フェネルバフチェSK

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フェネルバフチェSK | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Fenerbahçe Spor Kulübü |
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愛称 | Sarı Kanaryalar (The Yellow Canaries) Sarı Lacivertliler (The Yellow-Navy Blues) Efsane (The Legend) Fener |
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クラブカラー | 黄と青 |
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創設年 | 1907年 |
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所属リーグ | トルコ・スュペル・リグ |
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ホームタウン | イスタンブール |
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ホームスタジアム | シュクリュ・サラジオウル・スタジアム |
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収容人数 | 47,834[1] |
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代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
フェネルバフチェ・スポル・クリュビュ(トルコ語: Fenerbahçe Spor Kulübü)は、トルコのイスタンブールを本拠地とする総合スポーツクラブ。
ガラタサライ、ベシクタシュと並びトルコサッカー界を代表するチーム。リーグでは創設1年目の優勝など19回を数える。トルコではガラタサライに次いで2番目に、人気のあるクラブである[2]。
目次
1 歴史
2 著名な選手
3 ライバル
4 ホームスタジアム
5 スキャンダル
6 タイトル
6.1 国内
6.2 国外
7 過去の成績
8 現所属メンバー
8.1 ローン移籍
9 歴代監督
10 歴代所属選手
10.1 GK
10.2 DF
10.3 MF
10.4 FW
11 関連項目
12 脚注
13 外部リンク
歴史
フェネルバフチェはイスタンブールのカドゥキョイ地区に、3名のトルコ人によって設立された。当時トルコでは、時のスルタンであるアブデュルハミト2世が、トルコ人がサッカーチームを設立しプレーすることを禁じていたため、この設立は極秘裏になされた。その後の最初のミーティングで、創設者の中からソンギュレンが最初の会長として選出された。1908年に起こった青年トルコ人革命により政変がなされるまで、フェネルバフチェの活動は密かに行われていた。チームは1909年にイスタンブールのサッカーリーグに加盟し、1912-13シーズンには初めてチャンピオンシップを制した。
2006年7月4日、元日本代表監督ジーコの監督就任が発表された。同監督の下で、2007年5月13日、記念すべきクラブ創立100周年目に17回目のリーグ優勝を達成。また、2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、トルコのクラブ史上2度目の準々決勝進出を果たした。しかし、国内リーグでは2位に終わり、ジーコ監督はクラブと次シーズンについての意見が合わず退任することとなった。兄でコーチでもあったエドゥのインタビューによると、アジズ会長の現場への介入に関する対立が主原因であったという[3]。
後任にルイス・アラゴネスを招聘した2008-09シーズンは、トルコ代表キャプテンのエムレ・ベロゾールやスペイン代表ダニエル・グイサを獲得。王座奪還を期待されたが、もともと多数を占めていたブラジル人選手とアラゴネスが獲得したスペイン人選手が最後まで馴染まず、チャンピオンズリーグは1勝もできず敗退、リーグ戦でも4位という結果に終わった。
2009-10シーズンは、2003-04, 2004-05シーズンの連覇を達成したクリストフ・ダウムが再任。勝てば優勝という条件だった最終節のトラブゾンスポル戦に引き分けまたもリーグ制覇を逃す。カップ戦こそ優勝したものの、この年限りでダウムはチームを離れることとなった。
2010-11シーズン、チームの歴代最多得点記録保持者でもあるアイクト・コジャマンが監督に就任。セネガル代表ママドゥ・ニアングやスロバキア代表ミロスラフ・ストフなど攻撃的な選手を数多く加え、攻撃サッカーを標榜すると、勝ち点でトラブゾンスポルに並ばれるも得失点差で上回り優勝を果たした。しかし、このシーズンにおいて八百長疑惑が浮上(後述)。国内リーグにおいては証拠不十分として降格などの厳罰は免れたが、事態を重く見たUEFAから欧州大会への出場権を剥奪されるなどの処分が下った。
2011-12シーズンは前年の八百長疑惑の影響で選手補強が進まず、特に開幕前に獲得したエマヌエル・エメニケを、公式戦に出場することなく放出するといった事態が生じた。(なおエメニケは2013-14シーズンに再び獲得され、フェネルバフチェに復帰している。)
2012-13シーズンはラウル・メイレレス、ミロシュ・クラシッチ、メフメト・トパル、ディルク・カイトらを獲得するも、シーズン前に副キャプテンのエムレがアトレティコ・マドリードに移籍。さらにはキャプテンであり長年にわたってチームを支えてきたアレックスが開幕直後の2012年10月1日に契約解除により退団。このように、チームの象徴とも言えるアレックスの退団を巡るトラブルもありチームは序盤戦低迷し4位で折り返す。
冬の移籍市場でエムレをアトレティコから、レト・ツィーグラーをユヴェントスFCから呼び戻し、さらにはピエール・ウェボも獲得。すると徐々にチーム状態は上向き、2位でシーズンを終えた。
2013-14シーズンはエルスン・ヤナルが新監督に就任。ミハル・カドレツ、ブルーノ・アルヴェス、エマヌエル・エメニケといったビッグネームを次々と獲得する。開幕戦こそコンヤスポルに敗れるも、2節から14試合無敗(12勝2分)を達成するなど好調を維持。5節から一度も首位を明け渡すことなくシーズンを終え、2011-12シーズン以来の優勝を達成した。
2014-15シーズンはジエゴらを獲得した。2015年4月4日、アウェーで行われたチャイクル・リゼスポル戦後にチームバスが銃撃に遭い、運転手が重傷を負った[4]。
2015-16シーズンはロビン・ファン・ペルシやナニ、ラザル・マルコヴィッチ、シモン・ケアーら大物を次々と獲得。
2016-17シーズンはグレゴリー・ファン・デル・ヴィールやマルティン・シュクルテル、ロマン・ノイシュテッターを完全移籍で獲得し、イェレマイン・レンスやムサ・ソウ、オレクサンドル・カラバエフをレンタルで獲得した一方でナニ、ブルーノ・アウベス、ジエゴ、ラウル・メイレレスらが退団した。ヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドやフェイエノールトを抑えグループリーグを1位通過するものの、ベスト32でFCクラスノダールに敗れた。
2017-18シーズン。夏の移籍市場において、モロッコ代表MFナビル・ディラル、フランス代表MFマテュー・ヴァルブエナ、チリ代表DFマウリシオ・イスラ、カメルーン代表GKイドリス・カメニ、スペイン代表FWロベルト・ソルダード、ブラジル代表MFジュリアーノを獲得した一方でエメニケ、ストフ、ケアーといった主力を放出した。
著名な選手
1907年に設立された際、フェネルバフチェは多くの選手を抱えていた。その中でもっとも長くチームに在籍したのがガリプ・クラクシゾールである。彼は17年にわたりチームに在籍し、1924年に引退するまでに216試合に出場した。
ゼキ・リザ・スポレルは、フェネルバフチェの初めてのユース出身の選手である。18年にわたる在籍期間で、352試合で470得点という記録を残した。ゼキはトルコ代表としても16試合に出場し、15得点を記録している。
近年において有名なのは、ブラジル生まれのメフメト・アウレリオで、2006年にトルコ国籍を取得し、トルコ代表に選出された初めての選手となった。 もう一人のブラジル生まれの選手であるウェデルソンもトルコ国籍を持っていた。元ブラジル代表アレックスは、外国籍の選手としてフェネルバフチェでの最多得点記録を保持している。
ライバル
フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュのイスタンブールの3チームは「ビッグ3」と呼ばれ、100年を超えるライバル関係がある。特にフェネルバフチェとガラタサライのダービーはトルコ・ダービーと呼ばれ、トルコにおいてもっとも重要なダービーとなっている。
そのライバル関係は時にサポーターの危険な行動をも引き起こしている。特に発炎筒、旗、巨大なポスターを用いた応援はアウェイチームに大きなプレッシャーを与えており、ファンの間では"welcoming them to hell"(地獄へようこそ)と呼ばれている。
ホームスタジアム
フェネルバフチェのホームスタジアムは設立された1908年から変わらず、イスタンブールのカドゥキョイ地区のシュクリュ・サラジオウルである。
1999年から2006年にかけて改築が行われ、50,509人を収容するスタジアムとなった。2005年にはクラブのミュージアムも同スタジアム内に作られた。
スタジアムが建設される前、この地のグラウンドは"Papazın Çayırı"(聖職者のグラウンド)と呼ばれていた。しかしこのスタジアムはイスタンブールのサッカーリーグが行われる最初のスタジアムとなった。1908年、各地のチームが常設のサッカースタジアムを求めるようになり、この土地はアブデュルハミト2世によって貸し出されることとなり、その名ももっとも寄付金を支払ったチーム命にちなんでユニオンクラブフィールドと改められた。ユニオンクラブフィールドは当時の持ち主であるユニオンクラブ(第一次世界大戦後にイッティハツスポルと改称)をはじめ、フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュなど多くのクラブによって使用された。
しかし、1922年にタクシムスタジアムが作られるとユニオンクラブフィールドはその重要性を失った。スタジアムの所有者であったイッティハツスポルは、シュクリュ・サラジオウルがメンバーに名を連ねていた当時の政府によってスタジアム売却を強いられる。こうしてスタジアムは市の所有物となったものの、その後すぐにフェネルバフチェに貸し出されることとなった。
1933年5月27日、シュクリュ・サラジオウルがフェネルバフチェの会長を務めていた際に、クラブは政府からスタジアムを購入した。スタジアム名はフェネルバフチェスタジアムと改称され、シュクリュ・サラジオウルの助けがあったものの、フェネルバフチェはスタジアムを所有するトルコで最初のチームとなった。
その後、フェネルバフチェはスタジアムの改修を行い、規模を拡大させる。1949年には25,000人を収容するトルコ最大のスタジアムとなる。1998年にはフェネルバフチェの会長でもあり、トルコの第6代首相でもあるシュクリュ・サラジオウルにちなんでフェネルバフチェ・シュクリュ・サラジオウルスタジアムと改称した。

シュクリュ・サラジオウル・スタジアム
スキャンダル
2010-11シーズンに、国内において八百長を行った疑惑が浮上し、UEFA規律委員会による調査の後、2013年6月25日、2012-13シーズンの成績によって参加資格を得ていたUEFAチャンピオンズリーグ 2013-14予選への出場権剥奪、および同シーズンを含む今後3シーズンのUEFA主催大会への参加禁止が通達された。ただし、3シーズン目の処分には5年間の執行猶予が付いており、猶予期間に同様の問題が起きなければ、処分の適応は2シーズンとなる[5]。
タイトル
国内
スュペル・リグ
- 1959, 1960-61, 1963-64, 1964-65, 1967-68, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1977-78, 1982-83, 1984-85, 1988-89, 1995-96, 2000-01, 2003-04, 2004-05, 2006-07, 2010-11, 2013-14
トルコカップ
- 1967-68, 1973-74, 1978-79, 1982-83, 2011-12, 2012-13
トルコスーパーカップ
- 1968, 1973, 1975, 1984, 1985, 1990, 2007, 2009, 2014
トルコサッカー選手権
- 1933, 1935, 1944
ナショナルリーグ
- 1936-37, 1939-40, 1942-43, 1944-45, 1945-46, 1949-50
内閣総理大臣杯
- 1944-45, 1945-46, 1949-50, 1972-73, 1979-80, 1988-89, 1992-93, 1997-98
TSYDカップ
- 1969-70, 1973-74, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1994-95, 1995-96
アタチュルクカップ
- 1963-64, 1998
イスタンブールフットボールリーグ
- 1911-12, 1913-14, 1914-15, 1920-21, 1922-23, 1929-30, 1932-33, 1934-35, 1935-36, 1936-37, 1943-44, 1946-47, 1947-48, 1952-53, 1956-57, 1958-59
イスタンブールカップ
- 1945
イスタンブールシールド
- 1930, 1934, 1938, 1939
スポーツトトカップ
- 1967
艦隊杯
- 1982, 1983, 1984, 1985
国外
バルカン・カップ
- 1966-67
過去の成績
シーズン |
ディビジョン |
カップ |
欧州カップ |
|||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ |
順位 |
試 |
勝 |
分 |
敗 |
得 |
失 |
点 |
||||
1980-81 |
スュペル・リグ |
10位 |
30 |
9 |
11 |
10 |
31 |
27 |
29 |
UEFAカップ |
1回戦 |
|
1981-82 |
スュペル・リグ |
3位 |
32 |
15 |
11 |
6 |
48 |
26 |
41 |
|||
1982-83 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
18 |
13 |
3 |
43 |
20 |
49 |
優勝 |
||
1983-84 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
17 |
11 |
6 |
46 |
24 |
45 |
チャンピオンズカップ |
1回戦 |
|
1984-85 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
18 |
14 |
2 |
65 |
25 |
50 |
UEFAカップ |
1回戦 |
|
1985-86 |
スュペル・リグ |
5位 |
36 |
13 |
16 |
7 |
40 |
32 |
42 |
チャンピオンズカップ |
2回戦 |
|
1986-87 |
ファーストリガ |
5位 |
36 |
13 |
13 |
10 |
46 |
39 |
39 |
|||
1987-88 |
スュペル・リグ |
8位 |
38 |
15 |
10 |
13 |
45 |
43 |
55 |
|||
1988-89 |
スュペル・リグ |
1位 |
36 |
29 |
6 |
1 |
103 |
27 |
93 |
準優勝 |
||
1989-90 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
22 |
4 |
8 |
70 |
38 |
70 |
チャンピオンズカップ |
1回戦 |
|
1990-91 |
スュペル・リグ |
5位 |
30 |
12 |
8 |
10 |
53 |
53 |
44 |
UEFAカップ |
2回戦 |
|
1991-92 |
スュペル・リグ |
2位 |
30 |
23 |
2 |
5 |
81 |
35 |
71 |
|||
1992-93 |
スュペル・リグ |
5位 |
30 |
18 |
4 |
8 |
75 |
41 |
58 |
準決勝敗退 |
UEFAカップ |
2回戦 |
1993-94 |
スュペル・リグ |
2位 |
30 |
21 |
6 |
3 |
69 |
26 |
69 |
準々決勝敗退 |
||
1994-95 |
スュペル・リグ |
4位 |
34 |
20 |
7 |
7 |
78 |
35 |
67 |
準決勝敗退 |
UEFAカップ |
1回戦 |
1995-96 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
26 |
6 |
2 |
68 |
19 |
84 |
準優勝 |
UEFAカップ |
1回戦 |
1996-97 |
スュペル・リグ |
3位 |
34 |
22 |
7 |
5 |
79 |
25 |
73 |
準々決勝敗退 |
チャンピオンズリーグ |
グループステージ |
1997-98 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
21 |
8 |
5 |
61 |
25 |
71 |
準々決勝敗退 |
UEFAカップ |
1回戦 |
1998-99 |
スュペル・リグ |
3位 |
34 |
22 |
6 |
6 |
84 |
29 |
72 |
UEFAカップ |
1回戦 |
|
1999-2000 |
スュペル・リグ |
4位 |
34 |
17 |
10 |
7 |
59 |
44 |
61 |
ベスト32 |
UEFAカップ |
1回戦 |
2000-01 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
24 |
4 |
6 |
82 |
39 |
76 |
準優勝 |
||
2001-02 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
24 |
3 |
7 |
70 |
31 |
75 |
4回戦敗退 |
||
2002-03 |
スュペル・リグ |
6位 |
34 |
13 |
12 |
9 |
55 |
42 |
51 |
2回戦敗退 |
UEFAカップ |
2回戦 |
2003-04 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
23 |
7 |
4 |
82 |
41 |
76 |
準決勝敗退 |
- |
|
2004-05 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
26 |
2 |
6 |
77 |
24 |
80 |
準優勝 |
チャンピオンズリーグ |
グループリーグ |
UEFAカップ |
ベスト32 |
|||||||||||
2005-06 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
25 |
6 |
3 |
90 |
34 |
81 |
準優勝 |
チャンピオンズリーグ |
グループリーグ |
2006-07 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
20 |
10 |
4 |
65 |
31 |
70 |
準決勝敗退 |
チャンピオンズリーグ |
予選3回戦 |
UEFAカップ |
ベスト32 |
|||||||||||
2007-08 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
22 |
7 |
5 |
72 |
37 |
73 |
準々決勝敗退 |
チャンピオンズリーグ |
準々決勝敗退 |
2008-09 |
スュペル・リグ |
4位 |
34 |
18 |
7 |
9 |
60 |
36 |
61 |
準優勝 |
チャンピオンズリーグ |
グループリーグ |
2009-10 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
23 |
5 |
6 |
61 |
28 |
74 |
準優勝 |
ヨーロッパリーグ |
ベスト32 |
2010-11 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
26 |
4 |
4 |
84 |
34 |
82 |
グループステージ敗退 |
チャンピオンズリーグ |
予選3回戦 |
ヨーロッパリーグ |
プレーオフ |
|||||||||||
2011-12 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
20 |
8 |
6 |
61 |
34 |
68 |
優勝 |
- |
|
2012-13 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
18 |
7 |
9 |
56 |
39 |
61 |
優勝 |
チャンピオンズリーグ |
プレーオフ |
ヨーロッパリーグ |
準決勝 |
|||||||||||
2013-14 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
23 |
5 |
6 |
74 |
33 |
74 |
4回戦敗退 |
チャンピオンズリーグ |
プレーオフ |
ヨーロッパリーグ |
出場権剥奪 |
|||||||||||
2014-15 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
22 |
8 |
4 |
60 |
29 |
74 |
準決勝敗退 |
- |
|
2015-16 |
スュペル・リグ |
2位 |
34 |
22 |
8 |
4 |
60 |
27 |
74 |
準優勝 |
チャンピオンズリーグ |
予選3回戦 |
ヨーロッパリーグ |
ベスト16 |
|||||||||||
2016-17 |
スュペル・リグ |
3位 |
34 |
18 |
10 |
6 |
60 |
32 |
64 |
準決勝敗退 |
チャンピオンズリーグ |
予選3回戦 |
ヨーロッパリーグ |
ベスト32 |
|||||||||||
2017-18 |
スュペル・リグ |
1位 |
34 |
24 |
3 |
7 |
75 |
33 |
75 |
準優勝 |
ヨーロッパリーグ |
プレーオフ |
2018-19 |
スュペル・リグ |
位 |
34 |
チャンピオンズリーグ |
予選3回戦 |
|||||||
ヨーロッパリーグ |
ラウンド32 |
現所属メンバー
- 2018-19シーズン基本フォーメーション
# 35
# 4
# 33
# 37
# 3
# 99
# 5
# 39
# 20
# 31
# 22
- 2019年2月1日現在
|
|
- 監督
エルスン・ヤナル
ローン移籍
- in
|
|
- out
|
|
歴代監督
フース・ヒディンク 1990-1991
ジョゼフ・ベングロシュ 1991-1993
ホルガー・オジェック 1993-1994
トミスラフ・イヴィッチ 1995
カルロス・アルベルト・パレイラ 1995-1996
セバスティアン・ラザロニ 1996-1997
オットー・バリッチ 1997-1998
ヨアヒム・レーヴ 1998-1999
ルドヴァン・ディルメン 1999
ズデネク・ゼーマン 1999-2000
トゥルハン・ソフオール 2000
ムスタファ・デニズリ 2000-2001
ヴェルナー・ローラント 2002
オウズ・チェティン 2002-2003
タメル・ギュネイ 2003
クリストフ・ダウム 2003-2006
ジーコ 2006-2008
ルイス・アラゴネス 2008-2009
クリストフ・ダウム 2009-2010
アイクト・コジャマン 2010-2013
エルスン・ヤナル 2013-2014
イスマイル・カルタル 2014-2015
ヴィトール・ペレイラ 2015-2016
ディック・アドフォカート 2016–2017
アイクト・コジャマン 2017-2018
フィリップ・コクー 2018
エルウィン・クーマン 2018
エルスン・ヤナル 2018-
歴代所属選手
GK
リュストゥ・レチベル 1994-2003, 2004-2007
ヴォルカン・デミレル 2002-
ヴォルカン・ババジャン 2006-2012
DF
ファビオ・ルシアーノ 2003-2006
セルヴェト・セティン 2003-2006
ムラト・ヤキン 1998-2000
アルパイ・オザラン 1999-2000
ウミト・オザト 2001-2007
ディエゴ・ルガーノ 2006-2011
ロベルト・カルロス 2007-2009
アンドレ・サントス 2009-2011
ジョゼフ・ヨボ 2010-2014
ジャネル・エルキン 2010-2016
レト・ツィークラー 2011-2012
MF
セルカン・バルジュ 2004-2007
セルチュク・シャーヒン 2003-
タイフン・コルクト 1995-2000
オーガスティン・オコチャ 1996-1998
ニコラ・ラゼティッチ 2000-2002
アリエル・オルテガ 2002-2003
アレックス 2004-2012
スティーヴン・アッピアー 2005-2008
エムレ・ベロゾール 2008-2012, 2013-2015
イシアル・ディア 2010-2012
ミロスラフ・ストッフ 2010-
オザン・トゥファン 2015-
FW
ゼク・リザ・スポレル 1915-1921
セミフ・シェンテュルク 1999-2001, 2002-2014
ミラン・ラパイッチ 2000-2002
ケネット・アンデション 2000-2002
ワシントン 2002
トゥンジャイ・シャンル 2002-2007
セルゲイ・レブロフ 2003-2004
ピエール・ファン・ホーイドンク 2003-2005
メルト・ノブレ 2003-2006
ニコラ・アネルカ 2005-2006
マテヤ・ケジュマン 2006-2008
ダニ・グイサ 2008-2011
ギョクハン・ウナル 2010-2011
ママドゥ・ニアン 2010-2011
ディルク・カイト 2012-2015
ロビン・ファン・ペルシ 2015-2018
関連項目
フェネルバフチェ・ユルケル(男子バスケットボール部門)
フェネルバフチェ・イスタンブール(女子バスケットボール部門)
フェネルバフチェ・ユニバーサル(女子バレーボール部門)
1907 フェネルバフチェ(e-sports部門)
脚注
^ “Stat Bilgileri” (トルコ語). トルコサッカー連盟. 2018年3月4日閲覧。
^ http://blogs.bettor.com/Football-special-report-Europes-20-most-popular-clubs-Part-4-a44222
^ [1]
^ “トルコで衝撃の事件 フェネルバフチェのチームバスが銃撃され運転手負傷”. Goal (2015年4月5日). 2015年4月7日閲覧。
^ “UEFA、八百長問題のトルコ2クラブから主催大会出場権はく奪を決定”. SoccerKING (2013年6月26日). 2013年6月26日閲覧。
外部リンク
公式ウェブサイト (トルコ語) (英語)
Official website of 1907 Fenerbahçe Association (トルコ語)
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