東京駅

















東京駅

ライトアップされた丸の内駅舎 (2012年10月)
ライトアップされた丸の内駅舎
(2012年10月)


とうきょう
Tōkyō

所在地
東京都千代田区丸の内一丁目
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細)
東海旅客鉄道(JR東海・駅詳細)
東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細)
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東京駅全景(2012年9月30日)




東京駅夜景(2012年10月4日)


東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。


※以下、JR東日本とJR東海を総称する場合は「JR」と表記する。




目次






  • 1 概要


    • 1.1 乗り入れ路線


    • 1.2 中央駅としての位置付け


    • 1.3 建設当時の東京駅


    • 1.4 将来の計画




  • 2 歴史


    • 2.1 完成


    • 2.2 発展


    • 2.3 戦災と復興


    • 2.4 現在




  • 3 駅構造


    • 3.1 JR東日本


      • 3.1.1 プラットホーム


        • 3.1.1.1 在来線地上ホーム(1 - 10番線)


        • 3.1.1.2 新幹線ホーム(20 - 23番線)


        • 3.1.1.3 総武地下ホーム(総武地下1 - 4番線)


        • 3.1.1.4 京葉地下ホーム(京葉地下1 - 4番線)


        • 3.1.1.5 のりば






    • 3.2 JR東海


      • 3.2.1 のりば




    • 3.3 東京メトロ


      • 3.3.1 のりば




    • 3.4 国鉄・JR線地上ホームの変遷


    • 3.5 その他


      • 3.5.1 地下水上昇問題






  • 4 再開発事業


    • 4.1 赤レンガ駅舎の復原


      • 4.1.1 復原に至る経緯


      • 4.1.2 復原工事






  • 5 その他の特徴


  • 6 駅弁


  • 7 利用状況


    • 7.1 年度別1日平均乗降人員


    • 7.2 年度別1日平均乗車人員(1910年代 - 1930年代)


    • 7.3 年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)


    • 7.4 年度別1日平均乗車人員(2001年以降)


    • 7.5 備考




  • 8 駅周辺


    • 8.1 丸の内口


    • 8.2 八重洲口


    • 8.3 日本橋口


    • 8.4 地下街




  • 9 バス路線


  • 10 駅長


  • 11 隣の駅


  • 12 脚注


    • 12.1 注釈


    • 12.2 出典


      • 12.2.1 記事本文の出典


      • 12.2.2 利用状況の出典






  • 13 参考文献


    • 13.1 登場する文学作品




  • 14 位置情報


  • 15 関連項目


  • 16 外部リンク





概要




プラットホーム遠景
(2004年4月22日)


東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。当駅から乗り換えなしで実に32都道府県[※ 1]と結んでおり、1日当たりの列車発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つである。プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。


JR東京駅の事務管コードは、▲460101または▲440101である[1]。JR東日本、JR北海道では前者を使うが、他の旅客鉄道会社では後者を使うことの方が多い[2]


なお、東京都区内は▲449901、東京山手線内は▲449902の事務管コードが用いられている。しかしながら、前者が▲469901、後者が▲469902を用いるケースもある[3]



乗り入れ路線




東京駅とその周辺駅の位置関係[4]




当駅周辺のJR在来線の線路名称と運転系統


当駅にはJRの新幹線と在来線各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。JR東日本の駅には「 TYO 」のスリーレターコードが、丸ノ内線の駅には「M 17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[5]


JRの駅に乗り入れている路線は、正式な線路名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている[6]。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。案内上の「東北(本)線」は長・中距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。現在は上野東京ラインが開業し、特に東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内を中心に使われるようになった。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。


運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。



  • 東北新幹線


  • 上越新幹線:大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。


  • 北陸新幹線:高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線に、大宮駅からは東北新幹線に乗り入れている。


  • 北海道新幹線:新青森駅から東北新幹線に乗り入れている。


  • 山形新幹線:新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。


  • 秋田新幹線:秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。


また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、京葉線と武蔵野線が同一の線路を共有している以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。




  • JT 東海道線:駅番号「JT 01」/ JU 宇都宮線・高崎線:駅番号「JU 01」/常磐線[※ 2]。東海道本線と東北本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。長い間、当駅は東海道本線列車線の起点であったが、2015年3月14日より、新設された上野駅からの東北本線列車線が直結し、「上野東京ライン」の運転系統として、多くの列車が東北本線列車線を走行する宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった[※ 3]


  • JK 京浜東北線:駅番号「JK 26」。東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。


  • JY 山手線:駅番号「JY 01」。東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。


  • JC 中央線:駅番号「JC 01」。中央本線の近距離電車[※ 4]。神田駅から東北本線の専用線を経由して当駅に発着する。また、青梅方面への青梅線や武蔵五日市方面への五日市線などとの直通運転も実施している。


  • JO 横須賀線・総武快速線:駅番号「JO 19」。両線で直通運転を実施している。当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する[※ 5]


  • JE 京葉線:駅番号「JE 01」。武蔵野線が西船橋駅より京葉線を介して当駅まで直通運転を実施している。


JRでは当駅を「中央駅」と位置付けており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101 - 200km)。



中央駅としての位置付け


1889年に国鉄東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の1908年から本格化し、1914年12月18日に完成し、同時に「東京駅」と命名された。



建設当時の東京駅


江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、陸軍の練兵場跡地だった丸の内側に建設された。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。


駅本屋は辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガ[※ 6]と鉄筋造り、3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている(要出典)。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。


(以降は歴史・年表を参照のこと)



将来の計画



つくばエクスプレス延伸・都市部臨海地下鉄構想


首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内仲通り直下に建設される予定である[7]。1985年の運輸省・運輸政策審議会による運輸政策審議会答申第7号では当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。

さらに、2016年の国土交通省・交通政策審議会による答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」では、中央区が推進している「都心部・臨海地域地下鉄構想」との一体整備および相互直通運転が盛り込まれている。



都心直結線(新東京駅)


京成押上線押上駅と京急本線泉岳寺駅を当駅経由でつなぎ、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる都心直結線の構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。設置場所は、つくばエクスプレスと同じく丸の内仲通りの直下が有力で[8]、つくばエクスプレスと一体整備する案もある。



京葉線の中央線方面延伸

2000年の運輸政策審議会答申第18号では、京葉線を大深度地下で新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに2015年までに整備着手するのが適当であるとした。



東京モノレール延伸


浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば羽田空港国際線ビル駅まで18分、羽田空港第1ビル駅まで23分に短縮されるとしている[9]。しかし、親会社であるJR東日本はこの計画と競合する羽田空港アクセス線の計画を発表していることもあって、「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」には盛り込まれなかった。



歴史




完成




竣工当時の東京駅(前庭より)


1889年(明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。


日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面に設定され、「東京駅」と名付けられた。



発展





関東大震災直後、尋ね人のビラが貼られた東京駅警備巡査派出所(1968年、解体。1972年、博物館明治村に移築)




丸の内側正面前で敬礼するヒトラーユーゲントの隊員(1938年)


1919年(大正8年)3月1日に中央本線が、1925年(大正14年)11月1日に東北本線が乗り入れ、1929年(昭和4年)12月16日には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していった。


1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満州国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャーリー・チャップリンの東京来訪や、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能した。



戦災と復興




空襲で焼失した東京駅の全景(1945年)




戦災復旧後、復元工事以前の丸の内口駅舎の近景(2007年)





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画像提供依頼:戦災復旧後、復元工事以前の丸の内口駅舎の全景の画像提供をお願いします。2017年12月

しかし、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造の壁やコンクリート製の床など構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。


同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行った。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更[※ 7]、といった内容だった。


できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている[10]


一方、1948年(昭和23年)11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年(昭和24年)4月29日に失火で焼失してしまい、1954年(昭和29年)10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままである。



現在


1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)7月15日には総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年(平成3年)6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。


その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。



駅構造


かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、1987年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線は東海旅客鉄道(JR東海)、それ以外は東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄へと分離された。ここでは会社別に解説する。



JR東日本













































































































































JR東日本 東京駅

22・23番線(2009年7月)
22・23番線(2009年7月)


とうきょう
Tōkyō
 TYO 

所在地
東京都千代田区丸の内一丁目9-1

北緯35度40分52秒
東経139度46分0秒
座標: 北緯35度40分52秒 東経139度46分0秒

所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号
トウ
駅構造
高架駅・地下駅
ホーム
2面4線(新幹線)
5面10線(在来線・高架)
2面4線(在来線・総武地下)
2面4線(在来線・京葉地下)
乗車人員
-統計年度-

452,549人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日
1914年(大正3年)12月20日
乗入路線 16 路線
所属路線
東北新幹線
(北海道新幹線・秋田新幹線・山形新幹線・上越新幹線・北陸新幹線直通含む)
キロ程
0.0km(東京起点)

(3.6km) 上野

所属路線
東海道線[* 1](上野東京ライン)
駅番号
JT 01[11]
キロ程
0.0km(東京起点)

(1.9km) 新橋 JT 02

所属路線
宇都宮線[* 1](上野東京ライン)
(高崎線・常磐線直通含む)
駅番号
JU 01[11]
キロ程
0.0km(東京起点)

(3.6km) 上野 JU 02

所属路線
京浜東北線[* 1]
駅番号
JK 26[11]
キロ程
0.0km(東京起点)
大宮から30.3km


JK 27 神田 (1.3km)
(0.8km) 有楽町 JK 25

所属路線
山手線[* 1]
駅番号
JY 01[11]
キロ程
0.0km(東京起点)


JY 02 神田 (1.3km)
(0.8km) 有楽町 JY 30

所属路線
中央線[* 1]
駅番号
JC 01[11]
キロ程
神田から1.3km

(1.3km) 神田 JC 02

所属路線
横須賀線・総武線(快速)[* 1]
駅番号
JO 19[11]
キロ程
0.0km(東京起点)


JO 18 新橋 (1.9km)
(1.2km) 新日本橋 JO 20

所属路線
京葉線
武蔵野線直通含む)
駅番号
JE 01[11]
キロ程
0.0km(東京起点)

(1.2km)八丁堀 JE 02

備考
直営駅
みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅(中心駅)




  1. ^ abcdef正式な路線名は、有楽町・新橋方面は東海道本線、神田・上野方面は東北本線、新日本橋方面は総武本線


東海道線と宇都宮線・高崎線・常磐線は直通運転実施(上野東京ライン)

横須賀線と総武線(快速)は直通運転実施

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JR東日本の駅は各路線の線路とホームが南北方向に伸びているが、地下の京葉線ホームのみ東西方向に伸びている。出入口は東西南北に設けられており、西側を丸の内口、東側を八重洲口、北東側を日本橋口、南側を京葉地下出口と称している。


東西の駅舎を連絡する改札内通路は北・中央・南の3本があり、それぞれの通路に対応して丸の内側・八重洲側それぞれの地上に3か所の改札口がある。丸の内側の地下3か所と八重洲中央口の地下にも改札口があり、丸の内側は東京メトロ丸ノ内線や丸ビル・新丸ビル方面へ、八重洲側は八重洲地下街方面へ通じる。


このほか、新幹線の日本橋改札などがある。また、改札内通路の他に北口通路に隣接し東西の駅舎をつなぐ自由通路(1階・地下1階)がある。なお、南口にも東西の駅舎をつなぐ通路があるが、こちらは通行する人が限られている。


新幹線乗換口(中央・南とも。乗換窓口・精算所業務を含む)、丸の内地下北口、京葉地下丸の内口、日本橋口の業務はJR東日本ステーションサービスに委託している。


在来線の構内は非常に広い。1階は改札内商業施設が充実している。長年、地下1階はコインロッカーが多く商業施設が少なかったが、2007年10月25日にJR東日本の商業施設「グランスタ」がオープンしたことにより人通りが爆発的に[要説明]増えた。


これに合わせて、八重洲地下中央口の改札内にある待ち合わせ場所として有名な「銀の鈴」のリニューアル[12]が行われ、1階と地下1階を結ぶエスカレーターが新設された。


対して、新幹線の構内はあまり広くなく、商業施設はホーム上にほぼ限られている。


駅コンコースにはJR東日本の管轄エリアも多く、それらの店舗やレストランなどでは電子マネーとして、Suicaおよびこれと相互利用可能な交通系ICカードが利用できる。




プラットホーム



在来線地上ホーム(1 - 10番線)



島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレーターとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。

5・6番線有楽町方の駅事務室前には、開業当時からの面影を残す鋳鉄製の柱が2本、設置されている。柱は高さ2.6メートル、柱周470ミリメートル、下部には「明治四十一年一月 株式会社東京堅鉄製作所」と刻印されている。また、一部の屋根と柱は木造である。2014年度に改修工事を行い老朽化が進む開業時からの柱14本を含む約103m分を新しい屋根に置き換える[13]




新幹線ホーム(20 - 23番線)


島式2面4線の高架ホームである。このうち20番線は10番線のすぐ東にある。当初、東北・上越新幹線が当駅に延伸した際は現22・23番線(当時12・13番線)の島式1面2線のみで発着し、一部の定期列車と臨時列車は上野駅発着を原則としていた。しかし、1997年10月1日の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い1・2番線を高架化した上で3 - 10番線を丸の内側にスライドする工事を行い、当時9・10番線(東海道線)だったホームを20・21番線とし、現在の2面4線の構造になるとともに定期列車の全列車と臨時列車の大半が当駅発着になった。1日300本を超える列車をこの2面4線ホームで扱っている。

各ホームに中央改札と各ホームを結ぶエレベーターが8号車付近に設置されている。

直接改札内に入れる改札口は八重洲北側の日本橋口改札口のみ。




総武地下ホーム(総武地下1 - 4番線)

地図



島式2面4線の地下ホームで、地下5階に位置する。中央通路を丸の内側へずっと向かった階段の先にのりばがあり、東京メトロ丸ノ内線との乗り換えは比較的近いが、京葉線との改札内乗り換えは非常に遠い。このホームと下記の京葉地下ホームは地上・高架ホームとは番線番号が通しではない。ホームへはエレベーターまたは長いエスカレーターを使用することになる。客用エレベーターは1・2番線には枕木方向に2台、3・4番線には線路方向に1台のみ設置されているが3・4番線のエレベーターは地下4階(総武地下通路)までしか行かないため地下1階まで行く場合は地下4階で1・2番線のエレベーターまたはエスカレーターに乗り換える必要がある。

総武快速線の最終電車は4番線から発車するが、このときのみ出発合図のベルが鳴る。

ホームがある東京トンネルの区間の保安設備は2004年2月29日にATC-5型からATS-Pに更新されている。ATS-P対応車両であればこの地下ホームへの発着が可能である。

このホームは構造上、#地下水上昇問題がある。




京葉地下ホーム(京葉地下1 - 4番線)

地図



島式2面4線の地下ホームで、地下4階に位置する。新幹線八重洲南乗り換え口脇から南に約500mの所、鍛冶橋通りの地下(有楽町駅との中間点)にあり、ホームは東西に伸びる。地下3階には総武地下通路のように通路があり、皇居よりの都道402号地下では横須賀線シールドトンネルが駅躯体を横断する。エレベーターは1・2番線と3・4番線にそれぞれ1台設置されている。総武地下ホームのエレベーターとは異なり両方ともホームまで直通する。また両方とも地下3階でも乗降が可能。

この位置にはもともと、成田新幹線用の駅が計画されていた。他の乗り場から南に大きく離れたこの位置が選ばれたのは、将来的に新宿方面への延長をにらんだものであった。しかし成田新幹線は、沿線住民の反対運動によって計画が頓挫し、東京駅構内では東北新幹線の高架橋を造る工事に合わせて、現在京葉線への乗り換え通路として使われている通路が建設されただけで、乗り場部分の実際の掘削工事は行われなかった。現行のプラットホームなどがある地下部分は、京葉線に転用されることが決まってから新たに工事されたものであり[14]、設計も在来線用に1から異なった設計がされており建設予定位置以外の共通点は存在しない。

他のホームから離れていることから八重洲口側に動く歩道が3つ設置され、その両端にエスカレーターとエレベーターが設置されている。

当駅を挟む京葉線八丁堀駅以東(この段落では以下京葉線と略す) ー 東海道本線新橋駅以南の乗車券またはICカードを所持していれば、当駅および有楽町駅の有人改札を経由しての乗り換えは可能である。また、自明ではあるが、京葉線 - 東海道本線有楽町駅以南・東北本線(中央本線)神田駅以北(以西)・総武本線新日本橋駅以東など、八丁堀駅 ー 当駅間を含む定期券・特別企画乗車券などを所持していれば、丸の内地下通路などを経由してのJR線同士改札外乗り換えも可能である。無論、これらの場合に限らず当駅を含む定期券を所持していれば、改札内乗り換えした場合と結果的に引き去られる運賃は変わらない。これによって八重洲地下通路などの動く歩道などを経由しなくても乗り換えは可能である。




のりば

以上のように、高架、地上、地下の全ホームを合わせて11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。



































































































番線
路線
方向
行先
備考

在来線 地上ホーム
1・2

JC 中央線
下り

御茶ノ水・新宿・立川方面
特急「(スーパー)あずさ」「かいじ」

3

JK 京浜東北線
北行

上野・大宮方面

4

JY 山手線
内回り
上野・池袋方面

5
外回り

品川・渋谷方面

6

JK 京浜東北線
南行

蒲田・関内方面

7・8

JU 上野東京ライン
(宇都宮・高崎線・常磐線)
下り
(北行)
上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面
常磐線特急「ひたち」・「ときわ」
[※ 2]
9・10

JT 東海道線
(上野東京ライン)
下り
(南行)
品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面
特急「(スーパービュー・マリンエクスプレス)踊り子」
寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」
当駅始発の一部列車は7・8番線から発車

JR東日本 新幹線ホーム
20 - 23

■ 東北・山形・秋田・北海道新幹線
下り

那須塩原・郡山・仙台・盛岡・新青森・
山形・新庄・秋田・新函館北斗方面


■ 上越・北陸新幹線
高崎・越後湯沢・新潟・長野・金沢方面


総武地下ホーム
1・2

JO 横須賀線
下り
横浜・大船・鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面
特急「しおさい」「成田エクスプレス」
当駅始発の一部列車は3・4番線から発車
3・4

JO 総武線(快速)

錦糸町・船橋・津田沼・千葉・Pictograms-nps-airport.svg 成田空港方面
特急「成田エクスプレス」
当駅始発の一部列車は1・2番線から発車

京葉地下ホーム
1 - 4

JE 京葉線
-

舞浜・海浜幕張・蘇我方面
特急「さざなみ」「わかしお」


JM 武蔵野線
舞浜・西船橋・新松戸方面


(出典:JR東日本:駅構内図)



  • 東海道線および宇都宮線・高崎線・常磐線の列車について、7・8番線から発車する東海道線の列車が、23時台に平日2本・土休日1本ある(そのため、上野東京ライン開業直後は、7・8番線にも「東海道線」の表記を残していたところ、東海道線利用者に混乱が生じたため、しばらくして7・8番線 の階段付近の表示から「東海道線」の表記を隠しているが、少し離れた場所からの誘導案内標識では「7-10 東海道線・上野東京ライン(宇都宮・高崎・常磐線)」という形で纏められたままとなっている。なお、直通運転中止時は7・8番線においても東海道線が発着する)。特急「踊り子」・「スーパービュー踊り子」、寝台特急「サンライズ出雲」・「サンライズ瀬戸」は9番線から発車する。ほか、7番線は東海道線方面からの宇都宮線・高崎線直通、8番線は品川発の常磐線列車及び東海道線方面からの上野止まりと当駅始発宇都宮線・高崎線直通、9番線は湘南ライナー及び常磐線発品川行き、10番線は東海道線横浜方面の普通・快速列車が発着する頻度が多いが、全列車がこの通り発着するわけではない。

  • 京葉線のホームは概ね列車によって番線が使い分けられており、1番線は特急列車、2番線は武蔵野線電車、3・4番線は京葉線電車が使用することが多いが、全てがこの通りに発着するわけでは無い。


  • JB 中央線(各駅停車)は早朝・深夜を除いて、御茶ノ水駅で乗り換えが必要となる。

  • 東海道線・上野東京ラインホーム、総武地下ホームはそれぞれ元々終端駅だった関係から、両線共に両方向からそれぞれの4本全てのホームへ入線が可能。総武地下ホームでは、総武快速線の横須賀線へ直通しない列車のうち、上り線から一番遠い下り4番線に入線して折り返す定期列車などがある。東海道線・上野東京ラインホームでは、上野東京ライン不通時に東海道線が7-10番線全てを使用して折り返したり、かつて行われた品川駅配線工事で東海道線が東京駅に入線不能だった際に上野東京ライン宇都宮線列車は7・8番線に同じく高崎線列車は9・10番線で折り返していた。


配線図













JR東日本 東京駅総武地下ホーム 鉄道配線略図

錦糸町・千葉
・成田空港・
蘇我 方面
JR東日本 東京駅総武地下ホーム 鉄道配線略図
横浜・大船・
久里浜 方面

凡例
出典:
* 以下を参考に作成。
** 祖田圭介、「特集 旅客ターミナル構内配線図鑑」、電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』、第60巻1号(通巻第828号)
2010年1月号「【特集】旅客ターミナル」、 20頁、「図1-1 東京駅の配線」。




JR東海
















































JR東海 東京駅

八重洲中央口改札口(2005年、改装前)
八重洲中央口改札口(2005年、改装前)


とうきょう
Tōkyō


(6.8km) 品川

所在地
東京都千代田区丸の内一丁目9-1
北緯35度40分52秒
東経139度46分0秒

所属事業者
東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線
東海道新幹線
キロ程
0.0km(東京起点)
電報略号
トウ
駅構造
高架駅
ホーム
3面6線
乗車人員
-統計年度-

101,138人/日(降車客含まず)
-2017年-
開業年月日
1964年(昭和39年)10月1日
備考
駅長配置駅(管理駅)
JR全線きっぷうりば 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅(中心駅)
テンプレートを表示















18、19番ホーム南端にある十河信二の記念碑


JR東海駅名標

18、19番ホーム南端にある十河信二の記念碑



JR東海駅名標




JR東海東海道新幹線はJR東日本の新幹線の隣の東側(八重洲寄り)にあり、その部分は自社管理区域となっていて標識のフォーマット、各種宣伝や広告などもJR東海のものである。


JR東海直営の切符売り場はJR東日本のみどりの窓口とは違い「新幹線・JR全線きっぷうりば」と簡潔な表現で大書されており、相互に発売可能なJR東日本と競争している。JR東海系列の東海キヨスクの店舗もある。


専用改札口は八重洲改札と、JR東日本の新幹線と並んで設置されている日本橋改札他全部で5か所がある。丸の内側からはJR東日本の在来線改札内経由(中間改札)で改札内に入れる。八重洲口を含めた出口・駅舎はJR東日本の所有のものを共同使用する形となっている。また一部の改札口には自動改札機が設置されていない。東海道新幹線とJR東日本の新幹線とを直接繋ぐ乗換口もあるが、JR他社同士で直通列車がなく、システムが統一されていないためICカード(EX-IC、Suicaなど)は利用できない(在来線乗換口を2度経由すれば利用可能)。


新幹線中央乗換口、新幹線南乗換口ともに窓口業務を含めて新幹線メンテナンス東海に委託している。


商業施設はホーム上にほぼ限られているが、2006年2月22日のJR東海社長の定例会見で「新幹線改札口を5か所から6か所に増やす」「内装や外装を全面的にリニューアルする」などの旨を明らかにしている。2012年1月に工事は完了し、2月25日より「八重洲南口改札」として開設した。また、同時に「八重洲中央口改札」の名称が「八重洲中央北口改札」に変更された[15]


エレベーターはホームの中央に客用のエレベーターが1台設置されている。


構内北端が東京メトロ東西線と地下でつながっている。



のりば



新幹線ホーム(14 - 19番線

島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲している。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。

14・15番線の神田寄りが大きくカーブしているのは東北・上越新幹線との直通を想定したためであったとされている[16]

ゼロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。
















ホームの使用状況
番線 路線 行先
14 - 19

■ 東海道新幹線

名古屋・新大阪方面

どの種別がどのホームから発車するかは特に決まりはないが、「のぞみ」「こだま」に関しては下記のような傾向がある。



  • 山陽新幹線直通「のぞみ」:主に16番線。ただし早朝は18番線、日中12・13時台は17番線、夕方は19番線が多い。

  • 新大阪行「のぞみ」:午前中15番線、午後14番線、夕方17番線が中心。

  • 「こだま」:朝方17番線、日中14・18番線、夕方15・16番線が中心。



東京メトロ















































東京メトロ 東京駅

とうきょう
Tokyo



M 16 銀座 (1.1km)
(0.6km) 大手町 M 18

所在地
東京都千代田区丸の内一丁目6-5
北緯35度40分54秒
東経139度45分53.4秒

駅番号
M 17
所属事業者
東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線
丸ノ内線
キロ程
8.7km(池袋起点)
電報略号
トウ
駅構造
地下駅
ホーム
1面2線
乗降人員
-統計年度-

211,558人/日
-2017年-
開業年月日
1956年(昭和31年)7月20日
テンプレートを表示

丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲に出るためには北側自由通路を通ってJR構内を大きく迂回する必要がある。1990年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。1993年11月には、御茶ノ水駅から定期券うりばが移転した。


2008年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。


当駅は「東京地域」として駅を管理しているが、駅務管区所在駅は当駅ではなく後楽園駅である[17]



のりば

















番線 路線 行先
1

M 丸ノ内線

銀座・新宿・荻窪方面
2

大手町・池袋方面



国鉄・JR線地上ホームの変遷


以下の表は当駅地上ホームの変遷を記したものである。なお、下表に示す以外に工事等によりホームが一時的に撤去されている場合もある。


































































































































































































































時期
第01ホーム
第1ホーム
回送線
第2ホーム
第3ホーム
第4ホーム
第5ホーム
回送線
第6ホーム
第7ホーム
回送線
第8ホーム
第9ホーム
1914年
12月20日 -
未設置
1・2番線
電車線(山手線)

回送線
3・4番線
電車線(京浜線)
5・6番線
列車線
7・8番線
列車線
未設置
未設置
未設置
未設置
未設置
未設置
未設置
1919年
3月1日 -
1・2番線
中央本線
山手線
1925年
4月26日 -
1・2番線
中央本線
3・4番線
京浜線
山手線
5・6番線
東海道本線到着
横須賀線発着
7・8番線
東海道本線出発
1942年
9月25日 -
7・8番線
東海道本線
9・10番線
東海道本線
11・12番線
回送線
1953年
7月1日 -
9番線
東海道本線
10番線
使用停止
11・12番線
使用停止
14・15番線
東海道本線
16番線
回送線
1953年
9月1日 -
5・6番線
東海道本線
7・8番線
使用停止
9番線
使用停止
10番線
東海道本線
11番線
回送線
12番線
東海道本線
(湘南電車)
13番線
横須賀線
1953年
11月1日 -
5・6番線
使用停止
9・10番線
東海道本線
1954年
3月30日 -
3番線
京浜東北線北行
山手線内回り
4番線
使用停止
5番線
使用停止
6番線
京浜東北線南行
山手線外回り
1954年
4月15日 -
7番線
常磐線
8番線
使用停止
1956年
5月4日 -
5番線
京浜東北線南行
山手線外回り
6番線
使用停止
1956年
11月19日 -
3番線
京浜東北線北行
4番線
山手線内回り
5番線
山手線外回り
6番線
京浜東北線南行
7番線
東海道本線
東北・高崎・常磐線
8番線
東海道本線
1957年
7月14日 -
廃止
1961年
10月1日 -
7番線
東海道本線
東北・高崎・常磐線
8番線
東海道本線
(湘南電車)
12番線
東海道本線
13番線
横須賀線
1964年
10月1日 -
17番線
東海道新幹線
18・19番線
東海道新幹線
1965年
10月?日 -
廃止
1967年
3月10日 -
16・17番線
東海道新幹線
1972年
3月15日 -
16・17番線
東海道・
山陽新幹線
18・19番線
東海道・
山陽新幹線
1973年
4月1日 -
7・8番線
東海道本線
(湘南電車)
9・10番線
横須賀線
12・13番線
東海道本線
廃止
1975年
7月18日 -
15番線
東海道・
山陽新幹線
1979年
12月1日 -
14・15番線
東海道・
山陽新幹線
1980年
10月1日 -
7・8番線
東海道本線
9・10番線
東海道本線
12番線東海道本線
13番線
廃止
1988年
3月13日 -
廃止
廃止
1991年
6月20日 -
12・13番線
東北・上越新幹線
1992年
7月1日 -
12・13番線
東北・山形・
上越新幹線
1992年
10月4日 -
7番線
東海道本線
8番線
使用停止
1993年
7月4日 -
7番線
東海道本線
8番線(仮設)
東海道本線
9番線
使用停止
10番線
東海道本線
1994年
4月10日 -
9番線(仮設)
東海道本線
10番線
廃止
1995年
7月2日 -
1・2番線
中央本線
旧1・2番線
使用停止
1995年
10月29日 -
3番線
京浜東北線北行
旧2番線
使用停止
旧3番線
使用停止
4番線
山手線内回り
1995年
11月5日 -
3番線
京浜東北線北行
4番線
山手線内回り
旧3・4番線
使用停止
1995年
12月17日 -
5番線
山手線外回り
旧4番線
使用停止
旧5番線
使用停止
6番線
京浜東北線南行
1995年
12月24日 -
5番線
山手線外回り
6番線
京浜東北線南行
旧5・6番線
使用停止
1996年
6月23日 -
7・8番線
東海道本線
9番線
東海道本線
10番線(仮設)
使用停止
廃止
1997年
3月1日 -
9番線
使用停止
10番線
東海道本線
1997年
9月7日 -
9・10番線
東海道本線
1997年
10月1日 -
20・21番線
上越・長野新幹線
22・23番線
東北・山形・秋田新幹線
2005年
12月10日 -
20・21番線
東北・山形・秋田・
上越・長野新幹線
22・23番線
東北・山形・秋田・
上越・長野新幹線
2015年
3月14日 -
7・8番線
上野東京ライン
宇都宮・高崎・常磐線)
東海道本線
(一部列車)
20・21番線
東北・山形・秋田・
上越・北陸(長野経由)新幹線
22・23番線
東北・山形・秋田・
上越・北陸(長野経由)新幹線
2016年
3月26日 -
20・21番線
東北・山形・秋田・北海道
上越・北陸新幹線
22・23番線
東北・山形・秋田・北海道
上越・北陸新幹線


なお、現在のJRのホーム数合計は14面28線となり、単一の駅としてのホーム数では日本一である。



その他







  • かつては、中央線2番線(現:山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現:山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現:4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。


  • 1997年10月1日の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。まず1995年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、1996年6月 - 1997年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
    • 現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホームにせり出している。結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。


  • 当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前に北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」が存在していた。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができた。株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できない(「沿線の旅行会社」扱いとなる)反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱っていた。また、北海道への観光PRコーナーとしても機能していた。かつては同店においてJR北海道のオレンジカードも販売されていた。後述の丸の内地下エリア再開発の影響により移転が検討されたが、収支改善の目処が立たないことなどを理由に2015年4月11日をもって閉店した。

  • 山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。1960年後半 - 1973年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。

  • 上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、1973年4月に第7ホーム(14・15番線)を、1980年に13番線を、1988年3月に回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、1995年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。


  • 2010年度後半を目処に、東海道線ホームに太陽光発電システムを導入させ、現在のホームの屋根を置き換えて屋根上に太陽電池パネルを設置し、駅構内の照明や空調設備の電力源の一部として使用する。将来的にはほかのホームにも設置を検討する。

  • 戦前、鉄道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京浜東北線北行・山手線内回り、4番線が京浜急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京浜急行線始発、8番線が京浜東北線南行・山手線外回り、9 - 12番線が東北本線、13 - 15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終わったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。

  • 北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系 白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系 博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。



地下水上昇問題


当駅は、もともと海に近いこともあり、地下水位が相対的に高く、地下水上昇によるホームの浮上問題にさらされている。特に地下総武線ホームは、丸の内側ロータリー直下にあり、上に建物などの構造物がない(地下水浮力による地下駅部分の浮き上がりを押さえ付けるおもりがない)という構造上の条件から、特に浮上の影響が顕著である。かつての相次ぐ地盤沈下により地下水の汲み上げが条例により禁止されており、このことも地下水位上昇の理由となっている。地下総武ホームではホームが地下5階なのに対し、地下水は地下3階付近まで達している。1999年9月には、浮上防止策として、ホーム階に鉄製おもりを置いたり、アンカーを打ち込む工事が行われた。その後2002年7月より、当駅から品川区の立会川まで全長12kmに及ぶ導水管が敷設されている。湧出地下水をそのまま下水に流すと下水道料金が課金されるため、支払料金を軽減したいJR東日本と、典型的都市型中小河川で通常は水量が少なく悪臭などを発生する立会川の問題を解決したい東京都の思惑が一致した[18]。東京駅から立会川上流部までの導水管建設費用をJRが負担する代わりに、湧出地下水を立会川に放水することで下水道料金負担がなくなり、結果として水量の増加と悪臭の発生防止が図れるという仕組みであり[19][20]、副次的効果として2003年、海で孵化したボラの稚魚の大群が立会川に現れている[21]。同様に、上野駅新幹線地下ホームの湧出地下水が、上野恩賜公園の不忍池への導水管により放流されている。




再開発事業




グランスタ、銀の鈴待ち合わせ場所(2017年10月)




グランスタ、丸の内方面を展望(2017年10月)


JR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原[※ 8]などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。


この第1弾として2007年(平成19年)3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた1954年(昭和29年)竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。


2010年(平成22年)3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。


鉄道会館ビルが解体された後の2012年(平成24年)8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、2013年(平成25年)9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、2014年(平成26年)秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。


丸の内口側においては、2007年(平成19年)から2012年(平成24年)まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた(#赤レンガ駅舎の復原)。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、2015年(平成27年)冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、2017年(平成29年)5月末に丸の内中央口前の「丸の内中央広場」を完成させ、同年12月7日に丸の内北口前の交通広場を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させ供用を開始した[22]。また、2014年2月までに駅前広場にある横須賀・総武線地下ホーム用の換気塔を高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。


さらに、2014年(平成26年)末までに丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、2017年(平成29年)夏までに「グランスタ丸の内」を全面開業させ、丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させた。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸ノ内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置された。


また、2012年(平成24年)から、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内1階の北通路の拡幅工事と周辺の商業施設の再整備と、その直下の地下1階に開業する新たな商業施設と待合広場の再整備を行っており、両階は吹き抜け空間で接続される予定である。工事完了は2020年予定である[23]



赤レンガ駅舎の復原



復原に至る経緯


かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は1945年(昭和20年)5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)により炎上、内装と屋根を焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の1947年(昭和22年)、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという[24]。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している[25]。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧・日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。


1988年(昭和63年)、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年(平成11年)、本来の形態に復原することとなった[26]。また、2003年(平成15年)4月18日には国指定の重要文化財に指定された。



復原工事


復原工事に先立って2006年(平成18年)3月17日 - 31日に丸の内駅舎内で「東京駅ルネッサンス」が開催され、2007年(平成19年)5月30日より、鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する[※ 8]工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。


3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。


ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。


工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていた[29]が、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った[30][31]。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが[32]、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。


ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。外観はどうなっていたかはわかるにしても裏側がどうなっていたかがなかなかわからなかったが、幸いにも写真が見つかり、細部はコンピューター処理で解析をした。復元に際しては屋根裏に残されていたものを一部再利用している(長らく屋根裏に高熱で曲がった鉄骨まで残されていた)。


外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用したが国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた[33]。タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。


窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた[34]


2012年(平成24年)6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って2006年(平成18年)4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。


復原工事費用(約500億円と新聞などで伝えられている)はJR東日本などが「空中権の売買」を行って捻出した(詳細は「特例容積率適用区域制度」参照)














その他の特徴



姉妹駅

東京駅は2015年現在、オランダのアムステルダム中央駅と、アメリカ合衆国ニューヨーク市のグランド・セントラル駅、中華民国(台湾)新竹市の新竹駅およびドイツフランクフルト中央駅の4つの駅と姉妹駅の提携をしている。アムステルダム中央駅とは2006年(平成18年)4月11日提携[35]、グランド・セントラル駅とは2013年(平成25年)3月19日提携[36]、新竹駅とは2015年(平成27年)2月12日提携[37]である。フランクフルト中央駅との姉妹駅は2015年9月25日にJR東日本により発表された[38]。それによると姉妹駅となった理由は、100年以上が経過する歴史的な建造物を有することと他方面への起点駅であることである[38]

えきあど

JR東日本では、鉄道駅としては初めて2006年10月16日から駅構内にSuicaショッピングサービスを利用した私設私書箱「えきあど」を設置している。528箱が使用可能であり、使用可能時間は午前4時から翌日午前0時30分までで、年会費は500円、月使用料金はSサイズが2,400円、Mサイズが4,500円である。

使用する際はあらかじめ会員登録を行うが、Suica・PASMO(2007年3月18日以降対応)・ICOCA(2008年3月18日以降対応)が私書箱を開ける際の鍵の代わりとなる。私書箱の宛先は「〒100-○○○○東京都千代田区丸の内1丁目9番1号(○○番号)私書箱」となる。荷物が届くと携帯電話などの電子メールで通知される。

赤煉瓦コンサート


1987年から團伊玖磨を音楽監督に迎えて定期的にコンサートが開催されるようになり、「とうきょうエキコン」の名で多くの人に親しまれた。このイベントは2000年11月9日に終了した[39]が、2004年10月13日に「赤煉瓦コンサート」の名称で演奏会が復活している。音楽監督には池辺晋一郎が迎えられた。

旅客収入額

当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、2008年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。2008年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見られる。

電化方式

当駅では直流600V(東京メトロ丸ノ内線)、直流1500V(在来線)、単相交流25000V/50Hz(東北・上越・北陸新幹線)、単相交流25000V/60Hz(東海道・山陽新幹線)と4種類の電化方式が存在する。なお現在は非電化用の車両(気動車・蓄電池車)と機関車(電気・ディーゼル・蒸気とも)は入線していない。

入線車両社局

当駅の在来線は、東海道線以外は全列車JR東日本の車両で、東海道線の他社局の車両はJR西日本285系電車のみで、新幹線はJR北海道・JR東日本・JR西日本・JR東海の車両が入線する。

信号方式

当駅はATS-P(東海道本線・上野東京ライン、中央本線、横須賀線・総武本線、京葉線、運転台起動時はATS-SnでP地上子通過で切り替える「ATS-P確認」標識がある)、D-ATC(山手線、京浜東北線)、DS-ATC(東北新幹線)、ATC-NS(東海道新幹線)、CS-ATC(東京メトロ丸ノ内線)と5種類のATS/ATC方式が存在する。

霊安室

東京駅には霊安室が2室あり、一つは地上の第2自由通路付近、もう一つは地下2階にある。東京駅は利用者数が多いため、自殺や事故、病気などで利用者が亡くなることがある。その数は年間数人であるとされているので、二部屋を同時に使用することはほとんどない。地上の霊安室のドアには数字の「7」が記されていることから、駅職員は他の利用者に配慮してであろうか、遺体をこの霊安室に移送する際は「7号室のお客さん」と呼んでいるようである[40]

放置自転車

東京都の調査によれば、2011年東京駅周辺の放置自転車の数は1日平均830台で赤羽駅に次いでワースト2であった。利用者が多い割に区有地不足や都条例の制約のために駐輪場の整備が進まないのが原因である[41]

喫煙コーナー

基本的に構内(改札内)は全面禁煙であるが、各新幹線ホーム上に喫煙コーナーおよび喫煙ブースが設置されている。

また改札外であれば、丸の内車掌区(丸の内地下北口)横、東京駅一番街(八重洲地下中央口)などに存在する。

エリア放送

JR東日本は、地上一般放送局の免許を受けワンセグエリア放送を実施していた。
























免許人
局名

識別信号

物理チャンネル

周波数

空中線電力

ERP
業務区域
東日本旅客鉄道株式会社
JR東日本東京駅エリア放送
JOXZ3BJ-AREA
35ch
623.142857MHz
760μW
750μW
地下一階グランスタエリア
京葉線地下一階コンコース


  • 初回免許年月日 平成25年3月22日

  • 免許年月日 平成25年4月1日

  • 免許有効期限 平成26年3月31日



遭難事件

東京駅は、2人の現役総理大臣の遭難の現場となっている。1人は原敬で、東京駅乗車口(現在の丸の内南口)で、大塚駅職員の中岡艮一に刺殺された。もう1人は濱口雄幸で、こちらは東京駅第4ホーム(現在の9番線・10番線ホーム)で、愛国社社員の佐郷屋留雄に銃撃された(原敬と違い、遭難後一旦は一命を取り留めたが、この銃撃が遠因となる形で遭難の翌年に死亡した)。それぞれの遭難現場には、事件の概要を記したプレートと、現場を示すマークが設置されているが、濱口雄幸に関しては、直接の現場であるホームには何の目印もなく、ホームの直下に当たる新幹線中央乗換口付近のコンコースに設置されている。



駅弁


当駅では多数の駅弁を販売している。主な駅弁は下記の通り[42]




  • 八戸真さば寿司

  • 日本海真あじ寿司

  • 400kcal台弁当

  • 横濱オムライス

  • チキン弁当

  • 鳥めし弁当

  • 鶏照焼き重

  • 30品目バランス弁当

  • 30品目以上にぎわい弁当

  • やきとり弁当

  • 焼売炒飯弁當

  • やさいたっぷり弁当

  • 深川めし

  • 東海道新幹線弁当

  • 厚切りロースとんかつ弁当

  • トラウトサーモン西京焼き弁当

  • 牛肉弁当

  • つまんで良し、食べて良し 酒肴弁当

  • 牛ダブル焼肉重

  • すきやき弁当

  • ポケモン弁当(土曜・休日のみ)

  • 品川弁当

  • 鮭はらこ弁当

  • 宮城県産黒毛和牛すき弁当

  • こだわりのとんかつ弁当

  • タレかつと豚重

  • 日本の味博覧会

  • 〜厳選素材〜よくばり弁当

  • 日本のおもてなし弁当

  • こだわりのひれかつ弁当

  • 国産牛ハンバーグ弁当

  • 黒毛和牛三昧

  • 新幹線E7系弁当

  • 八戸鯖棒寿司

  • 特製幕之内御膳

  • 季節の吹き寄せ弁当

  • 50品目バラエティ弁当

  • 北海うまいもん弁当

  • ぜいたく穴子弁当

  • 東京弁当

  • あったかうなぎ弁当

  • 大人の休日弁当



この他、NREが運営する売店「駅弁屋 踊」「駅弁屋 祭」ではJR東日本管内の主な駅弁も当駅で購入できる。また、JR東海管轄の八重洲口や東海道新幹線ホームではJR東海パッセンジャーズの駅弁売店があり、同社独自の駅弁が販売されている。



利用状況


東京の表玄関ともいうべきターミナル駅で、JR東日本のみならずJRグループ全体での駅別乗車人員においても第3位である。2015年度にJR西日本の大阪駅を上回った。


2017年度の各社合計の乗降人員は約132万人で新宿駅、渋谷駅、池袋駅、梅田駅、横浜駅、北千住駅に次ぐ世界7位、2012年度までは名古屋駅に次いで8位だったが2013年度に名古屋駅と順位が入れ替わった。


それぞれの会社の利用状況は下記の通り。




  • JR東日本

    • 2017年度の1日平均乗車人員は452,549人である[利用客数 1]
      同社の駅では新宿駅、池袋駅に次ぐ第3位である。1996年度から2011年度まではJR東日本での駅別乗車人員が第5位であったが、2011年度以降は同駅の復元工事と丸の内周辺の再開発が進んだこともあって乗車人員が大幅に増加し、2012年度に横浜駅を、2013年度に渋谷駅を上回った。ただし、この数値にはJR線内の乗換客は含まれていない。


    • 2017年度の新幹線の1日平均乗車人員は78,618人である[利用客数 2]
      同社管轄新幹線の駅では第1位。





  • JR東海
    • 2017年度の1日平均乗車人員は101,138人である[利用客数 3]
      同社の駅では第2位(1位は名古屋駅、3位は新大阪駅)だが、東海道新幹線の単独駅の中では第1位である。




  • 東京メトロ
    • 2017年度の1日平均乗降人員は211,558人である[利用客数 4]
      同社の駅の中では上野駅に次ぐ第10位である(1位は池袋駅)。1965年度にピークを迎えた後は一度減少するものの、1979年度から1992年度にかけて再び増加した。その後は減少傾向であったが、2001年度から再度増加傾向にあり、2013年度の乗降人員は過去最高を記録し、さらに2016年度には乗降人員が20万人を越えた。





年度別1日平均乗降人員


各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである(東京メトロのみ)。













































































































年度別1日平均乗降人員[乗降データ 1]
年度
営団 / 東京メトロ
1日平均
乗降人員
増加率
1999年(平成11年)
146,042

2000年(平成12年)
141,057
−3.4%
2001年(平成13年)
136,345
−3.3%
2002年(平成14年)
139,034
2.0%
2003年(平成15年)
139,249
0.2%
2004年(平成16年)
136,876
−1.7%
2005年(平成17年)
138,446
1.1%
2006年(平成18年)
140,486
1.5%
2007年(平成19年)
150,865
7.4%
2008年(平成20年)
155,922
3.4%
2009年(平成21年)
155,326
−0.4%
2010年(平成22年)
156,008
0.4%
2011年(平成23年)
156,736
0.5%
2012年(平成24年)
169,152
7.9%
2013年(平成25年)
181,208
7.1%
2014年(平成26年)
186,459
2.9%
2015年(平成27年)
196,687
5.5%
2016年(平成28年)
204,287
3.9%
2017年(平成29年)
211,558
3.6%


年度別1日平均乗車人員(1910年代 - 1930年代)


各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。










































































































年度別1日平均乗車人員
年度 国鉄 出典
1914年(大正03年)

[備考 1]5,423
[東京府統計 1]
1915年(大正04年)
5,707
[東京府統計 2]
1916年(大正05年)
6,561
[東京府統計 3]
1919年(大正08年)
13,367
[東京府統計 4]
1920年(大正09年)
17,620
[東京府統計 5]
1922年(大正11年)
25,976
[東京府統計 6]
1923年(大正12年)
35,440
[東京府統計 7]
1924年(大正13年)
43,709
[東京府統計 8]
1925年(大正14年)
45,399
[東京府統計 9]
1926年(昭和元年)
50,432
[東京府統計 10]
1927年(昭和02年)
55,707
[東京府統計 11]
1928年(昭和03年)
64,321
[東京府統計 12]
1929年(昭和04年)
68,292
[東京府統計 13]
1930年(昭和05年)
69,034
[東京府統計 14]
1931年(昭和06年)
65,572
[東京府統計 15]
1932年(昭和07年)
63,282
[東京府統計 16]
1933年(昭和08年)
64,315
[東京府統計 17]
1934年(昭和09年)
66,082
[東京府統計 18]
1935年(昭和10年)
68,950
[東京府統計 19]


年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)

















































































































































































































































































































































年度別1日平均乗車人員
年度
国鉄 /
JR東日本
国鉄 /
JR東海[備考 2]
営団
出典
1953年(昭和28年)
207,922
未開業
未開業
[東京都統計 1]
1954年(昭和29年)
224,318
[東京都統計 2]
1955年(昭和30年)
258,159
[東京都統計 3]
1956年(昭和31年)
275,133

[備考 3]22,393
[東京都統計 4]
1957年(昭和32年)
289,150
26,979
[東京都統計 5]
1958年(昭和33年)
296,571
29,656
[東京都統計 6]
1959年(昭和34年)
307,724
39,799
[東京都統計 7]
1960年(昭和35年)
333,563
42,160
[東京都統計 8]
1961年(昭和36年)
356,030
54,301
[東京都統計 9]
1962年(昭和37年)
377,652
64,689
[東京都統計 10]
1963年(昭和38年)
387,634
69,753
[東京都統計 11]
1964年(昭和39年)
393,219

73,563
[東京都統計 12]
1965年(昭和40年)
396,330

74,104
[東京都統計 13]
1966年(昭和41年)
402,597

72,997
[東京都統計 14]
1967年(昭和42年)
410,881

72,813
[東京都統計 15]
1968年(昭和43年)
401,261

70,570
[東京都統計 16]
1969年(昭和44年)
337,051

69,635
[東京都統計 17]
1970年(昭和45年)
342,619

69,132
[東京都統計 18]
1971年(昭和46年)
352,109

67,932
[東京都統計 19]
1972年(昭和47年)
369,134

65,770
[東京都統計 20]
1973年(昭和48年)
388,567

67,523
[東京都統計 21]
1974年(昭和49年)
395,863

66,430
[東京都統計 22]
1975年(昭和50年)
379,623

63,699
[東京都統計 23]
1976年(昭和51年)
379,540

61,792
[東京都統計 24]
1977年(昭和52年)
365,830

62,923
[東京都統計 25]
1978年(昭和53年)
358,871

60,088
[東京都統計 26]
1979年(昭和54年)
350,866

59,956
[東京都統計 27]
1980年(昭和55年)
341,655

60,586
[東京都統計 28]
1981年(昭和56年)
332,575

61,863
[東京都統計 29]
1982年(昭和57年)
328,789

62,104
[東京都統計 30]
1983年(昭和58年)
329,910

63,224
[東京都統計 31]
1984年(昭和59年)
338,282

65,027
[東京都統計 32]
1985年(昭和60年)
329,677

64,244
[東京都統計 33]
1986年(昭和61年)
337,219

65,408
[東京都統計 34]
1987年(昭和62年)
328,423

66,872
[東京都統計 35]
1988年(昭和63年)
352,416

68,742
[東京都統計 36]
1989年(平成元年)
367,611

68,912
[東京都統計 37]
1990年(平成02年)
394,055

73,288
[東京都統計 38]
1991年(平成03年)
418,858

76,041
[東京都統計 39]
1992年(平成04年)
423,052

76,356
[東京都統計 40]
1993年(平成05年)
420,852

76,332
[東京都統計 41]
1994年(平成06年)
406,841

75,227
[東京都統計 42]
1995年(平成07年)
399,609

74,336
[東京都統計 43]
1996年(平成08年)
394,115

73,630
[東京都統計 44]
1997年(平成09年)
386,534

72,107
[東京都統計 45]
1998年(平成10年)
382,129

71,989
[東京都統計 46]
1999年(平成11年)

[JR東日本 1]376,960

69,055
[東京都統計 47]
2000年(平成12年)

[JR東日本 2]372,611

67,351
[東京都統計 48]


年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
































































































































































































年度別1日平均乗車人員[乗降データ 2][乗降データ 3]
年度
JR東日本
JR東海[備考 2]
営団 / 東京メトロ
出典
在来線
新幹線
定期外
定期
合計
2001年(平成13年)



[JR東日本 3]368,967


66,940
[東京都統計 49]
2002年(平成14年)



[JR東日本 4]374,922


67,526
[東京都統計 50]
2003年(平成15年)



[JR東日本 5]369,025


[JR東海 1]98,227
67,557
[東京都統計 51]
2004年(平成16年)



[JR東日本 6]371,113


[JR東海 2]107,479
67,397
[東京都統計 52]
2005年(平成17年)



[JR東日本 7]379,350


[JR東海 3]92,220
68,019
[東京都統計 53]
2006年(平成18年)



[JR東日本 8]382,242


[JR東海 4]92,205
68,677
[東京都統計 54]
2007年(平成19年)



[JR東日本 9]396,152


74,279
[東京都統計 55]
2008年(平成20年)



[JR東日本 10]394,135


75,627
[東京都統計 56]
2009年(平成21年)



[JR東日本 11]384,024


75,307
[東京都統計 57]
2010年(平成22年)



[JR東日本 12]381,704

83,000
75,992
[東京都統計 58]
2011年(平成23年)



[JR東日本 13]380,997

84,000
76,175
[東京都統計 59]
2012年(平成24年)

[JR東日本 14]189,621

[JR東日本 14]212,655

[JR東日本 14]402,277

[JR東日本 新幹線 1]70,675
89,000
82,233
[東京都統計 60]
2013年(平成25年)

[JR東日本 15]196,897

[JR東日本 15]219,011

[JR東日本 15]415,908

[JR東日本 新幹線 2]73,652

[利用客数 5]93,354
87,871
[東京都統計 61]
2014年(平成26年)

[JR東日本 16]198,079

[JR東日本 16]219,742

[JR東日本 16]417,822

[JR東日本 新幹線 3]72,774
93,000
90,608
[東京都統計 62]
2015年(平成27年)

[JR東日本 17]207,248

[JR東日本 17]227,385

[JR東日本 17]434,633

[JR東日本 新幹線 4]77,677
97,000
95,970
[東京都統計 63]
2016年(平成28年)

[JR東日本 18]209,286

[JR東日本 18]230,268

[JR東日本 18]439,554

[JR東日本 新幹線 5]77,699
98,000
99,707
[東京都統計 64]
2017年(平成29年)

[JR東日本 19]216,373

[JR東日本 19]236,176

[JR東日本 19]452,549

[JR東日本 新幹線 6]78,618

[利用客数 6]101,138




備考





  1. ^ 1914年12月20日開業。開業日から1915年3月31日までの計102日間を集計したデータ。

  2. ^ ab東京都統計年鑑にはJR東海(東海道新幹線)の乗車人員データは記載されていない。


  3. ^ 1956年7月20日開業。開業日から1957年3月31日までの計255日間を集計したデータ。




駅周辺


当駅周辺は日本を代表するビジネス街となっており、昼間は人通りが多いが、夜間は少ない。JRの駅を中心とする以下の地下鉄各駅は概ね半径1km程度範囲内にあるので、状況によっては徒歩での移動の方が早く到達する場合もある。




  • 大手町駅(東京メトロ丸ノ内線・東西線・千代田線・半蔵門線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で連絡))


  • 八丁堀駅(JR京葉線・東京メトロ日比谷線)


  • 日本橋駅(東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線)


  • 三越前駅(東京メトロ半蔵門線(銀座線のりばへは遠い))


  • 新日本橋駅(JR総武線(快速))


  • 二重橋前〈丸の内〉駅(東京メトロ千代田線(行幸地下通路で連絡、京葉線・武蔵野線からは京葉7番出入口から地上に出て馬場先門方向へ直進すると近い))


  • 日比谷駅(東京メトロ日比谷線・千代田線、都営地下鉄三田線(行幸地下通路で二重橋前駅経由で連絡、京葉線・武蔵野線からは京葉6番出入口から地上に出て馬場先門方向へ直進すると近い))


  • 有楽町駅(JR山手線・京浜東北線、有楽町線(京葉線東京駅と山手線・京浜東北線有楽町駅は制度上の乗り換えが可能))


  • 銀座一丁目駅(東京メトロ有楽町線(八重洲南口から南進、あるいは京葉1・2番出入口から鍛冶橋交差点を右折し、南進))


  • 京橋駅(東京メトロ銀座線(八重洲地下南出入口から国道1号方向へ直進すると至近、京葉線・武蔵野線からは京葉1・2番出入口から地上に出て鍛冶橋方向へ直進すると近い))


  • 宝町駅(都営地下鉄浅草線(京橋駅と同様))



丸の内口




東京駅丸の内駅前広場(2018年8月25日撮影)




東京駅丸の内前とJPタワー(2018年8月25日撮影)




東京駅丸の内口前(2007年4月)




東京駅丸の内口と高層ビル群
(2007年6月)




丸の内北口(2012年9月26日撮影)




丸の内中央口(2012年9月26日撮影)


西側の丸の内地区には、丸の内北口(旧称・降車口)、丸の内中央口(同・中央口)、丸の内南口(同・乗車口)がある。これらに面して、歩行者エリアや植栽などの景観を整備する「丸の内駅前広場」建設をJR東日本と東京都が2014年から進めており、2017年12月7日に全面供用開始[43]された。丸の内側は日本を代表する歴史的なビジネス街であると同時に、2000年代には丸の内ビルディング(丸ビル)、新丸の内ビルディング(新丸ビル)などの複合商業施設のオープンが相次ぎ、観光スポットともなっている。


駅南口に向き合う東京中央郵便局は、日本を代表する郵便局。再開発で一時移転しており、元の敷地に建てられたJPタワー低層階に、旧郵便局の外観を再現する形で再開している。鉄道郵便輸送が日本の郵便を支えていた時代には当駅と同局の間に建設された地下通路を使って多くの郵便物が輸送された。この扱いは1978年に終了したが、その後も駅構内部分の地下通路は車椅子利用者などのために利用されている。


かつては日本国有鉄道本社ビル(1997年までは東日本旅客鉄道株式会社本社ビル)もあり、全国に鉄道網を張り巡らせた国鉄(建造当時は鉄道省)のシンボルとなっていた。国鉄分割民営化に伴う長期債務返済のために売却され、その跡地には旧JTBビルと合わせて複合商業施設の丸の内オアゾが開業している。


丸の内中央口から皇居に向かって行幸通りと行幸地下通路が伸びていて、丸の内中央口からも皇居が見える。


クリスマスから元日までのシーズンには「東京ミレナリオ」のイルミネーションが有楽町駅方面まで点灯されていたが、丸の内口工事のため2005年末の点灯をもって終了し、現在はこれに類似したイベント「東京ミチテラス」が開催されている。


京葉地下丸の内口からJR有楽町駅、千代田線二重橋前駅、有楽町線有楽町駅(東京国際フォーラム経由)、都営三田線・日比谷線日比谷駅(東京国際フォーラム・地下鉄有楽町駅経由)は比較的近接しており、大手町から丸の内を経て有楽町に至る一帯は「大丸有」と総称されることもある。



八重洲口




グラントウキョウサウスタワー(左)と旧鉄道会館ビル(右)(2008年7月)




東京駅八重洲口(グランルーフ)



商社など主要企業が軒を連ねる京橋・日本橋の玄関口であると同時に、2007年11月の大丸東京店の全面リニューアル、2008年3月の東京キャラクターストリート開業などにより商業スポットとしても注目されるようになった。東京駅東側に隣接するエリアの住所は千代田区丸の内であるが、一般的に東京駅八重洲口・日本橋口に隣接するエリア全体を「八重洲」と呼ぶことが多い。


八重洲口エリアは地下街が発達しており、東京ステーション開発株式会社が運営する東京駅一番街、八重洲地下街株式会社が運営する八重洲地下街などがある。駅に隣接し、東京キャラクターストリート、東京ラーメンストリートなどを有する地下街が東京駅一番街、外堀通り・八重洲通りの地下に広がるのが八重洲地下街である。


八重洲北口付近(北側自由通路付近)には、黒塀横丁(地階)・キッチンストリート(1階)・北町ほろよい通り(2階)・ごちそうプラザ(2階)、八重洲南口付近には東京ラーメンストリート(地階)などの飲食店街がある。2001年に鉄道会館が開業し、ラーメン店、中華料理店などが入っていたラーメン激戦区東京編(八重洲南口・地階)はすでに閉鎖されている。


八重洲口には、南口に併設されたJRバスのハイウェイバスのりばをはじめとして、周辺に複数の高速バスの発着拠点が存在する(「東京駅バスのりば」を参照)。


八重洲口の主な商業施設



  • 大丸東京店 2012年10月5日にグラントウキョウノースタワー内にてグランドオープン。


  • 東京駅一番街


    • 東京キャラクターストリート(東京駅一番街内)


    • 東京ラーメンストリート(東京駅一番街内)



  • 八重洲地下街

  • キラピカ通り

  • グランアージュ


  • ヤマダ電機 Concept LABI TOKYO



日本橋口




東京駅日本橋口(丸の内中央ビル)



JRの駅の北側にあり、丸の内中央ビルの1階部分がゲートになっている。永代通りに面している。正面ロータリーは長距離路線バスの降車場となっており、その先、永代通りの地下は東京メトロ東西線の大手町駅となっている。日本橋口には東京ステーションシティの開発第1弾としてサピアタワー(地上35階・地下4階)が2007年3月に竣工した。




  • 日本銀行本店

  • 丸の内トラストタワー

  • シャングリ・ラ ホテル 東京


  • JXホールディングス本社


  • JFE商事ビル

    • JFE商事東京本社



  • 岡谷鋼機東京本店


  • 国道1号(永代通り)



地下街


東京駅改札外の地下街(上記の「再開発事業」参照)は、大手町や銀座などに繋がっており、地上に出ず行き来できる。日経MJ紙によると総延長は約20kmで、1000軒を超える店舗があり、年間売上高は総計1000億円規模と推計されている[44]



バス路線




駅長


蒸気機関車の時代から、当駅の駅長は毎朝9時に発車する特急列車を見送る慣例があった。東海道新幹線の開業後は同じく9時発の「ひかり」を見送っていたが、国鉄分割民営化後は在来線、東北・上越・北陸新幹線がJR東日本、東海道新幹線がJR東海の管轄となったため、JR東日本の駅長は在来線の「踊り子」(2010年12月4日改正のダイヤでは伊豆急下田・修善寺行「踊り子105号」)の発車を見送っている。


現在、JR東日本の駅長は現場の職員としては唯一の取締役となっている。「東京駅長」と言えば、国鉄時代には「現場の最高職」と言われ、駅員や運転士、機関士達の憧れの地位だった。民営化されJRとなり、当駅はJR東日本とJR東海の2人の駅長が置かれることになった[※ 9]。前者に関しては「現場の最高職」という慣習が残っており、後者も慣習は関係ないが2008年7月現在の駅長は執行役員である。



隣の駅



東日本旅客鉄道(JR東日本)


■ 東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸(長野経由)新幹線

東京駅 - 上野駅



JT 東海道線・JU 上野東京ライン(宇都宮線・高崎線・常磐線)
  • 特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」・寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」発着駅、特急「ひたち」「ときわ」停車駅



通勤快速

東京駅 (JT 01) → 新橋駅 (JT 02)



快速「ラビット」「アーバン」(東海道線内は普通)・快速「アクティー」(宇都宮線内は普通)・普通
上野駅 (JU 02) - 東京駅 (JU 01・JT 01) - 新橋駅 (JT 02)



(常磐線)特別快速・(常磐線)快速
上野駅 (JJ 01) - 東京駅 (JT 01) - 新橋駅 (JT 02)





JK 京浜東北線


快速

浜松町駅 (JK 23) - 東京駅 (JK 26) - 神田駅 (JK 27)



各駅停車

有楽町駅 (JK 25) - 東京駅 (JK 26) - 神田駅 (JK 27)





JY 山手線
有楽町駅 (JY 30) - 東京駅 (JY 01) - 神田駅 (JY 02)



JC 中央線
  • 特急「あずさ」「スーパーあずさ」「かいじ」一部発着駅


特別快速「ホリデー快速おくたま・あきがわ」・通勤特快(以上は到着列車のみ)・中央特快・青梅特快・通勤快速(平日下りのみ)・快速・各駅停車

東京駅 (JC 01) - 神田駅 (JC 02)




JO 総武線(快速)・横須賀線
  • 特急「成田エクスプレス」停車駅、特急「しおさい」発着駅


通勤快速・快速(横須賀線内は普通)
新橋駅 (JO 18) - 東京駅 (JO 19) - 新日本橋駅 (JO 20)




JE 京葉線
  • 特急「わかしお」「さざなみ」発着駅


通勤快速・快速・各駅停車(各駅停車は武蔵野線直通含む)

東京駅 (JE 01) - 八丁堀駅 (JE 02)





東海旅客鉄道(JR東海)


■ 東海道新幹線

東京駅 - 品川駅




東京地下鉄(東京メトロ)


M 丸ノ内線

銀座駅 (M 16) - 東京駅 (M 17) - 大手町駅 (M 18)




脚注


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注釈





  1. ^ 福井・三重・奈良・和歌山・徳島・香川・愛媛・高知・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島・沖縄を除いた各都道府県。このうち、徳島・高知・沖縄以外の各県にはかつて直通列車があった。

  2. ^ ab常磐線にはJJの路線記号が設定されているが、東京駅には割り振られておらず、隣の上野駅より採番が始まっている(外部リンクにあるJR東日本の東京駅のページにも「所属路線」として常磐線と常磐・成田線があるものの、その下の路線記号の欄に常磐線単独の表記は無く、JT を共用する)。


  3. ^ 主に東海道線列車(当駅発着。早朝の普通当駅始発、特急・通勤快速・ライナー・深夜帯の普通)、上野東京ライン列車:東海道線と宇都宮・高崎線の相互直通(普通・一部快速)、上野東京ライン列車:常磐線の当駅経由品川駅発着(普通・快速・特急)の3種の系統がある。一部に東海道線の当駅経由上野駅発着、宇都宮・高崎線の当駅経由品川駅終着、宇都宮・高崎線の当駅始発で設定されている上野東京ライン列車も存在する。


  4. ^ 当駅を発着する中央線の列車は早朝と深夜を除きすべて快速電車(一部、ライナー・特急)である。この時間帯に快速電車の停車しない水道橋駅・信濃町駅・大久保駅などへ向かう利用客は御茶ノ水駅などで中央・総武線各駅停車への乗り換えを必要とする。早朝と深夜は当駅始発の中央線各駅停車が運行されるため、乗り換えを必要としない。


  5. ^ 総武線(各駅停車)は錦糸町駅での乗り換えを必要とする。


  6. ^ この歴史を反映して、1996年に改築された深谷駅は東京駅を模したデザイン(ただし外壁はレンガでなくレンガ風タイル)とされた。また現行の復原駅舎に残っている開業当時の部分は重要文化財に指定されている。


  7. ^ その材質はアルミ合金のジュラルミンで、終戦となって製造中止となった旧日本軍の保有していた零式艦上戦闘機や一式戦闘機などの戦闘機の余剰品を活用した。

  8. ^ ab建築および文化財の分野では「現存する建造物について、後世の修理で改造された部分を原型に戻す」という意味で「復元」ではなく「復原」を用いている[27][28]


  9. ^ フィクションであるドラマ「新幹線物語'93夏」でもドラマの始めでそう触れられている。




出典



記事本文の出典





  1. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。


  2. ^ 穂積一樹(2016)『(改訂版)一般用特別補充券発行記入例(旅客鉄道会社編)平成28年3月26日現行』、チケットショップ弁天屋。


  3. ^ (4-タ)切符とか鉄道とかいろいろ「事務官コードとPOSバーコード」2006年8月22日(2017年4月8日閲覧、http://blog.livedoor.jp/ticket4_ta/archives/51093440.html)


  4. ^ Yahoo!地図を参考に制作


  5. ^ JR東日本 2社にまたがる連絡定期券の発売範囲 乗り換え駅 (PDF, JR東日本 2011年3月12日現在)


  6. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年


  7. ^ 杉山淳一 (2015年7月25日). “鉄道トリビア 314 つくばエクスプレスの計画上の起点は東京駅、いまも延伸計画がある”. マイナビニュース. 2016年5月17日閲覧。


  8. ^ 高槻長尚 (2009年6月8日). “成田-羽田の本命はリニア新線か既存線改良か (6/7)”. 日経コンストラクション. 日経BP. 2016年5月10日閲覧。


  9. ^ “東京モノレール、東京駅まで延伸構想”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年8月20日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ20HFA_Q4A820C1TJ2000/ 2016年5月17日閲覧。 


  10. ^ 『東京駅戦災復興工事の想い出』松本延太郎著 1991年

  11. ^ abcdefg首都圏エリアへ 「駅ナンバリング」を導入します(PDF) 東日本旅客鉄道株式会社


  12. ^ 「銀の鈴」は、東海道新幹線開業後に東京駅利用者が急増したことから、駅助役の提案で1968年6月10日、新幹線の南乗換改札口前に設置された。初代は竹の骨組み和紙・銀紙張りで、内部のスピーカーで鈴の音を鳴らした。鋳銅製の二代目(1969年11月設置)は八重洲中央改札口外に置かれた。1985年2月設置の三代目は1994年8月に現在ある地下へ移され、2007年に四代目(宮田亮平作のアルミニウム合金製)に更新された。東京駅・待ち合わせの「銀の鈴」出会い見守り50年『東京新聞』朝刊2018年5月27日(社会面)参照。


  13. ^ 東京駅の屋根、支え続けて1世紀 柱14本を置き換えへ - 朝日新聞デジタル 2014年4月16日


  14. ^ 草町義和 『鉄道未完成路線を往く』 講談社、24 - 27頁。ISBN 978-4-06-217131-1。


  15. ^ 【社長会見】東海道新幹線東京駅 駅設備改良工事の終了について東海旅客鉄道ニュースリリース 2012年2月23日


  16. ^ 『新幹線マニアの基礎知識(イカロスMOOK ― マニアの王道)』 中尾一樹、伊藤久巳著、イカロス出版


  17. ^ 鉄道ピクトリアル2016年12月臨時増刊号 【特集】東京地下鉄 p.17


  18. ^ 「地下水を品川の川に」、朝日新聞 2001年3月8日付朝刊、35面、東京 東部(東京川の手)


  19. ^ 送水前は下水処理費用として年間約2億円を支払っていた。


  20. ^ JR東日本グループ 社会環境報告書2009


  21. ^ “川面をボラが埋め尽くす 東京・品川の立会川で”. 47NEWS (2003年2月7日). 2014年11月9日閲覧。


  22. ^ 東京駅丸の内駅前広場が全面開業 夏は水場と芝生で路面温度上昇を抑制、産経ニュース 2017年12月7日


  23. ^ 東京駅北通路周辺整備について JR東日本 2015年12月2日


  24. ^ 藤森照信『建築探偵の冒険・東京篇』ちくま文庫、1989年、129頁。


  25. ^ 『駅員も知らない!? 東京駅の謎』pp.97 - 99』


  26. ^ 朝日新聞 1999年10月6日付 34面「赤れんが駅舎 誕生の姿で再生 東京駅 ドーム屋根丸く美術館の併設も」
    この記事でJR東日本の松田昌士社長(当時)は「5、6年のうちには完成させたい」と話していたが、着工はそれから8年後だった。



  27. ^ 復元/復原|現代美術用語辞典ver.2.0(artscape)、立石龍壽、大日本印刷、2017年8月20日閲覧


  28. ^ (156)復原と復元の違い(なぶんけんブログ)、海野聡、奈良文化財研究所、2017年8月20日閲覧


  29. ^ 東京駅の屋根材も津波被害 スレート、石巻で補修中に - 朝日新聞


  30. ^ 【震災ルポ】「東京駅の屋根に載せる」 雄勝の瓦、1万4千枚 - 共同通信


  31. ^ FNNスピーク特集 - FNN Archived 2013年10月5日, at the Wayback Machine.


  32. ^ 神戸製鋼所アルミ・銅事業部門販売機関誌INTERKINK>東京駅丸の内駅舎保存・復原工事「赤レンガとあかね色の東京駅がよみがえる。」(2012年8月6日)>東京駅の屋根を支えていた銅と天然スレート。


  33. ^ 『重要文化財 東京駅丸の内駅舎 保存・復元工事報告書 (非売品)』東日本旅客鉄道株式会社,2013年7月 発行者


  34. ^ 【三協アルミ】ニュースリリース/2012年:東京駅丸の内駅舎復原工事 当社サッシ全面採用


  35. ^ 原口隆行、野田隆、川辺謙一、鷲田鉄也、畑中省吾 『徹底図解!!よみがえる東京駅』 洋泉社、2012年6月29日、111頁。


  36. ^ JR東日本「東京駅とニューヨーク・グランドセントラル駅との姉妹駅締結について」 2013年2月1日、2013年2月15日閲覧


  37. ^ JR東日本「東京駅と新竹駅との姉妹駅締結について」 2015年2月9日、2015年2月11日閲覧

  38. ^ ab朝日新聞2015年9月26日朝刊37面(社会面)


  39. ^ “エキコン“終幕””. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2000年11月13日) 


  40. ^ 『封印された鉄道史』(p43)


  41. ^ 東京駅放置自転車ワースト2位 周辺からの利用者増でも駐輪場設置できず(産経新聞、2012年8月24日)


  42. ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、 515頁。


  43. ^ 東京駅丸の内駅前広場の供用開始についてJR東日本プレスリリース(2017年11月7日)


  44. ^ 東京駅周辺1000億円「地下経済」/再開発で膨張「駅チカ迷宮」歩いて分かった、『日経MJ』2017年4月28日付




利用状況の出典


JR・地下鉄の1日平均利用客数




  1. ^ 各駅の乗車人員 - JR東日本


  2. ^ 新幹線駅別乗車人員 - JR東日本


  3. ^ データで見るJR西日本2018 鉄道事業 (PDF) - JR西日本


  4. ^ 各駅の乗降人員ランキング - 東京メトロ


  5. ^ データで見るJR西日本 鉄道事業 (PDF) - JR西日本


  6. ^ データで見るJR西日本2018 鉄道事業 (PDF) - JR西日本



JR東日本の1999年度以降の乗車人員(在来線+新幹線)




  1. ^ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本


  2. ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本


  3. ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本


  4. ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本


  5. ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本


  6. ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本


  7. ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本


  8. ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本


  9. ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本


  10. ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本


  11. ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本


  12. ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本


  13. ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本

  14. ^ abc各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本

  15. ^ abc各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本

  16. ^ abc各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本

  17. ^ abc各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本

  18. ^ abc各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本

  19. ^ abc各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本



JR東日本の2012年度以降の乗車人員(新幹線)




  1. ^ 新幹線駅別乗車人員(2012年度) - JR東日本


  2. ^ 新幹線駅別乗車人員(2013年度) - JR東日本


  3. ^ 新幹線駅別乗車人員(2014年度) - JR東日本


  4. ^ 新幹線駅別乗車人員(2015年度) - JR東日本


  5. ^ 新幹線駅別乗車人員(2016年度) - JR東日本


  6. ^ 新幹線駅別乗車人員(2017年度) - JR東日本



JR東海の乗車人員




  1. ^ 「都市交通年報 平成17年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。


  2. ^ 「都市交通年報 平成18年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、366日で除して算出。


  3. ^ 「都市交通年報 平成19年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。


  4. ^ 「都市交通年報 平成20年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。



東京メトロの乗降人員




  1. ^ 各種報告書 - 関東交通広告協議会


  2. ^ 行政基礎資料集 - 千代田区


  3. ^ 統計データ Archived 2016年8月19日, at the Wayback Machine. - 中央区



東京府統計書




  1. ^ 大正3年


  2. ^ 大正4年


  3. ^ 大正5年


  4. ^ 大正8年


  5. ^ 大正10年


  6. ^ 大正11年


  7. ^ 大正12年


  8. ^ 大正13年


  9. ^ 大正14年


  10. ^ 昭和元年


  11. ^ 昭和2年


  12. ^ 昭和3年


  13. ^ 昭和4年


  14. ^ 昭和5年


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  16. ^ 昭和7年


  17. ^ 昭和8年


  18. ^ 昭和9年


  19. ^ 昭和10年



東京都統計年鑑




  1. ^ 昭和28年 (PDF) - 9ページ


  2. ^ 昭和29年 (PDF) - 9ページ


  3. ^ 昭和30年 (PDF) - 9ページ


  4. ^ 昭和31年 (PDF)


  5. ^ 昭和32年 (PDF)


  6. ^ 昭和33年 (PDF)


  7. ^ 昭和34年


  8. ^ 昭和35年


  9. ^ 昭和36年


  10. ^ 昭和37年


  11. ^ 昭和38年


  12. ^ 昭和39年


  13. ^ 昭和40年


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  38. ^ 平成2年


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  40. ^ 平成4年


  41. ^ 平成5年


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  43. ^ 平成7年


  44. ^ 平成8年


  45. ^ 平成9年


  46. ^ 平成10年 (PDF)


  47. ^ 平成11年 (PDF)


  48. ^ 平成12年


  49. ^ 平成13年


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  62. ^ 平成26年


  63. ^ 平成27年


  64. ^ 平成28年




参考文献




  • 日本国有鉄道 『日本国有鉄道百年写真史』 交通協力会、1972年10月14日 発行。(復刻版:『日本国有鉄道百年写真史』 成山堂書店、2005年10月)。ISBN 978-4425301638。

  • 小川裕夫 『封印された鉄道史』 彩図社、2010年6月18日、第1刷。ISBN 978-4883927425。

  • 『駅員も知らない!? 東京駅の謎』 話題の達人倶楽部、青春出版社、2012年10月20日。ISBN 978-4-413-09555-6。



登場する文学作品



  • 『点と線』 松本清張(1958年・光文社)

  • 『東京駅殺人事件』 西村京太郎(1984年・光文社)

  • 『東京駅で消えた』 夏樹静子(1989年・中央公論社)

  • 『東京駅物語』 北原亞以子(1996年・新潮社)



位置情報




  • 北緯35度40分52秒 東経139度46分00秒 / 北緯35.68111度 東経139.76667度 / 35.68111; 139.76667 (東京駅)


  • 東京首部[南西] - 地理院地図


  • 東京駅 - Google マップ




関連項目







  • 日本の鉄道駅一覧

  • 東京駅バスのりば

  • 東京駅一番街

  • 八重洲地下街

  • 日本一の一覧

  • ひよ子

  • メトロポリタンホテルズ


  • 深谷駅 - 丸の内口駅舎を建築の際に同駅付近に所在する日本煉瓦製造の製造した煉瓦を使用したことに因み、現在の駅舎は当駅の丸の内口駅舎を模した造りとなっている。


  • 浜寺公園駅 - 丸の内口の赤レンガ駅舎と同じく辰野金吾の設計。



外部リンク


駅公式サイト



  • 東京駅(各駅情報) - 東日本旅客鉄道

  • JR東海 東京駅

  • JR東京駅 (JR西日本 おでかけネット)

  • 東京メトロ 東京駅

  • TOKYO STATION CITY


  • 東京駅 (Tokyo Station) - Facebook


鉄道会社のその他のページ



  • JR東日本 東京駅丸の内駅舎保存・復原工事の着工について (PDF, JR東日本 2007年5月8日)


  • 東京駅付近航空写真 (PDF) 『土木建築工事画報』 第6巻 第7号 工事画報社 昭和5年7月発行


  • 東京駅改築並に東京新橋間高架新設工事 (PDF) 『土木建築工事画報』 第16巻 第1号 工事画報社 昭和15年1月発行


  • 東京駅丸の内駅舎保存・復原工事 コンクリート工学 Vol.50 (2012) No.11 P1015-1021

  • 大内田史郎「東京駅丸の内駅舎保存・復原(2010年電気設備学会全国大会特別講演)」、『電気設備学会誌』第31巻第1号、電気設備学会、2011年、 63-70頁、 doi:10.14936/ieiej.31.63。










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