ワイルド・サモアンズ
ザ・ワイルド・サモアンズ(The Wild Samoans)は、かつてアメリカ合衆国で活動したプロレスのタッグチーム。東サモア諸島出身のプロレスラー、アファ・アノアイとシカ・アノアイの兄弟で結成された。
原住民スタイルのバーバリアン系ヒールとして北米の主要テリトリーで活躍し、日本では「南海の獣人」の異名で呼ばれた。
目次
1 メンバー
2 来歴
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
メンバー
アファ・アノアイ(Afa Anoa'i、1942年11月21日 - )
- ワイルド・サモアン1号。身長188cm、体重137kg。アノアイ・ファミリーの総帥。
シカ・アノアイ(Sika Anoa'i、1945年4月5日 - )
- ワイルド・サモアン2号。身長188cm、体重130kg。アファの実弟。
※1983年から1984年にかけては、WWFにおいてアファの息子サムラ・アノアイ(Samula Anoa'i)もサモアン3号としてメンバーに加わっていた。
来歴
少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、兄のアファはアメリカ海兵隊除隊後の1971年にプロレスラーとしてデビュー[1][2]。後に弟のシカもデビューし、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにてザ・サモアンズ(The Samoans)を結成。1973年にはシャチ横内&ヤス藤井の日本人コンビとインターナショナル・タッグ王座を争った[3]。バンクーバーでは同年11月5日、ジン・キニスキー&ザ・ブルートからNWAカナディアン・タッグ王座を奪取している[4]。
1975年にはジ・アイランダーズ(The Islanders)のチーム名でザ・シークの牛耳るデトロイト地区に参戦、8月15日にハンク・ジェームズ&マイティ・イゴール、10月30日にハンク・ジェームズ&フレッド・カリーを破り、同地区認定のNWA世界タッグ王座を2度に渡って獲得[5]。1976年からはテネシーやアラバマなど南部で活動、アラバマではリップ・タイラー&エディ・サリバンを相手にガルフ・コースト・タッグ王座を争った[6]。
1977年6月、チーム名をサモアンズに戻して国際プロレスに初来日。キラー・トーア・カマタ、ジプシー・ジョー、ミスター・ヒトと共闘し、ラッシャー木村をはじめ日本陣営と流血戦を繰り広げた。翌1978年1月の再来日では、1月5日に大阪府立体育館にてグレート草津&アニマル浜口からIWA世界タッグ王座を奪取[7]。1月20日に大田区体育館にて草津&浜口に奪回されるも、1979年3月の来日でも岐阜と境町で新王者チームの浜口&マイティ井上に2回挑戦し[8]、シカは足立区の東京マリンにて木村と金網デスマッチを行っている[9]。
1979年10月よりWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに迎え、1980年4月12日にフィラデルフィアにてイワン・プトスキー&ティト・サンタナを破り、WWFタッグ王座を獲得した[10]。8月9日にニューヨークのシェイ・スタジアムで開催されたビッグイベント『ショーダウン・アット・シェイ』にてボブ・バックランド&ペドロ・モラレスの頂上コンビに王座を奪われるが、2冠王となったバックランドがタイトルを返上。1カ月後の9月9日に行われた王者チーム決定戦でトニー・ガレア&レネ・グレイを下し王座に返り咲き、11月8日にガレア&リック・マーテルに敗れるまで戴冠した[10]。
1981年1月、WWFとの提携ルートで新日本プロレスに来日。1月23日に高知県民体育館、2月12日に後楽園ホールにて、坂口征二&長州力の保持する北米タッグ王座に2度に渡って挑戦した[11]。同年11月開幕の第2回MSGタッグリーグ戦にも出場し、アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ、パット・パターソン&バッドニュース・アレン、キラー・カーン&タイガー戸口などのチームと対戦したが、負傷により途中欠場しており、白星はカネック&スペル・マキナからの1勝のみという戦績で終わっている[12]。
同年、アメリカではビル・ワットが主宰していたMSWAで活動、アーニー・ラッドをマネージャーに迎え、ディック・マードック&ジャンクヤード・ドッグやマイク・ジョージ&ジャンクヤード・ドッグとミッドサウス・タッグ王座を争った[13]。1982年はジム・バーネットのジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦し、8月29日にファビュラス・フリーバーズのマイケル・ヘイズとテリー・ゴディからNWAナショナル・タッグ王座を奪取している[14]。
1983年よりWWFに再登場。3月8日にチーフ・ジェイ・ストロンボー&ジュールズ・ストロンボーのインディアン・チームを破り、WWFタッグ王座への3度目の戴冠を果たす[10][15]。11月15日にロッキー・ジョンソン&トニー・アトラスの黒人コンビにタイトルを奪われてからは、マネージャーのアルバーノと仲間割れしてベビーフェイスに転向。アルバーノが新しくマネージメントするノース・サウス・コネクションのディック・マードック&アドリアン・アドニスと抗争した[16]。
1984年の下期、一時WWFを離れてチームを解散。以降はそれぞれ単独でWWFに登場し、シカは1986年から1988年にかけてヒールのシングル・プレイヤーとして前座戦線で活動。アファは1992年から1994年まで、息子のサムゥと甥のファトゥのザ・ヘッドシュリンカーズ(The Headshrinkers)のマネージャーを務めていた。
1990年代に引退し、ペンシルベニア州アレンタウンにてプロレスラー養成所のワイルド・サモアン・トレーニング・センター(The Wild Samoan Training Center)を開設。ビリー・キッドマン、ジーン・スニツキー、バティスタなどを輩出している[17]。2007年には揃ってWWE殿堂に迎えられ、アファの息子サムラ・アノアイとシカの息子マット・アノアイがインダクターを務めた[17]。
獲得タイトル
スタンピード・レスリング
- インターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):2回 [3]
NWAデトロイト
NWA世界タッグ王座(デトロイト版):2回 [5]
NWAオールスター・レスリング
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回[4]
ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAガルフ・コースト・タッグ王座:2回 [6]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAナショナル・タッグ王座:1回 [14]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- AWA南部タッグ王座:1回 [18]
インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
IWA世界タッグ王座:1回 [7]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
- ミッドサウス・タッグ王座:3回 [13]
ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント
WWFタッグ王座:3回 [10]
WWE殿堂:2007年度[17]
脚注
^ “Meet Afa the Wild Samoan”. Wild Samoan.com. 2008年3月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年10月15日閲覧。
^ “Wrestlers Database » Afa”. Cagematch.net. 2010年10月15日閲覧。
- ^ ab“Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
- ^ ab“NWA Canadian Tag Team Title: Vancouver version”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
- ^ ab“NWA World Tag Team Title: Detroit version”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
- ^ ab“NWA Gulf Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年1月10日閲覧。
- ^ ab“IWA World Tag Team Title: IWE version”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
^ 『忘れじの国際プロレス』P103(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)
^ “ラッシャー木村「金網デスマッチ」公式試合全記録”. バトル千一夜. 2015年5月10日閲覧。
- ^ abcd“WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
^ “Wrestlers Database » Afa » Matches”. Cagematch.net. 2015年5月10日閲覧。
^ “NJPW 1981 The 2nd Madison Square Garden Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年5月10日閲覧。
- ^ ab“Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月15日閲覧。
- ^ ab“NWA National Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2007年12月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年10月15日閲覧。
^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年11月4日閲覧。
^ “WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2010年10月15日閲覧。
- ^ abc“The Wild Samoans: Bio”. WWE.com. 2016年8月2日閲覧。
^ “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月28日閲覧。
関連項目
- アノアイ・ファミリー
サムラ・アノアイ(ワイルド・サモアン、サムー) - アファの息子
アファ・アノアイ・ジュニア(マヌー) - アファの息子
ロドニー・アノアイ(グレート・コキーナ、ヨコズナ) - 甥
ソロファ・ファトゥ(ファトゥ、ザ・サルタン、リキシ) - 甥
エディ・ファトゥ(ジャマール、ウマガ) - 甥
マット・アノアイ(ロージー) - シカの息子
ジョー・アノアイ(ロマン・レインズ) - シカの息子
ジョナサン・ファトゥ(ジミー・ウーソ) - 大甥(ソロファの息子)
ジョシュア・ファトゥ(ジェイ・ウーソ) - 大甥(ソロファの息子)
外部リンク
- WWE Hall of Fame
- Online World of Wrestling profile
- The Wild Samoan Training Center
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