サモア
- サモア独立国
Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa
Independent State of Samoa
(国旗)
(国章)
- 国の標語:Fa'avae i le Atua Samoa
(サモア語: 神のサモアにあらんことを)
国歌:自由の旗
公用語
サモア語、英語
首都
アピア
最大の都市
アピア
- 政府
国家元首
トゥイマレアリッイファノ・スアラウヴィ2世
首相
トゥイラエパ・サイレレ・マリエレガオイ
- 面積
総計
2,944km2(167位)
水面積率
0.3%
- 人口
総計(2008年)
179,000人(187位)
人口密度
60人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年)
13億[1]タラ
- GDP (MER)
合計(2008年)
5億[1]ドル(172位)
- GDP (PPP)
合計(2008年)
11億[1]ドル(170位)
1人あたり
5,732[1]ドル
独立
- 日付
ニュージーランドから
1962年1月1日
通貨
タラ (WST)
時間帯
UTC +13(DST:+14)
ISO 3166-1
WS / WSM
ccTLD
.ws
国際電話番号
685
サモア独立国(サモアどくりつこく)は、南太平洋(オセアニア)の島国で、イギリス連邦加盟国である。サモア諸島のうち、西経171度線を境として西側に位置する。この経度を境にアメリカ領サモアとサモア独立国に分割されているが、住民も文化も同じポリネシア系である。ウポル島、サバイイ島および7つの小島からなる。首都はウポル島北部にあるアピアである。単に『サモア』と呼ぶ場合もある。
目次
1 国名
2 歴史
3 政治
4 地方行政区分
5 地理
6 経済
6.1 情報・通信
7 国民
7.1 民族
7.2 治安
7.3 習慣
7.4 言語
7.5 宗教
8 文化
8.1 音楽
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
国名
正式名称は、サモア語ではMālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa(マーロー・サッオロト・トゥトッアタシ・オ・サモア)、英語ではIndependent State of Samoa(インディペンデント・ステイト・オブ・サモア)。通称はいずれも、Samoa。文化的には共通であるが、東西サモアの政治的統合は現在のところ現実的な議論の対象とはなっていない。
国名は、サモアの『サ』はポリネシア語の場所を示す接頭語で、『モア』は創造神タンガロアの息子モア、またはその化身の鳥に由来し、サモア語で「モア神の聖地」という意味がある。[2]
日本語表記は、サモア独立国。通称、サモア。
かつては、東側のアメリカ領サモア(東サモア)との対比で西サモア(サモア語でSamoa i Sisifo、英語でWestern Samoa)と呼ばれてきたが、1997年7月4日に現在の国名に変更した。
歴史
1722年 - オランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンに確認される。
1768年 - フランス人航海者ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルが上陸する。
1860年 - アピアが捕鯨船の補給港として栄え、ドイツ、イギリス、アメリカが勢力を競う。
1892年 - 国際日付変更線の西側からアメリカ合衆国と同じ東側に移行、UTC-11となった。
1899年 - ドイツが西サモアを領有し(ドイツ植民地帝国)、アメリカが東サモア(現在のアメリカ領サモア)を領有する。- 西サモアでは、このころ第1次マウ運動と呼ばれる独立運動が起きる。
1919年 - ニュージーランドを施政権者とする国際連盟委任統治領となる。
1919年 - スペインかぜの流行で人口の22%を失う。
1926年 - 第2次マウ運動の勃発。
1929年 - ニュージーランド軍がサモア人群衆に発砲し、4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりトゥプア・タマセセ・レアロフィオアッアナ2世が死亡する(黒い土曜日事件)。
1945年 - 国際連合信託統治領となる。
1962年 - 独立。国名「西サモア」。
1970年 - イギリス連邦に加盟。
1997年 - 国名を現在のサモア独立国に変更。
2009年9月7日 - 自動車の通行方式(対面交通)を、従来の右側通行から新たに左側通行へ変更[3]。これは同国の自動車普及において、左側通行のオーストラリアやニュージーランドが地理的に近いため、それらから右ハンドルの中古車を輸入することが低コストになるということが大きな理由とされる。- 2009年9月29日 - 朝6時48分頃、アピアの南方約195kmを震源として、マグニチュード8.1の地震が発生(詳細はサモア沖地震 (2009年)を参照)。ウポル島南部を約10mの津波が襲うなどの被害が生じた。サモア災害管理室によるとサモアで183人が死亡したと報じられている[4]。
2011年12月29・(30)・31日 - オーストラリアなどとの時差を少なくするため、119年ぶりに自国の標準時を日付変更線の東側から西側に移し、UTC+13となった。これにより12月29日の翌日が12月31日となった。9月最終日曜日に始まる夏時間ではUTC+14となるため、世界で最も早く日付が変わる国のひとつとなった[5][6][7]。
政治
政体については諸説あり、選挙立憲君主制と見なす場合[8]と、憲法を厳密に解釈し共和制と見なす場合がある。
立法議会は一院制で、サモア語でFonoと呼ばれる。議員の定数は49名で、任期は5年である。47名は、サモアの伝統的指導者層である首長(マタイmatai)から選ばれ、残り2名は欧米系などの移民の代表として選ばれる。首相は、立法議会の議員の過半数により選挙された国会議員が、国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マーローの任命により就任する。
オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首)の定員は1名。任期は5年間。立法議会による選挙で選ばれる。憲法の規定では、立法議員の被選挙権を有する者は誰でも、オ・レ・アオ・オ・レ・マーローの被選挙権を有するものとされているが、実際には、サモア社会で特別に高い権威を有する4家の大首長(タマ・ア・アイガ)から選ばれるのが当然とみなされている。タマ・ア・アイガはいずれも特定の家系による世襲制である。
複数政党制に基づく民主政治が機能しているが、1982年の総選挙以来、全土で圧倒的な知名度と影響力を持つ人権擁護党(HRPP)が圧倒的な多数票を獲得して勝利を続け、長期政権を担っている(一党優位政党制)。
地方行政区分
11行政区で構成される。人口が最大の行政区は、首都アピアがあるツアマサガであり、サモア人口の半数近くが住む。
地理
ニュージーランドの北2,300 km、ハワイ州の南3,700kmの南太平洋上のサモア諸島に属し、広さ2,935 km²(日本の鳥取県より少し小さい)の島国である。東にはアメリカ領サモアを挟んでクック諸島、南にトンガ、そして北にはニュージーランド領のトケラウ諸島が連なる。
主にサバイイ島(面積1,700 km²)とウポル島(1,115 km²)の2つの大きな島などで構成されている。大きな2島は18kmの海峡を挟んでいるが、その間には2つの小島(マノノ島とアポリマ島)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にある最高峰シリシリ山は標高1,858mである。海岸地帯には珊瑚礁が発達している場所もあるが、急激に300メートル以上の海崖の場所もある。
経済
経済的に生産されるものの80%以上が自給用である。農業と沿岸漁業中心で、コプラやタロイモなどを生産している。なお、ニュージーランドやアメリカ合衆国(ハワイ州・カリフォルニア州)には国内人口をはるかに上回る規模のサモア人が居住しており、彼らからの送金が経常収支の莫大な赤字を埋めている。
情報・通信
サモア独立国の主要放送局は国営のSamoa Broadcasting CorporationとTelevision Glacelandがあり、Samoa Broadcasting Corporationのテレビチャンネルテレビサモアのオレラリという番組は視聴率90%ときわめて高い。インターネットにおいては、電話回線のモデム接続と無線LANによるインターネットがある。
新聞はSamoaLive!とサモアオブザーバーがある。
国民
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サモアは人口の80.4%が肥満である。その理由として元来のポリネシア人の太りやすい体質に加え、サモアでは太っている方が評価されていたことがある。近年は教育の普及で、健康的な体格に気付きはじめた。「痩せたい」と言う人が続出、ダイエットが大ブームとなっている。また、食事の前に噛みかけのガムを顔のどこにでも貼り付けて、済んだらまた噛みかけのガムを噛む、というのがサモアの常識となっている。甘さが残っているのに捨てるのはもったいないから、だという。
民族
サモアの国民は、9割以上がポリネシア系のサモア人である。サモア人とヨーロッパ人や中国人との混血が7%程度、また1%に満たない程度のヨーロッパ人がいる。
治安
サモアは一般的に「安全な国」と言われるが、マタイの権限が強いので、入域する場合は挨拶が必須である。地方の住民は壁の無い家に住んでいる。凶悪犯罪は少ないが、防犯に十分な注意が必要。共有感覚が強いので窃盗が多発するがマタイ(チーフ)に訴えれば戻る場合が多い。
習慣
母系社会で、村落ではマタイ(村落の首長)・チーフ・牧師を除けば男性の権限は強くない。夫婦の絆は一夫一婦制で不倫は少ないが潔く夫を変えてしまうことはある。フリーセックス的感覚はあるが、複数の異性と交わると激しいバトルになり、正々堂々と白黒をつける。こそこそ複数の異性と交わる行為を“クレージーセックス”と揶揄される。近年、貨幣経済の浸透でモラルは欧化している。
母親は多産で子どものしつけは厳しく、家事を厳密に割り当てる。母親は女王蜂のように肥満化して君臨し、子は独立するまで家事を助け、横になった母親の体を拭いたりもんだりして面倒をみる。長女が夫を迎え、婿入り婚が多くみられる。食事は、客や主人(男)が先に食べ、その間、若者や子供は蝿を追ったり飲み物を用意したりで、幼児を除き食物を口にすることはない。残された食事を子供や同居人が食べ、最後は豚や犬、鶏が食べ、残飯はなく合理的である。
言語
公用語は、サモア語と英語である。住民はサモア語で語り、公文書もサモア語である。学術的文書や記録は英語を使用する。
宗教
宗教は、キリスト教が97%を占める。メソジスト30%、合同教会30%、カトリック教会20%、モルモン教15%、その他5%。都市や村々には他の建物とは比べものにならない程立派な教会があり、日曜は安息日であり、家族揃って着飾ってミサに出かける。午後は、仕事をしないで散歩(サバリ)や横になって過ごす。刑務所の囚人も開放され礼拝やミサに出かけるが、夕方には戻る。
文化
音楽
- 「サモア島の歌」
- ポリネシア民謡。日本では小林幹治が歌詞を付け、NHKの「みんなのうた」でも放送された[9]。
脚注
- ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])
^ https://www.library.metro.tokyo.jp/search/research_guide/olympic_paralympic/area_studies/index/samoa/
^ “Samoan cars ready to switch sides(サモアの車左側通行へ準備)” (英語). 英国放送協会. 2009年9月8日閲覧。
^ サモア地震の死者数、183人に 毎日中国経済 2009年10月8日閲覧。
^ “Samoa's Daylight Saving Starts in September 2010”. 2011年12月30日閲覧。
^ サモア、日付変更線の西側へ移行 日の出が最も早い国へ2011-12-28 CNN.CO.jp。
^ “サモアが日付変更…30日飛ばして大みそかに”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年12月30日). オリジナルの2013年8月28日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/wTRwS 2011年12月30日閲覧。
^ 日本の外務省など。
^ “サモア島の歌”. NHK. 2018年8月18日閲覧。
関連項目
- アメリカ領サモア
- オレラリ
- ロバート・ルイス・スティーヴンソン
- 日本とサモアの関係
右側通行から左側通行に変更された国・地域
- ナミビア
- ナウル
沖縄県 - 「730」と呼ばれる。
外部リンク
- 政府
サモア独立国政府 (英語)
- 日本政府
日本外務省 - サモア (日本語)
在ニュージーランド日本国大使館 - 在サモア大使館を兼轄 (日本語)
- 観光
サモア政府観光局 (英語)
- その他
PIC - サモア (日本語)
"Samoa". The World Factbook. Central Intelligence Agency. (英語)
サモア - DMOZ (英語)
サモアのウィキメディア地図 (英語)
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座標: 南緯13度50分 西経171度45分 / 南緯13.833度 西経171.750度 / -13.833; -171.750