士イ







本来の表記は「士蔿」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

士 蔿(し い、生没年不詳)は、中国春秋時代の晋の政治家。姓は、氏は、諱は、字は子與。士氏の祖。祖父は周に仕えた杜伯、父は隰叔。士缺(士成伯)、士縠の父、士会の祖父。武公と献公に仕えて晋の発展の基礎を築いた。


晋公室から絶大な信頼を寄せられ、宗家の威勢を脅かし始めた桓叔・荘伯を祖とする公族を滅ぼしてその功績で献公より大司空に任ぜられて辣腕を振るった。大司空という役職は後にも先にも士蔿のみが任じられたもので、事実上の宰相職である。


また、法にも明るかった事から、晋の国法『士蔿の法』を定め、後に孫の士会が定めた『范武子の法』と並んで、長く尊重された。さらに、晋の太子申生(中国語版)を「呉の太伯同様亡命すべきです。」諌めたこともある[1]


『驪姫の乱』が起こると「一つの国に三人の君主がいる。私は誰に仕えればよいのか?」と言って致仕した。



脚注





  1. ^ 『史記』晋世家より。









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