豊後国


















































豊後国

地図 令制国 豊後国.svg
-豊後国
-西海道
別称
豊州(ほうしゅう)
二豊(にほう)[1]
所属
西海道
相当領域
大分県大部分(宇佐市・中津市除く)
諸元
国力
上国
距離
遠国

郡・郷数

8郡44郷
国内主要施設
豊後国府
大分県大分市
豊後国分寺
大分県大分市(豊後国分寺跡)
豊後国分尼寺
(推定)大分県大分市
一宮
西寒多神社(大分県大分市)
柞原八幡宮(大分県大分市)
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豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。




目次






  • 1 沿革


    • 1.1 近世以降の沿革




  • 2 国内の施設


    • 2.1 国府


    • 2.2 国分寺・国分尼寺


    • 2.3 神社


    • 2.4 安国寺利生塔




  • 3 地域


    • 3.1


    • 3.2 江戸時代の藩




  • 4 人物


    • 4.1 国司


    • 4.2 守護


      • 4.2.1 鎌倉幕府


      • 4.2.2 室町幕府




    • 4.3 戦国時代


      • 4.3.1 戦国大名


      • 4.3.2 豊臣政権の大名




    • 4.4 武家官位としての豊後守


      • 4.4.1 江戸時代以前


      • 4.4.2 江戸時代






  • 5 豊後国の合戦


  • 6 脚注


  • 7 参考文献


  • 8 関連項目





沿革


7世紀末に、国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。


『豊後国風土記』は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。



近世以降の沿革



  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,812村・460,611石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。


    • 国東郡(207村・81,399石余) - 幕府領(熊本藩預地)、旗本領、杵築藩、肥前島原藩、日向延岡藩


    • 速見郡(123村・59,230石余) - 幕府領(熊本藩預地)、旗本領、杵築藩日出藩、森藩、日向延岡藩


    • 大分郡(269村・71,302石余) - 幕府領(熊本藩預地)、旗本領、府内藩、臼杵藩、岡藩、肥後熊本藩、日向延岡藩


    • 海部郡(317村・62,275石余) - 幕府領(佐伯藩預地)、臼杵藩佐伯藩、肥後熊本藩


    • 大野郡(460村・72,685石余) - 岡藩、臼杵藩


    • 直入郡(303村・49,799石余) - 幕府領(熊本藩預地)、岡藩、肥後熊本藩


    • 玖珠郡(40村・30,841石余) - 幕府領(西国筋郡代)、森藩


    • 日田郡(93村・33,076石余) - 幕府領(西国筋郡代)、森藩




  • 慶応4年


    • 閏4月25日(1868年6月15日) - 西国筋郡代の管轄区域が日田県の管轄となる。


    • 8月28日(1868年10月13日) - 熊本藩預地が日田県の管轄となる[2]

    • 8月 - 旗本領が日田県の管轄となる。



  • 明治3年12月24日(1871年2月13日) - 佐伯藩預地が日田県の管轄となる[2]

  • 明治4年


    • 2月22日(1871年4月11日) - 領知替えにより延岡藩領が日田県の管轄となる。


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が森県岡県臼杵県佐伯県府内県杵築県日出県および熊本県、島原県の飛地となる。


    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が大分県の管轄となる。





国内の施設



国府


国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。



国分寺・国分尼寺



豊後国分寺

現在の金光明寺(大分県大分市国分)。



神社



延喜式内社

『延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社5座4社の計6座5社が記載されている(「豊後国の式内社一覧」参照)。大社1社は、名神大社ではない。




  • 直入郡 健男霜凝日子神社 (竹田市)


  • 大分郡 西寒多神社 (大分市寒田) - 大社


  • 速見郡 宇奈岐日女神社 (由布市)

  • 速見郡 火男火売神社二座 (別府市)


  • 海部郡 早吸日女神社 (大分市佐賀関)



総社・一宮


  • 総社 不詳

  • 一宮 西寒多神社または柞原八幡宮 (大分市上八幡) - 並立し、古くから論争が続いていた。


二宮以下は不詳である。



安国寺利生塔



  • 豊後安国寺 - 大分県国東市国東町安国寺。


地域







  • 日田郡(日高郡[3]


  • 球珠郡(玖珠郡[4]

  • 直入郡

  • 大野郡

  • 海部郡

  • 大分郡

  • 速見郡


  • 国埼郡(国東郡[4]


特記した以外は『豊後国風土記』での表記による。


江戸時代の藩




  • 杵築藩、小笠原家(4万石)→能見松平家(3.2万石)


  • 高田藩、能見松平家(3.7万石→3.2万石で杵築藩に移封)


  • 日出藩、木下家(3万石→2.5万石)


  • 森藩、来島家(1.4万石→1.25万石)


  • 府内藩、竹中家(2万石)→日根野家(2万石)→大給松平家(2.1万石)


  • 臼杵藩、稲葉家(5万石)


  • 佐伯藩、毛利家(2万石)


  • 岡藩、中川家(7万石)


  • 立石藩、木下家(5千石)



人物



国司








  • 陽候史真身、天平7年(735年)任官


  • 小治田諸人、天平10年(738年)任官


  • 榎井子祖父、天平宝字元年(757年)任官


  • 佐伯久良麻呂、天平神護元年(767年)任官


  • 紀鯖麻呂、宝亀2年(771年)任官


  • 多治比継兄、天応元年(781年)任官

  • 藤原園人

  • 藤原豊彦


  • 難波頼経、1180年頃

  • 源光季



守護



鎌倉幕府



  • 1206年 - ? - 大友能直

  • 1242年 - 1285年 - 大友頼泰

  •  ? - ? - 大友貞親

  •  ? - 1333年 - 大友貞宗



室町幕府



  • 1333年 - 大友貞宗

  • 1334年 - 1352年 - 大友氏泰

  • 1352年 - 1364年 - 大友氏時

  • 1364年 - 1367年 - 大友氏継

  • 1371年 - 1416年 - 大友親世

  • 1372年 - 1376年 - 大友氏継

  • 1416年 - 1426年 - 大友親著

  • 1427年 - 1429年 - 大友持直

  • 1444年 - ? - 大友親繁

  • 1453年 - 1458年 - 大友親綱

  • 1469年 - 1482年 - 大友親繁

  • 1482年 - 1484年 - 大友政親

  • 1484年 - 1496年 - 大友義右

  • 1496年 - 1501年 - 大友親治

  • 1501年 - 1516年 - 大友義長(義親)

  • 1525年 - 1550年 - 大友義鑑

  • 1550年 - 1576年 - 大友義鎮(宗麟)



戦国時代



戦国大名



  • 大友氏:豊後・筑後二国の守護に任じられていたが、義鑑の代に肥後に進出し1543年には肥後守護に補任される。義鎮(宗麟)の治世に最盛期を迎え、肥前・豊前・筑前にも進出して1554年に肥前守護、1559年に豊前・筑前の守護に補任。九州6ヶ国の守護となり、龍造寺氏、島津氏と九州の覇を競った。徐々に衰退して豊薩合戦で島津氏に敗れ、豊臣氏の九州平定後には豊後1国のみを安堵される。


豊臣政権の大名




  • 大友義統・大友義乗:豊後1国。1587年 - 1593年(文禄の役での義統の失態のため改易)


  • 中川秀成:豊後岡7万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、所領安堵。豊後岡藩初代藩主となる)


  • 太田一吉:豊後臼杵6万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)


  • 福原長堯:豊後府内12万石→6万石。1597年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、自刃)


  • 早川長政:豊後府内→杵築2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)


  • 毛利高政:豊後日田・玖珠2万石。1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後佐伯藩2万石に移封)


  • 垣見一直:豊後富来2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)


  • 熊谷直盛:豊後安岐1万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)


  • 竹中重利:豊後高田1万3千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後府内藩2万石に移封)


  • 木村清久:豊後国内1万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)


  • 細川忠興:豊後杵築6万石(飛び領、城代:松井康之、有吉立行)。1599年 - 1632年(肥後熊本藩54万石に移封)



武家官位としての豊後守



江戸時代以前



  • 朝倉将景

  • 遊佐秀頼

  • 姉小路秀綱

  • 三木顕綱

  • 諸角豊後守

  • 毛利重政

  • 本多広孝


  • 薩摩島津氏分家豊州家

    • 島津季久

    • 島津忠朝

    • 島津忠広

    • 島津忠親

    • 島津久賀





江戸時代




  • 忍藩阿部家


    • 阿部忠秋、初代藩主


    • 阿部正武、3代藩主


    • 阿部正喬、4代藩主


    • 阿部正允、5代藩主


    • 阿部正識、7代藩主


    • 阿部正由、8代藩主



  • その他


    • 稲葉雍通、豊後臼杵藩主


    • 内田正道、下総小見川藩主


    • 織田成純、大和柳本藩主


    • 加藤明煕、近江水口藩主


    • 真田幸専、信濃松代藩主


    • 真田幸貫、松代藩主、老中


    • 内藤正縄、信濃岩村田藩主


    • 西尾光教、美濃揖斐藩主


    • 久松勝行、下総多胡藩主


    • 別所吉治、但馬八木藩主


    • 本多康紀、三河岡崎藩第2代藩主


    • 松倉重政、大和五条藩、肥前島原藩主


    • 松平親純、豊後杵築藩主


    • 水野忠友、三河大浜藩、駿河沼津藩主。老中


    • 小栗忠順、幕末三傑。一般に上野介として知られるが、豊後守も名乗っていた。





豊後国の合戦




  • 1534年: 勢場ヶ原の戦い、大友義鑑 x 大内義隆(陶興房)


  • 1587年: 戸次川の戦い、豊臣 x 島津


  • 1600年: 石垣原の戦い、黒田如水 x 大友義統



脚注


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  1. ^ 別称の「豊州」は、豊前国とあわせて、または単独での呼称。また、「二豊」は、豊前国とあわせての呼称。

  2. ^ ab末広利人「日田県管地化の実体:佐伯藩預所の場合 (PDF) 」 大分縣地方史 No.105(1982年3月) pp.20- 37、大分県地方史研究会


  3. ^ 『和名類聚抄』での表記。

  4. ^ ab近世の表記。



参考文献




  • 角川日本地名大辞典 44 大分県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目







  • 令制国一覧

  • 西国郡代










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