アンディ・マリー







この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • アンディ・マレー


































































































































アンディ・マリー
OBE
Andy Murray

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2016年全米オープンにて

基本情報
フルネーム
Sir Andrew Barron Murray
愛称
アンディ
国籍
イギリスの旗 イギリス
出身地
スコットランドの旗 スコットランド・ダンブレーン
居住地
イングランドの旗 イングランド・ロンドン
生年月日
(1987-05-15) 1987年5月15日(31歳)
身長
190cm
体重
84kg
利き手
バックハンド
両手打ち
ツアー経歴
デビュー年
2005年
ツアー通算
47勝
シングルス
45勝
ダブルス
2勝
生涯獲得賞金
61,046,255 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪
準優勝(2010・11・13・15・16)
全仏
準優勝(2016)
全英
優勝(2013・16)
全米
優勝(2012)
優勝回数
3(米1・英2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪
1回戦(2006)
全仏
2回戦(2006)
全英
1回戦(2005)
全米
2回戦(2008)
国別対抗戦最高成績
デビス杯
優勝(2015)
ホップマン杯
準優勝(2010)
キャリア自己最高ランキング
シングルス
1位(2016年11月7日)
ダブルス
51位(2011年10月17日)
獲得メダル




















男子 テニス

オリンピック
2012 ロンドン 男子シングルス
2012 ロンドン 混合ダブルス
2016 リオデジャネイロ 男子シングルス

2017年3月5日現在

テンプレート  ■プロジェクト テニス


サー・アンドリュー・バロン・"アンディ"・マリーSir Andrew Barron "Andy" Murray, 英語発音: [ˈændruː ˈændi ˈmʌri][1], 1987年5月15日 -,OBE )は、スコットランド・ダンブレーン(英語版)出身、イギリス国籍の男子プロテニス選手。身長190cm、体重84kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。「アンディ・マレー」とする表記も多い。


ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪でシングルス選手としては男女通じて初のオリンピック連覇を達成。4大大会では3度の優勝経験があり、特にウィンブルドン選手権では2013年にイギリス人選手77年ぶりの優勝者となった。マスターズ1000優勝14回。シングルス自己最高ランキングは1位。生涯獲得賞金ランキング歴代4位。


ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチと共にBIG4と称される。


1歳年上の兄ジェイミー・マリーもプロテニス選手で、ダブルスのスペシャリスト。




目次






  • 1 選手経歴


    • 1.1 ジュニア時代


    • 1.2 2005年-2007年 世界15位入り


    • 1.3 2008年 マスターズ優勝、グランドスラム決勝進出


    • 1.4 2009年 世界ランキング2位 


    • 1.5 2010年 2度のマスターズ優勝、全豪決勝進出


    • 1.6 2011年 2度のマスターズ優勝、連続グランドスラムベスト4入り


    • 1.7 2012年 悲願のグランドスラム優勝、オリンピック金メダル、BIG4へ


    • 1.8 2013年 77年ぶりの地元ウィンブルドン優勝、腰の手術


    • 1.9 2014年 怪我による不調


    • 1.10 2015年 全豪での再躍進、クレーコートでの初優勝、デビスカップ初優勝、自身初の年間最終2位


    • 1.11 2016年 2度目のウィンブルドン優勝・初の全仏準優勝・五輪連覇・世界ランク1位


    • 1.12 2017年 怪我による不調と1位陥落


    • 1.13 2018年 臀部の手術に伴う長期離脱、世界ランキング839位


    • 1.14 2019年




  • 2 ナショナル・アイデンティティ


  • 3 プレースタイル


  • 4 記録


  • 5 4大大会優勝


  • 6 成績


    • 6.1 4大大会シングルス


    • 6.2 大会最高成績




  • 7 脚注


  • 8 外部リンク





選手経歴







ジュニア時代


アンディ・マリーはスコットランドのナショナル・コーチを務めていた母親のジュディ・マリー(英語版)の手ほどきにより、3歳からテニスを始めた。8歳のときに通っていた小学校で児童16人、教員1人が射殺されたダンブレーン事件(英語版)に遭遇し、机の下に隠れて難を逃れている[2]。少年時代はサッカーでも才能があり、スコットランドの名門サッカークラブ「グラスゴー・レンジャーズ」からスカウトを受けたこともあるが、職業としてテニスに専念する。


2003年からATPチャレンジャーツアー、フューチャーズサーキットに出場し始める。彼の初大会であるマンチェスターチャレンジャーでベスト8入り。グラスゴーフューチャーズで初タイトルを獲得した。エディンバラフューチャーズでもベスト4入り[3]。2004年7月にノッティンガムのチャレンジャー大会に出場するも2回戦でジョー=ウィルフリード・ツォンガに敗れる。ハティバとローマの大会には優勝した。


2004年全米オープンの男子ジュニアシングルス部門で優勝。オーストリア戦のデビスカップイギリス代表に選ばれるも出場はなかった。この年BBC Young Sports Personality of the Yearを受賞。2003年には世界ジュニアランキングでシングルス6位、ダブルス8位。2004年には2位にランクインした[4]



2005年-2007年 世界15位入り


2005年全仏オープンまではジュニア選手の大会にも出場したが、この年からプロテニス選手として本格的な活動を始め、地元のウィンブルドン選手権大会で4大大会の本戦にデビューした。初出場のウィンブルドンでダビド・ナルバンディアンとの3回戦に勝ち進み、マリーはイギリスの新しい才能として期待を集めた。続く全米オープンでは2回戦でアルノー・クレマンに敗れたが、9月末にタイ・オープンで初のツアー大会決勝進出を果たす。2005年末には世界ランキングを一気に64位まで上げ、10代の男子テニス選手としてはノバク・ジョコビッチに続く高いポジションにつけた。


2006年2月13日、アンディ・マリーはSAPオープンの決勝でレイトン・ヒューイットを2-6, 6-1, 7-6で破り、18歳9ヶ月でツアー初優勝を果たす。4大大会でも、2度目のウィンブルドンでは3回戦でアンディ・ロディックとの“アンディ対決”を7-6, 6-4, 6-4で制してさらに評価を高めたが、4回戦でマルコス・バグダティスに3-6, 4-6, 6-7のストレートで敗れた。8月のシンシナティ・マスターズでは、2回戦で当時ランク1位のロジャー・フェデラーに勝利する大金星を挙げ、2006年シーズンにナダル以外で、フェデラーから勝利をあげた唯一の選手となった。全米オープンで第17シードを得たマリーは、ニコライ・ダビデンコとの4回戦まで勝ち進み、一気に世界ランキング16位まで上昇した。


全豪オープンで第15シードを得たマリーは、4回戦で第2シードのラファエル・ナダルに7-6, 4-6, 6-4, 3-6, 1-6のフルセットで惜敗した。2月にSAPオープンで2連覇を達成し、10月第3週のサンクトペテルブルク・オープンでツアー3勝目を挙げた。他にもマスターズでは2度ベスト4に残った。



2008年 マスターズ優勝、グランドスラム決勝進出





2008年全米オープンにて


2008年のシーズンに入り、マリーは5つのシングルス優勝を加えた。ウィンブルドンでは初めて準々決勝に駒を進めたが、ナダルに3-6, 2-6, 4-6のストレートで完敗した。ウィンブルドン終了後、7月末のシンシナティ・マスターズでは第8シードで出場。サム・クエリー、ドミトリー・トゥルスノフ、カルロス・モヤ、イボ・カロビッチを破り決勝進出。決勝で第3シードで同い年のジョコビッチを破り、ATPマスターズシリーズ初優勝を達成。


全米オープンでは第6シードとしてセルヒオ・ロイトマン、ミカエル・ロドラ、ユルゲン・メルツァー 、スタン・ワウリンカに勝利。準決勝で世界ランキング1位のナダルを6-2, 7-6, 4-6, 6-4で破って決勝進出を決めた[5]。初進出の決勝戦では、第2シードのフェデラーに2-6, 5-7, 2-6で敗れて準優勝になった[6]。10月のマドリード・マスターズでは第4シードで出場。シモーネ・ボレッリ、マリン・チリッチ、ガエル・モンフィス、第2シードのフェデラーを破り決勝進出。決勝ではジル・シモンを6-4, 7-6で勝利し優勝。マスターズ2勝目を挙げる[7]。年間最終戦であるテニス・マスターズ・カップに初出場。フェデラー、ロディック、ジル・シモンに勝利し3勝0敗でラウンドロビン通過するも準決勝でダビデンコに敗北。最終的には世界ランキング4位で終える。



2009年 世界ランキング2位 


5月のインディアンウェルズ・マスターズでは第4シードで出場。トミー・ロブレド、イワン・リュビチッチ、第2シードのフェデラーを破り決勝でラファエル・ナダルに敗れ準優勝。第4シードで出場したマイアミ・マスターズではフェルナンド・ベルダスコ、フアン・マルティン・デル・ポトロ、ジョコビッチを破り優勝。マスターズ3勝目を挙げる。ウィンブルドン選手権では、地元の期待を背負いながら初の準決勝に進出したが、第6シードのロディックに4-6, 6-4, 6-7(7), 6-7(5)で敗れて決勝進出を逃した。


ロジャーズ・カップでは第3シードで出場。フアン・カルロス・フェレーロ、ダビデンコ、ジョー=ウィルフリード・ツォンガ、デルポトロを破り優勝。マスターズ4勝目を挙げた。同年8月17日付の男子ツアーシングルス世界ランキングで、マリーは初めて世界ランキング2位となり、両膝の故障で戦線を離脱していたナダルを抜いた。しかし、前年度に準優勝の成績を出した全米オープンでは4回戦でマリン・チリッチに敗れ、ここでいったん世界ランキングが後退した。年末ランキングでは2年連続4位となる。
フェデラー/ナダル2強に対して、2008年全豪優勝ジョコビッチ、2009年全仏準優勝セーデリング、2009年最終戦優勝ダビデンコ、2009年全米優勝デルポトロ共に次世代No.1候補になった年である。



2010年 2度のマスターズ優勝、全豪決勝進出


ホップマンカップではローラ・ロブソンとペアを組み出場。カザフスタン、ドイツ、ロシアを破り決勝進出するも決勝でスペインに敗れる。2010年の全豪オープンでは、ジョン・イスナー、第2シードのナダル、マリン・チリッチを破り、イギリス人男子選手として1977年12月のジョン・ロイド以来33年ぶりの決勝進出を決めた(1977年度の全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2度行われ、ロイドの決勝進出は年末開催のイベントだった)。この決勝戦でも再びフェデラーに3-6, 4-6, 6-7(11)のストレートで敗れ、初優勝はならなかった。


全仏オープンでは4回戦でトマーシュ・ベルディハに敗れる。ウィンブルドン選手権ではジル・シモン、サム・クエリー、ツォンガに勝利しナダルに敗れるも2年連続ベスト4入り。ロジャース・カップではガエル・モンフィス、ダビド・ナルバンディアン、第1シードのナダルらを破り決勝進出。決勝ではフェデラーを7-5, 7-5で勝利し2連覇達成。全米オープンはワウリンカに敗れ3回戦敗退。上海マスターズではジェレミー・シャルディー、ツォンガ、フアン・モナコらを破り決勝進出。決勝でフェデラーに6-3, 6-2で勝利しマスターズ6勝目を挙げる。2010年ツアーで5360ポイントを稼ぎ第5位の成績でATPワールドツアー・ファイナルに出場。ラウンドロビンはフェデラーに敗れるもロビン・セーデリング、ダビド・フェレールに勝利し準決勝進出。準決勝でナダルに6-7, 6-3, 6-7で敗れる。



2011年 2度のマスターズ優勝、連続グランドスラムベスト4入り


全豪オープンで2年連続となる決勝に進出したが、ジョコビッチに4–6, 2–6, 3–6のストレートで敗れ4大大会3度目の準優勝となった。年末世界ランキング3年連続4位となる。





2009年全仏オープンにて


マリーは全仏オープンで初めてのベスト4に進出したが、ナダルに4-6, 5-7, 4-6で敗れた。
ウィンブルドン選手権で3年連続の準決勝に進出したが、またもナダルに7-5, 2-6, 2-6, 4-6で敗れた。
ウィンブルドン後のデビスカップではルクセンブルクのローラン・ブランに6-0, 6-0, 6-0で勝利し、オープン化後以降8人目のトリプルベーグル達成者となった。
マスターズ1000では第4シードで出場したシンシナティ・マスターズではジル・シモン、マーディ・フィッシュらを破り決勝進出。決勝では第1シードのジョコビッチに勝利し3年ぶりの優勝。
全米オープンでも準決勝に進出し、2011年の4大大会全てでベスト4以上に進出したが、準決勝でナダルに4-6, 2-6, 6-3, 2-6で敗れた。年間での4大大会すべてベスト4入りは男子史上7人目。


秋のアジアシリーズではタイ・オープン、ジャパン・オープン・テニス選手権で2大会連続優勝を果たし、第2シードで出場した上海マスターズはスタン・ワウリンカ、マシュー・エブデン、錦織圭らを破り決勝進出。決勝ではフェレールに7-5, 6-4で勝利し優勝。しかし最終戦のATPワールドツアー・ファイナルではフェレールとの1試合目を落とした後、太もも付け根の負傷のため大会を棄権した。最終世界ランキング4年連続4位となる。



2012年 悲願のグランドスラム優勝、オリンピック金メダル、BIG4へ





ロンドンオリンピックにて金メダルを獲得したマリー(中央)


2012年は1月にコーチとして往年の名選手でもあるイワン・レンドルを招聘した。全豪オープンでは準々決勝で錦織圭に6-3, 6-3, 6-1で快勝したが、準決勝でジョコビッチに3-6, 6-3, 7-6(4), 1-6, 5-7 で競り負けた。ウィンブルドンでは、イギリス人選手としては74年ぶりの決勝進出を果たすも、フェデラーに6-4, 5-7, 3-6, 4-6で敗れ、1936年大会のフレッド・ペリー以来の優勝を逃した。それでも、続くロンドン五輪ではスタニスラス・ワウリンカ、ヤルコ・ニエミネン、マルコス・バグダティス、ニコラス・アルマグロ、ジョコビッチを破り決勝進出。決勝でフェデラーを6-2, 6-1, 6-4で破り、地元開催のオリンピックで金メダルを獲得した。イギリス人選手の金メダリストはジョシア・リッチー以来104年ぶりとなる。また、ローラ・ロブソンとのペアで出場した混合ダブルスでは銀メダルを獲得した。


全米オープンではアレックス・ボゴモロフ・ジュニア、イワン・ドディグ、フェリシアーノ・ロペス、ミロシュ・ラオニッチ、マリン・チリッチ、トマーシュ・ベルディハを破り決勝進出。決勝でジョコビッチを7-6, 7-5, 2-6, 3-6, 6-2全米決勝史上最長タイの4時間54分に及ぶ激闘を制し、4大大会5度目・初の決勝進出から4年越しでの悲願のグランドスラムタイトルを手に入れた[8]。グランドスラム制覇はイギリス人としては1936年のフレッド・ペリー以来で、スコットランド生まれとしては初の選手であった。また、グランドスラムを制覇したことでBIG4の一員として認められるようになった[9]。その後の上海マスターズでは決勝でジョコビッチに7-5, 6-7(11), 3-6とマッチポイントを握るも敗退し3連覇とはならなかった。ATPワールドツアー・ファイナルではトマーシュ・ベルディハ、ツォンガに勝利しラウンドロビンを突破するも準決勝でフェデラーに敗退した。最終世界ランキングで初めてナダルを上回り3位となる。



2013年 77年ぶりの地元ウィンブルドン優勝、腰の手術


2013年年初に行われたブリスベン国際では、決勝で若手のグリゴール・ディミトロフを下し2連覇。全豪オープンでは、準決勝でフェデラーにフルセットで勝利したが、決勝ではジョコビッチにセットカウント1-3で敗退し準優勝に終わる。3月のソニー・エリクソン・オープンでは第2シードで出場。バーナード・トミック、グリゴール・ディミトロフ、アンドレアス・セッピ、マリン・チリッチ、リシャール・ガスケを破り決勝進出。決勝でフェレールを2-6, 6-4, 7-6で下し2009年以来4年ぶりの優勝。またマスターズ1000の優勝は2011年上海マスターズ以来となる。


クレーコートシーズンのマスターズ3大会は、2回戦敗退や3回戦敗退など早期敗退が目立った。全仏オープンは腰の痛みにより欠場し、4大大会連続決勝進出も3大会でストップ。9大会連続ベスト8入りもストップした。復帰後のエイゴン選手権決勝でマリン・チリッチを下しシーズン3勝目を挙げた。
ウィンブルドンでは、ベンヤミン・ベッカー、盧彦勳、トミー・ロブレド、ミハイル・ユージニー、フェルナンド・ベルダスコ、イェジ・ヤノビッチを破り決勝進出。決勝戦でジョコビッチを6-4, 7-5, 6-4で破り、1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりとなる悲願の地元ウィンブルドン優勝を達成した[10]。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ全米オープンでは、準々決勝でスタン・ワウリンカに敗れた。9月のデビスカップに出場した後、腰の手術を理由にシーズンを終了した[11]。最終世界ランキングは4位につけた。



2014年 怪我による不調


カタールオープンからシーズンを開始した。1月22日、第4シードで臨んだ全豪オープンでは準々決勝で第6シードのフェデラーに敗れベスト8。3月にはイワン・レンドルとのコーチ契約を終了した[12]。6月7日、全仏オープンでは大会第1シードのナダルに6-3, 6-2, 6-1で敗退しベスト4。全仏オープン後に女子テニス元世界ランク1位のアメリ・モレスモをコーチとして招聘した[13]。女性が男子のトッププレーヤーのコーチに就任するのは異例の事態で、物議を醸した。7月3日、前回王者として望んだウィンブルドンでは準々決勝で第11シードのグリゴール・ディミトロフに敗れベスト8に終わる。ウィンブルドンでベスト4に上がれなかったのは2008年以来6年ぶり。9月4日、全米オープンに大会準々決勝で第1シードのノバク・ジョコビッチに敗れベスト8。9月28日、深圳オープンでトミー・ロブレドを5-7, 7-6, 6-1で下し、昨年のウィンブルドン以来、1年以上ぶりに優勝した。10月19日エルステ・バンク・オープンでフェレールとの接戦を制し、5-7, 6-2, 7-5で勝利しての優勝。ATPポイントで11位から8位に浮上。10月26日、バレンシア・オープンでシングルス決勝でトミー・ロブレドに3-6, 7-6, 7-6で競り勝ち、シングルス通算31回目のタイトルを手にした。ATPポイントで5位に浮上。その他ATPワールドツアー・マスターズ1000では5つのベスト8を飾り世界6位の成績で自身7度目の選出となるATPワールドツアー・ファイナル出場を決めた。ATPワールドツアー・ファイナルでは1勝2敗でラウンドロビン敗退となった。



2015年 全豪での再躍進、クレーコートでの初優勝、デビスカップ初優勝、自身初の年間最終2位





2015年全豪オープンにて


全豪オープンでグリゴール・ディミトロフ、ニック・キリオス、トマーシュ・ベルディハらを破り2年ぶり4度目の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、グランドスラムでは6回目の準優勝となった。全豪での準優勝4回はオープン化以降最多記録[14]。2月23日、世界ランキングでナダルを上回り、2013年10月以来の世界3位となった。3月19日、BNPパリバ・オープンシングルス準々決勝が行われ第12シードのフェリシアーノ・ロペスを6-3, 6-4のストレートで下し、6年ぶり2度目のベスト4進出。この勝利により通算497勝目をあげ、ティム・ヘンマンを抜きオープン化以降イギリス人選手最多勝利を記録した[15]。3月31日、マイアミ・オープン4回戦で第15シードのケビン・アンダーソンを6-4, 3-6, 6-3のフルセットで下し、ベスト8進出したと共に、オープン化以降46人目となるキャリア500勝を達成した。同大会2009, 2013年優勝のマリーは4年連続6度目のベスト8進出となる[16]。決勝まで進むもジョコビッチに敗れた。


5月でのBMWオープンで決勝において地元ドイツ出身のフィリップ・コールシュライバーを7-6, 5-7, 7-6のフルセットで下し、自身初のクレーコート大会での優勝を飾った。
その翌週のマドリード・オープンでは準決勝で昨年準優勝の錦織圭に勝利。決勝では大会2連覇中のナダルを6-3, 6-2で勝利し大会2008年ぶり2度目・マスターズ1000では2年ぶり10回目の優勝。マスターズ1000のクレーコートでの優勝は初。またナダルにはクレーコートでの初勝利を挙げた[17]。BNLイタリア国際では連戦による疲労のため3回戦の前に棄権した。全仏オープンでは準々決勝でフェレールにクレーコートで初勝利し、2年連続のベスト4進出、準決勝ではジョコビッチに3-6, 3-6, 7-5, 7-5, 1-6のフルセットで敗れた。


6月のエイゴン選手権では決勝でケビン・アンダーソンを破り優勝、ウィンブルドン選手権ではイボ・カロビッチ、バセク・ポシュピシルらを破りベスト4に進出するも準決勝でフェデラーに5-7, 5-7, 4-6のストレートで敗れた。8月のシティ・オープンでは第1シードで出場するも初戦でティムラズ・ガバシュビリに4-6, 6-4, 6-7(4)で敗れ、2年ぶりの初戦敗退を喫した。翌週のロジャーズ・カップでは、準々決勝で前回王者のツォンガに6-4, 6-4で、準決勝で錦織圭に6-3, 6-0で勝利、決勝でジョコビッチに6-4, 4-6, 6-3で勝利し同大会5年ぶりの優勝を果たし、世界ランキングは2013年8月以来約2年ぶりの2位となった。翌週のシンシナティ・マスターズでは3回戦でグリゴール・ディミトロフに4-6, 7-6(3), 5-2と追い込まれるもそこから5ゲーム連取し勝利、準々決勝のリシャール・ガスケ戦でも4-6, 6-1, 6-4と苦しい立ち上がりながら準決勝に進出、しかし準決勝でフェデラーに4-6, 6-7(6)で敗れた。全米オープンでは4回戦でケビン・アンダーソンに6-7(5), 3-6, 7-6(2), 6-7(0)で敗れた。上海マスターズでは準決勝でジョコビッチに1-6, 3-6で敗れた。BNPパリバ・マスターズでは決勝に進出し、ジョコビッチに2-6, 4-6で敗れたが、レースランキングで2位となり、ATPワールドツアー・ファイナルに第2シードでの出場が決まった。ATPワールドツアー・ファイナルでは初戦でフェレールに6–4, 6–4で勝利するも、第2戦でナダルに4-6, 1-6で、第3戦でワウリンカに6-7, 4-6で敗れ、2年連続のラウンドロビン敗退となった。しかし、世界ランキング3位のフェデラーが優勝できなかったため、自身初の年間最終2位となった。


デビスカップ2015ではイギリス代表のエースとして活躍。初戦のアメリカ戦ではドナルド・ヤングとエースのジョン・イズナーに勝利し、準々決勝進出に貢献。準々決勝のフランス戦では第2戦のツォンガ戦に勝利。第3戦のダブルスでは兄のジェイミー・マリーと組み、マユ/ツォンガ組に勝利、第4戦のジル・シモン戦も勝利し、準決勝進出を決める。準決勝のオーストラリア戦では第1戦でタナシ・コキナキスに勝利。第3戦のダブルスでは再び兄ジェイミーと組み、グロス/ヒューイット組と対戦。フルセットにもつれるも、4-6, 6-3, 6-4, 6-7(6), 6-4で勝利。第4戦でバーナード・トミックに7-5, 6-3, 6-2で勝利し、イギリスを1978年以来の決勝に導いた。決勝のベルギー戦では第2戦でルーベン・ベーメルマンスに6-3, 6-2, 7-5で勝利。第3戦のダブルスでは三度兄ジェイミーと組み、ダルシス/ゴファン組と対戦し6-4, 4-6, 6-3, 6-2で勝利。第4戦でベルギーのエースのゴファンに6-3, 7-5, 6-3で勝利し、イギリスに79年ぶりのデビスカップ優勝をもたらした。また、デビスカップで出場全試合勝利で優勝した。シングルス8勝は1983年のマッツ・ビランデル以来。



2016年 2度目のウィンブルドン優勝・初の全仏準優勝・五輪連覇・世界ランク1位


全豪オープンでは第2シードで出場。大会前より2月に第1子が出産予定のため、出産が早まった場合全豪を途中棄権することを表明していた[18]。準決勝でミロシュ・ラオニッチに4-6, 7-5, 6-7(4), 6-4, 6-2で4時間3分の試合を制し、2年連続5度目の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチと4度目の対戦で1-6, 5-7, 6-7(3)で敗れ、5度目の準優勝となり、またも初優勝とはならなかった。
2月7日に第1子が誕生[19]


3月のデビスカップからツアーに復帰し、日本と対戦し、第4試合で錦織圭と7-5, 7-6(6), 3-6, 4-6, 6-3の4時間54分の激戦を演じた。
インディアンウェルズ・マスターズでは3回戦でフェデリコ・デルボニスに4-6, 6-4, 6-7(3)で敗れた。マイアミ・オープンでは3回戦でグリゴール・ディミトロフに7-6(1), 4-6, 3-6で敗れた。
3年ぶりに出場したモンテカルロ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗れた。
前回優勝のマドリード・オープンでは準決勝で2年連続でラファエル・ナダルを破って、2年連続の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、連覇はならなかった。5月9日にモレスモとのコーチ契約を終了したと発表した[20]
BNLイタリア国際では初めて決勝に進出した。決勝でジョコビッチに6-3, 6-3で3年ぶりにストレート勝ちし、またクレーでジョコビッチに初勝利をあげ、大会初優勝を果たした。全仏オープンでは序盤から苦しい戦いを強いられる。初戦は元世界ランク8位のラデク・ステパネクに第1,2セットを3-6, 3-6で取られるも、その後6-0, 6-3, 7-5で逆転勝ち。2回戦でも地元フランスのマティアス・ブルグに6-2, 2-6, 4-6, 6-2, 6-3と苦戦した。その後はイボ・カロビッチ、ジョン・イズナーにストレート勝ち。準々決勝では地元フランスのリシャール・ガスケに5-7, 7-6(3), 6-0, 6-2で勝利し、3年連続ベスト4進出。準決勝でディフェンディングチャンピオンのスタン・ワウリンカに対して6-4, 6-2, 4-6, 6-2でクレー初勝利を上げ、全仏では自身初めて決勝進出を果たした。決勝ではノバク・ジョコビッチと対戦。第1セットを先取するも、6-3, 1-6, 2-6, 4-6で敗れ、初優勝はならなかった。6月にイワン・レンドルを再びコーチとして迎えた[21]





2016年ウィンブルドン選手権にて自身2度目の優勝を果たしたマリー


芝シーズンでは、エイゴン選手権で優勝。ウィンブルドンでも、準決勝でトマーシュ・ベルディハをストレートで破り、3年ぶりに決勝進出。決勝でラオニッチに6-4, 7-6(3), 7-6(2)で勝利し、3年ぶりのウィンブルドン及びグランドスラム優勝を果たした[22]。リオ五輪の兄ジェイミーと組んだダブルスでは1回戦で地元のベルッシ/サ組に敗れた。シングルスでは準決勝で錦織圭に6-1, 6-4で勝利し、ロンドン五輪に続き、決勝進出を果たす。決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに7-5, 4-6, 6-2, 7-5で勝利し、男子及びシングルス史上初のオリンピック連覇を果たした[23]。シンシナティ・マスターズでは準決勝でラオニッチに勝利し決勝進出。ここまで全仏の決勝で敗れて以降22連勝を果たしていた。決勝ではマリン・チリッチに4-6, 5-7で敗れた。全米オープンでは準々決勝で錦織圭との3時間57分の激闘の末、6-1, 4-6, 6-4, 1-6, 5-7で敗れた。さらにデビスカップ準決勝のアルゼンチン戦でデルポトロに4-6, 7-5, 7-6(5), 3-6, 4-6で敗れ、イギリス代表の2年連続決勝進出はならなかった。


その後、チャイナ・オープン、上海マスターズ、エルステ・バンク・オープンで3連勝し、レースランキングで1位のジョコビッチと415ポイント差まで詰める。世界ランク1位をかけ挑んだBNPパリバ・マスターズではジョコビッチが準々決勝で敗れ、マリーは準決勝で相手のラオニッチが棄権したため、悲願の世界ランク1位が確定した[24]。現行の制度になってから世界ランキング1位はイギリス人選手として初の快挙だった。決勝ではジョン・イズナーに6-3, 6-7(4), 6-4で勝利し、4大会連続優勝を果たした。


ATPワールドツアー・ファイナルでは第2戦で錦織圭に6-7(9), 6-4, 6-4の3時間20分で苦戦させられるも、ラウンドラビンを3連勝で突破。準決勝ではラオニッチと3時間38分の激闘の末5-7, 7-6(5), 7-6(9)で勝利し、自身初のATPワールドツアー・ファイナル決勝進出を果たす。決勝では全仏以来のジョコビッチとの対戦で年間最終1位をかけ戦い、6-3, 6-4でこれを制し、ATPワールドツアー・ファイナル初優勝を果たすとともに、この年のシーズンを世界ランキング年間最終1位で終えることを確定させ、キャリア史上最も充実した1年に最高の形で花を添えた[25]



2017年 怪我による不調と1位陥落


これまでの実績と慈善活動を称えられ、マリーはナイト(Knight Bachelor)の称号を授与された。男性では29歳での授与は史上最年少[26]


年初のカタール・オープンでは決勝でジョコビッチに3-6, 7-5, 4-6で敗れ、デビスカップ2016準決勝からの連勝は28でストップした[27]。全豪オープンでは初めてグランドスラムの第1シードで出場するが、4回戦でミーシャ・ズベレフに5-7, 7-5, 2-6, 4-6で敗れた。2月のドバイ・テニス選手権の準々決勝ではフィリップ・コールシュライバーの7回のマッチポイントを守り、6-7(4), 7-6(18), 6-1で勝利した。第2セットのタイブレークの20-18のスコアは史上最高タイで、1991年以来史上6度目である[28]。その後決勝でフェルナンド・ベルダスコに6–3, 6–2で勝利し優勝。3月のBNPパリバ・オープンでは初戦でバセク・ポスピシルに4-6, 6-7(5)で敗れた。


その後マイアミ・オープンは欠場、クレーシーズンではバルセロナ・オープンではベスト4に入ったが、モンテカルロ・マスターズ、ムチュア・マドリード・オープン、BNLイタリア国際のマスターズ3大会はいずれも3回戦までに敗退した。全仏オープンでは準々決勝で錦織圭を破り、4年連続のベスト4進出を果たしたが、準決勝でワウリンカに7-6(8), 3-6, 7-5, 6-7(3), 1-6で敗れた。芝シーズンはエイゴン選手権は初戦敗退、ディフェンディングチャンピオンとして臨んだウィンブルドン選手権では準々決勝でサム・クエリーに6-3, 4-6, 7-6(4), 1-6, 1-6で敗れた。その後は数ヶ月前から続く股関節付近の故障によりシーズンを終了し、全米オープンを含む大会を欠場している[29]。8月21日付の世界ランキングで41週在位した1位から陥落した。年末、エキシビジョンに出場したがその試合には敗れた。年間最終ランキングは16位に後退。



2018年 臀部の手術に伴う長期離脱、世界ランキング839位


前年からの怪我の影響でブリスベン国際、更には全豪オープンの欠場を発表。1月8日にメルボルンで故障中の右股関節付近の手術を受け、グラスコートシーズンでの復帰を目標にすると発表した[30]。6月のクイーンズ・クラブ選手権で復帰し、1回戦でニック・キリオスに敗れた。その後イーストボーン国際に出場しスタン・ワウリンカに勝利し復帰後初勝利をあげるも、ウィンブルドンは激しい痛みのために棄権した[31]。その結果世界ランキングは839位まで落ちた[32]。8月のシティ・オープンでは1回戦から3回戦まで全てフルセットで、特に3回戦は午前3時に終了するほど長引き、疲労困憊で準々決勝は棄権した[33]。ウエスタン・アンド・サザン・オープンは1回戦でリュカ・プイユに敗れた。全米オープンでは1回戦でジェームズ・ダックワースに6-7, 5-7, 6-3, 7-5, 6-3で14ヶ月ぶりのグランドスラムでの勝利をあげるも、2回戦でフェルナンド・ベルダスコに5-7, 6-2, 4-6, 4-6で敗れた[34]。続く深圳オープンでは2回戦で世界ランク11位のダビド・ゴファンに勝利するも、準々決勝でベルダスコに敗れた。9月29日に深圳オープン準々決勝で足首を負傷したとしてチャイナ・オープン欠場を発表し、シーズンを予定より早く打ち切ることが決まった[35]。シーズンで優勝なしに終わったのは2005年以来のことになった。年間最終ランキングは260位だった。11月にレンドルとのコーチ契約を解消した[36]



2019年


年初のブリスベン国際に出場し、1回戦のダックワースとの復帰戦を6-3, 6-4の白星で飾ったが、2回戦でダニール・メドベージェフに5-7, 2-6敗れた。1月11日、長年悩まされてきた股関節の故障により自由にプレーすることができないことを理由に、今シーズンをもって現役を引退することを発表した[37]。本人は「ウィンブルドンに出場して(選手としてのキャリアを)終わらせたいとチームに伝えた。だけど、それができるかどうか確信はない」と話した。全豪オープンでは1回戦でロベルト・バウティスタ・アグートと対戦し、4時間を超える熱戦の末4-6, 4-6, 7-6(5), 7-6(4), 2-6で敗れた[38]



ナショナル・アイデンティティ


イギリスには難しい民族の問題が数多くある。その1つに、スコットランド人とイングランド人の間の敵対感情があり、迫害された歴史からスコットランド人のなかには自らをイギリス人と思わない人々も存在する。1936年以来76年ぶりのイギリス人としての優勝が期待された2012年ウィンブルドン選手権の決勝では、会場にユニオン・ジャックに負けない数のセント・アンドリュー・クロス旗が翻った。


しかし、マリーは自身を「スコットランド人であるけれども、イギリス人でもある(Scottish, but also British.)」と認識している。BBCのインタビューでは、「もともと僕の家はニューカッスルから移ってきた一家で、自分は4分の1イングランドの血が入っている。それにコーチはスコットランド人だけれど、ガールフレンドはイングランド人なんだよ」と答えている[39]


2014年9月18日に行われるスコットランド独立住民投票について「スコットランドにとって大いなる日。結果にわくわくしている。決行しよう」と賛成票を当日ツイッターで呼びかけた(マリー自身は投票時点ではロンドン近郊に在住しており、投票権を持たない)。



プレースタイル


ミスの少ないグランドストローク、予測・反応に長けた守備と攻撃に切り替えるスピードが武器のカウンターパンチャー。その迅速かつ的確な守備により守備位置からウィニングショットを打つことができる[40][41]。彼のプレイはミロスラフ・メチージュに通じると言われている。


ダイナミックなストローク、両手バックハンドは最高レベルの1人。ティム・ヘンマンはマリーはレイトン・ヒューイットに次ぐ最高のロブを持っていると述べている[42]。リターナーとしても優秀で予測能力とリーチの長さでサービスエースを阻止できる[43]。またマリーはもっともインテリジェントな戦術家の1人として知られている[44]


肉体維持のため、試合後1時間以内にプレーで失われた炭水化物とタンパク質の補給に寿司を食べている[45]



記録


※オープン化以降



29歳で初めての世界ランク1位

ATPランキングではジョン・ニューカムの30歳に次いで2番目に年長。

オリンピック金メダルと全米オープン優勝の2冠

2012年に記録。史上初にして唯一。

ウィンブルドン選手権とオリンピック金メダルの2冠

2016年に記録。ラファエル・ナダルに次いで史上2人目。

オリンピック金メダルと年最終戦優勝の2冠

2016年に記録。史上初にして唯一。キャリアで達成した選手も他にアンドレ・アガシのみ。

オリンピック1大会でメダル獲得「2個」


マイク・ブライアンら6人とタイ記録。

オリンピック「2連覇」、および優勝「2回」


ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪で達成。シングルスでは男女通じて史上唯一。

全部門では他に女子ダブルスのジジ・フェルナンデス/メアリー・ジョー・フェルナンデス組とビーナス・ウィリアムズ/セリーナ・ウィリアムズ組。

全豪オープン最多準優勝「5回」

2010–2016 最多記録。

グランドスラム準決勝連続進出記録「5」

2011年全豪–12全豪 歴代5位タイ記録

グランドスラム ベスト8連続進出記録「9」

2011年全豪-2013年全豪。歴代7位記録。

また、2013年全仏を挟んで2013ウィンブルドンからも記録を更新しておりこちらは現在歴代8位タイ記録。

年間で4大大会全ての準決勝に進出

2011年に記録。史上6人目

上海マスターズ決勝進出「4回」


ノバク・ジョコビッチとタイ記録。

上海マスターズ「2連覇」


ノバク・ジョコビッチとタイ記録。

上海マスターズ決勝進出「3連続」

6–0, 6–0, 6–0で勝利


デビスカップ2011ルクセンブルク戦、対ローラン・ブラン戦。ステファン・エドベリら9人も記録。

タイブレーク史上最高スコアタイ 20-18

2017年ドバイ・テニス選手権準々決勝、対フィリップ・コールシュライバー戦第2セット。1991年以来6度目。

デビスカップ出場全試合勝利(シングルス8勝、ダブルス3勝)


デビスカップ2015で記録。シングルス8勝は1982年のジョン・マッケンロー、1983年のマッツ・ビランデルに次いで3人目[46]。計11勝は1982年のマッケンローの12勝に次いで2番目。



4大大会優勝




  • ウィンブルドン選手権:2勝(2013年, 2016年)


  • 全米オープン:1勝(2012年)



























大会 対戦相手 試合結果
2012年 全米オープン
セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ
7–6(12-10), 7–5, 2–6, 3–6, 6–2
2013年 ウィンブルドン
セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ
6–4, 7–5, 6–4
2016年 ウィンブルドン
カナダの旗 ミロシュ・ラオニッチ
6-4, 7-6(7-3), 7-6(7-2)


成績




4大大会シングルス


略語の説明




















W
 F 
SF
QF
#R
RR
Q#
LQ
A
WG
Z#
PO
SF-B
S
G
NMS
NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.





















































































































大会 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 通算成績

全豪オープン
A

1R

4R

1R

4R

F

F

SF

F

QF

F

F

4R
A

1R
48–13

全仏オープン
A

1R
A

3R

QF

4R

SF

QF
A

SF

SF

F

SF
A

39–10

ウィンブルドン

3R

4R
A

QF

SF

SF

SF

F

W

QF

SF

W

QF
A

57–10

全米オープン

2R

4R

3R

F

4R

3R

SF

W

QF

QF

4R

QF
A

2R
A
45-12
Win–Loss
3–2
6–4
5–2
12–4
15–4
16–4
21–4
22–3
17–2
17–4
19–4
23–3
12–3
1-1
0-1
189–45


大会最高成績









































































大会
成績


ツアーファイナル

W
2016

インディアンウェルズ
F
2009

マイアミ

W
2009, 2013

モンテカルロ
SF
2009, 2011, 2016

マドリード

W
2008, 2015

ローマ

W
2016

カナダ

W
2009, 2010, 2015

シンシナティ

W
2008, 2011

上海

W
2010, 2011, 2016

パリ

W
2016

ハンブルク
3R
2008

オリンピック

G

2012, 2016

デビスカップ

W

2015


脚注





  1. ^ 「Murray」『Wiktionary英語版』 2011年8月10日 03:01 (UTC)、および「Rhymes:English:-ʌri」『Wiktionary英語版』 2011年8月14日 19:56 (UTC)等参照。


  2. ^ Murray describes fight to cope with trauma of Dunblane school killings


  3. ^ “Tennis – ATP World Tour – Draws”. ATP World Tour. 2012年7月5日閲覧。


  4. ^ “Andy MURRAY”. ITFTennis.com. 2014年7月12日閲覧。


  5. ^ Newbery, Piers (2008年9月7日). “Murray stuns Nadal to reach final”. BBC Sport. https://news.bbc.co.uk/sport1/hi/tennis/7602257.stm 2010年4月27日閲覧。 


  6. ^ Newbery, Piers (2008年9月9日). “Superb Federer ends Murray dream”. BBC Sport. https://news.bbc.co.uk/sport1/hi/tennis/7603307.stm 2010年4月27日閲覧。 


  7. ^ Bierley, Steve (2008年10月20日). “Murray masters Madrid on his path to grander ambitions”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/2008/oct/20/tennis-andymurray 2010年4月27日閲覧。 


  8. ^ “Andy Murray becomes first Scottish-born slam winner since Harold Mahony”. STV. (2012年9月11日). https://sport.stv.tv/tennis/189639-andy-murray-becomes-first-scottish-born-slam-winner-since-harold-mahony 2012年9月11日閲覧。 


  9. ^ Murrells, Katy (2012年9月11日). “Andy Murray's US Open win, press review: 'The Big Three is the Big Four'”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/2012/sep/11/andy-murray-us-open-press-review 2012年9月11日閲覧。 


  10. ^ Murrells, Katy (2013年7月7日). “Andy Murray beats Novak Djokovic to win Wimbledon – as it happened”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/2013/jul/07/andy-murray-novak-djokovic-live 2013年7月8日閲覧。 


  11. ^ “Back surgery set to end Murray's season”. ESPN. (2013年9月19日). https://www.espn.co.uk/tennis/sport/story/239631.html 2013年9月20日閲覧。 


  12. ^ “Andy Murray and coach Ivan Lendl agree mutual split”. BBC Sport. (2014年3月19日). https://www.bbc.co.uk/sport/0/tennis/26646809 


  13. ^ Fuller, Russell. “Andy Murray appoints Amelie Mauresmo as coach”. BBC Sport. 2014年6月8日閲覧。


  14. ^ [1]


  15. ^ http://news.tennis365.net/news/today/201503/103867.html


  16. ^ マリー 46人目の通算500勝


  17. ^ http://news.tennis365.net/news/today/201505/104408.html


  18. ^ “2016 ATP calendar”. http://tennis365.net/. http://tennis365.net/.+2016年1月31日閲覧。


  19. ^ “マリーとシアーズさんに第1子女児誕生”. 時事通信. 2016年2月16日閲覧。


  20. ^ “「マレーがコーチのモレスモーとの関係を終了」|「ATPニュース」のニュース|テニスの速報・ニュースならテニスデイリー” (日本語). www.thetennisdaily.jp. 2019年1月12日閲覧。


  21. ^ “マレー、元世界1位レンドルを再びコーチに<男子テニス>(tennis365.net) - goo ニュース” (日本語). gooニュース. 2019年1月12日閲覧。


  22. ^ “First-time favorite Andy Murray comes through in Wimbledon final”. ESPN. 2016年7月10日閲覧。


  23. ^ “マレーがオリンピックテニスで2大会連続の金メダル” (日本語). Olympic Channel. 2019年1月12日閲覧。


  24. ^ “Murray Becomes 26th Player In History To Hold No. 1 In Emirates ATP Rankings”. atpworldtour.com. (2016年11月5日). https://www.atpworldtour.com/en/news/andy-murray-no-1-emirates-atp-rankings 2016年11月6日閲覧。 


  25. ^ “Historic ATP Season Finale Hits New Heights In Dramatic Finish To 2016 Season | ATP Tour | Tennis”. ATP Tour. 2019年1月12日閲覧。


  26. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 61803. p. N2. 2016年12月31日2016年12月31日閲覧。



  27. ^ “ジョコビッチがマレーの連勝を28でストップ、エクソンモービルOP連覇”. AFPBB News. 20170108閲覧。


  28. ^ “マレーが7つのマッチポイントをしのいで4強 [ドバイ/男子テニス]”. Yahoo!ニュース. 20170304閲覧。


  29. ^ “マレー 今季残り全大会欠場”. tennis365.net. 2018年1月9日閲覧。


  30. ^ “マレー 右臀部の手術に成功”. tennis365.net. 2018年1月9日閲覧。


  31. ^ “「マレー「ウィンブルドン」欠場を発表。「がっかりさせて申し訳ない」」|「ウィンブルドン」のニュース|テニスの速報・ニュースならテニスデイリー” (日本語). www.thetennisdaily.jp. 2019年1月13日閲覧。


  32. ^ “「1年前世界ランキング1位だったマレーが839位まで転落」|「ATPニュース」のニュース|テニスの速報・ニュースならテニスデイリー” (日本語). www.thetennisdaily.jp. 2019年1月13日閲覧。


  33. ^ “マレーがシティOP準々決勝を棄権、前戦が午前3時終了で疲労ピークに” (日本語). www.afpbb.com. 2019年1月13日閲覧。


  34. ^ “マレー、酷暑休憩中のコーチングに激怒 全米主催者を猛批判” (日本語). www.afpbb.com. 2019年1月13日閲覧。


  35. ^ “マレーが無念のシーズン打ち切り、足首負傷で予定より早く” (日本語). www.afpbb.com. 2019年1月13日閲覧。


  36. ^ “マレー、元世界1位レンドルを再びコーチに<男子テニス>(tennis365.net) - goo ニュース” (日本語). gooニュース. 2019年1月12日閲覧。


  37. ^ “アンディ・マレー、今季限りでの現役引退を発表 元世界ランキング1位”. AFPBB News. (2019年1月11日10時20分). http://www.afpbb.com/articles/-/3205961?cx_part=topstory 2019年1月11日閲覧。 


  38. ^ “「引退表明のマレー 最後の全豪初戦で散る。4時間超え5セットの末に[全豪オープン」|「全豪オープン」のニュース|テニスの速報・ニュースならテニスデイリー]” (日本語). www.thetennisdaily.jp. 2019年1月14日閲覧。


  39. ^ “Murray's a winner - but not yet a hero”. guardian.co.uk (2009年7月4日). 2009年7月4日閲覧。


  40. ^ “Patience a virtue for Andy Murray?”. Sports.espn.go.com (2009年8月30日). 2013年7月10日閲覧。


  41. ^ W. Smith, David. “Player tactics: The Andy Murray Backhand”. 2013年7月13日閲覧。


  42. ^
    Wimbledon 2013. BBC Sport. (2013年6月26日). 



  43. ^ http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/tennis/skills/4609176.stm


  44. ^ White, Clive (2008年10月17日). “Andy Murray to take on Roger Federer in Madrid Masters semi-final”. The Telegraph (London: Telegraph Media Group). http://www.telegraph.co.uk/sport/tennis/andymurray/3218318/Andy-Murray-to-take-on-Roger-Federer-in-Madrid-Masters-semi-final-Tennis.html 2010年4月25日閲覧。 


  45. ^ 2013年ウィンブルドン選手権で優勝したアンディ・マリー氏は、一度に50個の寿司を食べる えん食べ 2013年7月8日


  46. ^ W. Smith, David. “Player tactics: The Andy Murray Backhand”. 2015年11月29日閲覧。




外部リンク






  • アンディ・マリー - ATPツアーのプロフィール (英語) ウィキデータを編集




  • アンディ・マリー - デビスカップのプロフィール (英語) ウィキデータを編集


  • アンディ・マリー - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)


  • アンディ・マリー (@andy_murray) - Twitter


  • 公式サイト (英語)


  • ウィキメディア・コモンズには、アンディ・マリーに関するカテゴリがあります。



































タイトル
先代:
セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ

男子シングルス世界ランク1位
2016年11月7日-2017年8月20日
次代:
スペインの旗 ラファエル・ナダル
先代:
アメリカ合衆国の旗 サム・クエリー
カナダの旗 ミロシュ・ラオニッチ

全米オープンシリーズ優勝
2010年
2015年
次代:
アメリカ合衆国の旗 マーディ・フィッシュ
日本の旗 錦織圭
受賞
先代:
イングランドの旗 ケイト・ヘイウッド

BBCヤングスポーツ・パーソナリティ賞
2004年
次代:
イングランドの旗 ハリー・アイキネス=アリエティ
先代:
北アイルランドの旗 ローリー・マキロイ

ローレウス世界スポーツ賞#年間最優秀成長選手
2013年
次代:
スペインの旗 マルク・マルケス
先代:
イングランドの旗 ブラッドリー・ウィギンス
イングランドの旗 ルイス・ハミルトン

BBCスポーツ・パーソナリティ賞
2013年
2015年・2016年
次代:
イングランドの旗 ルイス・ハミルトン

先代:
スイスの旗 ロジャー・フェデラー

アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞
2014年
次代:
アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン

















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