伊都郡







  • 令制国一覧 > 南海道 > 紀伊国 > 伊都郡


  • 日本 > 近畿地方 > 和歌山県 > 伊都郡




和歌山県伊都郡の範囲(1.かつらぎ町 2.九度山町 3.高野町 薄黄:後に他郡に編入された区域)


伊都郡(いとぐん)は、和歌山県(紀伊国)の郡。


人口23,483人、面積332.87km²、人口密度70.5人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の3町を含む。




  • かつらぎ町(かつらぎちょう)


  • 九度山町(くどやまちょう)


  • 高野町(こうやちょう)




目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 古代


      • 2.1.1 式内社




    • 2.2 近世


    • 2.3 近現代


      • 2.3.1 町村制以前


      • 2.3.2 町村制以降


      • 2.3.3 変遷表






  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





郡域


1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、かつらぎ町の一部(新城字嶽原・長ノ盛)を除く上記3町に橋本市および紀の川市の一部(上鞆渕)と奈良県五條市の一部(畑田町の一部)を加えた区域にあたる。



歴史



古代



式内社


『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。







































神名帳
比定社
集成
社名
読み

付記
社名
所在地
備考

伊都郡 2座(大1座・小1座)
小田神社 ヲタノ 小田神社
和歌山県橋本市高野口町小田

丹生都比女神社 ニツ- 名神大 月次新嘗 丹生都比売神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 紀伊国一宮[注 1]

[1]

凡例を表示




  1. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、紀伊国の一宮として日前神宮・國懸神宮、丹生都比売神社、伊太祁曽神社の3社が挙げられる (中世諸国一宮制 & 2000年, p. 522-525)。




近世


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(2町158村)




















知行
村数
村名

藩領
紀伊和歌山藩
1町
87村
下宿村、背ノ山村、移村、窪村、萩原村、中村(現・かつらぎ町笠田中)[1]、島村、佐野村、東村、広浦村、柏木村、大谷村、新在家村、大藪村、丁ノ町村、新田村、妙寺村、西飯降村、大畑村、中飯降村、短野村、滝村、東谷村、平村、広口村、大野村、名倉村、入郷村、小田村、南名古曽村、北名古曽村、浄土寺村、伏原村、端場村、学文路村、丹生川村、神野々村、岸上村、野村、柏原村(現・橋本市)、出塔村、山田村、吉原村、広野村、田原村、上中村、下中村、九重村、嵯峨谷村、竹尾村、市脇村、東家村、寺脇村、古佐田村、橋本町、原田村、妻村、河瀬村、下兵庫村、上兵庫村、中島村、中下村、芋生村、垂井村、上宿村、赤塚村、下上田村、恋野村、只野村、須河村、谷奥深村、彦谷村、小原田村、菖蒲谷村、辻村、橋谷村、慶賀野村、矢倉脇村、柱本村、馬場村(現・橋本市南馬場)、胡麻生村、細川上村[2]、細川下村[2]、境原村、杉尾村、霜草村、山内村、平野村
その他

高野山領
1町
71村
上天野村、下天野村、神田村、東渋田村、西渋田村、上古沢村、中古沢村、下古沢村、笠木村、椎出村、西郷村、東郷村、北又村、九度山村、三谷村、兄井村、寺尾村、山崎村、教良寺村、平沼田村、皮張村、慈尊院村、中道村、清水村、馬場村(現・橋本市北馬場)[3]、東畑村、西畑村、向副村、賢堂村、横座村、河根村、東富貴村、西富貴村、上筒香村、中筒香村、下筒香村、西ヶ峯村、南村、林村、平原村、柏原村(現・高野町)、東又村、杖ヶ藪村、南宿村、北宿村、市平村、大滝村、相之浦村、中南村、久木村、池ノ窪村、新子村、北寺村、簗瀬村[4]、峰村、古向村、有中村、中越村、臼谷村、滝谷村、湯川村[5]、新城村、中村(現・かつらぎ町新城)、上番村、志賀村、花阪村、細川村、星山村、日高村、御所村、星川村、高野山寺内[6]


近現代



町村制以前



  • 明治2年(1869年)8月 - 高野山領が堺県の管轄となる。

  • 明治3年4月27日(1870年5月27日) - 堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。

  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が和歌山県の管轄となる。


    • 11月1日(1871年12月12日) - 五條県の管轄地域が和歌山県の管轄となる。


    • 11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、全域が和歌山県の管轄となる。



  • 明治初年 - 広野村が吉原村に合併。(2町157村)

  • 明治5年(1872年) - 東畑村が清水村に合併[7]。(2町156村)

  • 明治7年(1874年) - 中村(現・かつらぎ町笠田中)が改称して笠田中村となる。

  • 明治8年(1875年)(2町149村)

    • 中村(現・かつらぎ町新城)が新城村に合併。

    • 峰村・古向村・有中村・中越村・臼谷村・滝谷村が簗瀬村に合併。



  • 明治9年(1876年) - 南名古曽村・北名古曽村が合併して名古曽村となる。(2町148村)

  • 明治11年(1878年) - 寺脇村が東家村に合併。(2町147村)

  • 明治12年(1879年)


    • 1月20日 - 郡区町村編制法の和歌山県での施行により、行政区画としての伊都郡が発足。郡役所が妙寺村の遍照寺に設置。

    • 2ヶ所存在した馬場村が、南馬場村(現・橋本市南馬場)、北馬場村(現・橋本市北馬場)にそれぞれ改称。

    • 下宿村が高田村に、上宿村が真土村にそれぞれ改称。





町村制以降



1.橋本村 2.名倉村 3.端場村 4.山田村 5.紀見村 6.富貴村 7.学文路村 8.河根村 9.九度山村 10.天野村 11.花園村 12.大谷村 13.四郷村 14.信太村 15.応其村 16.岸上村 17.高野村 18.見好村 19.妙寺村 20.隅田村 21.恋野村 22.笠田村(紫:橋本市 桃:かつらぎ町 赤:九度山町 橙:高野町)




  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(22村)


    • 橋本村 ← 市脇村、東家村、小原田村、菖蒲谷村、橋本町、古佐田村、妻村、原田村(現・橋本市)


    • 名倉村 ← 大野村、名倉村、入郷村[飛地](現・橋本市)


    • 端場村(単独村制。現・橋本市)


    • 山田村 ← 吉原村、山田村、出塔村、柏原村、野村、神野々村(現・橋本市)


    • 紀見村 ← 辻村、橋谷村、慶賀野村、矢倉脇村、柱本村、杉尾村、境原村、細川上村、細川下村、胡麻生村、北馬場村(現・橋本市)


    • 富貴村 ← 東富貴村、西富貴村、上筒香村、中筒香村、下筒香村(現・高野町)


    • 学文路村 ← 向副村、賢堂村、横座村、清水村、西畑村、南馬場村、学文路村(現・橋本市)


    • 河根村 ← 河根村、東郷村、北又村、市平村、丹生川村(現・九度山町)


    • 九度山村 ← 九度山村、慈尊院村、入郷村[飛地を除く]、下古沢村、中古沢村、上古沢村、笠木村、椎出村(現・九度山町)


    • 天野村 ← 上天野村、下天野村、神田村、志賀村、新城村、那賀郡長谷宮村[字嶽原・長ノ盛](現・かつらぎ町)


    • 花園村 ← 簗瀬村、北寺村、新子村、池ノ窪村、中南村、久木村(現・かつらぎ町)


    • 大谷村 ← 大谷村、新在家村、大藪村、柏木村(現・かつらぎ町)


    • 四郷村 ← 滝村[飛地を除く]、広口村、平村、東谷村(現・かつらぎ町)


    • 信太村 ← 田原村、下中村、上中村、九重村、嵯峨谷村、竹尾村(現・橋本市)


    • 応其村 ← 名古曽村、小田村、伏原村、浄土寺村(現・橋本市)


    • 岸上村(単独村制。現・橋本市)


    • 高野村 ← 相之浦村、大滝村、高野山寺内、細川村、西郷村、西ヶ峯村、林村、南村、柏原村、東又村、平原村、杖ヶ藪村、花坂村、湯川村(現・高野町)


    • 見好村 ← 山崎村、教良寺村、三谷村、兄井村、寺尾村、皮張村、平沼田村、東渋田村、西渋田村、島村、星川村、星山村、御所村、日高村(現・かつらぎ町)


    • 妙寺村 ← 妙寺村、中飯降村、西飯降村、大畑村、短野村、丁ノ町村、新田村、滝村[飛地](現・かつらぎ町)


    • 隅田村 ← 河瀬村、下兵庫村、上兵庫村、中島村、中下村、芋生村、垂井村、真土村[大部分]、平野村、山内村、霜草村(現・橋本市)


    • 恋野村 ← 下上田村、中道村、赤塚村、恋野村、只野村、谷奥深村、彦谷村、須河村、南宿村、北宿村(現・橋本市)


    • 笠田村 ← 高田村、移村、背ノ山村、窪村、萩原村、笠田中村、東村、佐野村、広浦村(現・かつらぎ町)

    • 上番村が那賀郡鞆淵村の一部となる。

    • 真土村の一部が奈良県宇智郡牧野村の一部となる。



  • 明治23年(1890年) - 郡役所が橋本町に移転。

  • 明治27年(1894年)5月10日 - 橋本村が町制施行して橋本町となる。(1町21村)

  • 明治30年(1897年)9月1日 - 郡制を施行。

  • 明治43年(1910年)9月1日(4町18村)

    • 名倉村が町制施行・改称して高野口町となる。

    • 九度山村が町制施行して九度山町となる。

    • 妙寺村が町制施行して妙寺町となる。




  • 大正9年(1920年)6月1日 - 笠田村が町制施行して笠田町となる。(5町17村)

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和3年(1928年)11月1日 - 高野村が町制施行して高野町となる。(6町16村)

  • 昭和27年(1952年)1月1日 - 端場村が応其村に編入。(6町15村)

  • 昭和29年(1954年)8月1日 - 隅田村・恋野村が合併し、改めて隅田町が発足。(7町13村)

  • 昭和30年(1955年)

    • 1月1日 - 橋本町・岸上村・山田村・紀見村・隅田町・学文路村が合併して橋本市が発足し、郡より離脱。(5町9村)


    • 3月1日 - 見好村・天野村が合併し、改めて見好村が発足。(5町8村)


    • 3月31日

      • 大谷村・四郷村・笠田町が合併して伊都町が発足。(5町6村)

      • 九度山町・河根村が合併し、改めて九度山町が発足。(5町5村)




    • 4月15日 - 高野口町・応其村・信太村が合併し、改めて高野口町が発足。(5町3村)



  • 昭和33年(1958年)


    • 6月1日 - 富貴村が高野町に編入。(5町2村)

    • 7月1日 - 伊都町・妙寺町・見好村が合併してかつらぎ町が発足。(4町1村)




  • 平成17年(2005年)10月1日 - 花園村がかつらぎ町に編入。(4町)

  • 平成18年(2006年)3月1日 - 高野口町が橋本市と合併し、改めて橋本市が発足。(3町)



変遷表




脚注





  1. ^ 記載は「笠田・中村」

  2. ^ ab細川村1村として記載。


  3. ^ 「清水組・馬場村」・「清水組馬場村ノ内・町田村」・「清水但馬場村ノ内・田宮村」に分かれて記載。


  4. ^ 記載は鋪地村。


  5. ^ 上湯川村・下湯川村に分かれて記載。


  6. ^ 無高のため「旧高旧領取調帳」には記載なし。本項では便宜的に1町に数える。


  7. ^ 明治6年とする資料もあり。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 30 和歌山県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目



  • 怡土郡 - 福岡県(筑前国)にあった同音の郡。





Popular posts from this blog

How to make a Squid Proxy server?

Is this a new Fibonacci Identity?

19世紀