寺町字阿世保5番地)
あいち三河農業協同組合 (幸田町と共同運営)- 公益財団法人岡崎幸田勤労者共済会
市歌
作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰であり、1937年6月29日に発表、1962年4月には条例によって正式に市歌と定められた。あまり歌われる機会はない。
行政機構
愛知県 西三河総合庁舎 (明大寺本町1丁目4)
- 西三河県税事務所
- 西三河農林水産事務所
- 西三河教育事務所
- 西三河建設事務所
- 西三河福祉相談センター
|
議会
岡崎市議会
- 定数:37人
- 任期:2016年10月26日 - 2020年10月25日
- 議長:太田俊昭(民政クラブ→無所属)
- 副議長:三宅健司(民政クラブ→無所属)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
自民清風会 | 13 | ◎山崎憲伸、簗瀬太、内田実、小木曽智洋、野本篤、磯部亮次、荻野秀範、 加藤義幸、神谷寿広、杉浦久直、鈴木静男、中根武彦、野々山雄一郎 |
民政クラブ | 7 | ◎加藤学、柴田敏光、井町圭孝、鈴木英樹、加藤嘉哉、原田範次、井村伸幸 |
チャレンジ岡崎・無所属の会 | 4 | ◎江村力、杉山智騎、小田高之、柵木誠 |
公明党 | 4 | ◎畔柳敏彦、野島さつき、井手瀬絹子、畑尻宣長 |
日本共産党岡崎市議団 | 3 | ◎鈴木雅子、新免悠香、木全昭子 |
無所属 | 6 | 太田俊昭、三宅健司、大原昌幸、蜂須賀喜久好、三浦康宏、山崎泰信 |
計 | 37 |
愛知県議会
- 選挙区:岡崎市及び額田郡選挙区
- 定数:5人
- 任期:2015年4月30日 - 2019年4月29日
※2015年の県議選から、岡崎市選挙区は額田郡選挙区(幸田町、定数1)と統合され「定数5」となった。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
西久保長史 | 当 | 60 | 民主党 | 現 | 28,809票 |
中根義高 | 当 | 42 | 自由民主党 | 現 | 25,105票 |
園山康男 | 当 | 50 | 維新の党 | 元 | 17,926票 |
新海正春 | 当 | 63 | 自由民主党 | 新 | 17,683票 |
鈴木雅登 | 当 | 44 | 維新の党 | 現 | 17,080票 |
梅村順一 | 落 | 56 | 自由民主党 | 新 | 16,605票 |
楢原伸一 | 落 | 59 | 無所属 | 新 | 2,265票 |
衆議院
- 選挙区:愛知県第12区(岡崎市、西尾市)
- 任期:2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(平成33年)10月21日(「第48回衆議院議員総選挙」参照)
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
重徳和彦 | 無所属 | 3 | 選挙区 |
国家機関
|
|
施設
警察
- 本部
愛知県警察 岡崎警察署(明大寺町銭堤4-1)
- 交番
- 岩津交番(岡崎市岩津町)
- 伊賀交番(岡崎市伊賀町6丁目)
- 伝馬交番(岡崎市花崗町)
- 中町交番(岡崎市中町5丁目)
- 美合交番(岡崎市美合新町)
- 岡崎駅前交番(岡崎市羽根町)
- 六ツ美交番(岡崎市下青野町)
- 竜美ヶ丘交番(岡崎市竜美南3丁目)
- 明大寺交番(岡崎市明大寺本町4丁目)
- 康生交番(岡崎市本町通1丁目1番地)‐岡崎公園交番(岡崎市康生通西3丁目)が移転して2010年3月10日から運用開始
- 大和交番(岡崎市大和町)
- 矢作交番(岡崎市矢作町)
- 橋目交番(岡崎市橋目町)
- 大門交番(岡崎市大樹寺1丁目)
- 幸田交番(額田郡幸田町大字芦谷)
- 駐在所
- 奥殿警察官駐在所(岡崎市奥殿町)
- 米河内警察官駐在所(岡崎市米河内町)
- 茅原沢警察官駐在所(岡崎市茅原沢町)
- 本宿警察官駐在所(岡崎市本宿茜2丁目)
- 舞木警察官駐在所(岡崎市舞木町)
- 藤川警察官駐在所(岡崎市藤川町)
- 桑谷警察官駐在所(岡崎市桑谷町)
- 上地警察官駐在所(岡崎市上地町)
- 福岡警察官駐在所(岡崎市福岡町)
- 保久警察官駐在所(岡崎市保久町)
- 桜形警察官駐在所(岡崎市桜形町)
- 宮崎警察官駐在所(岡崎市宮崎町)
- 樫山警察官駐在所(岡崎市樫山町)
消防
- 本部
- 岡崎市消防本部
- 消防署
- 中消防署(朝日町3-4)
- 北分署(井ノ口町字楼65)
- 花園出張所(仁木町字川越254)
- 東消防署(岡町字下河原25-4)
- 南分署(中田町2-2)
- 青野出張所(下青野町字宮東49)
- 額田出張所(樫山町字山ノ神21-12)
- 本宿出張所(本宿町字西片山30-1)
- 形埜出張所(鍛埜町字中切22-6))
- 西消防署(暮戸町字元社口42)
医療
- 愛知県へき地医療支援機構(欠町栗宿18)
- 主な医療機関
岡崎市民病院
岡崎市保健所
愛知県がんセンター愛知病院
文化施設
岡崎市立中央図書館
岡崎市美術博物館
岡崎市美術館
岡崎市郷土館
岡崎市立額田図書館
おかざき世界子ども美術博物館
交流施設
岡崎シビックセンター
岡崎市民会館
岡崎市竜美丘会館
岡崎市せきれいホール
岡崎市勤労文化センター
岡崎市総合学習センター
甲山閣
道の駅藤川宿
岡崎市少年自然の家
岡崎市こども自然遊びの森 わんPark
愛知県青年の家
愛知県野外教育センター
おかざき農遊館
ふれあいドーム岡崎
Libra Okazaki
岡崎市北部地域交流センター・なごみん
岡崎市南部地域交流センター・よりなん
岡崎市西部地域交流センター・やはぎかん
岡崎市東部地域交流センター・むらさきかん
岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里
岡崎市六ツ美市民センター
岡崎市額田センター
- 産業人材支援センター
- 桑谷キャンプ場
- シャクナゲの里
公園
- 都市公園
- 岡崎公園
- 岡崎市東公園
- 岡崎市南公園
- 岡崎中央総合公園
- 史跡真宮遺跡公園[50]
村積山自然公園[50]
矢作橋河川緑地[50]
中央緑道[50]
明治川緑道[50]
太陽緑道[50]
- 自然公園
三河湾国定公園[51]
本宮山県立自然公園[51]
- 北山湿地
スポーツ施設
岡崎中央総合公園
同総合体育館
岡崎市民球場
岡崎市体育館
愛知県岡崎総合運動場
岡崎げんき館
岡崎勤労者体育センター
対外関係
姉妹都市・提携都
海外
姉妹都市
ウッデバラ市(スウェーデン王国ヴェストライェータランド県)
1968年(昭和43年)9月17日 姉妹都市提携
ニューポートビーチ市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)
1984年(昭和59年)11月27日 姉妹都市提携
友好都市
呼和浩特市(中華人民共和国内蒙古自治区)
1987年(昭和62年)8月10日 友好都市提携
フレンドシップ相手国
2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[52]。
アルゼンチン共和国
ザンビア共和国
スウェーデン王国
マダガスカル共和国
国内
- 提携都市
石垣市(沖縄県)
1969年2月 親善都市提携(当時は琉球政府)
福山市(広島県)
1971年11月9日 親善都市提携 - 岡崎生まれの徳川家康と初代福山藩主・水野勝成の従兄弟関係と市制施行日がまったく同じ年月日でもある縁で締結。
茅ヶ崎市(神奈川県)
1983年7月1日 ゆかりのまち提携 - 江戸時代の名町奉行として知られる大岡忠相を藩祖とする西大平藩が岡崎市内にあり、茅ヶ崎市は大岡氏の本拠地であることから。
佐久市(長野県)
1983年7月1日 ゆかりのまち提携(当時は臼田町)2005年4月1日 合併により佐久市となる - 江戸時代末期、岡崎市内にあった奥殿藩の藩主松平乗謨が陣屋を奥殿から臼田に建設した龍岡城へ移したことから。
関ケ原町(岐阜県)
1983年7月1日 ゆかりのまち提携 - 岡崎に生まれた徳川家康にとって重要な戦いであった、関ヶ原の戦いの地であることから。
常滑市(愛知県)
1997年3月27日 災害時相互応援協定締結
金沢市(石川県)
2007年10月18日 観光交流都市提携
経済
工業
- 市外に本社がある企業
企業名 | 事業所名 | 所在地 |
---|---|---|
アイシン・エィ・ダブリュ | 岡崎工場 | 岡町 |
岡崎東工場 | 大幡町 | |
愛知時計電機 | 岡崎工場 | 岡町 |
アンデン | 岡崎工場 | 真福寺町 |
岩谷瓦斯 | 岡崎工場 | 大門 |
カネ美食品 | 岡崎工場 | 高橋町 |
刈谷紙器 | 岡崎工場 | 福桶町 |
川本製作所 | 岡崎工場 | 橋目町 |
ジェイテクト | 岡崎工場 | 市場町 |
花園工場 | 真福寺町 | |
スタンレー電気 | 岡崎製作所 | 牧平町 |
高木製作所 | 岡崎工場 | 牧平町 |
東レ | 岡崎工場 | 矢作町 |
豊田鉄工 | 額田工場 | 中伊西町 |
トヨトミ | 額田工場 | 樫山町 |
豊臣機工 | 額田工場 | 樫山町 |
中川ヒューム管工業 | 岡崎工場 | 美合町 |
日清紡メカトロニクス | 美合工機事業所 | 美合町 |
日本エステル | 岡崎工場 | 日名北町 |
日本タッパーウェア | 岡崎製作所 | 牧平町 |
FUJI | 岡崎工場 | 恵田町 |
藤田螺子工業 | 岡崎工場 | 舞木町 |
マキタ | 岡崎工場 | 合歓木町 |
マルヤス工業 | 岡崎工場 | 橋目町 |
日名工場 | 大門 | |
三菱自動車工業 | 岡崎製作所[注 4] | 橋目町 |
ユニチカ | 岡崎事業所 | 日名北町 |
- 市内に本社がある企業
企業名 | 創業 | 所在地 |
---|---|---|
葵商店 | 1957年2月 | 牧平町(本社) |
大幡町(岡崎工場) | ||
エラステック | 1947年4月 | 岡町 |
太田油脂 | 1902年4月 | 福岡町 |
オチアイネクサス | 1900年 | 真福寺町(本社) |
矢作町(矢作工場) | ||
オリバー | 1967年8月 | 薮田 |
カクキュー | 1645年 | 八帖町 |
川上酢店 | 1924年7月 | 日名本町 |
クラタ産業 | 1937年4月 | 羽栗町 |
栄屋乳業 | 1946年 | 東牧内町 |
三龍社 | 1897年6月 | 上六名町 |
CDS | 1980年2月 | 舞木町 |
柴田酒造場 | 1830年 | 保久町 |
セキソー | 1954年6月 | 日名北町(本社) |
岡町(葵工場) | ||
髙木化学研究所 | 1949年4月 | 大幡町 |
東海光学 | 1939年3月 | 恵田町 |
東レ・モノフィラメント | 1963年4月 | 昭和町 |
豊興工業 | 1958年2月 | 鉢地町 |
永田や仏壇店 | 1901年 | 上六名 |
中村科学工業 | 1943年5月 | 北野町 |
丹羽鉄工所 | 1919年6月 | 渡町(本社) |
中伊西町(額田工場) | ||
備前屋 | 1782年 | 伝馬通(本社) |
根石町(根石工場) | ||
フタバ産業 | 1945年11月 | 橋目町(本社) |
在家町(六ッ美工場) | ||
高橋町(高橋工場) | ||
ブラザー印刷 | 1951年2月 | 柱町 |
前田シェルサービス | 1965年11月 | 池金町 |
丸石醸造 | 1690年 | 中町 |
マルサンアイ | 1952年3月 | 仁木町 |
まるや八丁味噌 | 1337年 | 八帖町 |
三井ミーハナイト・メタル | 1964年2月 | 岡町 |
三菱自動車エンジニアリング | 1977年8月 | 橋目町 |
リコーエレメックス | 1938年4月 | 井田町 |
- 石工団地
花崗町の石屋町通りは日本の石材加工品の三大産地と謳われたが、効率化と粉塵・騒音問題の解決のため、1967年(昭和42年)3月、上佐々木町に岡崎石工団地(岡崎石工団地協同組合)が作られた。全国初の石工団地であった[54]。1976年(昭和51年)には稲熊町に石の公園団地(協同組合岡崎石製品工場公園団地)が形成された[55]。イメージキャラクターは「石丸団吉」。
商業など
アピタ 岡崎北店
イオンモール岡崎(イオン岡崎南店・岡崎西武)- ウイングタウン
- エルエルタウン
- 岡崎シビコ
- 岡ビル百貨店
- コムタウン
西友 岡崎店- ドミー
- マグフーズ
ヤマナカアルテ 岡崎北店- レスパ
- オーワ
- グランドギャラリー
- レッドバロン
- 岡崎サービスエリア
- 道の駅藤川宿
- 愛知環状鉄道
金融機関
三井住友銀行岡崎支店
三井住友信託銀行岡崎支店
みずほ銀行岡崎支店
三菱UFJ銀行岡崎支店- 三菱UFJ銀行岡崎駅前支店
- 三菱UFJ銀行北岡崎支店
大和証券岡崎支店
野村證券岡崎支店
いちよし証券岡崎支店
SMBC日興証券岡崎支店- 岡地証券岡崎支店
- 野畑証券
第三銀行岡崎支店- 十六銀行
愛知銀行岡崎支店- 岡崎信用金庫
- 東海労働金庫岡崎支店
- 碧海信用金庫
- 西尾信用金庫
- 大垣共立銀行
マスメディア
新聞・雑誌社
東海愛知新聞 本社- 日本石材工業新聞 本社
- 岡崎ホームニュース 岡崎営業所 (株式会社中日総合サービスが制作)
中日新聞 岡崎支局
朝日新聞 岡崎支局
毎日新聞 岡崎支局
読売新聞 岡崎支局
中部経済新聞 三河支局- 建設通信新聞 三河支局
岡崎経済新聞 (情報発信サイト。株式会社リバーシブルが制作)
株式会社リバーシブル (タウン情報誌『リバ!』を発行)
放送局
株式会社エフエム岡崎 本社
ミクスネットワーク株式会社 本社 (ケーブルテレビ局)
NHK 岡崎通信部
CBCテレビ 岡崎支社
名古屋テレビ放送 岡崎支社
テレビ愛知 三河支社
中京テレビ放送 岡崎支局
テレビ放送は受信場所の地形に応じて瀬戸デジタルタワーまたは同市内(旧額田町の本宮山山頂)の豊橋中継局からの電波を受信している。なお、名鉄本宿駅付近では、本宿中継局の電波を受信している場合もある。
教育・研究機関
大学・短期大学
- 国立
総合研究大学院大学
- 生命科学研究科(基礎生物学研究所、生理学研究所)
- 物理科学研究科(分子科学研究所)
- 私立
愛知学泉大学(岡崎キャンパス)
愛知学泉短期大学(岡崎キャンパス)- 愛知産業大学
- 人間環境大学
岡崎女子大学(2013年4月開学)- 岡崎女子短期大学
専修学校
愛知県立農業大学校(岡崎キャンパス)- 県立愛知看護専門学校
- 愛知県立岡崎高等技術専門校
- 岡崎市立看護専門学校
- 三河歯科衛生専門学校
- 慈恵福祉保育専門学校
高等学校
- 公立
- 愛知県立岡崎高等学校
- 愛知県立岡崎北高等学校
- 愛知県立岡崎西高等学校
- 愛知県立岡崎東高等学校
- 愛知県立岩津高等学校
- 愛知県立岡崎商業高等学校
- 愛知県立岡崎工業高等学校
- 私立
- 岡崎城西高等学校
愛知産業大学三河高等学校 (※中高併設)
岡崎学園高等学校 (※2013年4月1日から休校中である中学校を併設している。)- 光ヶ丘女子高等学校
KTC中央高等学院 岡崎キャンパス(通信制)
中学校
- 国立
- 愛知教育大学附属岡崎中学校
- 公立
- 岡崎市立甲山中学校
- 岡崎市立美川中学校
- 岡崎市立南中学校
- 岡崎市立竜海中学校
- 岡崎市立葵中学校
- 岡崎市立城北中学校
- 岡崎市立福岡中学校
- 岡崎市立東海中学校
- 岡崎市立河合中学校
- 岡崎市立常磐中学校
- 岡崎市立岩津中学校
- 岡崎市立矢作中学校
- 岡崎市立六ツ美中学校
- 岡崎市立矢作北中学校
- 岡崎市立新香山中学校
- 岡崎市立竜南中学校
- 岡崎市立北中学校
- 岡崎市立六ツ美北中学校
- 岡崎市立額田中学校
岡崎市立翔南中学校(2013年4月開校)
- 私立
愛知産業大学三河中学校 (※中高併設、平成29年度より募集停止[56])
人間環境大学岡崎学園中学校 (※高等学校も併設。2013年4月1日から休校中)
小学校
- 国立
- 愛知教育大学附属岡崎小学校
- 公立
- 岡崎市立梅園小学校
- 岡崎市立根石小学校
- 岡崎市立男川小学校
- 岡崎市立美合小学校
- 岡崎市立緑丘小学校
- 岡崎市立羽根小学校
- 岡崎市立岡崎小学校
- 岡崎市立六名小学校
- 岡崎市立三島小学校
- 岡崎市立竜美丘小学校
- 岡崎市立連尺小学校
- 岡崎市立広幡小学校
- 岡崎市立井田小学校
- 岡崎市立愛宕小学校
- 岡崎市立福岡小学校
- 岡崎市立竜谷小学校
- 岡崎市立藤川小学校
- 岡崎市立山中小学校
- 岡崎市立本宿小学校
- 岡崎市立生平小学校
- 岡崎市立秦梨小学校
- 岡崎市立常磐南小学校
- 岡崎市立常磐東小学校
- 岡崎市立常磐小学校
- 岡崎市立恵田小学校
- 岡崎市立奥殿小学校
- 岡崎市立細川小学校
- 岡崎市立岩津小学校
- 岡崎市立大樹寺小学校
- 岡崎市立大門小学校
- 岡崎市立矢作東小学校
- 岡崎市立矢作北小学校
- 岡崎市立矢作西小学校
- 岡崎市立矢作南小学校
- 岡崎市立六ツ美中部小学校
- 岡崎市立六ツ美北部小学校
- 岡崎市立六ツ美南部小学校
- 岡崎市立六ツ美西部小学校
- 岡崎市立城南小学校
- 岡崎市立上地小学校
- 岡崎市立小豆坂小学校
- 岡崎市立北野小学校
- 岡崎市立夏山小学校
- 岡崎市立形埜小学校
- 岡崎市立豊富小学校
- 岡崎市立宮崎小学校
- 岡崎市立下山小学校
岡崎市立鳥川小学校(2010年4月に豊富小学校へ統合)
岡崎市立大雨河小学校(2010年4月に宮崎小学校へ統合)
岡崎市立千万町小学校(2010年4月に宮崎小学校へ統合)
特別支援学校
- 国立
- 愛知教育大学附属特別支援学校
- 公立
- 愛知県立岡崎盲学校
- 愛知県立岡崎聾学校
- 愛知県立岡崎特別支援学校
- 愛知県立みあい特別支援学校
研究機関
- 大学共同利用機関法人自然科学研究機構
- 分子科学研究所
- 基礎生物学研究所
- 生理学研究所
- 新分野創成センター
- 岡崎共通研究施設
- 独立行政法人家畜改良センター岡崎牧場
- 愛知県畜産総合センター
- 岡崎市教育研究所
その他
- 三河サドベリースクール・シードーム(日本におけるサドベリー・スクールの学校、一般社団法人で運営している)
交通
鉄道
市の中心部に近い名鉄東岡崎駅が中核的な役割を担う。駅北口から市の中心地である康生町にかけて大手企業の支店が多数立地し、オフィス街を形成している。また、近年の市南部の人口増加を受けてJR岡崎駅の利用者数が増加している。
名鉄岡崎公園前駅と愛環中岡崎駅は隣接している。
東海旅客鉄道(JR東海)
CA東海道本線:(幸田町) - 岡崎駅 - 西岡崎駅 - (安城市)- また、東海道新幹線が豊橋駅 - 三河安城駅間で約 3.7km にわたって当市を通過している。
名古屋鉄道(名鉄)
NH名古屋本線:(豊川市) - 本宿駅 - 名電山中駅 - (舞木信号場) - 藤川駅 - 美合駅 - 男川駅 - 東岡崎駅 - 岡崎公園前駅 - 矢作橋駅 - 宇頭駅 - (安城市)
愛知環状鉄道(愛環)
愛知環状鉄道線:岡崎駅 - 六名駅 - 中岡崎駅 - 北岡崎駅 - 大門駅 - 北野桝塚駅 - (豊田市)
廃線
- 旧名鉄西尾線(1943年12月16日廃止)
名鉄岡崎市内線(1962年6月17日廃止)
名鉄挙母線(1973年3月4日廃止)
バス
路線バス
市内完結の路線のほか、豊田市、安城市、西尾市、幸田町に通じる路線や、中部国際空港への路線がある。JR岡崎駅~大樹寺や東岡崎駅~東公園口の路線など、市の中心部では豊富な便数が確保されている。一方、山間部などの利用の少ない路線では、路線維持のため市が補助金を給付している。
主な系統は以下の通り。
名鉄バス(岡崎営業所)(名鉄バス東部に運行委託)
- 岡崎市内の主な路線
- 【快速】岡崎駅前 - 東岡崎 - 図書館交流プラザ - 市民病院 - 中央総合公園
- ※「拠点快速 OKAZAKI EXPRESS」の愛称がある。
福岡町 - 岡崎駅前 - 東岡崎 - 大樹寺 - 奥殿陣屋/東名岩津/大門駅/滝団地- 岡崎駅前 - イオンモール岡崎 - 東岡崎
- 岡崎駅前 - 光ヶ丘 - 東岡崎 - 図書館交流プラザ - 日名町
- 東岡崎 - 竜美丘 - 東岡崎
- 中央総合公園 - 市民病院 - 岡崎げんき館前 - 東岡崎 - 緑丘 - 美合
- 東岡崎 - 岡崎げんき館前 - 洞町 - 市民病院 - 桜形
- 東岡崎 - 岡崎げんき館前 - 洞町 - 美合 - 緑丘 - 岡崎駅前
北野北口 - 矢作橋駅 - 東岡崎- 北野北口 - アピタ - 矢作橋駅 - 岡崎げんき館前 - 市民病院 - 中央総合公園
坂戸/西岡崎駅 - 矢作橋駅 - 東岡崎- 坂戸 - 矢作橋駅 - 岡崎げんき館前 - 市民病院 - 中央総合公園
- 北野北口 - アピタ - 矢作橋駅 - 西岡崎駅
- 大門駅 - 大樹寺 - 岡崎北高前 - 市民病院 - 中央総合公園
- 東岡崎 - 中之郷 - 岡崎駅西口
- 市民病院 - 美合 - 羽栗 - 本宿
- 本宿 - 額田支所前 - 石原 - くらがり渓谷
- 本宿 - 本宿サカエヤ - 緑町 - 本宿
- 額田支所前 - 市民病院 - 中央総合公園
- 【快速】岡崎駅前 - 東岡崎 - 図書館交流プラザ - 市民病院 - 中央総合公園
豊田市方面
- 福岡町 - 岡崎駅前 - 東岡崎 - 大樹寺 - 三河上郷駅
- ※ 路線名は「岡崎市内線」だが、豊田市に乗り入れている
- 東岡崎 - 大樹寺 - 九久平 - 足助
- 東岡崎 - 岡崎北高前/大樹寺 - 上米河内 - 大沼
- 福岡町 - 岡崎駅前 - 東岡崎 - 大樹寺 - 三河上郷駅
安城市方面
- 東岡崎 - 矢作橋駅 - 安城駅前
幸田町方面
- 東岡崎 - 岡崎駅前 - 相見駅 - 幸田駅前
- 東岡崎 - 岡崎駅前 - ソニー
- 岡崎市内の主な路線
名鉄東部交通(西尾営業所)
西尾市方面(2006年12月16日に名鉄バスより移管)
- 東岡崎 - 岡崎駅西口 - 高須 - 中島 - 総合体育館西尾東高前 - 西尾市民病院 - 西尾
- 東岡崎 - 岡崎駅西口 - 下青野 - 中島 - 室場 - 西尾
- 東岡崎 - 岡崎駅西口 - 高須 - 中島 - 総合体育館西尾東高前 - 西尾市民病院 - 西尾
知多乗合
中部国際空港方面(2012年4月1日に名鉄バス東部より移管)[57][58]- 岡崎駅前 - 東岡崎 - 東名岩津 - 中部国際空港
まちなかにぎわいバス(まちバス)[59](名鉄バス東部に運行委託)
- 東西ルート
中岡崎 - 図書館交流プラザ - 康生町 - 伝馬 - 市役所 - 岡崎げんき館
- 南北ルート
- 東行き:シビコ北 → 図書館交流プラザ → 六供・梅園 → 市役所
- 西行き:市役所 → 梅園・六供 → シビコ北 → 図書館交流プラザ → シビコ北
- 東西ルート
額田地域内交通(岡崎市)[60]- 下山地区線(ささゆりバス)(豊栄交通に運行委託)
- 岡崎げんき館前・洞町・市民病院 - 豊田鉄工前 - 中伊 - 外山 - 保久 - 冨尾西 - 桃ヶ久保 - 北部診療所
- 形埜地区線(乙川バス)(岡東運輸に運行委託)
- 南大須・鍛埜線
- 右回り:桜形 → 南大須公民館 → 小屋沢上 → 下部上 → 大山上 → 法味上 → 須渕橋 → 鍛埜 → 大林 → 栃本団地 → 北部診療所 → 桜形
- 左回り:桜形 → 北部診療所 → 栃本団地 → 大林 → 鍛埜 → 須渕橋 → 法味上 → 大山上 → 下部上 → 小屋沢上 → 南大須公民館 → 桜形
- 切山・小久田線
- 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 小楠 - 赤田和中 - 空屋敷辻 - 大沢 - 切山横手辻 - 木挽沢 - 大ゾレ - 上一色平
- 毛呂・井沢線
- 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 下毛呂 - 毛呂中 - 上毛呂 - うつぎ - 竹沢連橋 - 井沢公民館 - 若林 - 本郷入口 - 本郷
- 南大須・鍛埜線
- 宮崎地区線(のってこバス)(西三交通に運行委託)
- のってこ1号(大雨河地区)
- 宮崎小学校 - 宮崎学区市民ホーム前 - 十王堂前 - ナカシバ電工前 - 雨山公民館 - 熱田神社 - 東河原口 - 東河原公民館前 - 高雲寺
- のってこ2号(千万町地区)
- 宮崎小学校 - 牧原バス停 - 宮崎学区市民ホーム前 - 明見バス停 - 木下公民館 - 小学校三叉路 - 千万町中 - 千万町上
- のってこ1号(大雨河地区)
- 豊富・夏山地区線(ほたるバス)(岡東運輸に運行委託)
- 鳥川線
- 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道
- 夏山・鳥川線
- 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道 - 鬼沢公民館 - 寺野(公民館入口) - 夏山橋 - 平針(観音堂)
- 鳥川線
- 下山地区線(ささゆりバス)(豊栄交通に運行委託)
高速バス
東名ハイウェイバス(超特急・特急:東京駅 - 名古屋駅、急行:静岡駅 - 名古屋駅)
- 超特急スーパーライナー:(豊川市・東名豊川) - 東名本宿 - 東名岡崎 - (豊田市・東名豊田)
- 特急東名ライナー・急行:(豊川市・東名音羽) - 東名本宿 - 東名岡崎 - 東名岩津 - (豊田市・東名上郷)
ドリームとよた号(東京駅 - 名古屋駅)
- (東京駅・霞が関(上りのみ)) - 岡崎駅 - 康生町 - (豊田市・三河豊田駅)
新宿ライナー三河・なごや号(新宿駅 - 名古屋駅)
- (横浜市青葉区・東名江田) - 岡崎駅(※) - (安城市・三河安城駅(※))
- ※ 上り:乗車のみ 下り:下車のみ
- (横浜市青葉区・東名江田) - 岡崎駅(※) - (安城市・三河安城駅(※))
道路
- 高速道路
東名高速道路
- (豊川市)- (BS)本宿BS - (PA)美合PA - (19)岡崎IC/BS - (BS)岩津BS -(豊田市)
新東名高速道路
- (豊川市)- (17)岡崎東IC - (SA)岡崎SA -(豊田市)
- 一般国道
国道1号
国道248号
国道301号
国道473号
- 主要地方道
- 愛知県道26号岡崎環状線
- 愛知県道35号岡崎設楽線
- 愛知県道37号岡崎作手清岳線
- 愛知県道39号岡崎足助線
- 愛知県道43号岡崎碧南線
- 愛知県道44号岡崎西尾線
- 愛知県道47号岡崎半田線
- 愛知県道48号岡崎刈谷線
- 愛知県道56号名古屋岡崎線
- 愛知県道76号豊田安城線
- 愛知県道78号安城幸田線
- 一般県道
|
|
- 市内の道路通称名
|
|
- 主な林道
- 桑谷蒲郡線
- 大入線
- 久保田釜石線
- 古部才栗線
- 寺野木下線
- 桜形木下線
- 鍛埜桜形線
- 保母線
- 小久田岩下線
- 大重線
- 源見線
- 入道倉線
- 上ノ平線
- 戸沢線
- 石原河原線
- 宮西線
- 中部線
- 古貝津線
- 主な緑道
- 柿田川緑道
- 太陽緑道
- 中央緑道
- 馬頭緑道
- 六名東緑道
- 村積山自然緑道
- 明治川緑道
- 主な坂道
岡崎市は1983年(昭和58年)に坂道の愛称を募集した[61]。坂の多い地形である。
- 伊賀浄水坂(いがじょうすいざか)
- 井田坂(いだざか)
- 沢蟹坂(さわがにざか)
- 茶臼坂(ちゃうすざか)
- 道城坂(どうじょうざか)
- 灯台坂(とうだいざか)
- 努力坂(どりょくざか)
- 蛭坂(ひるざか)
- 法丈坂(ほうじょうざか)
- みかえり坂(みかえりざか)
- みのざか(みのざか)
- 耳取坂(みみとりざか)
- 六地蔵坂(ろくじぞうざか)
「岡崎」ナンバー
従来、自動車のナンバープレートは、管轄する自動車検査登録事務所ごとに表示される地域名が決まり、岡崎市を含む西三河自動車検査登録事務所管内では、「三河」ナンバーが使用されていた。
国土交通省が2004年11月、新たな地域名表示ナンバープレート、いわゆるご当地ナンバーの導入についての要綱を取りまとめたことを受け、岡崎市・幸田町・額田町の3市町は、2005年2月24日から3月6日に「岡崎」ナンバー導入に関するアンケートを実施した。結果、賛成意見が約7割に上ったため、国土交通省に申請することになった。
同年7月29日に認可が下り、2006年10月10日より導入された。今後、岡崎市および幸田町において新規に交付されるナンバープレートには「岡崎」と記されることになる。なお、岡崎市の公用車は2カ年計画で全て「岡崎」ナンバーに変更される。
観光
文化財
建築物
- 国の重要文化財
名称 | 棟名 | 所有者名 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
滝山寺三門 | 滝山寺 | 1901年(明治34年)3月27日 | 滝町 | |
滝山寺本堂 | 1904年(明治37年)2月18日 | |||
妙源寺柳堂 | 妙源寺 | 1903年(明治36年)4月15日 | 大和町 | |
大樹寺多宝塔 | 大樹寺 | 1904年(明治37年)2月18日 | 鴨田町 | |
信光明寺観音堂 | 信光明寺 | 1904年(明治37年)2月18日 | 岩津町 | |
天恩寺仏殿 | 天恩寺 | 1907年(明治40年)5月27日 | 片寄町 | |
天恩寺山門 | ||||
八幡宮本殿 | 上地八幡宮 | 1926年(大正15年)4月19日 | 上地町 | |
八幡宮本殿 | 土呂八幡宮 | 1931年(昭和06年)1月19日 | 福岡町 | |
伊賀八幡宮 | 本殿、幣殿、拝殿 | 伊賀八幡宮 | 1933年(昭和08年)1月23日 | 伊賀町 |
透塀 | ||||
御供所 | ||||
随身門 | ||||
神橋 | ||||
鳥居 | ||||
六所神社 | 本殿、幣殿、拝殿 | 六所神社 | 1935年(昭和10年)5月13日 | 明大寺町 |
神供所 | ||||
楼門 | ||||
滝山東照宮 | 本殿 | 滝山東照宮 | 1953年(昭和28年)11月14日 | 滝町 |
拝殿、幣殿 | ||||
中門 | ||||
鳥居 | ||||
水屋 | ||||
旧額田郡公会堂 及物産陳列所 | 公会堂 | 岡崎市 | 1999年(平成11年)12月1日 | 朝日町 |
物産陳列所 |
- 国の登録有形文化財
登録名称 | 所有者名 | 登録年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|
八丁味噌本社事務所 | 合資会社八丁味噌 | 1996年(平成08年)12月20日 | 八帖町 |
八丁味噌本社蔵(史料館) | |||
本光寺山門 | 本光寺 | 2007年(平成19年)10月2日 | 上青野町 |
本光寺本堂 | |||
岡崎信用金庫資料館 (旧岡崎銀行本店) | 岡崎信用金庫 | 2008年(平成20年)3月7日 | 伝馬通 |
旧石原家住宅主屋 | 不詳 | 2011年(平成23年)7月25日 | 六供町 |
旧石原家住宅庭門 | |||
旧石原家住宅土蔵 | |||
旧愛知県第二尋常中学校講堂 | 岡崎市 | 2013年(平成25年)3月29日 | 針崎町 |
旧愛知県岡崎師範学校武道場 | 国立大学法人愛知教育大学 | 2013年(平成25年)12月24日 | 六供町 |
日本福音ルーテル岡崎教会教会堂[注 5] | 宗教法人日本福音ルーテル教会 | 2013年(平成25年)12月24日 | 伝馬通 |
旧本多家住宅主屋 | 岡崎市 | 2014年(平成26年)10月7日 | 欠町 |
善立寺玄関 | 善立寺 | 2015年(平成27年)11月17日 | 祐金町 |
善立寺山門 | |||
善立寺七面堂 | |||
善立寺本堂 | |||
愛知県立岡崎高等学校正門門柱 | 愛知県 | 2017年(平成29年)6月28日 | 明大寺町 |
愛知県立岩津高等学校正門旧門柱 | 愛知県 | 2017年(平成29年)6月28日 | 東蔵前町 |
合資会社八丁味噌本社
本光寺
岡崎信用金庫資料館
日本福音ルーテル岡崎教会教会堂
善立寺
愛知県立岡崎高等学校正門門柱
愛知県立岩津高等学校正門旧門柱
- 愛知県指定有形文化財
指定名称 | 所有者名 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|
大樹寺伽藍 (三門、総門、裏二門、鐘楼、大方丈) | 大樹寺 | 1955年(昭和30年)6月6日 | 鴨田町 |
淇篆庵並水屋 | 明願寺 | 1979年(昭和54年)6月13日 | 伊賀町 |
- 市景観重要建造物
指定名称 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|
岡崎城天守 | 2013年(平成25年)4月17日 | 康生町 |
六供配水場配水塔 | 2013年(平成25年)5月31日 | 六供町 |
旧石原家住宅 | 2013年(平成25年)8月30日 | 六供町 |
旧野村家住宅(米屋) | 2013年(平成25年)8月30日 | 藤川町 |
カクキュー八丁味噌 | 2014年(平成26年)10月30日 | 八帖町 |
まるや八丁味噌 | 2014年(平成26年)10月30日 | 八帖町 |
本光寺 | 2015年(平成27年)4月8日 | 上青野町 |
アイチ味噌溜店舗 | 2015年(平成27年)7月24日 | 本宿町 |
善立寺 | 2017年(平成29年)10月31日 | 祐金町 |
岡崎信用金庫資料館 | 2017年(平成29年)10月31日 | 伝馬通 |
日本福音ルーテル岡崎教会教会堂 | 2018年(平成30年)9月1日 | 伝馬通 |
岡崎城
合資会社八丁味噌
まるや八丁味噌
本光寺
善立寺
岡崎信用金庫資料館
絵画・彫刻・工芸品等
指定名称 | 指定別 | 種別 | 所有者名 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
絹本著色善光寺如来絵伝 | 重要文化財 | 絵画 | 妙源寺 | 1918年(大正07年)4月8日 | 大和町 |
絹本著色法然上人絵伝 | 重要文化財 | 絵画 | 1918年(大正07年)4月8日 | ||
絹本著色親鸞上人絵伝 | 重要文化財 | 絵画 | 1918年(大正07年)4月8日 | ||
絹本著色光明本尊 | 重要文化財 | 絵画 | 2014年(平成26年)8月21日 | ||
絹本墨画淡彩如意輪観音図 | 重要文化財 | 絵画 | 大樹寺 | 1954年(昭和29年)3月20日 | 岡崎市美術博物館 |
大方丈障壁画岡田為恭筆 | 重要文化財 | 絵画 | 1954年(昭和29年)3月20日 | 鴨田町 | |
絹本著色山越阿弥陀如来像 | 県指定文化財 | 絵画 | 1955年(昭和30年)6月6日 | 岡崎市美術博物館 | |
絹本著色当麻曼荼羅絵 | 県指定文化財 | 絵画 | 1955年(昭和30年)6月6日 | 岡崎市美術博物館 | |
絹本著色二十五菩薩来迎図 | 県指定文化財 | 絵画 | 1955年(昭和30年)6月6日 | 岡崎市美術博物館 | |
木造阿弥陀如来坐像 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1984年(昭和59年)2月27日 | 鴨田町 | |
木造勢誉上人坐像 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1984年(昭和59年)2月27日 | 鴨田町 | |
大樹寺文書 | 県指定文化財 | 書跡 | 1984年(昭和59年)3月30日 | 岡崎市美術博物館 | |
木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像 | 重要文化財 | 彫刻 | 滝山寺 | 1981年(昭和56年)6月9日 | 滝町 |
木造狛犬 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1957年(昭和32年)1月12日 | ||
錫杖 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)3月29日 | ||
孔雀文磬 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)3月29日 | ||
木造菩薩面(付4点) | 県指定文化財 | 工芸品 | 1985年(昭和60年)7月12日 | ||
太刀 銘正恒 附 糸巻太刀拵 | 重要文化財 | 工芸品 | 滝山東照宮 | 1914年(大正03年)4月17日 | 岡崎市美術博物館 |
太刀 銘長光 附 糸巻太刀拵 | 重要文化財 | 工芸品 | 1924年(大正13年)4月15日 | ||
木造慈恵大師坐像 | 重要文化財 | 彫刻 | 真福寺 | 1941年(昭和16年)11月6日 | 真福寺町 |
塑像仏頭 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1983年(昭和58年)3月7日 | ||
鉦鼓用引架 | 重要文化財 | 工芸品 | 昌光律寺 | 1962年(昭和37年)6月21日 | 伊賀町 |
僧月僊作品群 | 県指定文化財 | 絵画 | 1955年(昭和30年)6月6日 | ||
木造兜跋毘沙門天立像 | 重要文化財 | 彫刻 | 庚申講 | 2002年(平成14年)6月26日 | 鹿勝川町 |
色紙阿弥陀経 | 重要文化財 | 書跡 | 満性寺 | 2004年(平成16年)6月8日 | 菅生町 |
絹本著色善光寺如来絵伝 | 県指定文化財 | 絵画 | 1957年(昭和32年)1月12日 | ||
絹本著色法然上人絵伝 | 県指定文化財 | 絵画 | 1957年(昭和32年)1月12日 | ||
絹本著色太子講讃孝養の図 | 県指定文化財 | 絵画 | 1957年(昭和32年)9月6日 | ||
木造南無仏太子像 | 県指定文化財 | 彫刻 | 1958年(昭和33年)3月29日 | ||
絹本著色持鉢釈迦如来画像 | 県指定文化財 | 絵画 | 萬松寺 | 1957年(昭和32年)9月6日 | 岡崎市美術博物館 |
根来塗払子 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)3月29日 | ||
藍染繍衣陣羽織 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)6月21日 | ||
白麻二十五条袈裟 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)6月21日 | ||
唐絹萌黄七条甲袈裟 | 県指定文化財 | 工芸品 | 1958年(昭和33年)6月21日 | ||
磬 | 県指定文化財 | 工芸品 | 桜井寺 | 1960年(昭和35年)6月2日 | 桜井寺町 |
木造阿弥陀如来坐像 | 県指定文化財 | 彫刻 | 称名寺 | 2014年(平成26年)8月1日 | 藤川町 |
名所・旧跡
- 主な史跡
- 奥殿陣屋
- 西大平陣屋
大平一里塚:国の史跡- 土呂陣屋跡・土呂陣屋の大松:市天然記念物
真宮遺跡:国の史跡
五十狭城入彦皇子墓(和志山古墳):宮内庁管理
- 太夫塚古墳:県史跡
岩津第1号古墳:県史跡- 神明宮第1号古墳:県史跡
北野廃寺跡:国の史跡
小豆坂古戦場:市史跡
藤川宿:東海道37番目の宿場町(歴史国道)
- 主な城郭
岡崎城:市史跡(日本100名城)
阿知波城址:市史跡
井田城址
百々城址- 土呂城址・土呂御坊跡
日近城址:市史跡
保久城主山下家墓所:市史跡
山中城址:市史跡
- 主な寺院
真福寺
滝山寺
大樹寺
随念寺
妙源寺
勝鬘寺
本宗寺
信光明寺
満性寺
善立寺
専福寺
昌光律寺
法蔵寺
桜井寺
天恩寺
広祥院
阿弥陀寺
浄光寺
松応寺
宝福寺
松明院
称名寺
広忠寺
一畑山薬師寺
極楽寺
本光寺
浄妙寺
真宗大谷派三河別院
甲山寺
大林寺
浄珠院
崇福寺
明願寺
願照寺
龍海院
総持寺
圓福寺
蓮華寺
龍渓院
- 主な神社
滝山東照宮
伊賀八幡宮
岩津天満宮
岡崎天満宮
六所神社
徳王稲荷社金刀比羅社
龍城神社
菅生神社
和志取神社
矢作神社
上地八幡宮
土呂八幡宮
山中八幡宮
須賀神社
夏山八幡宮
保久八幡宮
石座神社
日吉神社
大川神明宮
宮崎神社
八剱神社
桜形神社
新田白山神社
中之郷神社
糟目犬頭神社
稲前神社
長瀬八幡宮
七所神社
若宮八幡宮
謁播神社
観光スポット
- 岡崎公園
- 東公園動物園
- 南公園
- 岡崎ゲンジボタル発生地:国天然記念物
- 村積山自然緑道
- かおれ渓谷
- 奥山田のしだれ桜
三河湾国定公園
- 旧桑谷山荘展望台
- 西郡道
- 三河湾スカイライン
本宮山県立自然公園
- くらがり渓谷
- 巴山
文化
祭事・催事
1〜3月
山中八幡宮デンデンガッサリ (1月3日)
岡崎市民駅伝競走大会 (1月中旬)
滝山寺鬼まつり (2月 ※旧暦1月7日に近い土曜日)
4〜6月
- 桜まつり
家康行列 (4月、第1または第2日曜日)
須賀神社大祭 (4月第2日曜日)
五万石藤まつり (4月下旬〜5月上旬)- 将棋まつり (4月下旬〜5月上旬)
- 土呂蓮如祭り (4月下旬、土・日曜日)
能見神明宮大祭 (5月、第2土・日曜日)
六ツ美悠紀斎田お田植えまつり (6月、第1日曜日)
7〜9月
- 堤通手永御田扇祭り (7月、日曜日)[63]
- 山方手永御田扇祭り (7月、日曜日)[63]
- 岡崎城下 家康公夏まつり (7月下旬〜8月初旬)[64][注 6]
岡崎観光夏まつり花火大会 (8月、第1土曜日)
岡崎天満宮天満天神祭 (9月23日〜26日)[65]
10〜12月
矢作神社秋の大祭 (10月1日、2日)
夏山八幡宮火祭り (10月)- 造形おかざきっ子展 (10月下旬)
- 秋の市民まつり (11月上旬)
- 岡崎ジャズストリート (11月、第1土・日曜日)
- おかざきマラソン (11月)
岡崎市民駅伝競走大会
滝山寺鬼まつり
家康行列
須賀神社大祭
能見神明宮大祭
悠紀斎田お田植えまつり
岡崎の花火大会
矢作神社秋の大祭
夏山八幡宮火祭り
名品・郷土料理
- 八丁味噌
どて煮[注 7]
- あわ雪
スポーツチーム
- 男子
名称 | 競技種目 | 所属リーグ | 本拠地 | 運営会社・団体 | 設立 |
---|---|---|---|---|---|
マルヤス工業フットボールクラブ | サッカー | JFL | 名古屋市港サッカー場 豊田市運動公園・岩田運動公園 | マルヤス工業 | 1968年 |
三菱自動車岡崎硬式野球部 | 野球 | JABA (社会人野球) | 三菱大府グランド | 三菱自動車工業 | 1993年 |
出身著名人
武将・歴史上の人物
細川氏
細川和氏(武将)
細川頼春(守護)
細川清氏(管領)
細川頼之(管領)
松平氏 徳川氏
松平広忠(大名)
徳川家康(江戸幕府初代征夷大将軍)
大久保氏
大久保忠世(大名)
大久保忠佐(大名)
大久保忠隣(老中)
大久保忠教(三河物語著者)
鳥居氏
鳥居元忠(大名)
鳥居忠政(大名)
板倉氏
板倉勝重(大名)
本多氏
本多忠勝(大名)- 本多重次
- 本多広孝
- 本多富正
酒井氏
酒井忠次(大名)
渡辺氏
- 渡辺守綱
青山氏
青山忠成(大名)
内藤氏
- 内藤清成
水野氏
水野勝成(大名)
水野忠辰(大名)
- 蜂屋氏
- 蜂屋貞次
- 大須賀氏
- 大須賀康高
植村氏
- 植村氏明
服部氏
服部正成(服部半蔵)
- 永井尚志
政界
本多忠敬(元貴族院議員、子爵)
早川龍介(元衆議院議員)
手島鍬司(元衆議院議員)
千賀康治(元衆議院議員)
永田安太郎(元衆議院議員、弁護士)
太田一夫(元衆議院議員)
杉浦正健(元衆議院議員、元法務大臣)
成瀬守重(元参議院議員)
内藤正光(元参議院議員)
中根康浩(元衆議院議員)
青山周平(元衆議院議員)
内田康宏(第11代岡崎市長)
千賀又市(元岡崎市長)
本多敏樹(元岡崎市長)
小野庄造(元岡崎市長、陸軍少将)
小瀧喜七郎(元岡崎市長)
菅野経三郎(元岡崎市長)
内田喜久(元岡崎市長)
財界
中川嘉兵衛(実業家、横浜氷会社の創立者)
橋本増治郎(実業家、快進社の創立者)
千賀千太郎(実業家、衆議院議員)
藤川一秋(実業家、参議院議員)
小柳津要人(実業家、元丸善社長)
津田信吾(実業家、元鐘紡社長)
賀来龍三郎(実業家、元キャノン社長)
鈴木正雄(実業家、元松坂屋社長・会長)
内山田竹志(実業家、トヨタ自動車会長、元日本経団連副会長)
小林宏史(実業家、元旭化成建材社長)
白井昭(実業家、元大井川鐵道副社長)
杉山司(実業家、中野区議会議員)
法曹・官吏
織田完之(農商務官僚、農政家、歴史学者)
加藤新太郎(元裁判官、中央大学大学院法務研究科教授)
天野末治(弁護士、社会運動家)
杉浦ひとみ(弁護士) ※出生地は奈良県
浅岡齋(元岡崎市助役、元愛知県議会議員)
木村三郎(官僚、造園技術者)
黒田直樹(元資源エネルギー庁長官、国際石油開発帝石代表取締役会長)
学界・教育界
志賀重昂(地理学者)
本多光太郎(物理学者)
木村資生(遺伝学者)
永田武(地球物理学者)
鷹部屋福平(工学者)
木村克美(分子科学者)
杉浦光夫(数学者)
飛田武幸(数学者)
杉浦昌弘(植物学者)
石川成章(地質学者)
太田功平(農学者、教育者)
岩槻信治(農業技師)
近藤康男(農業経済学者)
内田智雄(中国思想史学者)
森部豊(東洋史学者)
石田茂作(仏教考古学者)
清水孝之(国文学者)
鈴木勝忠(日本文学研究者)
柴田顕正(郷土史家、教育者)
石田利作(郷土史家、教育者)
足立一平(教育者、政治活動家)
山本隆司(行政法学者)
中村哲(経済史学者)
青木脩(会計学者)
小林健吾(会計学者)
青山浩之(書写研究家、教育者)
文化人
岡田撫琴(新聞社経営者、出版人、俳人)
近藤孝太郎(思想家、社会運動家)
大竹博吉(出版人、ソ連研究者、翻訳家)
榊原金之助(新聞記者、元愛知県議会議員)
山本鼎(版画家、洋画家)
瀬川康男(版画家、絵本作家)
村山槐多(洋画家)
杉山新樹(画家、大学教授)
中根寛(洋画家)
野本喜石(彫刻家)
天白松嵐(画家、工芸家)
内藤ルネ(イラストレーター)
辻村益朗(装丁家、絵本作家)
広野多珂子(画家、絵本作家)
竹内元紀(漫画家)
竹内じゅんや(漫画家)
とりいかずよし(漫画家)
ほったゆみ(漫画原作者)
近藤高光(アニメーター)
くろやなぎてっぺい(映像作家)
加藤孝男(歌人)
松平盟子(歌人)
広小路尚祈(小説家)
坂本葵(文筆家)
早坂隆(ルポライター)
浅井久仁臣(ジャーナリスト)
各務三郎(海外ミステリ編集者、翻訳家)
天野健太郎(台湾文学翻訳家)
牧野圭祐(脚本家、小説家、音楽家)
鈴木宏彦(将棋ライター)
竹内敏信(写真家)
志賀理江子(写真家)
奥山文弥(魚類研究家、著述家)
スポーツ選手
近藤貞雄(元プロ野球選手、監督)
本間勝(元プロ野球選手、投手)
青山久人(元プロ野球選手、投手)
加藤英夫(元プロ野球選手、投手)
木俣達彦(元プロ野球選手、捕手)
大宮龍男(元プロ野球選手、捕手)
佐藤武夫(元プロ野球選手、捕手)
本田威志(元プロ野球選手)
鎌田圭司(元プロ野球選手)
大西寛介(元プロ野球選手)
斉藤俊雄(元プロ野球選手)
伊藤光(プロ野球選手)
琴光喜啓司(元大相撲力士) ※出生地は豊田市
舛名大周一(元大相撲力士)
出羽疾風龍二(大相撲力士)
中嶋悟(元レーシングドライバー)
中嶋一貴(レーシングドライバー)
中嶋大祐(レーシングドライバー)
小河等(レーシングドライバー)
鈴木雷太(自転車競技選手)
鈴木弘(競泳選手)
麻場一徳(元陸上競技選手)
鷲見知彦(元陸上競技選手)
山本聖途(陸上競技選手)
中村明彦(陸上競技選手)
重見高好(陸上競技選手)
蟹江美貴(アーチェリー選手)
都築有美子(バレーボール選手)
石川祐希(バレーボール選手)
深谷友基(サッカー選手)
宮市亮(サッカー選手)
宮市剛(サッカー選手)
山本浩正(サッカー選手)
太田圭祐(サッカー選手)
新里亮(サッカー選手)
石井綾(サッカー選手)
田村優(ラグビー選手)
田村熙(ラグビー選手)
鈴木理紗(ハンドボール選手)
江藤正博(フットサル選手)
深津尚子(元卓球選手)
栗田勝(元騎手)
佐原秀泰(騎手)
西千明(元女子プロレスラー)
音楽家
冨田勲(作曲家)
近藤嶺(作曲家)
河合優子(ピアニスト)- 三橋桜子(チェンバリスト)
中木健二(チェリスト)
悠情(ヴァイオリニスト)
大野真澄(シンガーソングライター、ガロのメンバー)
加藤久仁彦(歌手、狩人のメンバー)
加藤高道(歌手、狩人のメンバー)
岡村孝子(シンガーソングライター、あみんのメンバー)
SCREAMING SOUL HILL(ミュージシャン)
immi(ミュージシャン)
芸能人
三遊亭愛楽(落語家)
桂鷹治(落語家)
杉浦直樹(俳優)
平泉成(俳優)
杉浦理史(俳優)
河合美佐(俳優)
八神蓮(俳優)
図師光博(俳優)
伊沢勉(俳優)
菅沼翔也(俳優)
小笠原健(俳優)
佐野勇斗(俳優、歌手)
六車勇輝(元俳優)
龍城のぼる(元宝塚歌劇団俳優)
小林由希子(ミュージカル俳優)
櫻井孝宏(声優)
鈴木達央(声優)
近藤隆(声優)
尾崎恵(声優)
瀧村直樹(声優)
天野ひろゆき(タレント)
森崎まみ(タレント)
岸田あさみ(タレント)
原さやか(タレント)
小林優介(タレント)
キンタロー。(タレント)
神野三枝(タレント)
坂口美奈子(タレント)
石田真以(タレント)
ウッチィ(タレント)
神道裕(元タレント)
鶴田真理子(モデル)
天野由加里(モデル)
杉浦美帆(元モデル)
竹内のぞみ(グラビアアイドル)
柴田アイスピック(笑撃戦隊)(お笑い芸人)
アナウンサー
近藤英恵(元テレビ静岡アナウンサー)
杉浦友紀(NHKアナウンサー)
川島葵(東海ラジオアナウンサー)
竹内梢(南日本放送アナウンサー)
天野ひかり(フリーアナウンサー、NPO法人代表)
山本祐歌(フリーアナウンサー)
山本匠晃(TBSアナウンサー)
小川健太(CBCアナウンサー)
森田京之介(テレビ東京アナウンサー)
その他
土屋光春(陸軍大将)
土屋光金(海軍中将)
他阿真円(時宗の74世法主、元岡崎市議会議員)
津端修一(建築家)
内田修(医師、ジャズ愛好家)
石田和雄(将棋棋士)
酒井通温(将棋棋士)
柴田惣一(スポーツ新聞記者)
中根駒十郎(編集者)
萱野稔人(哲学者、津田塾大学総合政策学部長・教授)
松田隆智(中国武術研究家)
大場美和(フリークライマー)
廣中邦充(教育評論家、住職)
糟谷銑司(音楽プロデューサー)
長坂信人(テレビ・映画プロデューサー)
正木敦(テレビプロデューサー)
藤田亨(テレビプロデューサー、放送作家)
藤井賢二(グラフィックデザイナー)
里岡美津奈(キャビンアテンダント、コンサルタント)
渡辺順子(ワインスペシャリスト)
清水泰地(ボディビルダー)- 深田崇敬(水景クリエイター)
東海オンエア (YouTuber)- AAAjoken toys(YouTuber)
- 度會亜衣子(第51代ミス日本グランプリ)
マスコットキャラクター
オカザえもん
オカザえもんは、愛知県日進市出身の現代美術作家・斉と公平太の作品。「あいちトリエンナーレ2013」のプレイベント「岡崎アート&ジャズ2012」の出品作品である。イラストと着ぐるみ、2つのキャラクターが存在する。2012年10月31日に行われた同イベントの内覧会で初めて公の場に姿を現す[67]。
2013年4月1日、岡崎市から「岡崎アート広報大臣」に委嘱された(任期は1年間)[68]。同年7月10日には「ご当地キャラ総選挙2013」の中部地区予選で1位となった[69]。同年8月6日には決勝大会で全国2位となった[70]。2013年11月24日、「ゆるキャラグランプリ2013」において、全国22位となった[71]。
市内業者が作る関連商品については、作者の承諾により著作権料は発生しない[72]。その効果もあって多くの商品が生み出されるようになった。売れ行きも好調で、2013年12月に市内郵便局で限定発売された「オカザえもん切手シート」は1日で完売した[73]。また同年12月22日、日本経済新聞が発表した「ゆるキャラスイーツ・ベスト10」で、康生地区の和菓子屋が製造した「オカザえもんどら焼き」が全国5位に選ばれた[74]。
2014年3月31日、岡崎アート広報大臣を退任。オカザえもんが1年間の間に岡崎市内に及ぼした経済波及効果は約42億5千万円、新聞や雑誌への掲載による広告効果は約6億6千万円であったことが退任式で発表された[75]。2016年4月2日、市から再び「岡崎アート広報大臣」に委嘱された。
広報・公聴関係
映像・ラジオ広報事業
- チャンネルおかざき(ケーブルテレビ/ミクスネットワーク株式会社 地上デジタル121チャンネル)
- 市政情報763(コミュニティーFM/株式会社エフエム岡崎 周波数76.3MHzで岡崎市広報番組「市政情報763」を放送)
脚注
注釈
^ 1981年から2010年の30年をサンプルとしている[13]。
^ 旧矢作町は碧海郡に属し、特にその西端では安城市などとのつながりが強く、住民の運動によって境界が変更された。
^ 「岡崎市福祉会館・緑の家」として1978年4月1日に作られた建物に現在、一般社団法人岡崎パブリックサービスが入っている。
^ 橋目町にある三菱自動車工業の工場は、2016年10月1日、「名古屋製作所岡崎工場」から「岡崎製作所」に改称した[53]。
^ 日本福音ルーテル岡崎教会教会堂は、信徒伝道者・建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により1953年に建てられた[62]。
^ 8月第1土曜日の前日に開催されていたイベント「岡崎観光夏まつり五万石おどり・みこし」は、市の財政緊縮策により2012年は中止された。翌2013年から新イベント「岡崎城下 家康公夏まつり」にとってかわった。
^ 1923年(大正12年)1月9日付の『名古屋新聞』はこう書き記した。「今の岡崎市は何をとる事が出来るのかと考へて見ると昔乍らの名物八丁味噌だけが矢作川の流れと共に(中略)わづかに其の俤(おもかげ)を止めてドテヤキは八丁味噌に限りそしてドテヤキは流石に岡崎がうまいと有難い賞讃を博している位なものしか思ひ出せぬ」[66]
出典
^ みそ健康づくり委員会編 『みそ文化誌』 全国味噌工業協同組合連合会、社団法人中央味噌研究所、2001年4月1日、275頁。
^ 井上裕之 (2016年11月1日). “日本地名と「地元放送局アクセント」〜積年の課題に解を求めて〜”. NHK放送文化研究所. 2017年4月27日閲覧。
^ 「岡崎市」百科事典マイペディア
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- ^ ab中日新聞 2016年2月18日 朝刊 県内版 20頁
^ 「岡崎市の人口」岡崎市
^ 「1.本市の概況」岡崎市
^ 「岡崎市の地形」岡崎市
^ 「岡崎市の概況」岡崎市
^ 「Q.岡崎の名前の起源、成り立ち、簡単な歴史紹介をしていただけませんか。」岡崎市
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^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
^ 「奥山田しだれ桜」岡崎市観光協会
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^ 大日本地名辞書
^ 『張州雑志』巻三十四所収「大宮司系譜」
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^ 「沿革」岡崎市
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^ 空港直行バス時刻表 (PDF) 知多乗合(株) 平成24年4月1日改正
^ 岡崎市コミュニティバス「まちバス」 岡崎市 都市整備部 都市計画課 交通政策室
^ 額田地域のコミュニティバス・乗合タクシー 岡崎市 都市整備部 都市計画課 交通政策室
^ 岡崎いいとこ風景ブログ:坂の街・岡崎ー灯台坂岡崎市都市計画課
^ 日本福音ルーテル岡崎教会教会堂 | 文化遺産オンライン
- ^ ab無形民俗文化財の紹介 | 岡崎市ホームページ
^ 岡崎城下 家康公夏まつり 公式サイト
^ 岡崎天満宮 天満天神祭|岡崎市観光協会公式サイト
^ 『新編 岡崎市史 史料 近代下 10』 新編岡崎市史編さん委員会、1987年9月30日、924-925頁。
^ 岡崎アート&ジャズ2012Facebook - オカザえもん記者発表会
^ “若い女性に人気!オカザえもん 岡崎市 アート広報大臣に委嘱”. 東海愛知新聞. (2013年4月2日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/130402.html 2013年7月16日閲覧。
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^ “キモかわいくて欲しくなる 愛知の「オカザえもん」商品”. 朝日新聞. (2013年6月22日). http://www.asahi.com/area/aichi/articles/NGY201306210032.html 2013年12月16日閲覧。
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^ “「オカザえもんお疲れ〜」 岡崎の広報大臣退任”. 中日新聞. (2014年4月1日). http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20140401/CK2014040102000055.html 2014年4月2日閲覧。 [リンク切れ]
参考文献
- 『各 地方ニ 於ケル 「マラリア」ニ 関スル 概況』 内務省衛生局、1919年。(国立国会図書館のホームページ『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)
- 『新編 岡崎市史 現代 5』 新編岡崎市史編さん委員会、1985年12月28日。
- 『激動の90年 日本と岡崎 1912年〜2003年詳細年表』 情報文化社、2004年。
関連項目
- 日本の地方公共団体一覧
- 日本の市町村の廃置分合
- 日本の市の人口順位
- 八丁味噌
純情きらり (NHK連続テレビ小説。2006年度上半期放映)- オカザえもん
- 岡崎観光きらり百選
リバーシブル (1980年3月創刊のタウン誌)
外部リンク
- 岡崎市
- 岡崎市観光協会
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