北山文化
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北山文化(きたやまぶんか)とは、室町時代初期の文化で、三代将軍足利義満(1358年~1408年)の北山山荘に代表され、14世紀末~15世紀前半までをさす。東山文化に対して使われる言葉である。
ただし、今日の歴史学では東山文化と合わせて「室町文化」と呼ぶのが一般的だという。(→東山文化#室町文化)
目次
1 特色
2 建築
3 彫刻
4 文学
5 絵画
6 芸能
7 宗教
8 礼式
9 脚注
10 関連項目
特色
南北朝時代の動乱を経て、それまで伝統的であった公家文化と、新興の武家文化の融合が特色で、明との勘合貿易、禅宗を通じて大陸文化の影響も受けている。
建築
鹿苑寺金閣(1397年):正式には鹿苑寺舎利殿。北山文化を代表するもので足利義満が北山に山荘を造営した(北山山荘は義満死後その法名をとって鹿苑寺となる)。一層が公家風の寝殿造で阿弥陀堂、二層が住宅風(俗説では武家造)、三層が禅宗様の仏殿風で仏舎利を置いた。1957年に焼失。
彫刻
能面彫刻
文学
軍記物語
太平記(1371年頃成立)
難太平記(1402年)
五山文学
義堂周信(1325年~1388年)
絶海中津(1336年~1405年)
連歌
二条良基:「菟玖波集」の撰(1356年)、また「応安新式」(1372年)では100句を基準とする長連歌の形式を定めた。
絵画
水墨画
明兆(1352年~1431年):東福寺の僧。元・宋の画法を習得。
如拙(?~?):相国寺の僧。退蔵院所有の国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」で知られる。
周文(?~1463年頃没?):相国寺の僧、如拙に学ぶ。幕府の御用絵師となり、雪舟に奥義を伝えるという。
芸能
能:田楽、猿楽から、観阿弥・世阿弥親子により大成された。- 狂言
宗教
禅宗の一派、臨済宗が幕府の保護によりさらに発展した。
安国寺、利生塔
- 天竜寺
- 五山の制
礼式
- 小笠原流
- 伊勢流
- 大草流庖丁道
- 折形
脚注
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関連項目
- 東山文化
- 唐物
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