教会堂
教会堂(きょうかいどう)は、キリスト教などの教会の建築物である。単に教会とも言うが、その場合には、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す。
キリスト教の場合、日本では正教会やカトリック教会、聖公会では教会堂ではなく聖堂(せいどう)と呼ぶことが多く、聖堂を荘厳にして、イコンやステンドグラス、壁画を用いて感覚的に信仰をわかりやすく説いたものが多い。プロテスタントの教会では、説教や集会のためという実用本位な教会が多く、装飾は控えられ、なかには十字架も置かない場合もある。
以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。
目次
1 初期キリスト教建築の教会堂
2 ビザンティン建築の教会堂
3 ロシア建築の教会堂
4 ロマネスク建築の教会堂
5 ゴシック建築の教会堂
6 ルネサンス建築の教会堂
7 バロック建築の教会堂
8 古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂
9 モダニズム建築以降の教会堂
10 日本の教会堂
11 脚注
12 関連項目
初期キリスト教建築の教会堂
古くは古代ローマの集会場であるバシリカを継承した長方形で、これをバシリカ式教会堂と呼ぶ。身廊の両側に、列柱で隔てられた側廊、正面奥に半円形平面のアプシスを持つ平面構成。屋根は木造小屋組。身廊の天井は一段高く、側壁にクリアストーリと呼ばれる高窓を持つ。後に交差廊を加え、ラテン十字形を基本とする形式をとるようになった。
一方、古代には円形・正多角形を基本とする教会堂(集中堂式教会堂)も作られ、教会堂のほか、洗礼堂、墓廟としても用いられた。こちらはローマ帝国分裂後、東ローマに伝わり、ビザンティン建築の起源となったと考えられている。時代が下るにつれ、堂内に小礼拝堂などを併設するようになる。
ビザンティン建築の教会堂
ビザンティン様式の聖堂(教会堂)は、ドームを中心とする垂直軸を重視した空間構成、ギリシャ十字形(集中式)の平面を取り、ドームにはモザイクでキリスト像が描かれる場合が多い。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を通じ、正教会の聖堂建築様式として東ヨーロッパのスラヴ文化圏に広まった。
ロシア建築の教会堂
ロシア建築における聖堂(教会堂)は、ビザンティン建築をベースにしつつも、ロシア独自の様式や西欧からの影響が盛り込まれ、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。
ロマネスク建築の教会堂
ロマネスク様式の教会堂は、11世紀以降に造られた。バシリカ形式の平面で、後にはヴォールト架構を導入した。ヴォールトによる側壁の面外方向への加重を、壁を分厚くすることによって受ける。地域、教派による多様性があり、様式としての統一性は薄い。
ゴシック建築の教会堂
ゴシック様式の教会堂は北フランスに生まれ、12世紀後半ごろからヨーロッパ全土へ広がる。リブ・ヴォールト、尖頭アーチ、飛梁(フライング・バットレス)の働きによって、ロマネスク建築の分厚い壁面とは対照的に、壁をできる限り少なくし、ステンドグラスに彩られた光あふれる空間を実現した。ゴシック建築の教会堂は、ステンドグラス・高い天井など最も教会堂らしい形をしていると言える。
日本に於ける結婚式専用の教会堂[1]の多くはゴシック様式をしている。
ルネサンス建築の教会堂
ルネサンス様式の教会堂は、15世紀にイタリアで始まる。ローマの建築様式を復興し、古典的で調和の取れた明快な様式である。
バロック建築の教会堂
バロック様式の教会堂は、ローマ、スペインなどで多く造られ、カトリックの対抗改革を背景に、動的、劇的な空間構成が取られる。
古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂
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モダニズム建築以降の教会堂
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日本の教会堂
キリスト教伝来(1549年)から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本各地に建てられた教会堂は「南蛮寺」などと呼ばれたが、現存する建築物はなく、資料や出土遺物で確認できるのみである。
明治以降のカトリックの教会堂は「天主堂」とも呼ばれていた。長崎の教会群など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。
伝統的な様式を採用せずに、通常の建築物の手法で建築する、居抜き出店の形で利用する、テナントとして入居する場合も有る。
脚注
^ 不動産上は商用施設に分類される
関連項目
- 大聖堂
- 大聖堂の一覧
- 西ヨーロッパの大聖堂建築
教会堂建築の変遷 (Church architecture)- ローマ建築
- 聖堂
- バシリカ
- 礼拝堂
- チャペル
- 木造教会
- シナゴーグ
- 寺院
- 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産