宮本茂
みやもと しげる 宮本 茂 | |
---|---|
E3 2013にて | |
生誕 | (1952-11-16) 1952年11月16日(66歳) 日本 京都府船井郡園部町 (現・南丹市) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 金沢美術工芸大学[1] |
職業 | ゲームプロデューサー[2] |
署名 | |
宮本 茂(みやもと しげる、1952年11月16日 - [3])は、任天堂代表取締役 フェロー、ゲームプロデューサー[4][2]。
『スーパーマリオシリーズ』や『ゼルダの伝説シリーズ』、『ドンキーコングシリーズ』の生みの親として知られる[3]。
目次
1 来歴
1.1 生い立ち
1.2 任天堂入社
2 人物・制作姿勢
2.1 ちゃぶ台返し
3 エピソード
4 影響を与えた人物
5 作品
5.1 代表作
5.2 作品リスト
6 主な受賞歴
6.1 個人賞
6.2 その他の賞
7 宮本茂に関する書籍
8 参考文献
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
来歴
生い立ち
京都府船井郡園部町(現・南丹市)に生まれる[1]。
中学時代はバスケットボール部に所属していたが、そこに籍を置いたまま漫画クラブを立ち上げようとしたことから先輩と大喧嘩。その後、レギュラーメンバーであったバスケットボール部を辞め、漫画クラブの部員として活動した[5]。赤塚不二夫、手塚治虫、白土三平などの漫画に影響を受け、漫画家を目指したこともあったが、周囲との実力の差を感じ、その夢を断念する[6]。
高校時代は軽音楽クラブに出入りしギターを教わっていたが、あまり上達せず中途半端で止めてしまう[5]。
高校卒業後は金沢美術工芸大学に入学し工業デザインを専攻[1][6]。講義に取り組む宮本の姿勢は独特だったらしく、担当教授からは、卒業後に普通に就職せずにアクセサリーデザイナーになるよう勧められたという[6]。
任天堂入社
1977年に金沢美術工芸大学を卒業後[7]、任天堂に入社。マスプロ製品をデザインする仕事に就きたいという考えに加え[6]、ユニークな商品を数多く発売している社風に興味を抱いたことが志望動機であった。当時の任天堂はデザイナーの募集を行っていなかったが、宮本の父が任天堂社長・山内溥と友人だった事もあり、特例で面接の機会を得る事が出来た。当初、山内は乗り気ではなかったものの、宮本は自作のハンガーなどを持ち込んで積極的なプレゼンを行った事で山内の「ものづくりができる社員が欲しい」という眼鏡に叶い、人事との調整後に入社が決まった。なお、宮本は、ユニークな商品が事業的に失敗していることを入社後に知り、唖然としたという。
入社直後は企画部に配属され[1]かるたの版下のデザインや麻雀のラベル作成など小さな仕事をこなしていたが、1979年からアーケードゲーム『シェリフ』『スペースファイアバード』などの筐体デザインや家庭用ゲーム機『ブロック崩し』などの本体デザインを手掛けるようになる。1979年に稼動を開始したアーケードゲーム『スペースフィーバー』では筐体デザインだけでなくキャラクターデザインも担当した。
入社3年目の1980年に、Nintendo of America(任天堂のアメリカ現地法人)でアーケードゲーム基板の在庫を大量に抱える問題が発生したことを受け、同基板を活用して新しいゲームを作るための会議が任天堂本社で行われた。この中で、開発部門の部長を務める横井軍平が、それまでソフトウェア開発に携わっていなかった宮本を抜擢し、宮本を中心としたゲーム制作が行われることになった。開発当初はアメリカン・コミックの『ポパイ』を題材とする予定だったが、版権問題により頓挫。その後、宮本はキャラクターを描き直した上でプログラミング以外の作業をほぼ1人で担当、1981年に『ドンキーコング』を完成させ、これが世界的なヒットを記録した。また、この作品は後に任天堂の看板キャラクターとなる「マリオ」のデビュー作になった。
これ以降、宮本はしばしば横井と共にゲーム開発を行うことになる。横井からさまざまな考え方や作り方を学んでおり、宮本自身も「横井は自分の師匠だと思っている」と語っている。横井の開発理念は、その後の宮本にも受け継がれている[8][9]。
その後、山内の「100人の凡才より1人の天才」という考えから、任天堂ゲームの中心的開発者となり、1983年に新設された情報開発部の開発課長に就任。部門の実務リーダーになった。
1996年、情報開発部は情報開発本部に格上げされ、宮本は情報開発本部情報開発部長に就任。1998年、情報開発本部長に就任。2000年6月、取締役に就任。岩田聡新社長の体制発足と同時に、2002年5月31日、代表取締役専務に就任。その後、2015年9月16日付で、権限委譲などによる後継者育成のため[10]、君島達己新社長就任などの人事に合わせ、情報開発本部長を退任してクリエイティブフェローに就任。後任のソフトウェア開発部門トップは、高橋伸也取締役企画制作本部長[11][12]。
役員は経営業務が優先されるため、開発業務は長年連れ添ってきた部下に任せ、自分は開発現場からある程度離れた立場に退く形になった。代表取締役専務に昇格してからは、それが更に顕著となり、日本国内外の支社や取引会社を何度も往復したり、2週間に一度の取締役会の仕事に拘束されることとなる。しかし、代表取締役社長(当時)の岩田聡による「宮本さんは、可能な限り開発の現場にいるべきだ」との方針により、2006年発売の『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』の開発以降、情報開発本部長としてできるだけ開発業務に携われるよう体制が改められた。なお、宮本自身は、取締役の活動も「全体を捉えて単純化したものの見方ができるようになった」として、開発者視点において無駄とはなっていないと語っている[13]。
人物・制作姿勢
1986年発売の『ゼルダの伝説』など初期のゲーム内では、姓の「本」の字を読み替えた「MIYAHON」と表記されており、ゲーム専門誌『ファミリーコンピュータMagazine』(徳間書店インターメディア)で担当していた読者コーナー「ゼルダの伝説Q&A」でも「MIYAHON」と名乗っていた。この「ミヤホン」という名前は後に愛称として用いられるようになり、稀に本人が使用することもある[14]。
スーパーファミコンにおける「LRボタン」や、NINTENDO64における「アナログスティック」のアイデアは宮本が提案したもので、現在では他社ハードのコントローラにも同様のものが搭載されている。
ゲーム内のムービー(演出による非プレイ時間)はあまり重視していない。元任天堂社長の岩田聡はこの理由を「ムービーを作っちゃったら『もう直せません』というのが、一番許せないようだ」と語っている。他社ハードでプリレンダリングムービーが注目されていた時期に開発が進められた1996年発売の『スーパーマリオ64』当時でも、周囲のスタッフがそれを感じ取り、リアルタイムデモの仕組みを作り上げていった[15]。後に、メディアからのインタビューで「現在の若者を中心としたユーザーに、映画的ゲームの物語で思想的メッセージを送るというスタンスは取らないのか」と質問された際は、「自分のような、ゲームを作り続けている人間(=クリエイターという職業)がいるという姿勢だけが伝わって、そこから何かを感じ取ってくれるユーザーがいれば、という信念で作っている」と答えている。一方、近年はゲーム外での映像作品に携わっている。『ピクミン』の短編映画『ピクミン ショートムービー』や『スターフォックス ゼロ』の短編アニメ作品『スターフォックス ゼロ ザ・バトル・ビギンズ』を宮本が主導して制作し、『ピクミン』に関しては、2014年開催の第27回東京国際映画祭で特別上映された[16]。また、今後公開予定のスーパーマリオのアニメ映画では、イルミネーション・エンターテインメントのクリス・メレダンドリと共にプロデューサーを務めている[17]。
多人数同時プレイ(マルチプレイ)の要素を盛り込んだゲームの制作に力を入れている。宮本の代表作であるアクションゲームの『マリオ』シリーズでは、1983年に制作された『マリオブラザーズ』以降マルチプレイは実装されていなかったが(『スーパーマリオブラザーズ』のように交互プレイのものはある)、長年の試行錯誤の末、『マリオブラザーズ』から約26年後の2009年に発売された『New スーパーマリオブラザーズ Wii』でようやくマルチプレイを実現した[18]。また、レースゲームに関して「いつか順位のないものをつくりたい」という考えを持っており[19]、自身が手掛ける『マリオカート』シリーズについては「レースゲームの顔をしたコミュニケーションゲーム」だとしている[20]。
宮本が制作するゲームでは主人公が喋らないことが多い[21]。ただ、『スターフォックス64』などのように、会話をすることがゲーム性に関わる場合は言葉を発する[22]。また、全体的な物語を作ることよりも主人公の周りに登場する人々の関係や存在感を描くことに興味があると語っている[23]。
2000年代の宮本制作のゲームには、日常生活から着想を得ているものがある。2001年発売の『ピクミン』は自宅での庭いじりが、2005年発売の『nintendogs』は犬を飼い始めたことが、2007年発売の『Wii Fit』は体重測定を趣味にしていたことが制作のきっかけとなった[24]。1989年発売の『MOTHER』を共同開発して以来親交がある糸井重里はそうした姿勢について、町内会やPTAにまめに参加するなど普通の生活者としての完成度が高いために日常生活から面白さを発見するのがうまいのではないかと語り、宮本のことを「生活力の人」と評している[25]。
1999年頃、ゲーム業界への参入を目指すマイクロソフトが任天堂を250億ドルで買収する計画があったという[26]。この中で、任天堂のゲームソフト開発の中心人物である宮本茂を「現在の給料の10倍」で引き抜こうとしたものの、宮本は「(任天堂には)仲間がいるから」と言って断ったとされている。
宮本には「アイデアとは複数の問題を一気に解決するもの」という持論がある。この言葉は元々宮本自身が明確に口にしたものではなかったが、宮本の仕事ぶりを近くで見ていた岩田聡がそうした姿勢を感じ取り、言語化して事あるごとに紹介したため世間に広まることになった[27][9]。また岩田は、宮本が標準的な消費者の感覚を持っているという点を指して「行動経済学を天然で使いこなしている」と評している[28]。
ちゃぶ台返し
1本のゲームソフト開発に注力する立場から任天堂関連ソフトを全体的に監修する立場となった現在、駄目出しの結果「面白くない」と強権を発動してほぼ白紙に戻す「ちゃぶ台返し」(本人命名、英:Upending the Tea Table[29][30])を行うことがある。これについて開発現場からは「宮本チェック(ミヤホンチェック)」として大いに恐れられているという。
駄目出しをする行動自体は宮本自身が以前にも語っており[31]、宮本の「作品を面白くしようとする制作姿勢」は広く知られていたものの、実際どれがどのように変わったかという個別の案件は知られていなかった。しかし、2004年3月24日にアメリカで開催されたゲームクリエイターのための会議「Game Developers Conference 2004」において講演した任天堂の青沼英二が宮本茂の「ちゃぶ台返し」について面白おかしく語った事がきっかけで、世界的に知られるようになった[29]。
ちなみに、宮本が手掛けた『Wii Sports Resort』や『パイロットウイングス リゾート』の舞台となる「ウーフーアイランド」には、ちゃぶ台がひっくり返った形とされる「ダイチャブ岩」が3か所ある。
以下、ちゃぶ台返しが行われたと判明しているゲームを記述する。
- 『星のカービィ』
- 当初は『ティンクル・ポポ』というタイトルで株式会社HAL研究所から1992年1月下旬に発売が予定され、既に2万6000本も受注していたが、宮本の「ちょっといじるだけで物凄く面白くなる」という発言を受けて急遽発売を中止する。そこから再調整が行われ、約3ヵ月後の4月27日に『星のカービィ』のタイトルで任天堂より発売。結果的に日本国内で約172万本、世界累計500万本以上を売り上げ、「カービィ」という新たなキャラクターが生まれることにもなった[32]。
- 『カービィボウル』
ビリヤードとゴルフを掛け合わせたようなボールアクションゲーム。立体空間のステージの中、ボールになったカービィをビリヤードのように転がす、またはゴルフのように打つことによって、決められた穴にカップインさせることでステージクリアとなる内容であるが、開発当初の仕様では打つ方向と角度を自由自在に選択できたため、マーカーが表示される軌道の通りに正確に打つことができれば容易にカップインできてしまい、単調なゲームとなっていた。そこで宮本は、打ち上げる角度を固定化することを提案。開発現場は当初難色を示したが、カービィの動きに制限をかけることで、プレイヤーに打つ力加減を考えさせ、ゲームに幅を持たせることに成功した[33]。- 『ゼルダの伝説 時のオカリナ』
- 当初は家庭用ゲーム機「NINTENDO64」が発売された1996年内に発売する予定だったが、より高い品質を目指すため年単位で延期を繰り返し、結局発売は1998年11月21日まで伸びた。現場では青沼英二や小泉歓晃等のディレクターたちがゲームの開発を行い、宮本は一歩引いた立場で監修していたが、宮本が現場に入らないと終わりが見えないということで、最終的に直接指揮をとって完成させることになった[34]。この事について宮本は後に「自分のわがままで作業が遅れたので、途中から仕様書を1/4くらい書く羽目になった」と語っている[35]。
- 『メトロイドプライム』
- アメリカの開発会社「レトロスタジオ」では、任天堂の元で4つのプロジェクトが同時進行していたが、宮本らが来訪した際の企画会議で再検討が行われた結果それらのプロジェクトは全て中止となる。そこで1994年発売の『スーパーメトロイド』以来中断していた『メトロイド』シリーズの開発を宮本が打診し『メトロイドプライム』の開発が行われる事になった。開発初期の試作品はTPS(三人称視点)スタイルの探索ゲームだったが、その出来が良くなかったため、宮本のちゃぶ台返しによってFPS(一人称視点)スタイルに変更、結果、ほぼ一からの作り直しを余儀なくされたものの、2003年(アメリカでは2002年)に発売され、特に海外でヒットを記録した。なお、ちゃぶ台返し前のTPS要素は主人公のサムス・アランが丸まる「モーフボールモード」切り替え時にのみ活かされる事になった。当時のレトロスタジオの社員は、「宮本茂氏の来訪は、(『スター・ウォーズ』に例えると)銀河皇帝のデス・スター訪問並みの恐怖」と語っている。
- 『ゼルダの伝説 4つの剣+』
- このゲームには、ナビゲーターの声を頼りにフィールドの中を駆け回って指示通りに「海賊のメダル」を集める『ナビトラッカーズ』というゲームモードがある。当初はスタンプを集めるという内容だったが、開発の最終盤に、宮本の「そこを変えると、ゲームのイメージがガラッと変わるから」との進言で、それまでのスタンプから、世界観に適した「海賊のメダル」を集めるという内容への全面的な変更が決まった。これが2004年1月初旬のことで、本作の発売日は2004年3月18日であった。発売までの約2か月の間にシナリオ、セリフ、ナビゲーターの音声録音、ゲームデザイン、グラフィックス、演出などが作り直されることになった[36]。
- 『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』
- 当初は2005年末に発売を予定していたものの、従来シリーズよりも開発規模が拡大したことなどにより発売時期を間近に控えても完成に至らず、2006年末まで延期されることになった。宮本は開発中盤から現場に深く関わるようになったが、宮本が「おもしろいけどぜんぜんダメ」「気が遠くなる」と感じる出来具合だった。仕事の煩雑さが開発の遅れにつながっていると感じた宮本は、やるべき仕事内容を整理して個々の開発スタッフに伝え、スタッフたちがそれに応える形で開発が進み完成へと向かった。
- なお、今作での「ちゃぶ台返し」はこれまでのように一度に全てを白紙に戻すものとは違っていたようで、宮本は「茶碗を並べ替えただけ」、スタッフは「茶碗をひとつひとつひっくり返していく」と表現している[37]。
エピソード
- 左利き。だから才能があると言われたこともある[38]。
- 好きな漫画家に石ノ森章太郎を挙げており、石ノ森が『ゼルダの伝説』の漫画化を引き受けた際は「興奮した」と語っている[39]。
ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤』『ポケットモンスター ピカチュウ』に登場する主人公のライバル名の候補の1つに「シゲル」がある。これは、プロデューサーを務めた宮本の名前に由来している。アニメ版でも同様。
2006年5月10日から5月12日にかけて開催されたゲーム見本市「E3 2006」では、家庭用ゲーム機「Wii」のソフト『Wii Sports』に収録されているゲームの1つ「テニス」で映画監督のスティーヴン・スピルバーグと対決した。この出来事をきっかけとして、スピルバーグは後の2008年に発売されたゲームソフト『Boom Blox』(発売元:エレクトロニック・アーツ)において自身初のゲーム監修を行った[40]。
2007年開催のゲーム開発者向けイベント「Game Developers Conference 2007」にて上映された、イギリスのテレビ番組「Mega64」撮影によるムービーに宮本茂本人が登場した。ムービーの内容は、マリオとルイージに扮した人が街中を疾走し、通行人にちょっかいをかけるが、突如現れた宮本茂に睨まれ決まりが悪そうに退散、宮本の後ろに居たリンクも驚いて引き帰すと言うものであった[41]。- アメリカのゲーム誌『EDGE』2008年12月号の表紙では、Wiiリモコンとヌンチャクを両手に持って腕を交差させ、タレントDAIGOの決めポーズ「うぃっしゅ」のようなポーズをとる姿が載っている。
2009年に開催された「E3 2009」の質疑応答の中で、「最も影響を受けたゲームは何か」という質問に、ウィル・ライトの『シムシティ』だと答えている[42]。
2015年4月25日に「ニコニコ超会議2015」内で開催されたイベント「スーパーマリオ30周年SPステージ ゲームセンターCX in ニコニコ超会議2015」にゲスト出演し、テレビ番組『ゲームセンターCX』の有野課長(有野晋哉)がWii U用ソフト『スーパーマリオメーカー』で作成したコースを宮本がプレイした[43]。
2016年12月7日に放送されたアメリカのトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』に、米国任天堂のレジナルド・フィサメィ社長とともにゲスト出演し、この中で、ヒップホップバンド「ザ・ルーツ」による『スーパーマリオブラザーズ』の地上BGMの演奏にギターで参加した[44]。
影響を与えた人物
ヒット作の量産により、宮本茂の名前は世界的に広く知られるようになる。
1990年にポール・マッカートニーが来日した際には、ポールの息子が宮本の名前を知っていたことから、コンサートはもちろんのこと個人的に食事にも招待され、宮本はサインを贈っている[45]。宮本自身もザ・ビートルズのファンであり、特に『アビィ・ロード』が好きで、ポールが訪れた時には興奮したという[46]。また、マイケル・ジャクソンも宮本のゲームのファンだったとされる。このほか『TIME』1996年5月号では、宮本のことを「ゲーム界のスピルバーグ」と評している。
『メタルギア』シリーズなどで知られるゲームクリエイターの小島秀夫は、自身の制作スタイルとは異なるものの、宮本を「師匠」として尊敬している旨の発言を度々行っている[47]。
2009年6月にイギリスで開かれた「Develop Conference」の中で「ゲーム開発者にとっての開発業界のヒーロー」(game developers' game development hero)の投票が行われた際には、世界中のクリエイターが投じた9000票の内、宮本が約3分の1もの票数を獲得している[48]。
ディズニー・インタラクティブ・スタジオの代表者であるグラハム・ホッパー(Graham Hopper)は、宮本を「ビデオゲーム産業において世界規模で何度も成功した一握りの人間であり、さらにそれが長期間に渡っている人物。おそらく彼と同じレベルで肩を並べられるクリエイターは存在していない」(訳文)とまで評価している[49]。
アニメ監督の細田守は宮本の出身大学である金沢美術工芸大学の後輩にあたり、宮本に敬意を示している[50]。
歌手・俳優の星野源は、宮本の師匠筋である横井軍平のファンであると同時に[51]、前述した宮本の「アイデア」論が自身の楽曲制作を始めとした創作活動に強い影響を与えている事を明かした[52][53]。
作品
代表作
- ドンキーコングシリーズ
- マリオシリーズ
- ゼルダの伝説シリーズ
- スターフォックスシリーズ
- ヨッシーシリーズ
- ピクミンシリーズ
作品リスト
レーシング112(1978年、家庭用ゲーム機)本体デザイン
ブロック崩し(1979年、家庭用ゲーム機)本体デザイン
シェリフ(1979年、アーケードゲーム)キャラクターデザイン
スペースフィーバー(1979年、アーケードゲーム)キャラクターデザイン、筐体デザイン
スペースファイアバード(1980年、アーケードゲーム)キャラクターデザイン、筐体デザイン
スカイスキッパー(1981年、アーケードゲーム)キャラクターデザイン[54]
レーダースコープ(1981年、アーケードゲーム)キャラクターデザイン
ドンキーコング(1981年、アーケードゲーム)ディレクター、キャラクターデザイン、筐体デザイン
ポパイ(1982年、アーケードゲーム)
ドンキーコングJR.(1982年、アーケードゲーム)ディレクター、キャラクターデザイン、筐体デザイン
マリオブラザーズ(1983年、アーケードゲーム)
ドンキーコング(1983年7月15日、ファミリーコンピュータ)
マリオブラザーズ(1983年9月9日、ファミリーコンピュータ)
パンチアウト!!(1983年、アーケードゲーム)
デビルワールド(1984年10月5日、ファミリーコンピュータ)ディレクター
エキサイトバイク(1984年11月30日、ファミリーコンピュータ)ディレクター
スーパーパンチアウト!!(1985年、アーケードゲーム)
スパルタンX(1985年6月21日、ファミリーコンピュータ)ディレクター
スーパーマリオブラザーズ(1985年9月13日、ファミリーコンピュータ)ディレクター
ゼルダの伝説(1986年2月21日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)プロデューサー、ディレクター
謎の村雨城(1986年4月14日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)[55]
スーパーマリオブラザーズ2(1986年6月3日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)ディレクター
リンクの冒険(1987年1月14日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)プロデューサー
ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島 前編(1987年9月4日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)監修- ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島 後編(1987年9月30日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)監修
スーパーマリオブラザーズ3(1988年10月23日、ファミリーコンピュータ)ディレクター
MOTHER(1989年7月27日、ファミリーコンピュータ)プロデューサー
ふぁみこんむかし話 遊遊記 前編(1989年10月14日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)プロデューサー- ふぁみこんむかし話 遊遊記 後編(1989年11月14日、ファミリーコンピュータ ディスクシステム)プロデューサー
F-ZERO(1990年11月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
スーパーマリオワールド(1990年11月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
パイロットウイングス(1990年12月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
シムシティー(1991年4月26日、スーパーファミコン)
ゼルダの伝説 神々のトライフォース(1991年11月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
Wave Race(1992年6月北米発売、ゲームボーイ)プロデューサー
スーパーマリオカート(1992年8月27日、スーパーファミコン)プロデューサー
スーパーマリオUSA(1992年9月14日、ファミリーコンピュータ)プロデューサー
スターフォックス(1993年2月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
星のカービィ 夢の泉の物語(1993年3月23日、ファミリーコンピュータ)プロデューサー(岩田聡と共同)
ゼルダの伝説 夢をみる島(1993年6月6日、ゲームボーイ)プロデューサー
スーパーマリオコレクション(1993年7月14日、スーパーファミコン)
ヨッシーのロードハンティング(1993年7月14日、スーパーファミコン)
カービィのピンボール(1993年11月27日)
ワイルドトラックス(1994年6月4日、スーパーファミコン)プロデューサー
ゲームボーイ ドンキーコング(1994年6月14日、ゲームボーイ)プロデューサー
MOTHER2 ギーグの逆襲(1994年8月27日、スーパーファミコン)スーパーバイザー
カービィボウル(1994年9月21日、スーパーファミコン)プロデューサー
マリオのピクロス(1995年3月14日、ゲームボーイ)スーパーバイザー
星のカービィ2(1995年3月21日、ゲームボーイ)プロデューサー(岩田聡と共同)
スーパーマリオ ヨッシーアイランド(1995年8月5日、スーパーファミコン)プロデューサー
マリオのスーパーピクロス(1995年9月14日、スーパーファミコン)スーパーバイザー
カービィのブロックボール(1995年12月14日、ゲームボーイ)プロデューサー(横井軍平と共同)
ポケットモンスター 赤・緑(1996年2月27日、ゲームボーイ)プロデューサー
スーパーマリオRPG(1996年3月9日、スーパーファミコン)プロデューサー
星のカービィ スーパーデラックス(1996年3月21日、スーパーファミコン)プロデューサー(岩田聡と共同)
スーパーマリオ64(1996年6月23日、NINTENDO64(ニンテンドウ64))ゲームディレクター、プロデューサー
パイロットウイングス64(1996年6月23日、NINTENDO64)プロデューサー
モグラ〜ニャ(1996年7月21日、ゲームボーイ)プロデューサー
ウェーブレース64(1996年9月27日、NINTENDO64)プロデューサー
ポケットモンスター 青(1996年10月15日、ゲームボーイ)プロデューサー
マリオカート64(1996年12月14日、NINTENDO64)プロデューサー
糸井重里のバス釣りNo.1(1997年2月21日、スーパーファミコン・サテラビュー対応)企画協力
スターフォックス64(1997年4月27日、NINTENDO64)プロデューサー- スーパーマリオ64 振動パック対応バージョン(1997年7月18日、NINTENDO64)プロデューサー
- ウェーブレース64 振動パック対応バージョン(1997年7月18日、NINTENDO64)プロデューサー
ヨッシーストーリー(1997年12月21日、NINTENDO64)スーパーバイザー
テン・エイティ スノーボーディング(1998年2月28日、NINTENDO64)プロデューサー
F-ZERO X(1998年7月14日、NINTENDO64)プロデューサー
ポケモンスタジアム(1998年8月1日、NINTENDO64)プロデューサー
ポケットモンスター ピカチュウ(1998年9月12日、ゲームボーイ)プロデューサー
ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998年11月21日、NINTENDO64)プロデューサー、スーパーバイザー
ゼルダの伝説 夢をみる島DX(1998年12月12日、ゲームボーイカラー)プロデューサー
マリオパーティ(1998年12月18日、NINTENDO64)スーパーバイザー
ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(1999年1月21日、NINTENDO64)プロデューサー(菅浩秋、岩田聡、三木研次と共同)
ポケモンスナップ(1999年3月21日、NINTENDO64)プロデューサー(岩田聡と共同)
ポケモンスタジアム2(1999年4月30日、NINTENDO64)プロデューサー
マリオゴルフ64(1999年6月11日、NINTENDO64)スーパーバイザー
マリオゴルフGB(1999年8月10日、ゲームボーイカラー)スーパーバイザー
ドンキーコング64(1999年12月10日、NINTENDO64)
マリオアーティスト ペイントスタジオ(1999年12月11日、64DD)スーパーバイザー
マリオパーティ2(1999年12月17日、NINTENDO64)スーパーバイザー
マリオアーティスト タレントスタジオ(2000年2月23日、64DD)スーパーバイザー
スーパーマリオブラザーズDX(2000年3月1日、ゲームボーイカラー)スーパーバイザー
星のカービィ64(2000年3月24日、NINTENDO64)スーパーバイザー
糸井重里のバス釣りNo.1 決定版!(2000年3月31日、NINTENDO64)企画協力
F-ZERO X エクスパンションキット(2000年4月21日、64DD)プロデューサー
ゼルダの伝説 ムジュラの仮面(2000年4月27日、NINTENDO64)プロデューサー、スーパーバイザー
エキサイトバイク64(2000年6月23日、NINTENDO64)アドバイザー
マリオアーティスト コミュニケーションキット(2000年6月29日、64DD)スーパーバイザー
マリオテニス64(2000年7月21日、NINTENDO64)スーパーバイザー
マリオストーリー(2000年8月11日、NINTENDO64)プロデューサー
MOTHER3 豚王の最期(註:開発中止、NINTENDO64)プロデューサー(岩田聡と共同)[56]
マリオアーティスト ポリゴンスタジオ(2000年8月29日、64DD)スーパーバイザー
とっとこハム太郎 ともだち大作戦でちゅ(2000年9月8日、ゲームボーイカラー)プロデューサー
マリオテニスGB(2000年11月1日、ゲームボーイカラー)スーパーバイザー
マリオパーティ3(2000年12月7日、NINTENDO64)スーパーバイザー
ポケットモンスター クリスタルバージョン(2000年12月14日、ゲームボーイカラー)プロデューサー
ポケモンスタジアム金銀(2000年12月14日、NINTENDO64)プロデューサー
ゼルダの伝説 ふしぎの木の実 大地の章/時空の章(2001年2月27日、ゲームボーイカラー)ゼネラルプロデューサー
スーパーマリオアドバンス(2001年3月21日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
どうぶつの森(2001年4月14日、NINTENDO64)プロデューサー
とっとこハム太郎2 ハムちゃんず大集合でちゅ(2001年4月21日、ゲームボーイカラー)プロデューサー
マリオカートアドバンス(2001年6月21日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
ウェーブレース ブルーストーム(2001年9月14日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(荒川實と共同)
ルイージマンション(2001年9月14日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
ピクミン(2001年10月26日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
大乱闘スマッシュブラザーズDX(2001年11月21日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(谷村正仁、菅浩秋、三木研次と共同)
マジカルバケーション(2001年12月7日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー(亀岡慎一と共同)
スーパーマリオアドバンス2(2001年12月14日、ゲームボーイアドバンス)
どうぶつの森+(2001年12月14日、ニンテンドーゲームキューブ)スーパーバイザー
動物番長(2002年2月22日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
巨人のドシン(2002年3月14日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
とっとこハム太郎3 ラブラブ大冒険でちゅ(2002年5月31日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
さくらももこのウキウキカーニバル(2002年7月5日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
スーパーマリオサンシャイン(2002年7月19日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
ミッキーとミニーのマジカルクエスト(2002年8月9日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
ミッキーマウスの不思議な鏡(2002年8月9日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
スターフォックスアドベンチャー(2002年9月27日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(共同)
エターナルダークネス ~招かれた13人~(2002年10月25日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(共同)
マリオパーティ4(2002年11月8日、ニンテンドーゲームキューブ)スーパーバイザー
ゼルダの伝説 風のタクト(2002年12月13日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
Mario Party-e(2003年2月18日北米発売、ゲームボーイアドバンス)
メトロイドプライム(2003年2月28日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
ゼルダの伝説 神々のトライフォース&4つの剣(2003年3月14日、ゲームボーイアドバンス)ゼネラルプロデューサー
ギフトピア(2003年4月25日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
とっとこハム太郎4 にじいろ大行進でちゅ(2003年5月23日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
ポケモンボックス ルビー&サファイア(2003年5月30日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
どうぶつの森e+(2003年6月27日、ニンテンドーゲームキューブ)
カービィのエアライド(2003年7月11日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
スーパーマリオアドバンス4(2003年7月11日、ゲームボーイアドバンス)
ポケモンチャンネル ~ピカチュウといっしょ!~(2003年7月18日、ニンテンドーゲームキューブ)ゼネラルプロデューサー
F-ZERO GX(2003年7月25日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(名越稔洋と共同)
マリオゴルフ ファミリーツアー(2003年9月5日、ニンテンドーゲームキューブ)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
マリオカート ダブルダッシュ!!(2003年11月7日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
マリオパーティ5(2003年11月28日、ニンテンドーゲームキューブ)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
ポケモンコロシアム(2003年11月21日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー(野本岳志と共同)
マリオ&ルイージRPG(2003年11月21日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
スーパードンキーコング(2003年12月12日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
ドンキーコンガ(2003年12月12日、ニンテンドーゲームキューブ)スーパーバイザー
テン・エイティ シルバーストーム(2004年1月22日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
カスタムロボ バトルレボリューション(2004年3月4日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
メタルギアソリッド ザ・ツインスネークス(2004年3月11日、ニンテンドーゲームキューブ)スペシャルサンクス
ゼルダの伝説 4つの剣+(2004年3月18日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
星のカービィ 鏡の大迷宮(2004年4月15日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー(足立靖と共同)
マリオゴルフ GBAツアー(2004年4月22日、ゲームボーイアドバンス)キャラクターデザイン
ピクミン2(2004年4月29日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
マリオvs.ドンキーコング(2004年6月10日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー(山城重喜と共同)
スーパードンキーコング2(2004年7月1日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
ペーパーマリオRPG(2004年7月22日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
スーパーマリオボール(2004年8月26日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
マリオテニスGC(2004年10月28日、ニンテンドーゲームキューブ)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし(2004年11月4日、ゲームボーイアドバンス)ゼネラルプロデューサー
マリオパーティ6(2004年11月18日、ニンテンドーゲームキューブ)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
スーパーマリオ64DS(2004年12月2日、ニンテンドーDS)プロデューサー、スーパーバイジングディレクター
ピクトチャット(2004年12月2日、ニンテンドーDS内蔵)プロデューサー
ドンキーコングジャングルビート(2004年12月16日、ニンテンドーゲームキューブ)ゼネラルプロデューサー
マリオパーティ アドバンス(2005年1月14日、ゲームボーイアドバンス)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
キャッチ!タッチ!ヨッシー!(2005年1月27日、ニンテンドーDS)
スターフォックス アサルト(2005年2月24日、ニンテンドーゲームキューブ)プロデューサー
エレクトロプランクトン(2005年4月7日、ニンテンドーDS)プロデューサー(岩井俊雄作品)
nintendogs(2005年4月21日、ニンテンドーDS)ゼネラルプロデューサー
ぶらぶらドンキー(2005年5月19日、ゲームボーイアドバンス)スーパーバイザー
ちびロボ!(2005年6月23日、ニンテンドーゲームキューブ)シニアプロデューサー
スーパーマリオスタジアム ミラクルベースボール(2005年7月21日、ニンテンドーゲームキューブ)
マリオテニスアドバンス(2005年9月13日、ゲームボーイアドバンス)キャラクターデザイン、スーパーバイザー
Geist(2005年8月15日北米発売、ニンテンドーゲームキューブ)シニアプロデューサー
マリオパーティ7(2005年11月10日、ニンテンドーゲームキューブ)スーパーバイザー
スーパードンキーコング3(2005年12月1日、ゲームボーイアドバンス)
マリオカートDS(2005年12月8日、ニンテンドーDS)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ルイージRPG2(2005年12月29日、ニンテンドーDS)プロデューサー
スーパーマリオストライカーズ(2006年1月19日、ニンテンドーゲームキューブ)スーパーバイザー
大玉(2006年4月13日、ニンテンドーゲームキューブ)協力
MOTHER3(2006年4月20日、ゲームボーイアドバンス)プロデューサー
New スーパーマリオブラザーズ(2006年5月25日、ニンテンドーDS)スーパーバイザー
スターフォックス コマンド(2006年8月3日、ニンテンドーDS)ゼネラルプロデューサー
Wii Sports(2006年12月2日、Wii)ゼネラルプロデューサー
ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス(2006年12月2日、ニンテンドーゲームキューブ及びWii)プロデューサー
似顔絵チャンネル(2006年12月2日、Wii内蔵)
はじめてのWii(2006年12月2日、Wii)ゼネラルプロデューサー
スーパーペーパーマリオ(2007年4月19日、Wii)スーパーバイザー
ゼルダの伝説 夢幻の砂時計(2007年6月17日、ニンテンドーDS)ゼネラルプロデューサー
マリオパーティ8(2007年7月26日、Wii)スーパーバイザー
スーパーマリオギャラクシー(2007年11月1日、Wii)ゲームデザインコンセプト、プロデューサー
マリオ&ソニック AT 北京オリンピック(2007年11月22日、Wii)シニアプロデューサー
Wii Fit(2007年12月1日、Wii)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ソニック AT 北京オリンピック(2008年1月17日、ニンテンドーDS)シニアプロデューサー
大乱闘スマッシュブラザーズX(2008年1月31日、Wii)シニアスーパーバイザー(谷村正仁、田尻智、田中宏和、石原恒和、糸井重里 / エイプ、成広通と共同)[57]
マリオカートWii(2008年4月10日、Wii)ゼネラルプロデューサー
リンクのボウガントレーニング(2008年5月1日、Wii)ゼネラルプロデューサー
Wii Music(2008年10月16日、Wii)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ルイージRPG3!!!(2009年2月11日、ニンテンドーDS)シニアプロデューサー
Wii Sports Resort(2009年6月25日、Wii)ゼネラルプロデューサー
パンチアウト!!(2009年7月23日、Wii)スーパーバイザー
Wii Fit Plus(2009年10月1日、Wii)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ソニック AT バンクーバーオリンピック(2009年11月5日、Wii)シニアプロデューサー
マリオ&ソニック AT バンクーバーオリンピック(2009年11月19日、ニンテンドーDS)シニアプロデューサー
New スーパーマリオブラザーズWii(2009年12月3日、Wii)ゼネラルプロデューサー
戦国無双3(2009年12月3日、Wii)スーパーバイザー※村雨城モードのみ
ゼルダの伝説 大地の汽笛(2009年12月23日、ニンテンドーDS)ゼネラルプロデューサー
スーパーマリオギャラクシー2(2010年5月27日、Wii)製作総指揮
MARIO SPORTS MIX(2010年11月25日、Wii)スーパーバイザー
ドンキーコング リターンズ(2010年12月9日、Wii)スーパーバイザー
nintendogs + cats(2011年2月26日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
スティールダイバー(2011年5月12日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D(2011年6月16日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
スターフォックス64 3D(2011年7月14日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
スーパーマリオ 3Dランド(2011年11月3日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
ゼルダの伝説 スカイウォードソード(2011年11月23日、Wii)ゼネラルプロデューサー
マリオカート7(2011年12月1日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ソニック AT ロンドンオリンピック(2011年12月8日、Wii)シニアプロデューサー
マリオ&ソニック AT ロンドンオリンピック(2012年3月1日、ニンテンドー3DS)シニアプロデューサー
マリオパーティ9(2012年4月26日、Wii)スーパーバイザー
マリオテニス オープン(2012年5月24日、ニンテンドー3DS)スーパーバイザー
New スーパーマリオブラザーズ 2(2012年7月28日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
ペーパーマリオ スーパーシール(2012年12月6日、ニンテンドー3DS)スーパーバイザー
New スーパーマリオブラザーズ U(2012年12月8日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
Nintendo Land(2012年12月8日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
ルイージマンション2(2013年3月20日、ニンテンドー3DS)プロデューサー
New スーパールイージ U(2013年6月19日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
ピクミン3(2013年7月13日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ルイージRPG4 ドリームアドベンチャー(2013年7月28日、ニンテンドー3DS)スーパーバイザー
ゼルダの伝説 風のタクト HD(2013年9月26日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
スーパーマリオ 3Dワールド(2013年11月21日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
ゼルダの伝説 神々のトライフォース2(2013年12月26日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
ドンキーコング トロピカルフリーズ(2014年2月13日、Wii U)スーパーバイザー
マリオカート8(2014年5月29日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS(2014年9月13日、ニンテンドー3DS)シニアスーパーバイザー(谷村正仁、田尻智、田中宏和、石原恒和、糸井重里 / エイプ、中村俊之、高橋哲哉と共同)
進め! キノピオ隊長(2014年11月13日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U(2014年12月6日、Wii U)シニアスーパーバイザー(谷村正仁、田尻智、田中宏和、石原恒和、糸井重里 / エイプ、中村俊之、高橋哲哉と共同)
ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D(2015年2月14日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
パズル&ドラゴンズ スーパーマリオブラザーズ エディション(2015年4月22日、ニンテンドー3DS)スーパーバイザー
スプラトゥーン(2015年5月28日、Wii U)ゼネラルプロデューサー(江口勝也と共同)
スーパーマリオメーカー(2015年9月10日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
ゼルダの伝説 トライフォース3銃士(2015年10月22日、ニンテンドー3DS)ゼネラルプロデューサー
マリオ&ルイージRPG ペーパーマリオMIX(2015年12月3日、ニンテンドー3DS)スーパーバイザー(手塚卓志、田邊賢輔と共同)
マリオテニス ウルトラスマッシュ(2016年1月28日、Wii U)スーパーバイザー
マリオ&ソニック AT リオオリンピック(2016年2月18日、ニンテンドー3DS)シニアプロデューサー
ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス HD(2016年3月10日、Wii U)ゼネラルプロデューサー
スターフォックス ゼロ(2016年4月21日、Wii U)プロデューサー、スーパーバイジングディレクター[58]
マリオ&ソニック AT リオオリンピック(2016年6月23日、Wii U)シニアプロデューサー
ペーパーマリオ カラースプラッシュ(2016年10月13日、Wii U)スーパーバイザー(手塚卓志と共同)
ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(2017年3月3日、Wii U及びNintendo Switch)ゼネラルプロデューサー(高橋伸也と共同)
マリオカート8 デラックス(2017年4月28日、Nintendo Switch)ゼネラルプロデューサー(高橋伸也と共同)
ARMS(2017年6月16日、Nintendo Switch)ゼネラルプロデューサー(江口勝也、高橋伸也と共同)
スーパーマリオ オデッセイ(2017年10月27日、Nintendo Switch)エグゼクティブプロデューサー(君島達己と共同)
主な受賞歴
個人賞
- 1990年 - 日本文化デザインフォーラム主催「日本文化デザイン賞」受賞[59]
- 1993年 - 日本ソフトウェア大賞実行委員会主催 日本ソフトウェア大賞'92「MVP」受賞(創設第1回目受賞)
- 1996年 - 朝日新聞社主催 朝日デジタル・エンターテインメント大賞「ホーム部門個人賞」受賞
- 1997年 - AMD Award'96「Best Producer/Director賞」受賞[60]
- 1997年 - 日本ソフトウェア大賞実行委員会主催 第5回日本ソフトウェア大賞「MVP」受賞
- 1998年 - (アメリカ) Academy of Interactive Arts & Sciences主催 Interactive Achievement Awards「THE HALL OF FAME AWARD」受賞(創設第1回目受賞)[61]
- 1998年 - 第13回マルチメディアグランプリ1998 MMCA会長賞受賞
- 2003年 - (イギリス) Golden Joystick Awards 2003「Hall of Fame Industry Personality of the Year Award」受賞
- 2004年 - 石川県金沢市主催「eAT'04 KANAZAWA名人賞」受賞[62]
- 2005年 - (アメリカ) Game Developers Conference 2005「Walk of Game」「Livetime Achievement」受賞(創設第1回目受賞)
- 2006年 - フランス政府・文化通信省 芸術文化勲章「シュバリエ章」受章[63]
- 2007年 - 第12回AMD Award「功労賞」受賞[64]
- 2007年 - (アメリカ)The 7th GDC「Lifetime Achievement Award(生涯功労賞)」受賞(IDGAメンバー選出)
- 2007年 - 金沢美術工芸大学 栄誉賞受賞(創設第1回目受賞)[7]
- 2008年 - CEDEC AWARDS 2008「特別賞」受賞(創設第1回目受賞)[65]
- 2008年 - (アメリカ)Entertainment Software Association主催 チャリティイベント「Nite to Unite for Kids」2009ESAチャンピオンアワード受賞[66]
- 2008年 - 社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)日本ゲーム大賞2008 「経済産業大臣賞」受賞(創設第1回目受賞)[67]
- 2009年 - ジム・ヘンソン社 「The Jim Henson Celebration Honor」賞受賞[68]
- 2009年 - (カナダ) 第3回ELANアワード「VIDEO GAME HALL of FAME(生涯功労賞)」受賞
- 2009年 - DIGITAL CONTENT EXPO 2009 ASIAGRAPH 2009 in Tokyo 第3回 ASIAGRAPH Award 「創(つむぎ)賞」受賞[69]
- 2009年 - 第13回文化庁メディア芸術祭功労賞受賞[70]
- 2010年 - 英国映画テレビ芸術アカデミー(British Academy of Film and Television Arts (BAFTA))「フェローシップ賞」受賞(ゲーム業界史上3人目、日本人では初)[71]
- 2011年 - 平成22年度(第61回)芸術選奨文部科学大臣賞(メディア芸術部門)受賞[72]
- 2012年 - アストゥリアス皇太子賞 (スペイン皇太子賞)「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門」受賞[73]
その他の賞
- 2005年3月 - ハリウッドの「Hollywood Walk of Fame」(ハリウッド名声の歩道)にならってサンフランシスコ・メトレオンに作られた「Walk of Game」において、ノーラン・ブッシュネルと宮本の名が、星印の中に刻まれた[74]。
- 2006年11月13日 - 『TIME』誌アジア版(Vol. 168, No. 20)にて、黒澤明、宮崎駿、小澤征爾、盛田昭夫、井深大 、安藤百福、森英恵、三宅一生、川久保玲、王貞治と共に「60年以内のアジアの英雄」に最年少で選ばれた。
- 2007年5月4日 - 『TIME』誌アメリカ版にて、「TIME 100(世界で最も影響力がある100人)」にトヨタ自動車の渡辺捷昭社長と共に選ばれた[75]。
- 2007年 - 米国の経済誌『Business 2.0』による、最も影響力がある経営者らを選出する「気になる人物ベスト50」において、20位で選出された(日本人からは2名選出で、もう1人はトヨタ自動車の渡辺捷昭社長(10位)。選考理由は「ゲーム産業に新たな息吹を吹き込んだ」との評価から。
- 2007年 - イギリスの経済誌『The Economist』から“ゲーム業界に多大な貢献をした”ことを理由に表彰され、その授与式がロンドンの科学博物館で行われた。受賞理由として「宮本氏を抜きにしては現代のゲーム業界を語ることはできない」からとコメントされている[76]。
- 2008年 - 「Your Time 100」(『Time』誌の読者が選ぶ「影響力がある100人」)においてトップとなった[77]。最終獲得票数は197万4651票に及んだ(ゲーム産業界から他にリスト入りしたのはマイクロソフトのビル・ゲイツと、マイクロソフトの最高経営責任者(CEO)スティーブ・バルマー)[78]。
宮本茂に関する書籍
- 雑誌 『ユリイカ』2006年6月号、青土社 特集=任天堂/Nintendo「宮本茂をめぐって コンピュータ・ゲームにおける作者の成立」井上明人
参考文献
- ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力(早川書房、2011年)
脚注
- ^ abcd“宮本茂 時雨殿でWiiを語る。”. ニンドリドットコム. 2006年9月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年3月13日閲覧。
- ^ ab“Miyamotoさんのプロフィール”. 任天堂. 2015年3月13日閲覧。
- ^ ab“マリオの生みの親・宮本茂氏、60歳の誕生日を迎える”. インサイド (2012年11月16日). 2015年3月13日閲覧。
^ “会社情報:取締役・監査役”. 任天堂. 2015年7月15日閲覧。
“代表取締役の異動および役員の委嘱・管掌・担当変更に関するお知らせ (pdf)” (2015年9月14日). 2015年9月14日閲覧。
- ^ ab“社長が訊く『Wii Music』 Vol.1 宮本茂編 1.宮本茂と音楽の出会い”. 任天堂. 2015年3月13日閲覧。
- ^ abcd“「人生に無駄なし」「チャレンジしていれば悩まない」──任天堂 宮本 茂氏,30年にわたる自らの仕事史を振り返る”. 4Gamer.net (2009年10月24日). 2016年11月3日閲覧。
- ^ ab“お知らせ・新着情報”. 金沢美術工芸大学. 2007年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月3日閲覧。
^ 後藤弘茂 (2006年12月6日). “後藤弘茂のWeekly海外ニュース 任天堂 岩田聡社長インタビュー(1) マンマシンインターフェイスを直感的にすることがカギ”. PC Watch. 2010年1月10日閲覧。
- ^ ab“社長の代わりに糸井重里さんが訊く「スーパーマリオ25周年」 (2/12)”. 任天堂 (2010年9月13日). 2011年3月13日閲覧。
^ 「任天堂 「キャラクターを積極的に活用」 君島新社長一問一答」日本経済新聞2015年9月15日第15面
^ 「人事、任天堂」日本経済新聞2015/9/15
^ 「代表取締役の異動および役員の委嘱・管掌・担当変更に関するお知らせ」任天堂2015.9.14
^ “任天堂ホームページ 社長の代わりに糸井重里さんが訊く 6.ものごと単純化するために。”. 任天堂 (2010年9月13日). 2011年2月1日閲覧。
^ 例として、ゲーム『MOTHER』の関連本『マザー百科』(小学館)の中で、宮本はゲームの主人公に「みやほん」と名付けている。
^ “社長が訊く『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』”. 任天堂. 2016年8月31日閲覧。
^ “ピクミン ショートムービー”. 第27回東京国際映画祭. 2016年11月3日閲覧。
“『スターフォックス ゼロ』のアニメーションができるまで。”. 任天堂 (2016年7月27日). 2016年11月3日閲覧。
^ “イルミネーションと任天堂「スーパーマリオ」アニメ映画の企画開発を開始”. 任天堂 (2018年2月1日). 2018年2月1日閲覧。
^ “社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』 その1 (6/9)”. 任天堂 (2009年11月13日). 2016年11月3日閲覧。
^ “Hello , Hello , Hello ,『ギフトピア』!! 第一回”. ほぼ日刊イトイ新聞 (2003年4月24日). 2016年11月3日閲覧。
^ “社長が訊く『マリオカートWii』 (5/5)”. 任天堂 (2008年4月3日). 2016年11月3日閲覧。
^ “Nintendo DS Creator's Voice 『いただきストリートDS』企画・原案 堀井 雄二 × 任天堂株式会社 専務取締役・情報開発本部長 宮本 茂”. 任天堂 (2006年12月21日). 2007年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月3日閲覧。
^ “社長が訊く『スターフォックス64 3D』”. 任天堂 (2011年7月5日). 2016年11月3日閲覧。
^ “社長が訊く『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』”. 任天堂. 2016年8月31日閲覧。
^ “社長が訊く『Wii Fit』”. 任天堂 (2007年11月8日). 2016年11月3日閲覧。
^ 朝日新聞 be on Suaturday 2009年4月11日 フロントライナー 宮本茂
^ “MSが任天堂を250億ドルで買収する計画だった?”. ITmedia (2002年4月30日). 2010年1月10日閲覧。
^ “任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。”. ほぼ日刊イトイ新聞 (2007年8月31日). 2016年8月31日閲覧。
^ “任天堂ホームページ 社長の代わりに糸井重里さんが訊く 9.消費者として標準的であること。”. 任天堂 (2010年9月13日). 2011年2月1日閲覧。
- ^ ab“「ゼルダの伝説」のフランチャイズの進化について”ゼルダらしさ”を損なわず、継承と変革を判断する”. GAME Watch (2004年3月25日). 2004年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月3日閲覧。
^ “Iwata Asks : Luigi's Mansion: Dark Moon : Upending the Tea Table” (英語). Nintendo of America. 2018年6月15日閲覧。
^ 武田亨「It’s The NINTENDO」(2000年、ティーツー出版)など
^ “社長に学べ! NINTENDO社長 岩田聡さん (→7 修羅場を救ってくれたもの。)”. ほぼ日刊イトイ新聞 (2005年3月9日). 2016年11月3日閲覧。
^ 『ファミ通DVDビデオ ゼルダのビデオ~ゼルダのすべてを教えよう~』(2003年2月19日、株式会社エンターブレイン製作、株式会社ソニー・ミュージックディストリビューション発売)の宮本茂インタビューより。
^ 『ゼルダの伝説時のオカリナ百科』エンターブレイン刊 ISBN 978-4757700758
^ “樹の上の秘密基地 「ゼルダの伝説 時のオカリナ」の情報・産地直送!』”. ほぼ日刊イトイ新聞. 2016年8月31日閲覧。
^ 『ニンテンドードリーム』Vol.110 2004年3月19日発売号
“『ゼルダの伝説 4つの剣+』 - 駆け込み大改変?開発スタッフインタビュー N.O.M 2004年3月号”. Nintendo Online Magazine. 2016年11月3日閲覧。
^ “社長が訊くWiiプロジェクト - Vol.5『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』編”. 任天堂. 2016年8月31日閲覧。
^ デヴィッド・シェフ『ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち』(角川書店、篠原慎訳、1993年、pp.55)
^ 『POWER+UP―米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』(pp.422)
^ “スピルバーグ初のゲーム『BOOM BLOX』は宮本茂氏との出会いから生まれた”. ファミ通.com (2008年2月23日). 2017年11月16日閲覧。
^ GDC 2007--ゲーム・オブ・ザ・イヤーは「Gears of War」が受賞 - GameSpot Japan
^ Gamasutra - News - E3: An Audience With Shigeru Miyamoto
^ “宮本茂氏もサプライズ出演した“スーパーマリオ30周年SPステージ ゲームセンターCX”【超会議2015】”. 電撃オンライン (2015年4月25日). 2017年7月9日閲覧。
^ “Jimmy Fallon Debuts the Nintendo Switch”. The Tonight Show (2016年12月7日). 2017年1月11日閲覧。
“Shigeru Miyamoto and The Roots Perform "Super Mario Bros. Theme"”. The Tonight Show Starring Jimmy Fallon (番組公式動画) (2016年12月7日). 2017年1月11日閲覧。
^ “丹波発 ふるさとの君たちへ 宮本茂さん”. 京都新聞. (2001年12月23日). http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/08.html 2010年1月10日閲覧。
^ デヴィッド・シェフ『ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち』(角川書店、篠原慎訳、1993年、pp.59)
^ Kenji Hall (2009年5月6日). “Hideo Kojima: Gaming's Designer-in-Chief” (英語). BusinessWeek. 2010年1月10日閲覧。
“ゲームデザイナー小島秀夫氏に世界の称賛 販売本数2650万本の「メタルギア」の生みの親の人気” (日本語). 日経ビジネス (2009年5月13日). 2009年5月13日閲覧。
^ “海外ゲームニュース 宮本茂氏、ゲーム開発業界のヒーローに”. ファミ通.com (2009年6月15日). 2009年6月15日閲覧。
^ Seth Schiesel (2008年5月25日). “Shigeru Miyamoto of Nintendo Expands His Empire” (英語). New York Times. http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html 2010年1月10日閲覧。
^ 『細田守 PLUS MADHOUSE 03』「特別対談 宮本茂×細田守」 キネマ旬報社刊
“細田守監督最新作『サマーウォーズ』公開記念特別インタビュー!”. アニメイトタイムズ (2009年7月16日). 2016年11月3日閲覧。
^ Kenji Hall (2018年4月30日). “星野源、任天堂「バーチャルボーイ」を熱く語る” (日本語). BIGLOBEニュース. 2017年8月19日閲覧。
^ 『Family Song - Home Video』(VIZL-1214)オーディオコメンタリー
^ 「装苑」 2019年3月号 p.29(ASIN: B07MTJLX8W)
^ “Donkey Kong, Sky Skipper come to Nintendo Switch Arcade Archives”. Polygon (2018年6月14日). 2018年6月15日閲覧。
^ “黒田官兵衛、甲斐姫、加藤清正も新たに登場! 『戦国無双3』の発売は11月!!”. 電撃オンライン (2009年8月5日). 2017年2月22日閲覧。
^ “『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会 その1”. ほぼ日刊イトイ新聞 (2000年8月22日). 2017年6月6日閲覧。
^ “社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』 Vol.1”. 任天堂 (2008年1月30日). 2016年11月3日閲覧。
^ “『スターフォックス ゼロ』開発スタッフインタビュー [第2回] 新しいマシンで広がる遊び|トピックス”. 任天堂. 2016年4月20日閲覧。
^ “活動内容”. 日本文化デザインフォーラム. 2016年11月3日閲覧。
^ “第9回 ~ 第1回 AMD Award 受賞作品一覧”. AMD 一般社団法人デジタルメディア協会. 2016年11月3日閲覧。
^ “Special Awards Details Page” (英語). Academy of Interactive Arts & Sciences. 2016年11月3日閲覧。
^ “eAT最新ニュース”. eAT'04 (2004年2月23日). 2004年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月3日閲覧。
“宮本茂氏が金沢市で「名人賞」を受賞!表彰式&特別講演レポート”. 電撃オンライン (2004年2月23日). 2016年11月3日閲覧。
^ “任天堂の宮本茂氏が仏レジオン・ドヌール勲章を受勲”. ファミ通.com (2006年3月14日). 2016年11月3日閲覧。
“Miyamoto : Chevalier dans l’ordre des arts et des lettres” (フランス語). Puissande Nintendo (2006年3月13日). 2016年11月3日閲覧。
^ “第12回 AMD Award 功労賞 | 宮本 茂”. 一般社団法人デジタルメディア協会. 2016年11月3日閲覧。
^ “CEDEC AWARDS CEDEC 2008”. CEDEC. 2016年11月3日閲覧。
^ “Shigeru Miyamoto Named 2008 “Nite to Unite for Kids” Honoree” (英語). Entertainment Software Association. 2016年11月3日閲覧。
^ “日本ゲーム大賞2008|経済産業大臣賞”. コンピュータエンターテインメント協会. 2016年11月3日閲覧。
^ “2008 Official Announcement (PDF)” (英語). The Jim Henson Company (2009年1月15日). 2016年11月3日閲覧。
^ “CoFesta 2009 (PDF)”. CoFesta. 2016年11月3日閲覧。
^ “宮本 茂 功労賞 第13回 2009年”. 文化庁メディア芸術祭. 2016年11月3日閲覧。
^ “2010 Games Fellowship BAFTA Awards” (英語). BAFTA. 2016年11月3日閲覧。
^ “芸術選奨歴代受賞者一覧(昭和25年度~) (PDF)”. 芸術選奨. 2016年11月3日閲覧。
^ “Princess of Asturias Awards - The Princess of Asturias Foundation” (英語、スペイン語). Fundación Princesa de Asturias. 2016年11月3日閲覧。
^ “「Walk of Game」の授賞式が開催、宮本氏やマリオなどが受賞”. INSIDE (2005年3月10日). 2016年11月3日閲覧。
^ “Your TIME 100 - The TIME 100 — Are They Worthy?” (英語). TIME. 2010年1月10日閲覧。
^ “宮本茂氏,イギリスの「The Economist」誌から表彰される”. 4Gamer.net (2007年10月23日). 2016年11月3日閲覧。
^ 先述の「世界で最も影響力のある100人」のオンライン版にあたる。
^ ただし、印刷版「Time 100」で特集記事を組まれたのは別な人物となっている。
関連項目
- 任天堂
- 横井軍平
- 山内溥
- 岩田聡
外部リンク
宮本茂 on Miiverse
ニンドリドットコム - 宮本茂 時雨殿でWiiを語る - ウェイバックマシン(2006年9月2日アーカイブ分)- 『ニンテンドー3DS』 発売前に宮本さんに、訊いておきたいこと。 - 社長が訊く
- ほぼ日刊イトイ新聞 宮本茂×岩田聡×糸井重里 ゲーム機の電源を入れてもらうために。
- ほぼ日刊イトイ新聞 宮本茂さん、WiiFitなどを語る。
- ほぼ日刊イトイ新聞 宮本茂×岩田聡×糸井重里 宮本茂はどういう風に構造を作っていくのか
- ほぼ日刊イトイ新聞 宮本茂×糸井重里 ひとりではつくれないもの。
|