丹波氏



































丹波氏
氏姓
丹波宿禰
出自
坂上氏
氏祖
阿知使主
(後漢霊帝後裔)
種別
諸蕃
著名な人物
丹波康頼
丹波時長
丹波忠守
後裔
錦小路家
(公家・華族(子爵))
小森家(地下家)
多紀氏(武家)
施薬院氏(地下人)

凡例 / Category:氏

丹波氏(たんばうじ)は、「丹波」を氏の名とする氏族。


渡来系氏族の姓の1つで、後漢霊帝の後裔(こうえい)といわれ、本姓は坂上氏。丹波康頼の代で丹波宿禰姓を賜る。応神天皇の時代に帰化した阿知使主を祖とする。一族からの堂上家としては錦小路家があり、その他では金保氏(後の多紀氏)や施薬院氏がある。


開化天皇の裔である丹波氏とは別系統である。




目次






  • 1 出自


  • 2 人物


  • 3 系譜


    • 3.1 宗家


    • 3.2 嫡流


    • 3.3 傍流




  • 4 脚注


  • 5 参考文献 


  • 6 外部リンク






出自


丹波康頼の代で丹波宿禰姓を賜ったことにより始まる家である。代々、医博士、鍼博士、典薬頭など医家を数多く出した。


丹波康頼を坂上直大国の子とする文献が多いが、丹波康頼は紀元10世紀初頭、平安時代中期の人物に対し、坂上直大国が紀元8世紀初頭、奈良時代中期の人物であり、200年ほど時間のずれが認められ真偽の程が定かでない。



人物




  • 丹波康頼(912年 - 995年) - 従五位上、左衛門佐、丹波介、医博士、鍼博士、典薬頭


  • 丹波重明(重雅?)(生没不明) - 従四位上(または正四位上)、侍従、丹波権守、権鍼博士、典薬頭、左近医師、薬院、正五位下、穀物院別当、主税頭、大舎人頭、兵庫頭、掃部頭、典薬頭


  • 丹波忠明(生没不明) - 従四位下、典薬頭、権鍼博士、医博士、改宿禰賜朝臣


  • 丹波雅忠(生没不明) - 昇殿、三位(または二位)、侍従、丹波守、施薬院使、典薬頭、主税頭、禁色雑袍、右衛門佐、医博士、権侍医、正四位下、掃部頭、典薬頭、主税頭、施薬院使、穀物院別当


  • 丹波忠康(生没不明) - 正四位下、備前守、医博士、侍医、典薬頭、主税頭、穀物院別当、施薬院使


  • 丹波仲明(生没不明) - 山城守、伊勢権守


  • 丹波実康(生没不明) - 従四位下、医博士、女医博士、侍医、女官別当、穀物院別当、主税頭、内匠頭


  • 丹波経康(生没不明) - 従四位下、医博士、侍医、主税頭、大舎人頭


  • 丹波雅長(生没不明) - 正五位下、侍医


  • 丹波重経(生没不明) - 肥後入道云々


  • 丹波雅康(生没不明) - 正四位下(正四位上?)、鍼博士、典薬頭、大舎人頭


  • 丹波重康(生没不明) - 従四位下、医博士、侍医、図書頭、施薬院使


  • 丹波基康(生没不明) - 従四位上、主水正、典薬頭、女官別当


  • 丹波重基(生没不明) - 典薬頭、女官別当、施薬院使


  • 丹波知康(生没不明) - 正四位下、丹波介、典薬頭、主税頭


  • 丹波信康(生没不明) - 従五位下、権侍医


  • 丹波雅経(生没不明) - 従五位下、土佐権守


  • 丹波雅継(生没不明) - 従五位上、土佐権守


  • 丹波家幸(生没不明) - 従五位上、左近医師、大舎人助


  • 丹波憲基(生没不明) - 従四位下、侍医、施薬院使


  • 丹波良基(1186年 - 1240年9月8日) - 正四位上、施薬院使[1]、 摂家将軍藤原頼経の主治医[2]


  • 丹波伊基(生没不明) - 従四位上、権鍼博士、施薬院使


  • 丹波尚基(生没不明) - 従四位上、権鍼博士、雅楽頭


  • 丹波高基(生没不明) - 従四位上、遠江守(近江守?)、典薬大允


  • 丹波顯基(生没不明)


  • 丹波雅尚(生没不明) - 従五位上、典薬権助


  • 丹波尚能(生没不明) - 従五位下


  • 丹波親基(生没不明) - 従五位下、典薬権助


  • 丹波忠憲(生没不明) - 従五位下(従四位下?)、大学助


  • 丹波頼憲(生没不明) - 掃部助


  • 丹波雅憲(生没不明) -


傍流




  • 丹波為頼(生没不明) - 和気定成朝臣門流に入る


  • 丹波秀頼(生没不明) - 従五位上、右衛門佐、右衛門医師


  • 丹波胤秀(生没不明) - 大炊介


  • 丹波行秀(生没不明) - 掃部介、関東へ移住す


  • 丹波秀正(生没不明) - 大膳亮


  • 丹波清秀(生没不明) - 従五位下


  • 丹波為資(生没不明) - 従五位下、左兵医師


  • 丹波資秀(生没不明)


  • 丹波親秀(生没不明) - 左衛医師、承久3年(1221年)逆鱗?隠岐国へ移住し後に京へ帰る


  • 丹波為秀(生没不明) - 従五位下、左兵医師


  • 丹波有秀(生没不明) - 大舎人助


  • 丹波雅秀(生没不明) - 従五位下、内蔵助



系譜



宗家




嫡流




傍流




脚注





  1. ^
    仁治元年 九月大八日戊辰。戌尅。施藥院使正四位上丹波朝臣良基卒年五十五。于時在伊豆國北條小那温泉云々
    — 『吾妻鏡』第33巻



  2. ^ 細川2013, pp. 25-44.




参考文献 



  • 細川涼一、「鎌倉幕府の医師」、京都橘大学女性歴史文化研究所編 『医療の社会史 : 生・老・病・死』 思文閣出版、2013年2月。ISBN 9784784216772。 


外部リンク


  • 群書系図部集 - Googleブックス



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