坂本龍一
坂本龍一 Ryuichi Sakamoto | |
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基本情報 | |
出生名 | 坂本龍一[1] |
別名 | 教授, 坂本教授 |
生誕 | (1952-01-17) 1952年1月17日(67歳) |
出身地 | 日本・東京都中野区 |
学歴 | 東京芸術大学大学院修士課程 |
ジャンル | 映画音楽 ニューエイジ エレクトロニカ J-POP テクノポップ フュージョン ニュー・ウェイヴ 沖縄音楽 アンビエント イージーリスニング ボサノヴァ ハウスミュージック ワールドミュージック ほか… |
職業 | 作曲家 キーボーディスト 音楽プロデューサー 編曲家 |
担当楽器 | キーボード シンセサイザー ピアノ オルガン ストリングス ドラム ボーカル |
活動期間 | 1978年 - |
レーベル | 日本コロムビア (1978 - 1979) アルファレコード (1978 - 1983) MIDI/SCHOOL (1984 - 1986) CBSソニー/TERRAPIN (1987) ヴァージン・レコード (1989 - 1991) 東芝EMI (1981,1993) フォーライフ・レコード/güt (1994 - 1997) ワーナーミュージック・ジャパン (1998 - 2006) commmons (2006 - ) |
共同作業者 | りりィ&バイバイセッションバンド 細野晴臣 高橋幸宏 矢野顕子 ( - 1993年まで) 忌野清志郎 デヴィッド・シルヴィアン |
公式サイト | sitesakamoto.com |
坂本 龍一(さかもと りゅういち、Sakamoto Ryūichi、1952年1月17日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ピアニスト、キーボーディスト
。東京都出身。
世界的に活動している日本人ミュージシャンである。その音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあるものの、民俗音楽、現代音楽にも造詣が深い。
目次
1 概要
2 来歴
3 思想・活動など
4 音楽活動
5 出版活動
6 「教授」という愛称
7 ディスコグラフィー
7.1 スタジオアルバム
7.2 シングル
7.3 ミニ・アルバム
7.4 ベスト・アルバム
7.5 リミックス・アルバム
7.6 ライヴ・アルバム
7.7 セルフカヴァー・アルバム
7.8 非売品レコード・CD・ファイル
7.9 TVなどのサウンド・トラック
7.10 映画音楽
7.11 バンド・ユニット・コラボ活動
7.12 その他アーティストとのコラボレーション
7.13 映像作品
8 書籍
8.1 単著
8.2 共著
8.3 監修・聞き書き等
8.4 フォトグラファー
9 出演
9.1 俳優としての出演作品
9.1.1 映画
9.1.2 CM
9.1.3 ミュージック・ビデオ
9.2 TV・ラジオ
9.3 コンサート
10 脚注
10.1 注釈
10.2 出典
11 関連項目・人物
12 外部リンク
概要
幼いころから作曲を学び、東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなる。YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、近年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを超越して多彩な作品を発表している。
自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。また、映画『戦場のメリークリスマス』で映画に俳優として出演し、映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞の作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』[注 1]では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し[注 2]、また同曲でゴールデングローブ賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。
音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演する。
近年は各メディアで環境問題や平和問題をはじめとした諸問題について発言する機会も多く、最近はPSE問題において、坂本も中心人物として参加した反対運動が実を結んだ。また「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもある。長年喫煙者であったが、針治療を通じて禁煙に成功した[2]。一時期はベジタリアンでもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に挫折している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。
無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している[3]。また無類のジャージ嫌いであり、昔よく遊んでた友達がジャージをはいていた日、その瞬間に絶交したことがあるほどで、「僕の前でみんなはかないでね」と発言している[4]。その一方でアルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほど、見た目に無頓着だった過去を持つ。このような坂本が当時のミュージシャンに不可欠だったファッションセンスを得るに至ったのは、高橋幸宏の指導によるものである。
「教授」「世界のサカモト」とあだ名される。左利き。血液型はB型。現在はアメリカ合衆国ニューヨーク州在住。歌手の坂本美雨はシンガーソングライターの矢野顕子との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女。
来歴
1952年、東京都中野区に生まれた。
父 は 河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次などを担当した坂本一亀。母・敬子は帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。母方の祖父下村彌一は実業家で共保生命取締役、東亜国内航空会長などをつとめ、第五高等学校と京大とで池田勇人と同級で生涯の親友として付き合い、池田首相の葬儀に友人代表として弔辞を読んだという[5]。母方の叔父(母の弟)下村由一は歴史学者で、千葉大学名誉教授。
通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所だったため、3歳からピアノを習いはじめる。自由学園幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。10歳で東京芸術大学教授の松本民之助に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーであった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。しかし14歳の頃は「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と半分信じていて、サインの練習までしていた。人生で最も影響を受けた音楽家も、ドビュッシーとバッハである[6]。
1959年から東京都世田谷区給田に育つ。世田谷区立祖師谷小学校から世田谷区立千歳中学校[注 3]を経て、1970年に東京都立新宿高等学校を卒業[注 4]。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。また風月堂などにたむろするフーテンたちに影響を受け、ジャズを聞くようになり、自分でも演奏する。ロックも好きであったが、フォークは大嫌いであった。また学生運動にも、のめり込む[注 5]。
1970年東京芸術大学入学[注 6]。大学在学中、民族音楽学研究の泰斗小泉文夫の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想がたしかにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。また坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家三善晃にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた高橋悠治の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が電子音楽に出会ったのは、そんな大学学部在学中のことである。1974年東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音響研究科修士課程に進む。1976年修了。
1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。翌1976年、竹田賢一と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』(土取利行とのコラボレーション)を発表。以降、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)に所属した後、当時のりりィのマネージャー(現株式会社365代表)が細野晴臣のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。また初期の山下達郎の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、大瀧詠一のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』などにキーボードとして参加。また、大貫妙子のLP『サン・シャワー』『ミニヨン』『ロマンティック』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。
1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。またこの年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。また一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。また参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。
1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する[注 7]。
YMOとしての活動の傍ら、1981年よりNHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた[注 8]。また、パンクバンドTACO (タコ)のオムニバスにな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲をサウンドストリートで放送したが、放送禁止用語が含まれていたため、すぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と平行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、パス・レコードでフリクション、Phewのプロデュースを行っている。YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。またこの頃、立花ハジメ、沢村満、鈴木さえ子らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。1982年には、RCサクセションの忌野清志郎と組んでシングル『い・け・な・いルージュマジック』をリリース。資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した[7]。またこの年、矢野顕子と結婚。
1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』には、大島渚監督の依頼により、ヨノイ大尉役で出演し、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作がカンヌ国際映画祭に出品された際に、映画監督ベルナルド・ベルトルッチと出会い、これが映画『ラストエンペラー』への布石となる。この年、デヴィッド・シルヴィアンと組んでシングル「Forbidden Colours」(禁じられた色彩)をリリースした。同年、YMOは「散開」(解散)する。
1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。翌1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりゴールデングローブ賞を日本人で初めて受賞し、アカデミー賞作曲賞も受賞する[注 2]。以後、映画音楽作家としての地位を確立する。溥儀役のジョン・ローンとは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという[8]。
1989年、海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。
1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。別の女性と暮らしはじめ、男児をもうける[9]。
1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサー Pepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった[注 9]。このときの楽曲は後に「El Mar Mediterrani」として発表された[注 10]。
1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。
1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。
1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「ゲイシャガールズ(GEISHA GIRLS)」をプロデュース。以降、彼らとの親交を深め「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではコント「アホアホマン」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた[10]。
「野生の王国」でライオンの生態の時、松本の企みで浜田にほんこんと思い込ませ散々に苛めさせた後、怒り狂った坂本が驚く浜田をうち据えた。
1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。
1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。また、自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「おしゃれカンケイ」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。また「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている[注 11]。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として喜多郎とCHAGE and ASKAを名前を伏せた形で挙げた[11]。
2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelembaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本とブラジルの友好に寄与したとして、ブラジル政府より国家勲章を授与される。
2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。また、小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。
2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。
2007年3月10日-5月28日、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにしたインスタレーション作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を山口情報芸術センターにて展示。3月10日にはオープニング・コンサートを行った。9月15日-11月4日、東京のNTTインターコミュニケーション・センターでも展示。9月15日には、浅田彰、中沢新一を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。またこの年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月にキリンラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「RYDEEN 79/07」をリリース。5月19日には「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに7月7日には「ライブ・アース」にYMOとして出演。8月22日には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。
2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。
2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。
2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。
2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された[12]。オリエンタリズムを感じさせる作風と初期の作品に見られた現代音楽の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回ヴェネチア国際映画祭」のコンペティションの審査員を務める。
2014年、札幌国際芸術祭のゲストディレクターに就任。
2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された[13]。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。
2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開)の音楽で仕事復帰[14]。本作で第70回毎日映画コンクール・音楽賞を受賞[15]。
2016年、第25回モンブラン国際文化賞を受賞[16]。
2018年、1月27日自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。
2月15日開催の「第68回ベルリン国際映画祭」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる[17]。
思想・活動など
政治思想に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、塩崎恭久と馬場憲治の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には武満徹を中傷する過激なビラを配ったこともあった。これについて坂本は、武満は当時音楽界の権力の象徴だったからと、武満の没後語っている。中傷された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという。なお、坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していたオペラからインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『BTTB』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを少なからず意識していた。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、野口晴哉の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。作家や思想家など知識人との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである(#関連項目参照)。
1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った[18]。MAA (メディア・アーティスト・アソシエイション) 設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから環境・平和問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するためのチャリティーソングとしてGLAY、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、DJ KRUSHらを迎えて制作した『ZERO LANDMINE』[19]やアメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集『非戦』を発表している。
2004年には音楽評論家高橋健太郎やピーター・バラカンらの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、国会で審議されていた音楽レコードの還流防止措置(レコード輸入権)に反対を表明した[20]。
2006年2月には、PSE問題に絡み、松武秀樹、椎名和夫とともに2006年4月に本格的に施行される電気用品安全法(PSE法)に反対する署名を募集[21]。経済産業省がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。また、同年5月にはShing02、クリスチャン・フェネスらとともに青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクトSTOP ROKKASHOをスタートし、河野太郎、保坂展人らの政治家、小室哲哉らのミュージシャンからも賛同を得ている[22]。
2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。東日本大震災後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。
2012年1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 more trees による被災地支援プロジェクト「LIFE311」と、サイバーエージェントのソーシャルゲームピグライフと連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定(3月31日まで)で立ち上げた[23]。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。
憲法9条の改正に強く反対しており、選択的夫婦別姓制度導入にも賛同する。
数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の被災地支援プロジェクト『LIFE311』など、様々な側面から復興支援に尽力した。[24]。2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、加藤登紀子、小林幸子、コロッケ、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛らと共に「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている[25]。
2015年には、安倍晋三内閣総理大臣の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している[26]。
2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた[27]。
自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている[28]。
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音楽活動
坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文のなかで音楽評論家の秋山邦晴は「なかなかピアノも巧い」と評している。また処女作千のナイフでは現代音楽家の高橋悠治との連弾を行っている。加藤登紀子が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。フランツ・リストの難曲ラ・カンパネラを藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。
音楽を担当した映画「ラストエンペラー」においてアカデミー作曲賞を受賞[注 2]した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌「GOETHE」で述べている。
現代音楽への進出は、原田力男の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行ったが、そのときの作風は20世紀前半の近代和声の段階に「意図的に」留まっている。YMO散開後の1984年、題名のない音楽会においてオーケストラを用いて行われたニューアルバム『音楽図鑑』のプロモーションで用いた技法は1960年代に一世を風靡したフランク・ステラのような単色のミニマリズムではなく、時代遅れのものとされオーケストラの濁った音で奏でられるポスト・ミニマルであった。
学生時代にヤニス・クセナキスの作曲法を取り入れようとしたが、数学ができなくて挫折した。太田出版から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。多くの著書でジェルジ・リゲティやオリヴィエ・メシアンに言及しているが、自身の音楽語法はフィリップ・グラスやトム・ジョンソンのような簡明なパターンの羅列を好んでいる。
YMOでの活動は国内外のオーバーグラウンド・ニューウェーヴに革新を起こしたが坂本はそれと平行し、国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンドフリクションのファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリストPhewのソロデビューシングルでのコラボレーション、山崎春美の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていたアート・リンゼイとの親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは満足に言葉も交わせず一方的に敵意を向けられていたが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーしたらあっさり快諾、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。
J-WAVEにて2004年放送の番組「ゆく都市くる都市・新春放談」では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成にコンプレックスがあると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。
コンサートではほとんど年齢制限を設けたことはなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年5月12日「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となったbunkamuraオーチャードホールでは、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。
歌は上手くないと自認している。ダウンタウンのごっつええ感じに出演した際、『君に、胸キュン。』を歌ったら浜田雅功にツッコまれてしまった程である。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『左うでの夢』『ビューティ』『SMOOCHY』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。
幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、カントリー・ミュージックとハワイアンだけはなじめないと発言していた[29][30]が、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。
ヘヴィメタルミュージシャンと競演したこともあり、「今夜はブギー・バック」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン小沢健二と対談もしている[31]。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティスト達とも共演したり、YMOチルドレンのLUNA SEAのSUGIZOのソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックからダウンタウンのプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している[32]。
若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねた事もあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという[33]。
出版活動
1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。
また、1984年に、シリーズ<週刊本>から刊行された『本本堂未刊行図書目録』(朝日出版社)も話題となった。その本で予告されたのは、浅田彰著/井上嗣也装幀『煉獄論あるいはゴダール・スペシャル』、南方熊楠著/井上嗣也装幀『男色と免疫疾患』、赤瀬川原平装幀『糸井重里児童文学全集』、武邑光裕編/細野晴臣装幀『往復書簡 ウィリアム・バロウズ-出口王仁三郎』、中沢新一構成/坂本龍一ピアノ/日比野克彦装幀『グルジェフ体操カセットブック』などの、50冊であった。
本本堂から、実際に刊行された書籍は以下のとおり。
- 長電話 高橋悠治,坂本龍一 本本堂, 1984年5月
水牛楽団休業 [録音資料] 浅田彰+坂本龍一編 本本堂, 1984年10月- 音楽図鑑坂本龍一 坂本龍一 本本堂, 1985年6月
- 未来派2009 坂本龍一+細川周平監修 本本堂, 1986年4月
- 写真集『ラストエンペラー』 坂本龍一編 本本堂, 1988年4月
- キリコのコリクツ 玖保キリコ 本本堂, 1989年4月
「教授」という愛称
- 一般に「教授」という愛称で広く親しまれているが、これは高橋幸宏が付けたものである。
- 高橋がテレビ番組で語ったところによると、坂本と高橋が初めて会った時、坂本が東京芸術大学の大学院生だと聞いた高橋が驚いて、「大学教授にでもなるの?」と尋ねたことがきっかけ。アスペクト刊「イエロー・マジック・オーケストラ」には坂本が大学院生であることを知った高橋が「じゃあ、プロフェッサーだから『教授』」と名付けたとある。イエロー・マジック・オーケストラ結成直後にニューミュージックマガジンから取材を受けた時にはすでに「教授」の愛称が使われている(同誌1978年10月号)。
- 「教授」と呼ばれる前、当時の坂本の風貌が野球漫画「あぶさん」の主人公である景浦安武に似ていることから「あぶ」と呼ばれていた。
- 2014年より母校である東京芸術大学において、客員教授を務めている。
ディスコグラフィー
坂本龍一が提供、プロデュースした楽曲は坂本龍一提供楽曲一覧を参照。
スタジオアルバム
千のナイフ(Thousand Knives, 1978年)
B-2ユニット(B-2 Unit, 1980年)
左うでの夢(Left Handed Dream, 1981年)
コーダ(Coda, 1983年)
音楽図鑑(Illustrated Musical Encyclopedia, 1984年)
エスペラント(Esperanto, 1985年)
未来派野郎(Futurista, 1986年)
ネオ・ジオ(Neo Geo, 1987年)
ビューティ(Beauty, 1989年)
ハートビート(Heartbeat, 1991年)
スウィート・リヴェンジ(Sweet Revenge, 1994年)
スムーチー(Smoochy, 1995年)
1996 (1996年)
ディスコード(Discord, 1997年)
BTTB(Back to the Basic, 1998年)
コミカ(Comica, 2002年)
エレファンティズム(Elephantism, 2002年)
キャズム(CHASM, 2004年)
アウト・オブ・ノイズ(out of noise, 2009年)
Playing the Piano(2009年)– 『/04』と『/05』に「水の中のバガテル」と「Bolerish」を追加。“special edition”は『out of noise』との2枚組(2011年にサイン入りで限定100枚、海外盤のみ)。
音楽図鑑-2015 Deluxe Edition-(2015年)
async(2017年)
シングル
WAR HEAD(1980年7月21日)
フロントライン(Front Line, 1981年)- メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス(Merry Christmas Mr. Lawrence, 1983年)
フィールドワーク(Field Work, 1985年)
ステッピン・イントゥ・エイジア(Steppin' Into Asia, 1985年)- G.T.(1986年)
ビハインド・ザ・マスク(Behind The Mask,1987年)※12インチシングル- リスキー(Risky, 1987年)※7インチシングル/12インチシングル/CDV
アンドゥ#1(Undo #1, 1989年)
ユー・ドゥ・ミー(You Do Me, 1990年)
ウィー・ラヴ・ユー(We Love You, 1990年)- サヨナラ(Sayonara, 1991年)
- タイナイカイキII(Tainai KaiKi II, 1992年)※海外盤タイトルは「heartbeat」
二人の果て(1994年)※featuring 今井美樹
- Movin' on(1994年)※国内盤未発売
- love & hate(1994年)※国内盤未発売
08/21/1996(1996年8月21日)- El Mar Mediterrani(1997年)
- ジ・アザー・サイド・オブ・ラヴ(The Other Side of Love, 1997年) ※「featuring Sister M」とクレジットされている。Sister Mとは坂本の娘の坂本美雨のことである。
砂の果実(1997年) ※「中谷美紀 with 坂本龍一」とクレジットされている。上記曲の日本語ヴァージョン。- Anger/Grief(1998年)※国内盤未発売
- prayer/salvation(1998年)※国内盤未発売
ウラBTTB(Ura BTTB, 1999年)
アンダークールド(undercooled, 2004年)- 海の道(2006年)※CM楽曲着うた配信限定
koko(2008年)- nord(2009年)※北海道地区限定リリース
- aubade(2009年)※アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CM楽曲着うた配信限定
- TIMELESS PASSION (2014年)※パークハイアット東京開業20周年記念のCD BOOK
ミニ・アルバム
- オネアミスの翼〈イメージスケッチ〉(1987年)
- Music For Yoji Yamamoto Collection 1995(1996年)
ベスト・アルバム
グルッポ・ムジカーレ(1989年9月22日)- 決定版・坂本龍一 ベストセレクション(1990年)
グルッポ・ムジカーレII(1993年6月21日)
ベスト・オブ・坂本龍一ヴァージン・トラックス(1993年3月31日)
ベスト・オブ・坂本龍一サウンドトラックス(1993年3月31日)
OPERA(1993年11月21日)- WORKS OF R.SAKAMOTO(1993年)※The CD CLUB(通販)
- Soundbytes(1994年)※海外盤のみ
ベリー・ベスト・オブ・グート(1998年4月22日)- COMPLETE INDEX OF GÜT (1999年)※DISC4に未発表曲6曲収録。
- ピュア・ベスト(2001年9月27日)
US(2002年10月23日)
UF(2002年10月23日)
CM/TV(2002年10月23日)- ワークスI - CM(2002年)
- ワークスII - TV/Inst(2002年)※このシリーズでは、1980年から1985年に発表の作品を中心に収録。
- moto.tronic(2003年)※海外盤のみ
リミックス・アルバム
- RYUICHI SAKAMOTO IN THE '90S(1991年)
- ハートビート 〜リミクシーズ〜(1991年)
ハード・リヴェンジ(Hard Revenge, 1994年)
スヌーティー(Snooty, 1996年)- ディスコード グートニンジャ・リミキシーズ(Discord gütninja remixes, 1999年)
LIFE IN PROGRESS(1999年)- music plans skmt tribute(2005年)
ブリコラージュ(Bricolages, 2006年)- ASYNC REMODELS(2017年)
ライヴ・アルバム
メディア・バーン・ライヴ(Media Bahn Live, 1986年)
プレイング・ジ・オーケストラ(Playing the Orchestra, 1988年)- “スウィート・リヴェンジ”ツアー1994("Sweet Revenge" tour 1994, 1994年)
Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996(1996年)
RAW LIFE OSAKA(1999年)
RAW LIFE TOKYO(1999年)- CINEMAGE(1999年)※海外盤のみ
AUDIO LIFE(2000年)
イン・ザ・ロビー・アット・G.E.H.・イン・ロンドン(In The Lobby At G.E.H. In London, 2001年)
プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン(Playing the Piano 2009 Japan, 2009年)
playing the piano usa 2010 korea 2011 - ustream viewers selection -, 2011年
- Playing the Orchestra 2013 (2013年)
セルフカヴァー・アルバム
1996(1996年)
/04(2004年)
/05(2005年)- THREE(2012年)
- THREE Deluxe Edition(2013年)海外盤のみのリリース。附属のDVDは日本ツアーの物販のEUツアーのブルーレイディスクと同内容。収録はドイツのHamburg(ハンブルク)とKarlsruhe(カールスルーエ)の2公演から。
非売品レコード・CD・ファイル
LEXINGTON QUEEN(六本木「LEXINGTON QUEEN」, 1980年)- い・け・な・い ルージュマジック(資生堂、1982年)※B面は「インスツルメンタル(表記通り)」7インチシングル
- LIFE IN JAPAN(日本生命、1983年)※12インチシングル (※後にVocal版が『音楽図鑑 完璧版』、ベストアルバム「CM/TV」と「Works」シリーズに収録。)
- 空に会おうよ&プロローグ・大地の詩/フェスタ・エリカの夢(国際科学技術博覧会 住友館、1985年)
※「空にあおうよ」はモモの歌入り。作詞は矢野顕子。7インチシングル (※後に「Works」シリーズに収録。)
- COMPUTE,COMPUTE,COMPUTE(京セラ、1987年)
- THE GARDEN(TOKIO KUMAGAI、1989年)
- FLOATING ALONG(日産自動車)
- YOU DO ME(NEC)※音源は市販されたものと同じ。
- THE IMAGE MUSIC(鹿島建設)
- コンピューターおばあちゃん ※NHK みんなのうたのBGMで編曲のみ。
- The Fantasy of Light & Life(Expo '90電力館、1990年)
- The Heart of Asia(Cathay Pacific、1994年) ※「CM/TV」に収録されているテイクはM5のreprise。M1は4:14
- snooty抜粋3曲入りプロモ(1996年)※短冊7cmシングル
- COMPLETE INDEX OF GÜT抜粋5曲入りプロモ(1999年)
GEM(2002年)※非売品(2002年に発売されたベストアルバム「US」「UF」「CM/TV」の初回盤のみの特典として、応募券3枚を集め送るともらえた“坂本龍一お宝音源”を収録したCD)- WORLD CITIZEN - i won't be disappointed(music for J-WAVE、2003年)※坂本本人のナレーションと曲紹介から始まるショートヴァージョン。
- ASIENCE(花王、2004年)※M2のstring quartet ver.は未発表
- +33(ルイ・ヴィトン)※後に「/04」に収録された。
- The Land Song(六本木ヒルズ)※後に無償配信された。
- 26-Windb theme rev nobell (2005年)※nokia8801に添付されているCD-Rに音楽ファイルとして収録。
- wind, cypresses & absinthe(2012年)※「メトロポリタン美術館展」テーマ曲。図録に添付。
- Blu (2014年) ※「洋服の青山」CM曲
- Whitescape #1 (2014) ※札幌国際芸術祭2014のホームページ用サウンド
- XSOL CM TUNE(2014) ※2曲がXSOLのHPよりDLが出来た。1曲のタイトルは「Urlicht」
- Music for Fashion Museum (2013) ※「ISETAN」リニューアル後の正面入り口のウェルカム曲
- 命の循環 (2014) ※NHK for SchoolのダンゴムシのBGM
TVなどのサウンド・トラック
- アリスの叛乱(演劇、脚本・監督:高取英、1978年)
天外魔境 ZIRIA(1989年)※メインテーマを含む計3曲を提供- ピーチ・ボーイ -桃太郎-(Peach Boy - Momotaro -, 1992年)※童話「桃太郎」の英語朗読(シガニー・ウィーバー)のバックに流れる音楽を担当
- ワイルド・パームス(Wild Palms, 1992年)※アメリカのテレビドラマのサウンドトラック。
ストーカー 逃げきれぬ愛(1997年)
セガ・ドリームキャストサウンドロゴ(1998年)※いわゆる起動音- L.O.L(Lack of Love, 2000年)※ドリームキャストのゲーム「Lack of Love」の音楽。坂本はゲーム自体のプロデュースも行っている。
- ロスト・チャイルド(Lost Child, 2000年)
永遠の仔(2000年)※2曲に使用- 変革の世紀(Henkaku No Seiki - Changing Century, 2002年)※NHKの同名番組のテーマ曲。
不毛地帯(2009年)※メインテーマ。
大河ドラマ・八重の桜(2013年)※オープニングのテーマ音楽のみ。- 朝日放送オープニングテーマ曲(1990年。朝日放送テレビは1990年 - 1998年、朝日放送ラジオは1992年 - 2014年の間使用)
映画音楽
戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr Lawrence, 1983年) - 英国アカデミー賞受賞。
子猫物語(Adventures of Chatran, 1986年)
王立宇宙軍〜オネアミスの翼(Aile De Honneamise - Royal Space Force, 1987年)
ラストエンペラー(The Last Emperor, 1988年) - 米アカデミー賞[注 2]、LA映画批評家賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞受賞。
ブラック・レイン(1989年)※1曲使用
侍女の物語(The Handmaid's tale, 1990年)
シェルタリング・スカイ(The Sheltering Sky, 1991年) - ゴールデングローブ賞、LA映画批評家賞受賞。
ハイヒール(High Heels, 1991年)
嵐が丘(The Wuthering Heights, 1992年)
リトル・ブッダ(Little Buddha, 1993年) - グラミー賞ノミネート。
ワイルド・サイド(Wild Side, 1995年)
スネーク・アイズ(Snake Eyes, 1998年)
愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像(Love is the Devil - Study for a portrait of Francis Bacon -, 1999年)
鉄道員(ぽっぽや)(Poppoya, 1999年)
御法度(Gohatto, 1999年)
- アレクセイと泉(Alexei and the Spring, 2002年)
ファム・ファタール(Femme Fatale, 2002年)
デリダ(Derrida, 2003年)- Life is Journey(2003年)
- Rubios,Los(2003年)
アップルシード(2004年)※アルバム『キャズム』収録の「coro」が使用されている。
トニー滝谷(TONY TAKITANI, 2004年)※サウンドトラックのリリースは2007年。
- Original Child Bomb(2004年)
- Peach One Day(2004年)※アルバム『ハートビート』収録の「nuages」が使用されている。
- Zarin(2005年)
星になった少年(Shining Boy & Little Randy, 2005年)
バベル(Babel, 2006年)※オリジナル・アルバムより3曲使用されている。
シルク(SILK, 2008年)
- women without men(2008年) - ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞。
一命(2011年)
新しい靴を買わなくちゃ(2012年)※コトリンゴとの共作。サントラ14曲中6曲収録。- 戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition-(2013年)
- 未発表ヴァージョンを多数収録してリマスタリングで2枚組SHM-CD仕様でリリース。リマスタリング・エンジニアは、オノセイゲンが担当。
母と暮せば(2015年)
レヴェナント: 蘇えりし者(The Revenant, 2016年)[34] - ゴールデングローブ賞ノミネート[35]。
怒り(2016年)[36]
日本と再生 光と風のギガワット作戦(2017年) - 新垣隆と共作
米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー(2017年)
STAR SAND-星砂物語-(2018年)- 天命の城 (南漢山城,2018年)
バンド・ユニット・コラボ活動
YMOについてはイエロー・マジック・オーケストラの項を参照。
- ディスアポイントメント・ハテルマ(Disappointment - Hateruma, 土取利行+坂本龍一, 1976年)
- 東京ジョー(Tokyo Joe, 坂本龍一&渡辺香津美, 1978年)
サマー・ナーヴス(SUMMER NERVES, 坂本龍一&カクトウギ・セッション, 1979年)
山下達郎、大村憲司、吉田美奈子、小原礼などとのコラボレーション。
い・け・な・いルージュマジック(忌野清志郎+坂本龍一, 1982年)※シングル- エンド・オブ・エイジア(the End of Asia, 坂本龍一+ダンスリー, 1982年)
- アレンジメント(THE ARRANGEMENT, 坂本龍一&ロビン・スコット), 1982年)
- バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック(Bamboo Houses/Bamboo Music, デヴィッド・シルヴィアン&リュウイチ・サカモト, 1982年)※シングル
- 禁じられた色彩(Forbidden Colours, リュウイチ・サカモト&デヴィッド・シルヴィアン, 1983年)※シングル
フィールドワーク(Field Work, トーマス・ドルビー&坂本龍一, 1985年)※シングル,12インチシングル
ゼロ・ランドマイン(ZERO LANDMINE, N.M.L., 2001年)※シングル- カーザ(CASA, モレレンバウム2/サカモト, 2001年)
- ライヴ・イン・トーキョー・2001(LIVE IN TOKYO 2001, モレレンバウム2/サカモト, 2001年)
- ア・デイ・イン・ニューヨーク(A DAY IN NEW YORK, モレレンバウム2/サカモト, 2003年)
- ワールド・シチズン(WORLD CITIZEN - i won't be disappointed, 坂本龍一+デヴィッド・シルヴィアン, 2003年)※シングル
- vrioon(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2003年)
- insen(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
- Sala Santa Cecilia(Christian Fennesz+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
- revep(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2006年)
- cendre(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2007年3月28日)※クリスチャン・フェネスとのユニット
- Ocean Fire(WILLITS+SAKAMOTO, 2007年10月17日)※クリストファー・ウィリッツとのユニット
- Ancient Future(WILLITS+SAKAMOTO, 2012年7月31日)※クリストファー・ウィリッツとのユニット
UTAU (2010年11月10日)– 大貫妙子&坂本龍一
- 2枚組は坂本龍一のピアノのみの楽曲が収録。
- flumina(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2011年8月3日)※クリスチャン・フェネスとのユニット
- Disappearance (Ryuichi Sakamoto + en:Taylor Deupree , 2013年7月10日)
- Snow, Silence, Partially Sunny (Sachiko M + Ryuichi Sakamoto, 2012年12月19日)
- 山口情報芸術センター(YCAM)のみの限定販売。
その他アーティストとのコラボレーション
- 「誰も僕の絵を描けないだろう」(友部正人、1975年)
- 「物語のようにふるさとは遠い」(富岡多恵子、1976年)
- 「終曲/うらはら」(Phew、1980年)※シングル
- 「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」(スネークマンショー、1981年)※エリック・サティ「ジムノペディ」の演奏を収録。
- 「愛はすべてを赦す」(加藤登紀子、1982年)
- 「な・い・し・ょのエンペラーマジック」(TACO、1983年)※山崎春美が率いたユニットとのコラボレーションでアルバム『TACO』に収録。
- 「ネイヂ・カンドリーナ (Neide Candolina)」、「うつくしいおまえ (Lindeza)」(カエターノ・ヴェローゾ、1991年)※アルバム『シルクラドー』に収録。
- 「ASIAN GAMES」(山下洋輔、ビル・ラズウェル、1993年)
- 「Sovereign」(アート・リンゼイ、1995年)※アルバム『曖昧な存在』に収録。
- 「VOLTEX OF LOVE」(小室哲哉、1995年)※アルバム『Avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP』に収録。
- 「RETROFIT」(佐藤理、1995年)※アルバム『EQUAL』に収録。
- 「RETROCOGNITION」(佐藤理、1995年)※アルバム『EQUAL』に収録。
- 「A Flower Is Not A Flower」(KENNY WEN、1997年)
- 「桜のころ」(甲本ヒロト、What's Love?、DANCE☆MANとのコラボレーション、2002年)
- 「I WANNA BE DOWN」(m-flo loves 坂本龍一、2004年)※アルバム『ASTROMANTIC』に収録。
- 「Asian Flower」(トベタ・バジュン feat. 坂本龍一、2008年)※アルバム『青い蝶』に収録。
- 「死んだ女の子」(元ちとせ)
- 「雪の降るまちを」(手嶌葵)
- 「風追い人」 (ACIDMAN)
- 「A Word I Give」(Goldmund、2015年)※アルバム『Sometimes』に収録。
映像作品
- 電子の拓本 ALL STAR VIDEO (現代美術家・ナム・ジュン・パイクとのコラボレーション,1984年)
- Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto (フランス公共放送FR3制作のドキュメンタリー映画, 1985年)
- TV WAR(浅田彰、RADICAL TVとのコラボレーション, 1985年)
- ADELIE PENGUINS (ビデオアーティスト・キット・フィッツジェラルド、ポール・ギャリンとのコラボレーション,1986年)
- ESPERANTO (前衛舞踏家・モリサ・フェンレイとのコラボレーション。アルバムの「エスペラント」はこの作品のサウンドトラック。)
- MEDIA BAHN LIVE (1986年)
- NEOGEO LIVE in NEW YORK(1988年)
- ビューティ・ツアー'90 (1991年)
- Sweet revenge Tour 1994 (1995年)
- D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95D&L WITH 原田大三郎(映像作家・原田大三郎とのコラボレーション, 1996年)
- Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996 (1997年)
- PLAYING THE ORCHESTRA 1997“f” (1998年)
- MORELENBAUM2 / SAKAMOTO / 3 years (DVDのみの1万枚限定生産。プライベートフォトやビデオを日記風に閲覧できる作品, 2003年)
- PLAYING THE PIANO/05 (2006年)
- LIFE - fluid, invisible inaudible...(高谷史郎とのコラボレーション, 2008年)
- utp_ (Alva Notoとのコラボレーション, 2008年)
- watch-ryuichi sakamoto playing the piano 2009 japan(2009年に行われた東京オペラシティ コンサートホールでのライヴ, 2010年)
- UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO (2010年末に開催された大貫妙子とのツアーの模様, 2011年)
- playing the piano in seoul / korea 2011 (2011年韓国からUstreamによる中継を編集したもの, 2012年)
- async surround /坂本龍一 + 高谷史郎 (2018年)
この節の加筆が望まれています。 |
書籍
単著
- 「アヴェクピアノ 戦場のメリークリスマス」思索社(1983年)
- カセットブック。アルバム『メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス』の楽譜とピアノソロヴァージョンが収録されたカセットテープがセットとなったもの。後に2曲を加え『コーダ』として再発される。
- 「本本堂未刊行図書目録: 書物の地平線」(週刊本)(1984年、朝日出版社)
- 『Seldom-illegal :時には、違法』角川書店 1989 のち文庫
- 『N/Y』田島一成写真 リトル・モア 1995
- 「Decode 20」インプレス(1997年)
- 「アフリカ・ノート」code(2000年)
- 「ブラジル・ボックス」(2001年)
- 「音楽は自由にする」新潮社(2009年)
- 坂本の半生をまとめた自叙伝。
共著
- 『音を視る、時を聴く 哲学講義』大森荘蔵共著 朝日出版社 1982 のちちくま学芸文庫
- 「水牛楽団休業」(浅田彰共編、1984年)
- カセットブック。
- 「長電話」(高橋悠治との共著、本本堂 1984年)
- 「音楽図鑑」(1985年)
- アルバム『音楽図鑑』と同時に発刊した書籍。
- 「EV.Café 超進化論」(村上龍との共著、1985年、講談社)のち文庫
- 『IN★POCKET』に連載された対談集。
- 「音楽機械論」(吉本隆明との共著、 1986年)トレヴィル のちちくま学芸文庫
- 『月刊カドカワ』に連載されたエッセイ。
- 『未来派2009 : La velocita.i rumori.il movimento.』細川周平共編 本本堂 1986
- 「友よ、また逢おう」(村上龍共著、1992年)角川書店 のち文庫
- 「ザ・ゲイシャ・ガールズ・ショウ 炎のおっさんアワー」(Ken&Shoとの共著、1995年、幻冬舎)
- 「モニカ 音楽家の夢・小説家の物語」(村上龍共著、1996年)新潮社 のち文庫
- 「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」(天童荒太との共著、2001年)文芸春秋 のち文庫
- 『エンデの警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来』河邑厚徳共編著 日本放送出版協会 2002
- 「反定義 新たな想像力へ」(辺見庸との共著、2002年)「小説トリッパー」編集部編 朝日新聞社 のち文庫
- 『Skmt. 2』後藤繁雄共著 NTT出版 2006
- 「Life : fluid,invisible,inaudible…」(高谷史郎共著、浅田彰監修 NTT出版 2007年)
- 「縄文聖地巡礼」(中沢新一との共著、2010年)
- 雑誌「ソトコト」に掲載された縄文文化に関する旅と対談をまとめた記事をさらに追記したもの。
- 「LIFE-TEXT」(高谷史郎との共著、2010年)
1999年に発表されたオペラ「ライフ」と2007年の「インスタレーション」をまとめたビジュアルブック。
- 『いまだから読みたい本-3.11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選 小学館 2011
- 『クロニクルFukushima』大友良英著 宇川直宏,遠藤ミチロウ,木村真三,丹治博志・智恵子・宏大,森彰一郎,和合亮一共著 青土社 2011
- 『脱原発社会を創る30人の提言』池澤夏樹,池上彰ほか共著 コモンズ 2011
- 『地球を聴く 3・11後をめぐる対話』竹村真一共著 日本経済新聞出版社 2012
- 『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』編纂チーム共編 小学館スクウェア 2012
- 『フクシマからはじめる日本の未来』大友良英,金子勝,児玉龍彦共著 アスペクト 2012
- 『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』北野宏明,浅田彰,伊藤穰一,竹中直純,赤尾健一,塩崎恭久 述 スペースシャワーブックス 2013
監修・聞き書き等
- 「未来派2009」(坂本龍一・細川周平監修、1986年)
- 「気分転換法77」(サワグチ・サイキック・センター著、坂本龍一監修、1987年)
- 「写真集『ラストエンペラー』」(バジル・パオ他写真、坂本龍一編、1988年)
- 「テクノドン」(後藤繁雄編・著、1993年)
- 「skmt」(後藤繁雄著、1999年)
- 「伝説の編集者坂本一亀とその時代」(田邊園子、2003年)
- 「坂本龍一・全仕事」(山下邦彦編、1991年)
- 「坂本龍一・音楽史」(山下邦彦編、1993年)
- 「楕円とガイコツ」(山下邦彦著、2000年)
- 「非戦」坂本龍一+sustainability for peace監修、2002年
- 「エロコト」(編集長:坂本龍一、ソトコト2006年11月号増刊)
- 「ラブコト」 (編集長:坂本龍一、ゲストエディター:蝶々、ソトコト2008年8月号増刊)
- 「坂本龍一の音楽」(山下邦彦編著、2008年)
- 「ユリイカ4月臨時増刊号・総特集坂本龍一」(2009年)
- 2003―飯野賢治対談集(1999年、ソニーマガジン) ISBN 978-4789713597
フォトグラファー
- 「エロコト」第1号(ソトコト2006年11月号増刊/責任編集:坂本龍一、アート・ディレクション:信藤三雄)
- THE NAKED LUNCH 裸のランチ(写真:坂本龍一、モデル:天海麗)
出演
俳優としての出演作品
映画
- 「戦場のメリークリスマス」(1983年)
- 「ラストエンペラー」(1987年)※日曜洋画劇場版の日本語吹き替えも担当。
- 「New Rose Hotel」(1998年)
CM
新潮社「新潮文庫」(1981年)
日本生命「新・青春の保険『YOU』」(1983年-1984年)
味の素ゼネラルフーヅ「AGFグランデージ」(1984年)
セイコー「ALBA」(1984年)
フジテレビ 「秋のフジテレビ しなやか思想」(1985年、おニャン子クラブと共演)
京セラ「サムライ」(1987年)
協和発酵キリン(旧:協和発酵)「サントネージュワイン」※現在は、アサヒビールから販売されている。
日産自動車「セドリック」(Y31前期型)(1987年6月-1989年6月)
サッポロビール
- 「サッポロドラフト」(1989年)
- 「大人エレベーター」(2018年)
NEC「C-LIFEフェア」(1990年)
東芝「BSアリーナ」(1992年)
マイカル「ビブレ」(1992年)
ダイエー「ダイエーのお正月・新春福々市」
カルピス食品工業「ゆうゆう茶」(1995年)
武田薬品工業「アリナミンA錠」(1990年)
アウディ「A6」(1995年)
三菱電機「携帯電話・ディーガ」「アプリコット」(1996年)
NTT「NTT電話機・ハウディ」- 「バドワイザー」(1998年)
三共(現:第一三共)「リゲインEB錠」(1999年)
トヨタ自動車「プリウス」- 「NEW BALANCE」(2004年)
サントリー「山崎」(2002年)、「ウイスキー統合」(2010年)
麒麟麦酒「ラガービール」(2007年)※YMOとして出演。
JP日本郵政グループ「年賀キャンペーン」(2008年)
サムスン電子
- 「SoftBank 930SC」(2008年)
- 「SoftBank 931SC」(2009年)
- 「docomo PRO series SC-01B」(2010年)
江崎グリコ「ポッキー」(2010年)※YMOとして出演。
エクソル
- 「ストロングメッセージ篇」(2012年)
- 「パワー・イノベーション篇」(2013年)
- 「ソーラーコンサート篇」(2014-2015年)
- 日産自動車「リーフ」(2012年2月-)
キリンビバレッジ「ファイア ブラック」(2016年)[37]
ミュージック・ビデオ
マドンナ「レイン」(1993年)
TV・ラジオ
NHK-FM「サウンドストリート」火曜日(1981年4月7日 - 1986年3月18日、パーソナリティ)
TOKYO FM「サウンドビジュアート 不思議の国の龍一」(1986年10月5日 - 1987年9月27日、パーソナリティ)- TOKYO FM「TOSHIBA PREMIA 3」(1990年4月 - 1992年3月、山下達郎・氷室京介と週替わりでパーソナリティを担当)
J-WAVE「RADIO SAKAMOTO」(奇数月第1日曜 24:02 - 26:02、パーソナリティ)
フジテレビ「オレたちひょうきん族」(前期の1983年頃、ビートたけしと明石家さんまが共演するタケちゃんマンのコントでゲスト出演していた)- フジテレビ「ダウンタウンのごっつええ感じ」(アホアホマンのゲスト・アホアホブラザー役)
毎日放送「Ryu's Barスペシャル21」(ゲスト)
日本テレビ「笑い飯の臭い飯〜ザ・監獄漫才〜」(2005年6月)
NHK「サラリーマンNEO」2007年・年の瀬スペシャル(2007年12月30日、コント「私とNEO」にて本人役で出演)- NHK「爆笑問題のニッポンの教養」(2009年9月1日)
NHK教育「“スコラ”坂本龍一 音楽の学校」(レギュラー出演)
- シーズン1(2010年4月3日 - 6月19日)
- シーズン2(2011年10月1日 - 12月17日)
BSジャパン開局 10周年記念番組 美しい地球の讃歌(2010年5月22日)
細野晴臣イエローマジックショー2(2019年1月1日、NHK BS4K/1月2日、NHK BSプレミアム)[38]
コンサート
Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2002
脚注
注釈
^ 坂本が書いたピアノスケッチ譜に基づいて、実際のオーケストレーションは、坂本本人を含む、東京芸術大学作曲科後輩のアレンジャー川崎絵都夫、上野耕路、野見祐二、渡辺蕗子らが分担した。
- ^ abcd外部リンクに映像
^ バスケットボール部に所属した。
^ 塩崎恭久、野中直子と同期。
^ この時の闘争仲間に、後に「アクション・カメラマン」になった馬場憲治がいた。
^ 坂本が東京都立新宿高等学校一年生の時、坂本の作曲の腕前に関して、高校の先輩の池辺晋一郎から「このままの実力でも(東京芸大に)十分受かる」と太鼓判を押された。芸大受験に失敗した場合は、父の母校である日本大学芸術学部に進むことを考えていた。その理由は「当時の日大全共闘は一番ぶっちぎれていたから」。(「SELDOM - ILLEGAL - 時には、違法」、1989年、角川書店より)
^ 受賞のコメントで「売れようとか思ってやったわけではないので、自分のやったことが評価されただけ」と述べたという。
^ この番組にテープを送っていたリスナーで後にメジャーデビューしたのが、ジュラン、テイ・トウワ、槇原敬之らであり、またステッピン・イントゥ・エイジアでラップを担当した浅野智子もこの特集がきっかけで、同曲のレコーディングに参加することになった。ここで流された曲の一部が後に「DEMO TAPE-1」としてCD化されている。
^ 本人は「日本人が外国人に歌舞伎をお願いするようなものだ」と語っている。
^ 高橋幸宏によると「非常に嫌々やっていた」。
^ 4人のうち1人(長男)は矢野顕子が前夫である矢野誠との間にもうけた連れ子で、坂本と養子縁組はしていたものの血縁関係はない。なお、矢野との離婚後も養子関係を継続しているかは明らかでない。2015年7月に美雨が女児を出産した際には、この女児が坂本にとっての初孫と報じられている(矢野にとっての初孫は2014年秋に生まれた長男の子供)。
出典
^ “坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続”. スポーツニッポン (2014年7月10日). 2017年3月14日閲覧。
^ 第9回 「禁煙」について言いきる Web Magazine OPENERS - 坂本龍一の「上から」言いきる.... 2008年7月28日
^ 2009年3月10日放送TBS「はなまるマーケット」での発言。
^ ほぼ日刊イトイ新聞-矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。
^ 坂本龍一著 『音楽は自由にする』 新潮社、2009年、23頁
^ commmons: schola vol.4 Ravel
^ 『戦場のメリークリスマス』でも坂本とデヴィッド・ボウイと抱擁しながらのキスシーンがある
^ 「夜のヒットスタジオ」より。
^ 坂本龍一&矢野顕子 大型カップルの別居・離婚 日刊ゲンダイ、2014年8月13日
^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52
^ 番組内では音声は伏せられたものの「K」と「C&A」と画面には表示し、さらに「K」について司会の古舘伊知郎は「ゲゲゲが付いたら」とヒントを挙げている。
^ 坂本龍一さんに「日本賞」取り組み評価 日刊スポーツ2013年2月10日閲覧
^ 音楽家 坂本龍一に関するお知らせ http://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201407101307.html
^ “坂本龍一、がん療養からの復帰作は山田洋次監督映画”. 日刊スポーツ (2015年8月3日). 2015年8月3日閲覧。
^ “毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」”. 毎日新聞 (2016年1月21日). 2016年1月21日閲覧。
^ “坂本龍一、グラミー賞こだわらず「欲張る気持ちはない」”. ORICON STYLE. (2016年12月21日). http://www.oricon.co.jp/news/2083366/full/ 2016年12月22日閲覧。
^ “坂本龍一、ベルリン映画祭で審査員!政治的ではなく芸術的な視点で”. シネマトゥデイ. (2018年2月16日). https://www.cinematoday.jp/news/N0098468 2018年2月17日閲覧。
^ A nous, la Liberte!
^ TBS50周年特別企画 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」
^ 先見日記 insight diaries
^ “アーカイブされたコピー”. 2006年2月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2006年2月21日閲覧。
^ stop-rokkasho.org
^ 「LIFE311」とピグライフがコラボ 坂本龍一さんの環境団体被災地支援プロジェクト - 産経新聞 2012/01/11 18:27
^ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧
^ 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート
^ 「坂本龍一さんら各界著名人も市民と連携」、東京新聞、2015年8月31日
^ 沖縄県民大会に坂本龍一さんらメッセージ きょう午後2時開催 暴行殺人事件に抗議、沖縄タイムス、2016年6月19日
^ 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について T JAPAN:The New York Times Style Magazine
^ NHK-FMサウンドストリートでの放送の発言より。
^ 2011年1月11日WebマガジンOPENERS連載「上から言い切る」より。
^ 1994年月刊カドカワ「世界の肌ざわり」
^ Sweet revenge Tour 1994 (1995年)
^ 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について T JAPAN:The New York Times Style Magazine
^ “坂本龍一 オスカー獲得監督と夢タッグ”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2015年10月13日). http://www.daily.co.jp/gossip/2015/10/13/0008478464.shtml 2015年10月13日閲覧。
^ “坂本龍一、ゴールデン・グローブ賞にノミネート!自身3度目の快挙”. シネマトゥデイ (株式会社シネマトゥデイ). (2015年12月10日). http://www.cinematoday.jp/page/N0078746 2015年12月11日閲覧。
^ “坂本龍一が映画「怒り」音楽を担当、主題曲には2CELLOSが参加”. 音楽ナタリー. (2016年6月16日). http://natalie.mu/music/news/191043 2016年6月16日閲覧。
^ “<新・KIRIN FIRE 誕生。>三浦知良さん 柳楽優弥さん 坂本龍一さんを新たにイメージキャラクターに起用し新CMを展開!”. PR TIMES. (2016年10月4日). http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000017850.html 2016年10月11日閲覧。
^ “『細野晴臣イエローマジックショー2』に星野源・水原希子・宮沢りえら出演”. マイナビニュース エンタメ (マイナビ). (2018年10月30日). https://news.mynavi.jp/article/20181030-716132/ 2019年1月13日閲覧。
関連項目・人物
坂本一亀(父)
矢野顕子(元・妻)
坂本美雨(娘)
下村彌一(母方の祖父)
イエロー・マジック・オーケストラ(坂本もメンバーとして活動)
スネークマンショー(坂本も参加)
テイ・トウワ(坂本も参加)
村上龍(友人)
見城徹(友人)- マイケル・ジャクソン
- 奥村靫正
- 後藤繁雄
- ap bank
- alan
- グレン・グールド
- ダウンタウン
- 塩崎恭久
- 加藤和彦
- 川崎絵都夫
- 鈴木行一
- 小泉文夫
- 川田龍平
- 松武秀樹
- 浅田彰
- 中沢新一
- 大島渚
- 中上健次
- 柄谷行人
- 大貫妙子
- 原田大三郎
- 原田知世
- ピーター・バラカン
カザルスホールを守る会(発起人の一人)
日本未来の党 - 「びわこ宣言」の賛同人に稲盛和夫、茂木健一郎、菅原文太、鳥越俊太郎とともに名を連ねる。- 飯野賢治
外部リンク
sitesakamoto.com - 公式サイト
ryuichisakamoto (@ryuichisakamoto) - Twitter
skmtcommmons (@skmt09) - Twitter
Ryuichi Sakamoto (skmtgram) - Instagram
坂本龍一 - Facebook
坂本龍一 - Discogs
- 坂本龍一 @ WARNER MUSIC JAPAN OFFICIAL SITE
Sony Classical[リンク切れ]
- 坂本龍一|SonyMusic
KAB - 事務所公式サイト
Ustream - 2010年坂本龍一北米ツアーUST生中継の有志作成スペシャルサイト- commmons official website
- J-WAVE RADIO SAKAMOTO
矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。 - ほぼ日刊イトイ新聞内- 映画音楽《ラストエンペラー》のオーケストレーター:川崎絵都夫先生へのインタビュー(早稲田大学第二文学部 機関紙記事)
- 坂本龍一相談室「上から」言いきる....
The Last Emperor Wins Original Score: 1988 Oscars - YouTube 坂本龍一「ラストエンペラー」アカデミー作曲賞(受賞スピーチ映像)- 坂本龍一 - NHK人物録
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