出羽海部屋
出羽海部屋(でわのうみべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。現存する部屋では最多の9人の横綱を育てたほか、3人が協会理事長を務めるなど相撲界随一の名門とされている。13の相撲部屋からなる出羽海一門の本家。
目次
1 歴史
2 エピソード
3 所在地
4 師匠
5 力士
5.1 現役の関取経験力士
5.2 横綱・大関
5.2.1 横綱
5.2.2 大関
5.3 幕内
5.3.1 関脇
5.3.2 小結
5.3.3 前頭
5.4 十両
6 所属年寄
7 行司
8 脚注
9 参考文献
10 外部リンク
歴史
初代出羽ノ海は寛政の前頭筆頭・出羽海運右エ門である。出羽ノ海部屋を設立し、大関・市野上浅右エ門らを育てた。1808年(文化5年)に鹿間津滝右エ門が2代出羽ノ海を襲名したが部屋は閉鎖された。1862年(文久2年)に桂川立吉が3代出羽ノ海を襲名し、現在の出羽海部屋は3代を部屋の創設者と位置付けている。続く4代出羽ノ海(元幕内・常陸山虎吉)は横綱・常陸山らを育て上げ、5代出羽ノ海(元横綱・常陸山)の時代を迎えると出羽ノ海部屋は栄華を極めた。
5代は大錦・栃木山・常ノ花の3横綱に對馬洋・九州山・大ノ里・常陸岩の4大関などといった数多くの関取を育て上げた。1917年(大正6年)1月場所から1921年(大正10年)5月場所にかけては部屋所属の力士が10場所連続して優勝を果たし(栃木山5回・大錦4回・常ノ花1回)、この記録は現在でも破られていない[1]。
1922年に5代が逝去、弟子の両國が襲名した。この際年寄名跡の表記から「ノ」を取り除き、年寄・6代出羽海となる。これは先代に畏敬を込めてのことらしい。6代の時代も部屋の隆盛は続き、1931年(昭和6年)1月場所および3月場所では番付の西方の20人全てを出羽海部屋の幕内力士で占めるほどだった。
その後、7代出羽海(元横綱・常ノ花)、8代出羽海(元幕内・出羽ノ花)と部屋が継承される間にも数多くの横綱・大関を輩出した。1900年(明治33年)1月場所において常陸山が関脇に昇進してから、1959年(昭和34年)1月場所において横綱・千代の山が引退するまでの60年間・138場所にわたって三役力士在位の記録をつくる。戦時下では部屋が空襲で焼け落ちたが、ほかの部屋のように疎開は行わず、焼け残った一門の春日野部屋を間借りして活動をつづけた。
1968年3月場所中に横綱・佐田の山が現役引退を表明すると8代は部屋を譲り、佐田の山が9代出羽海を襲名。先代からの弟子である横綱・三重ノ海のほか、関脇・出羽の花や小結・大錦など数多くの関取を育て上げた。
1996年(平成8年)2月に9代は日本相撲協会の役職に専念することを理由として部屋の師匠の座を辞し、部屋付き親方の11代境川(元関脇・鷲羽山)と名跡交換を行い、11代境川は10代出羽海を襲名して部屋を継承し、9代出羽海は12代境川を襲名して部屋付き親方となった。1999年7月場所には部屋所属力士の幕内連続在位が101年で止まる。その後鳥羽の山や普天王といった幕内力士を輩出したが、2010年5月場所に十両・普天王が負け越して幕下へ陥落したため、それにより1898年(明治31年)5月場所において常陸山が十両へ昇進して以来、112年ぶりに関取が部屋から途絶えた。
2014年4月に10代が定年退職を迎えることに伴い、部屋付き親方の14代高崎(元幕内・小城乃花)が同年2月1日付で年寄名跡を交換して11代出羽海を襲名して部屋を継承[2]、10代は15代高崎を襲名して部屋付き親方となった。同年11月場所において出羽疾風が新十両へ昇進し、11代が部屋を継承してからは初となる関取が誕生している。
長年にわたり部屋には「分家独立を許さず」という不文律があり、1919年に当時まだ現役力士であった横綱・栃木山が5代からの許可を受けて春日野部屋を創設したのを例外として、それ以外は一門内での独立を一切認めていなかったが、1981年に14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が武蔵川部屋(現在は藤島部屋に改称)を創設して以降、中立部屋(現在は境川部屋に改称)と田子ノ浦部屋(旧・田子ノ浦部屋)が独立している。また、歴代の出羽海は日本相撲協会の要職を担い、5代・6代は筆頭取締を、7代・8代・9代は理事長を務めている。また、10代・11代も理事を務めた。
長い歴史のある部屋ではあるが道場訓は存在しない[3]。
1966年8月の土俵開きと、現存する相撲部屋の中では最も築年数が古い。関取衆の部屋が3階、若い衆の部屋が4階にあり、9m四方の稽古場を初めとして総じて造りが大きい。他の部屋では上がり座敷でちゃんこを食べるが、出羽海部屋ではちゃんこ場の横に食べるスペースがある[3]。
エピソード
- 最盛期の1930年代には、所属力士は200人近くいた。連日新弟子が入門し、一方で脱走して廃業する弟子も少なくなかったため、正確な人数は誰も把握できていなかったという[4]。力士があまりにも多かったため一人当たりの稽古時間を十分に確保できず、番付下位の力士の時間がどんどん繰り上がっていった。最盛期には序ノ口・番付外の力士による「一番相撲」は午前2時過ぎで、ほかの部屋よりも3時間早かった[5]。一方で朝稽古の後の髪結いは床山の順番待ちで、全員結い終わるのは夕方近くになった[6]。
すき焼き店・牛銀本店(三重県松阪市)の2代目店主が部屋所属の力士であった縁で、「神宮奉納大相撲」で三重県入りする際には部屋の力士が牛銀本店を訪問する[7]。
所在地
東京都墨田区両国2-3-15
JR総武線両国駅徒歩7分
師匠
- 出羽ノ海
- 初代:出羽海運右エ門(元前頭・山形)
- 2代:鹿間津滝右エ門(元幕下・山形)
- 3代:桂川立吉(元幕下・茨城)
- 4代:常陸山虎吉(元前頭・茨城)
- 5代:常陸山谷右エ門(元横綱・茨城)
- 出羽海
- 6代:両國梶之助(元小結・長崎)
- 7代:出羽海秀光(でわのうみ ひでみつ、横綱・常ノ花寛市、岡山、第2代・相撲協会理事長)
- 8代:出羽海喜偉(でわのうみ よしひで、前1・出羽ノ花國市、石川、第4代・相撲協会理事長)
- 9代:出羽海智敬(でわのうみ ともたか、横綱・佐田の山晋松、第7代・相撲協会理事長)
- 10代:出羽海義和(でわのうみ よしかず、関脇・鷲羽山佳和、岡山)
- 11代:出羽海昭和(でわのうみ あきかず、前2・小城ノ花昭和、千葉)
力士
現役の関取経験力士
御嶽海久司(関脇・長野)11代弟子
出羽疾風龍二(十9・愛知)10代、11代弟子
横綱・大関
横綱
安藝ノ海節男(37代横綱・広島)6代弟子
大錦卯一郎(26代横綱・大阪)4代、5代、6代弟子
佐田の山晋松(50代横綱・長崎)7代、8代弟子
千代の山雅信(41代横綱・北海道)6代、7代弟子
常ノ花寛市(31代横綱・岡山)4代、5代、6代弟子
栃木山守也(27代横綱・栃木)4代、5代、6代弟子
常陸山谷右エ門(19代横綱・茨城)4代弟子
三重ノ海剛司(57代横綱・三重)8代、9代弟子
武藏山武(33代横綱・神奈川)6代弟子
大関
市野上浅右エ門(山形)初代弟子
五ツ嶌名良男(長崎)6代弟子
大ノ里萬助(青森)4代、5代、6代弟子
汐ノ海運右エ門(兵庫)6代、7代弟子
對馬洋弥吉(長崎)4代、5代弟子
常陸岩英太郎(東京)5代、6代弟子
増位山大志郎(兵庫)6代、7代弟子
北の富士勝昭(北海道)7代、8代弟子(九重部屋に移籍後、52代横綱に昇進)
幕内
関脇
相生枩五郎(和歌山)4代弟子(大阪相撲・朝日山部屋より)
綾川五郎次(青森)6代弟子(入門時は入間川部屋)
綾昇竹蔵(宮城)6代弟子(千賀ノ浦部屋より)
大門岩嘉右エ門(福岡)6代弟子(山分部屋より)
小城ノ花正昭(佐賀)7代、8代弟子
海乃山勇(茨城)8代、9代弟子(小野川部屋より)
笠置山勝一(奈良)6代弟子
小常陸由太郎(東京)4代、5代弟子
新海幸藏(秋田)6代弟子(入門時は入間川部屋)
大邱山高祥(岡山)6代弟子
出羽ヶ嶽文治郎(山形)5代、6代弟子
出羽錦忠雄(東京)6代、7代、8代弟子
出羽の花義貴(青森)9代弟子
出羽湊利吉(秋田)6代、7代弟子
天竜三郎(静岡)5代、6代弟子
豊嶌雅男(大阪)6代弟子
羽嶋山昌乃武(岐阜)6代、7代弟子
肥州山栄(長崎)6代弟子
福の花孝一(熊本)7代、8代、9代弟子
福栁伊三郎(福岡)4代、5代、6代弟子
両國梶之助(秋田)6代弟子(入門時は入間川部屋)
両國梶之助(長崎)6代弟子
鷲羽山佳和(岡山)8代、9代弟子
小結
五ツ海義男(長崎)6代、7代弟子
大起男右エ門(福岡)6代、7代弟子
大錦一徹(新潟)9代弟子
大ノ川甚太郎(石川)5代弟子(君ヶ浜部屋より)
大晃定行(北海道)6代、7代、8代弟子
近江冨士初太郎(滋賀)4代、5代弟子(大阪相撲・枝川部屋より)
小城錦康年(千葉)9代、10代弟子
金乃花武夫(神奈川)7代、8代弟子
九州山義雄(福岡)6代弟子
櫻錦利一(青森)6代、7代弟子
佐田の海鴻嗣(大阪)9代弟子
四海波太郎(兵庫)4代、5代弟子(大阪相撲・小野川部屋より)
光風貞太郎(秋田)5代、6代弟子(待乳山部屋より)
普天王水(熊本)10代弟子
舞の海秀平(青森)9代、10代弟子
両国梶之助(長崎)4代弟子(大阪相撲・不知火部屋より)
両国梶之助(長崎)9代弟子
和歌嶌三郎(和歌山)6代弟子(入門時は入間川部屋)
前頭
朝緑冨五郎(前13・山形)4代、5代弟子
綾若真生(前5・青森)6代弟子
碇潟夘三郎(前1・大阪)4代弟子
一湊政五郎(前4・秋田)4代、5代弟子
一渡明(前18・千葉)6代弟子
五ッ洋義一(前9・長崎)6代、7代弟子
稲ノ森勉(前14・熊本)5代、6代弟子
伊吹山末吉(前11・滋賀)5代、6代弟子
宇都宮新八郎(前2・栃木)4代、5代弟子
大島佐太郎(前11・大阪)6代弟子(大阪相撲・小野川部屋より)
大湊徳松(前3・和歌山)4代弟子(大阪相撲・小野川部屋より)
小城ノ花昭和(前2・千葉)9代、10代弟子
男嶌舟藏(前12・秋田)4代、5代、6代弟子(秀ノ山部屋より)
鬼風一男(幕内格・兵庫)6代弟子(大阪相撲・湊部屋より)
御西山政夫(前6・茨城)4代、5代、6代弟子
北の花勝利(前6・北海道)7代、8代、9代弟子
金開山龍(前6・長崎)9代、10代弟子
久島海啓太(前1・和歌山)9代、10代弟子
駒錦信樹(前13・大阪)6代弟子(大阪相撲・千田川部屋より)
佐賀ノ海初太郎(前6・福岡)4代、5代弟子(大阪相撲・湊部屋より)
四海波好一郎(前10・北海道)6代弟子
信夫山秀之助(前2・福島)5代、6代弟子
釋迦ヶ嶽庄太郎(前3・山形)4代、5代弟子(山科部屋より)
駿河海光夫(前14・静岡)6代弟子
外ヶ濱弥太郎(前1・青森)6代弟子(入門時は入間川部屋)
高ノ花武也(前8・新潟)5代、6代弟子
高ノ山三郎(前6・和歌山)4代、5代、6代弟子
武ノ里武三(前14・青森)6代弟子
伊達ノ花静(前15・宮城)6代弟子
達ノ矢源之助(前2・山形)5代弟子(芝田山部屋より)
玉碇佐太郎(前1・和歌山)5代、6代弟子
銚子灘傳右エ門(前14・千葉)6代弟子(新興力士団より)
常錦利豪(前1・福島)7代、8代弟子
常ノ山勝正(前2・岡山)6代、7代弟子
常の山勝正(前12・鹿児島)9代弟子
出羽嵐大輔(前14・長崎)9代、10代弟子
出羽ノ花國市(前1・石川)6代弟子
出羽ノ花好秀(前13・青森)6代、7代弟子
出羽湊秀一(前1・青森)6代、7代弟子
常盤野藤兵衛(前8・長崎)6代弟子
十三錦市松(前7・三重)6代弟子
友ノ浦喬次(前7・岡山)4代、5代、6代弟子
豊錦喜一郎(前20・福岡)6代弟子
鳥羽の山喜充(前13・東京)9代、10代、11代弟子
那智ノ山公晴(前19・和歌山)6代、7代弟子
日本海忠藏(前16・秋田)5代弟子(立田川部屋より)
常陸嶌朝次郎(前5・大阪)5代、6代弟子
常陸嶽理市(前2・広島)5代、6代弟子
秀湊忠司(前17・徳島)6代、7代弟子
平ノ戸千代蔵(前17・長崎)6代、7代弟子
福田山幸雄(前4・長崎)7代、8代弟子
藤ノ里栄藏(前5・青森)5代、6代弟子
防長山源治(前11・山口)6代弟子
松ノ里直市(前3・青森)6代弟子
宮城海清人(前15・宮城)6代、7代弟子
陸奥ノ里敏男(前6・青森)6代弟子
八方山主計(前1・熊本)6代、7代弟子
野州山孝市(前10・栃木)4代弟子(尾上部屋より)
倭岩英太郎(前13・福岡)6代弟子
大和錦幸男(前8・奈良)6代弟子
槍ヶ嶽峯五郎(前9・長野)5代、6代弟子(熊ヶ谷部屋より)
吉井山朋一郎(前11・福岡)6代、7代弟子
吉野岩留吉(前5・徳島)6代弟子
吉の谷彰俊(前4・長崎)8代、9代弟子
義ノ花成典(前1・東京)7代、8代、9代弟子
龍王山光(前2・福岡)6代弟子
龍興山一人(前5・大阪)9代弟子
若常陸恒吉(前1・島根)4代、5代、6代弟子
十両
明石海秀昭(十11・兵庫)7代、8代弟子
昭光徳昭(十3・熊本)7代、8代弟子
伊勢錦清(十9・三重)6代弟子
五ツ潟吉衛(十19・長崎)7代弟子
羽後響助枩(十1・秋田)5代、6代弟子
雲仙嶽光徳(十3・長崎)6代弟子
恵比寿洋直三郎(十9・富山)4代、5代弟子
九州海清(十8・福岡)6代、7代弟子
山陽山淺一(十3・岡山)6代弟子
常陽山正治(十1・新潟)6代弟子
白浪福二郎(十12・東京)6代弟子
神竜定夫(十15・兵庫)6代弟子
瀬戸錦年光(十9・広島)6代、7代弟子
相武山信男(十2・神奈川)6代弟子
代官山康弘(十11・愛知)6代、7代、8代弟子
伊達錦一成(十16・東京)7代、8代弟子
智異ノ山正一郎(十3・韓国)6代弟子
常の松寛(十13・福岡)6代、7代、8代弟子
常の山日出男(十12・岡山)8代、9代弟子
津峯山政雄(十4・徳島)6代弟子
出羽鳳太一(十10・大阪)10代、11代弟子
出羽平真一(十4・東京)10代弟子
出羽の邦真光(十3・埼玉)9代弟子
出羽の郷秀之(十14・埼玉)9代、10代、11代弟子
出羽の洲聖(十7、東京)9代弟子
出羽乃富士智章(十9・長崎)9代、10代弟子
栃木野竹三郎(十7・栃木)6代、7代弟子
幡龍洋賢三(十17・青森)7代、8代弟子
秀ノ花宗市(十6・石川)7代弟子
福井山常志(十5・福井)6代、7代弟子
福龍岳茂生(十12・福岡)9代弟子
三笠山護(十13・北海道)7代弟子
陸奥ノ洋光司(十14・青森)6代弟子
山錦喜章(十10・静岡)9代弟子
雷門辰男(十3・東京)6代弟子
龍門孝幸(十1・埼玉)9代弟子
和歌ノ海忠次郎(十6・和歌山)6代弟子
所属年寄
- 中立康照(なかだち やすてる、小結・小城錦、千葉)
- 高崎龍水(たかさき りゅうすい、前6・金開山、長崎)
- 出来山双一(できやま そういち、関脇・出羽の花、青森)
行司
28代木村庄之助(山形)
30代木村庄之助(佐賀)
32代木村庄之助(北海道)
脚注
^ 後に九重部屋が1985年9月場所から1987年3月場所まで10場所連続しての優勝を記録して、出羽ノ海部屋の連続優勝記録に並んでいる。
^ 浅香山部屋独立、出羽海部屋の師匠交代承認 日刊スポーツ 2014年1月30日
- ^ abベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p70-71
^ 小林, p. 34.
^ 小林, p. 22.
^ 小林, p. 45.
^ 「松阪の牛肉料理 寝かせた材料、軽い炭火で」日本経済新聞1990年7月31日付夕刊、大阪版、Next関西29ページ
参考文献
- 小林照幸 『床山と横綱 支度部屋での大相撲五十年』 新潮社、1996年9月20日。
外部リンク
- 出羽海部屋
- 出羽海部屋公式ブログ
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座標: 北緯35度41分32.5秒 東経139度47分33.5秒 / 北緯35.692361度 東経139.792639度 / 35.692361; 139.792639