後藤洋央紀
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後藤 洋央紀 Hirooki Goto | |
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2016年 | |
プロフィール | |
リングネーム | 後藤 洋央紀 |
本名 | 後藤 洋央紀 |
ニックネーム | 混沌の荒武者 荒武者 春男 野武士 復刻ストロングスタイル |
身長 | 182cm[1] |
体重 | 103kg |
誕生日 | (1979-06-25) 1979年6月25日(39歳) |
出身地 | 三重県桑名市[2] |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー | 山本小鉄 木戸修 |
デビュー | 2003年7月6日 |
後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、1979年6月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。新日本プロレス所属。三重県桑名市出身[2]。
目次
1 来歴
1.1 2003年
1.2 2004年
1.3 2005年
1.4 2006年
1.5 2007年
1.6 2008年
1.7 2009年
1.8 2010年
1.9 2011年
1.10 2012年
1.11 2013年
1.12 2014年
1.13 2015年
1.14 2016年
1.15 2017年
1.16 2018年
2 人物
3 得意技
3.1 フィニッシュ・ホールド
3.2 ゴトウ・スペシャル・シリーズ
3.3 打撃技
3.4 投げ技
3.5 締め技・関節技
3.6 丸め込み技
3.7 合体技
4 タイトル履歴
5 入場テーマ曲
6 出演
6.1 テレビドラマ
6.2 映画
7 脚注
8 外部リンク
来歴
三重県桑名市立光風中学校時代は、ソフトテニス部に所属していた。
三重県立桑名工業高等学校出身。柴田勝頼とは同級生であり、柴田と共にレスリング部を立ち上げた。
国士舘大学へ進学後、レスリングで上位入賞を果たす。大学時代の後輩に伊藤旭彦、先輩にプロレス同期入門の山本尚史(現:ヨシタツ)がいた。大学卒業後、2002年に新日本プロレスに入団するが肩を脱臼し、一旦新日本を退団。後藤も柴田の家に居候して病院に通い、リハビリにつとめた後に新日本が経営する闘魂ショップ名古屋店併設の道場でトレーニングを重ねた後の2002年11月、新日本に再入団を果たした。
2003年
2003年7月6日の岐阜産業会館における田口隆祐戦でデビューした。
同年にはデビュー戦で対戦した田口と組み、邪道、外道とIWGPジュニアタッグ王座決定戦を争うなどタッグで活躍。
2004年
2004年のヤングライオン杯ではデビュー戦の相手である田口に敗れ、涙を飲んだ。
2005年
2005年ヤングライオン杯で、前年の雪辱を果たし優勝する。4月にC.T.Uに加入すると、後藤も天然ボケキャラを見出され、先輩の獣神サンダー・ライガー、邪道、外道らを差し置いてリーダーとして(形の上だけ)活動。5月には田中稔と組んで金本浩二&井上亘組からIWGPジュニアタッグ王座を獲得。エル・サムライ & 田口組に敗れるまで3度の防衛を果たした。12月の「夢☆勝ちます」では、棚橋弘至の持つIWGP U-30無差別級王座に挑戦するも敗れた。
2006年
2006年の4月と5月に、それぞれTNAへ遠征、8月にはメキシコへ無期限海外遠征に出発する。
2007年
2007年に髪を伸ばし、今の容姿に変貌。同年3月4日にはウルティモ・ドラゴン、TAJIRIらが参戦した闘龍門MEXICO自主興行で行われた8人参加トーナメント「〜YAMAHAカップ NWAインターナショナルJrチャンピオンシップトーナメント〜」でショッカーを破り、22年ぶりに復活したNWAインターナショナルジュニア王座に載冠した[3]。それまで91kgだった体重を同年の6月に103kgまで増量。8月26日「LAST OF C.T.U」興行で凱旋帰国予定だったが、棚橋の欠場を受け日程が前倒しとなり、8月25日の大会で凱旋試合を行った。
10月8日、かつて付き人を務めた天山広吉と対戦、大流血の末に後藤も必殺の昇天で勝利を収める。この試合で、後藤が繰り出した変形バックブリーカー(後に牛殺しと命名)で天山は頸椎を負傷し、長期欠場に追い込んだ。11月11日、DESTRUCTION'07にて、棚橋が保持するIWGPヘビー級王座に初挑戦するが敗北した。
2008年
1月4日、レッスルキングダムIIにて、7年8か月ぶりに新日本へ降臨したグレート・ムタと初遭遇を果たすが、ムタのムーンサルトプレスであえなく敗戦。3月に行われたNEW JAPAN CUP(以降NJC)では、1回戦から棚橋と対戦するが敗北を喫した。
8月、G1 CLIMAX(以降G1)に初出場。開幕前に「初出場・初優勝を狙います」と発言し注目を集めた。初戦の川田利明戦は敗北するも、その後は白星を重ね見事決勝進出を果たし、17日の決勝戦では真壁刀義と対戦。後藤も真壁らG・B・Hメンバーの介入やイス攻撃などにより流血を負いながらも、最後は昇天・改で勝利した。なお、後藤は史上最短キャリアでのG1優勝という新記録を打ち立てた。8月31日、IWGPベルトの奪還を目標に敵地のリングにおもむき、全日本プロレスでは史上2度目[4]となるIWGPヘビー級王座戦が行われ、王者・武藤敬司に挑戦した。しかし、武藤のムーンサルトプレスで敗退し、奪還に失敗した。
その後、真壁 & 矢野通が所持するIWGPタッグ王座に的を絞り、9月5日に中邑とタッグを組み挑戦。ところが試合終盤、同じRISEメンバーだったはずのジャイアント・バーナードとリック・フーラーが乱入しG・B・Hと結託。最後は真壁のキングコングニー・ドロップを受け惨敗した。試合後、後藤はG・B・H勢とバーナード、フーラーに袋叩きされるも、救出に駆けつけた棚橋と握手を交わし本隊と共に打倒G・B・Hをアピールする。10月13日、DESTRUCTION'08にてバーナードと一騎討ちを行うが、敗北を喫した。
2009年
1月4日、レッスルキングダムIIIにて、中邑と共にプロレスリング・ノア(NOAH)対抗戦に出陣。三沢光晴 & 杉浦貴組と対戦した。最後は中邑が杉浦を飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めで捕獲し、タップを奪った。
3月に行われたNJCではカール・アンダーソン、中邑、永田裕志に勝利し、決勝戦でバーナードを変型腕固め(昇龍結界)でギブアップ勝ちを収め、昨年のG1優勝に続き春夏連覇を果たした。
5月3日、レスリングどんたくと冠が付けられ、3年ぶりに開催した福岡国際センターで、NJC覇者として棚橋とIWGPヘビー級王座を賭けて対戦したが、ピンフォール負けを喫する。5日には岡田かずちかと組み、NOAHの杉浦 & 青木篤志組との対抗戦を行う。最後は岡田が杉浦のオリンピック予選スラムで轟沈。その後、6月20日の「DOMINION6.20」で杉浦とのシングルマッチが組まれたが敗北。8月のG1公式戦で再び対決するも、惨敗した。またこの敗戦で予選リーグ落ちとなり、G1二連覇の夢が潰えた。
その後、ZERO1の田中将斗と抗争を展開。11月8日、DESTRUCTION'09にて、田中とのシングルマッチを行うも、スライディングDでピンフォール負けを喫する。12月5日愛知大会で、再び田中とシングルで対戦。勝利を収め、対戦成績を五分に戻した。
2010年
1月4日、レッスルキングダムIVで杉浦とGHCヘビー級王座を賭けて対戦するも、足首固めで敗退。3連敗を喫した。2月にはハードコアルールで再び田中と対戦。エルボーパッドに鉄パイプを仕込んだスライディングDを喰らい、敗北。3月のNJCでは前年度優勝者だったことからシード権を獲得し出場。初戦は高橋裕二郎、準決勝で田中を撃破し、決勝戦で真壁と対戦、これに勝利しNJC2連覇を達成した。
4月4日、中邑の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも敗北した。その試合終了後にバックステージでコメントを発表しているところに田中が現れ、再戦を要求された。5月3日、レスリングどんたく田中と4度目の対戦を敢行するもラリアットの相打ちで両者K.O.という結末で終わる。6月19日、DOMINION6.19にて再度田中とのシングルマッチが行われ、ピンフォール勝ちを収めて抗争に終止符を打つこととなった。
10月11日、DESTRUCTION'10で中邑に勝利し、IWGP王座挑戦へ名乗りを上げるが、IWGP王者の小島聡は中邑を逆指名した。菅林直樹社長は後藤を次期挑戦者に推するも、小島は拒否し続け、結局会社側が小島への指名を呑み込み、中邑が次期挑戦者に決定した。一方で、後藤は同じく同王座へ挑戦を表明した棚橋との次期挑戦者決定戦に臨んだが、棚橋のハイフライフローで敗退した。
2011年
2月20日、The New Beginningで、「(後藤がIWGPヘビー級ベルトを戴冠していない事実に対して)あんたは新日の四天王にふさわしくない!」と発言し、真っ向から後藤を全否定した内藤哲也と対戦。内藤から昇天・改でピンフォールを奪い実力を示した。その後、3連覇達成を目指しNJCに出場するも、中邑に敗れ初戦で敗退。後藤の3連覇実現は失敗に終わった。3月20日に棚橋とのタッグで組まれた試合(対戦相手は小島、MVP組)でラリアットが棚橋に誤爆。口論になった末、棚橋に対してヘッドバットを見舞い、試合を放棄した。23日よりCMLLに遠征。現地でウルティモ・ゲレーロの保持するCMLL世界ヘビー級王座に挑戦し、ベストバウト級の試合を見せる。
5月3日のレスリングどんたくに合わせて帰国、後藤も黒袴姿に身を纏い、新・入場曲に乗りタマ・トンガをパートナーにプロレスリング・ノアの杉浦 & 橋誠組と対戦し、昇天・改で橋から3カウントを奪った。さらに全試合終了後、IWGPヘビー級王座を所持する棚橋に対してヘッドバットを見舞い挑戦を表明する。
6月18日、DOMINION6.18にて棚橋とのIWGPヘビー級選手権試合に挑むが敗北した。この試合終了後にジャイアント・バーナードが、棚橋のIWGP王座へ挑戦を表明した。一方で棚橋が「交換条件」としてBAD INTENTIONS(バーナード & カール・アンダーソン)が保持するIWGPタッグ王座に挑戦を表明する。するとアンダーソンが「Who is your partner?(お前のパートナーは誰だ?)」と質問を投げかけ、棚橋は会場の「後藤」コールに乗っかる形でパートナーを後藤に指名。後藤も互いの遺恨を清算し、棚橋とタッグチームを結成した。7月3日、後藤は棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するが、奪取するには至らなかった。
11月12日、POWER STRUGGLEで、田中が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦するも、田中のスライディングDで敗れた。試合終了後、後藤はNOAHの杉浦に対して、「アイツに借りを返す!」というコメントを残し一年越しのリベンジを誓った。
2012年
1月4日、レッスルキングダムVIにおいて杉浦と一騎討ちを行い、昇天・改でピンフォール勝ちを収めついに杉浦から初勝利を収めた。2月12日、THE NEW BEGINNING(大阪府立体育会館)にて、田中の所持するインターコンチネンタル王座に再度挑戦。勝利を収め、ヘビー級に転向してから初の王座奪取となり第3代IWGPインターコンチネンタル王者に戴冠した。
4月、NJCでは高橋、ラ・ソンブラ、真壁を破り、迎えた棚橋との優勝決定戦で昇天・改で初めて棚橋から勝利を収め、3度目の優勝を遂げた。5月3日、レスリングどんたくで、NJC優勝で得たIWGP王座挑戦権を行使し、IWGP王者のオカダ・カズチカと対戦するも敗戦した。
7月22日山形大会で中邑に敗れ、インターコンチネンタル王座から陥落した。しかし8月のG1で中邑と再戦し、この試合に勝利する。10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGで同王座を賭けたリターンマッチを敢行するも、中邑のボマイェで敗北を喫した。
11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEで後藤はカール・アンダーソンとのタッグ、SWORD&GUNSで出場、4勝2敗で決勝トーナメントを通過し、12月2日愛知大会の準決勝でテンコジ(天山 & 小島組)を下し決勝でK.E.S.(ランス・アーチャー & デイビーボーイ・スミスJr.組)と対決。試合はアンダーソンがスミスからピンフォール勝ちを収めて優勝を果たした。
2013年
2月3日、後藤は昨年8月よりフリーランスとして新日本にスポット参戦している柴田に対戦を要求。その後、幾度かタッグマッチで柴田と交戦。5月3日、レスリングどんたくで初めてシングルマッチで激突する。試合は両者による張り手の相打ちでダブルノックダウンとなり、引き分けとなった。6月16日、DOMINION6.22で再びシングルで対戦したが、柴田のP.Kを喰らいピンフォール負けを喫した。
8月、G1 CLIMAXに出場するも、7日の仙台大会における棚橋戦で張り手を喰らった際にアゴの骨を骨折し、休場することとなった。8月12日に手術を受け、18日に退院。その後、リハビリ生活を経て、12月8日愛知大会のリングに上がり復帰を発表。後藤は復帰戦の相手として柴田を指名した。
2014年
1月4日、レッスルキングダム8の舞台で、柴田勝頼を相手に復帰戦を行った。試合は昇天・改でピンフォール勝ちを収め、柴田から勝利をもぎ取った。試合後には二人で肩を組んで退場していき、その後意気投合しタッグを結成した。
12月、WORLD TAG LEAGUEでは柴田と組み、Bブロック1位通過。決勝でアンダーソン&ドク・ギャローズ組を破り、優勝を果たした。
2015年
1月4日、レッスルキングダム9で、アンダーソン&ギャローズ組が保持するIWGPタッグ王座に柴田と挑戦し、これに勝利。第65代王者組に戴冠したが、2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAで前王者組とのリマッチに敗戦し、王座から陥落した。
5月3日、レスリングどんたく 2015にて、中邑真輔の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。戦前「透明人間」などと挑発されながらも、最後は昇天・改で勝利。約3年ぶりに同王座を奪取した。7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLでは、中邑のリマッチを退け初防衛に成功するも、8月のG1公式戦では中邑にギブアップ負けを喫した。
9月27日、DESTRUCTION in KOBEでインターコンチネンタル王座を賭けて再び中邑と対戦するも敗れ、王座陥落となった。
2016年
1月4日、レッスルキングダム10で、内藤とシングルマッチで対戦。戦前、「キャプテン・クワナ」などと挑発されたが、最後は昇天・改で勝利を収めた。翌日、後楽園ホール大会でオカダが持つIWGPヘビー級王座に挑戦を表明。しかしここでも挑発される始末だった。
2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにてオカダと対戦。後藤も全身に写経のペイントを施し、コスチュームも従来の黒から白に変えて臨んだが、オカダのレインメーカーで敗北。試合後にはオカダの所属するCHAOSへの勧誘を受けたが、応じなかった。
3月、NJCでは決勝で内藤に敗れ準優勝に終わったが試合後、ロス・インゴベルナブレスに襲撃されたところをオカダが救出した。CHAOSに再び勧誘され、正式に加入した。
8月、G1 CLIMAX 26に出場。最終公式戦で丸藤正道を下し、Aブロック単独首位で予選突破を決める。14日、優勝決定戦でケニー・オメガと対戦。激闘の末、最後は片翼の天使でピンフォール負けを喫し、準優勝に終わった。
10月、オメガとの1.4東京ドームの権利証を賭けて戦い、後藤も熱戦の最中昇天・改や雪崩式回転を決めたが、最後はオメガの片翼の天使を決められ敗戦した。だが、この試合はベストバウト候補だと話題になった。
2017年
1月4日、レッスルキングダム11で、柴田とシングルマッチで対戦。戦前、「今の軍団で楽しいか?」などと挑発されたが、最後はGTRで勝利を収めた。
第15代NEVER無差別級王者に戴冠した。
2月5日、札幌大会でジュース・ロビンソン、27日、後楽園ホール大会でパニッシャー・マルティネスと対戦し、防衛に成功。
4月9日、両国大会にてザック・セイバー・ジュニアと対戦。試合中、鈴木みのるが乱入し、一次は無法地帯となるも、最後は16分16秒GTRで勝利を収める。その後、鈴木が王座挑戦を表明し、同月27日広島大会で対戦。
終盤で鈴木軍メンバーのアシストにより、
ゴッチ式パイルドライバーに沈み、王座陥落。
6月11日、DOMINION 6.11 in OSAKA-JO HALLで、ランバージャックデスマッチでリマッチをするも、敗れる。
7月、『G1 CLIMAX 27』に出場。5勝4敗勝ち点10と好成績を残した。
2018年
1月4日、レッスルキングダム12で敗者髪切り&ノーセコンドデスマッチで鈴木みのると対戦。裏GTRからのGTRで勝利を収め、2度目の王座戴冠。
2月10日、大阪大会でEVIL、
23日、後楽園ホール大会でビアシティ・ブルーザーと対戦し、王座防衛。
4月、広島でジュース・ロビンソンと対戦し、勝利。その直後、マイケル・エルガンとタイチが同時に挑戦表明し、
6月9日、DOMINION6.9 in OSAKA-JO HOLEで3WAYマッチで対戦。結果はエルガンがタイチからピンフォール勝ちをした為、王座陥落。
8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』には唯一日本人のシングル王者として11年連続11度目の出場となったが、Bブロック予選を3勝6敗勝ち点6で敗退と振るわなかった[5]。
12月9日、岩手県産業文化センター アピオにて、第8試合で、挑戦者に逆指名し続けていた飯伏幸太と対戦、16分35秒、カミゴエにて、ピンフォール負けし、王座陥落。
人物
- 前述の柴田に加え、中邑とも同い年で大学のレスリング部時代から面識があった。新日本プロレスの入団テストを受けた後藤に、中邑が「新日本ってどうやったら入れるの?」と尋ねたこともある(お互い新日本プロレスには同期で入門しているが、入団テストを受けたのは後藤のほうが少し早かった)。
- 非常におっとりとした性格。誕生日のお祝いで貰ったバースデーケーキを道場に忘れるなどその天然っぷりにまつわる多数のエピソードがある。
- 2009年春に養神館合気道本部道場に入門し、以来暇を見つけては稽古に励んでいる[6]。
- 「週刊プロレス」で邪道が執筆する「CTU珍遊日記」では笑いを提供するキャラとして毎回登場し、「アホの後藤」呼ばわりされている。
- 趣味は『pop'n music』をすることと「週刊プロレス」で発言している(海外遠征前)。
- 2009年10月15日に結婚・入籍していたことが翌2010年1月の契約更改の際に明らかになった。当時は2010年中に結婚式を挙げたいとの意向を示していた[7]。
得意技
フィニッシュ・ホールド
- GTR
CHAOS加入後から使用するフィニッシャー。
ファイナル・カットの要領で相手の首にラリアットを打ち込んだ後、自らの右膝に相手の首筋から背中を打ち付ける。ネックブリーカーとバックブリーカーの複合技[8]。- 技の名前は、荒武者のイメージから脱するため、和名、漢字を用いる技名ではなく横文字を用いたからとのこと。GTRは「GoTo Revolution」の略という説もあったが、後藤いわく「GTRはなんの略? とくにありません」とのことで特に意味はない[8]。
- 昇天・改
- 以前のフィニッシュ・ホールド。ブレーンバスターの要領で垂直に担ぎ上げ、振り子のように前方に相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつけると同時に、自らは相手の体に体重をかけて倒れこみながら相手の胸板にエルボー・ドロップを突き刺す。2006年のメキシコ遠征中に開発した昇天の改良版で、日本に凱旋帰国した2007年9月7日の飯塚高史戦で初披露となった[9]。新技である『GTR』が主となってからは使用を控えており、大一番の試合でのみ使用している。
- 昇天
- 正調である昇天は、マット・モーガンが使用するマウント・モーガン・ドロップと同型で、振り子のように前に落下させた相手をロック・ボトムの様にマットに叩き付ける。こちらは凱旋帰国当時のフィニッシャーとして用いられたが、いつしか使用頻度が減少し改良版が主流と化した。
ゴトウ・スペシャル・シリーズ
- ゴトウ・スペシャルI
- 相手の上半身をチキンウィングフェイスロックに捕らえ、体を反転させ胴体を両足で締め上げる。
- ゴトウ・スペシャルII
- うつ伏せになった相手の両足を交差させるように固めながら体を仰向けに反転させる変形足4の字固め。
- ゴトウ・スペシャルIII
- 上記の通りに足を交差させ、自らはマットに背中を付き相手の両足を吊り上げた状態からダメージを蓄積させる。
打撃技
- 特攻ラリアット
- ロープに走る相手を追いかけるように後をつけてから放つ追走式を得意としている。
- 村正
- 後藤が使用するフライング・ニールキックの名称。走り込んできた相手へのカウンター時や、対角線コーナーや場外のフェンスにもたれかかる相手に走り込んで放ったり、選手(タッグ戦等、パートナーを踏み台にする場合も)やレフェリーを踏み台にしながら放つなど、バリエーションも多彩。
- PK(ピー・ケー)
- 元々は元全日本プロレスの川田利明が必殺技としていた技であり、後藤の盟友でもある柴田の得意技。尻餅をついた相手に放つランニング・サッカーボールキック。
- ノーモーション・ヘッドバット
- 相手に試合の主導権を握られている時や打撃合戦の際、不意に相手の顎または喉元へと突き刺す。
- ミドルキック
- 2014年には真壁の顎を骨折させたことがある。
投げ技
- 裏昇天
- リバースのボディスラムの要領で相手を肩口に担ぎ上げ、反時計周りで旋回させるように勢いを付けつつ、振り子の要領でホイップし、自身の左腕側でフェース・クラッシャーの形でマットに叩きつける。以前から常々「既に開発済」と本人が述べていたり、試合でも何度かトライしていたものの(現行型と違いリバースブレーンバスターの要領で持ち上げようとしていた)防御され未遂に終わっていたが、2011年6月7日のタッグマッチで初披露となった。また、この技を食らった棚橋は、「初物」技の受けを上手く行えず失神している。
- 牛殺し
ファイヤーマンズキャリーで持ち上げた(もしくはフィッシャーマンの体制で相手を持ち上げた後、移行した)相手の頸椎のあたりが自分の片膝に当たるようにファイヤーマンズキャリーの要領で前方、もしくは側方に投げ落とす変型のネックブリーカー。元々古くからメキシコに存在していた技で、TNAやWWEで活躍するAJスタイルズも得意技にしていたが、決まった名称のない技であった。後藤は凱旋帰国後から使用し、この技で天山を欠場に追いやったことから天山のニックネームの牛が付いた。原型は欧州に古くからある技でこちらは単にネックブリーカーとも呼ばれる。この技に行くと見せかけて、ストマックブロックに移行する戦法も時折使用する。大一番の際には雪崩式も敢行する。- リバース牛殺し
カナディアン・バックブリーカーもしくはリバースボディスラムで担ぎ、前方に投げ落とし自分の片膝に相手の顔面から落とす。2014年1月4日の柴田戦で初公開。- リバースGTR(裏GTR)
ファイナル・カットの要領で相手をDDTの体制からラリアットを打ち込んだ後、自らの右膝に相手の首又は顔面に打ち付ける。相手の脚をセカンドロープに引っ掛けた状態で放つバージョンもある。ネックブリーカーとフェイスバスターの複合技。- 地獄車
- リストクラッチアングルスラム。
- ヘビー級に転向を機に封印していたが、近年ではフィニッシュ前の布石として時折使用される。過去にゴー・トゥー・ヘブンという名称としても使用されていた。
- 雪崩式ショルダーネックブリーカー
- リングに背を向けるような体勢にしてコーナー最上段に乗せた後、相手の首を捕らえ自らの右肩に叩きつける。
- バックドロップ
- 試合中盤のつなぎ技として度々使用する。
締め技・関節技
- 昇龍結界
- うつ伏せの相手の片腕を自分の足を利用してハンマーロックに極め、もう片方の相手の腕に腕固めを決める。後藤の数少ない関節技で、フィニッシュ・ホールドまで昇華されつつあったが、現在は繋ぎ技として時折使用している。
- 野武士固め
- 尻餅状態の相手にコブラツイストとヘッドロックの複合技の様なストレッチ。
- ビクトル式腕ひしぎ十字固め
- 相手の後方から肩の上に飛び乗って腕を取り、そのまま前方回転して相手を寝かせ、腕ひしぎ十字固めを決める。地獄車開発以前のフィニッシュ・ホールド。
丸め込み技
- 後藤式
- 足極めエビ固め。ゴトウスペシャルIIの要領で体を仰向けにし、相手の頭部に周りこみながら足を上から押さえつけるフォール技。最初は足極めエビ固めとされていた。
- 後藤弐式
- 2016年のNJC準決勝、マイケル・エルガン戦で初公開。変形のラ・マヒストラルである。初戦の永田戦でも使用しているがフォールは奪えず。
- 回天
- アマチュアレスリングの「がぶり」の体制から相手の背中に乗り、反動をつけてから前転し相手の股間をすり抜けてエビ固めの要領で丸め込むラナ。ルチャリブレのスペル・ラナという技と同型。スペル・シーサーの考案によるもので、シーサー自身はヨシタニックとして使用している。
雪崩式回天- ヘビー級転身後から使い始めた技。主に大一番で使用してる。こちらはスペル・ラナの形よりも純粋な前方回転エビ固めの形を雪崩式で仕掛けている印象が強い。
合体技
- 後藤ごとハント
- 後藤の河津落とし&YOSHI-HASHIのヘッドハンター。後藤ごとヘッドハンターをするのでこの名前が付いた。
- ガットバスター
- YOSHIがブレーンバスターで持ち上げて、YOSHIと相手との背中同士が向き合っている状態で、後藤が相手の頭を持ったままYOSHIと同時に相手の頭を後藤の膝に叩きつけるヘッドショットとヘッドバスターの合体技。
- すしざんまい
- 後藤とYOSHIが相手をダブルタックルで倒して、長座の状態の相手に後藤が蹴りYOSHIのドロップキック、そして後藤がYOSHIを相手の上に投げ、最後に2人でハイーっ!と両手を広げて掛け声をする。由来は相手をマグロに見立てて調理するイメージから名付けられた。2018年からは他のCHAOSメンバーとタッグを組んだ際も連携攻撃と共にハイーっ!のポーズを一緒に行うようになり、多人数のタッグマッチではCHAOSメンバーが皆で一緒にハイーっ!のポーズを決める光景が度々見られる。なお、シングルマッチではこのアピールは行わない。
- GYR
- 後藤がブレーンバスターで相手を持ち上げ、相手の足をYOSHIの肩にかけてYOSHIが相手の足を高く持ち上げて裏GTRの要領で相手の頭を膝と腕でプレスする必殺技。名前の由来は秘密となっている。
タイトル履歴
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- 新日本プロレス
IWGPジュニアタッグ王座 : 1回(第15代)
- パートナーは稔。
IWGPインターコンチネンタル王座 : 2回(第3、11代)
NEVER無差別級王座 : 4回(第15、17、19、21代)
IWGPタッグ王座 : 1回(第65代)
- パートナーは柴田勝頼。
ヤングライオン杯 優勝 : 1回(2005年)
G1 CLIMAX 優勝 : 1回(2008年)
NEW JAPAN CUP 優勝 : 3回(2009年、2010年、2012年)
J SPORTS CROWN 6人タッグトーナメント 優勝 : 2回(2010年、2011年)
- パートナーは田口隆祐 & プリンス・デヴィット。
WORLD TAG LEAGUE 優勝 : 2回
- パートナーはカール・アンダーソン→柴田勝頼。
- NWA
NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座 : 1回
入場テーマ曲
- 「覇道」 作曲:石川一宏(KAZSIN)
- 2011年のCMLL遠征中に「全てをリセットする」という意味合いを込めて入場テーマ曲を変更。2011年5月 - 現在まで使用。
- Rock Me Wild
- 凱旋帰国時のテーマ曲。2007年8月 - 2011年3月まで使用。
- 「秀吉」テーマ音楽
- Where Are We Runnin' ? / Lenny Kravitz
- ヤングライオン時代は1972年 - 1979年の新日本プロレスのオフィシャルテーマ曲であった。
出演
テレビドラマ
- 「アタシんちの男子」(2009年、フジテレビ)萬菜庵店員役
- 「ファイヤーレオン」 第2話(2013年、TOKYO MX TV)後藤洋央紀(本人)役
- 「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班」 第8話(2017年、フジテレビ)神の光教団信者役
- 「ハロー張りネズミ」 第9話(2017年9月8日、TBS))五十嵐圭吾(元プロレスラー)役
映画
- 「ヘッド・ショット」(2017年)
- 「HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」(2017年)
脚注
^ 新人募集入門テストでは180cmだった。
- ^ ab“後藤 洋央紀” (日本語). 選手名鑑. 新日本プロレスリング. 2014年10月26日閲覧。
^ ただし、同王座はかって新日本プロレスが管理していたNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座とは異なり、新日本プロレスは全く関わっていないため、完全な復活とは微妙に異なる。
^ 史上初は、2005年3月の小島聡(王者)VS 中邑真輔(挑戦者)
^ 『週刊プロレス』NO.1972 2018年9月4日増刊 p.36
^ http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=2213
^ 東京スポーツ・2010年1月15日付 最終面
- ^ ab『週刊プロレス』2016年4月20日号(No.1844号)pp37 「選手本人が語る 21世紀の技解説」第218回
^ “新日本プロレス創立35周年TOUR Circuit 2007 NEW JAPAN GENERATION 第5試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年9月7日閲覧。
外部リンク
- 新日本プロレス 公式プロフィール
後藤洋央紀 Goto hirooki (@510njpw) - Twitter
- 後藤洋央紀オフィシャルブログ「何はさておき 今日のひろおき 改」Powered by Ameba
- アミューズによるプロフィール
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