1959年の野球
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< 1959年 | 1959年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.1.5 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 2月
3.2 3月
3.3 4月
3.4 5月
3.5 6月
3.6 7月
3.7 8月
3.8 9月
3.9 10月
3.10 11月
3.11 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 77 | 48 | 5 | .612 | - |
2位[1] | 大阪タイガース | 62 | 59 | 9 | .512 | 13.0 |
中日ドラゴンズ | 64 | 61 | 5 | .512 | 13.0 | |
4位 | 国鉄スワローズ | 63 | 65 | 2 | .492 | 15.5 |
5位 | 広島カープ | 59 | 64 | 7 | .481 | 17.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 49 | 77 | 4 | .392 | 28.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 南海ホークス | 88 | 42 | 4 | .677 | - |
2位 | 毎日大映オリオンズ | 82 | 48 | 6 | .631 | 6.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 67 | 63 | 5 | .515 | 21.0 |
4位 | 西鉄ライオンズ | 66 | 64 | 14 | .508 | 22.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 48 | 82 | 4 | .369 | 40.0 |
6位 | 近鉄バファロー | 39 | 91 | 3 | .300 | 49.0 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月24日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 7-10 | 南海ホークス | 大阪球場 |
10月25日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 3-6 | 南海ホークス | |
10月26日(月) | 移動日 | ||||
10月27日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 3-2 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月28日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月29日(木) | 南海ホークス | 3-0 | 読売ジャイアンツ | ||
優勝:南海ホークス(11年ぶり3回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 藤田元司 | 巨人 | 杉浦忠 | 南海 | ||
最優秀新人 | 桑田武 | 大洋 | 張本勲 | 東映 | ||
首位打者 | 長嶋茂雄 | 巨人 | .334 | 杉山光平 | 南海 | .323 |
本塁打王 | 森徹 桑田武 | 中日 大洋 | 31本 | 山内和弘 | 大毎 | 25本 |
打点王 | 森徹 | 中日 | 87点 | 葛城隆雄 | 大毎 | 95点 |
最多安打 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 150本 | 葛城隆雄 | 大毎 | 163本 |
盗塁王 | 岡嶋博治 | 中日 | 41個 | R.バルボン | 阪急 | 38個 |
最優秀防御率 | 村山実 | 大阪 | 1.19 | 杉浦忠 | 南海 | 1.40 |
最多勝利 | 藤田元司 | 巨人 | 27勝 | 杉浦忠 | 南海 | 38勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 313個 | 杉浦忠 | 南海 | 336個 |
最高勝率 | 藤田元司 | 巨人 | .711 | 杉浦忠 | 南海 | .905 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 藤田元司 | 巨人 | 杉浦忠 | 南海 |
捕手 | 藤尾茂 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 藤本勝巳 | 大阪 | 榎本喜八 | 大毎 |
二塁手 | 土屋正孝 | 巨人 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 葛城隆雄 | 大毎 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 豊田泰光 | 西鉄 |
外野手 | 大和田明 | 広島 | 杉山光平 | 南海 |
坂崎一彦 | 巨人 | 高倉照幸 | 西鉄 | |
森徹 | 中日 | 山内和弘 | 大毎 |
オールスターゲーム
詳細は「1959年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第31回選抜高等学校野球大会優勝:中京商業(愛知県)
第41回全国高等学校野球選手権大会優勝:西条(愛媛県)
大学野球
- 第8回全日本大学野球選手権大会優勝:早稲田大
東京六大学野球連盟優勝 春:早稲田大、秋:立教大
東都大学野球連盟優勝 春:専修大、秋:日本大
関西六大学野球連盟優勝 春:関西学院大、秋:関西学院大
社会人野球
第30回都市対抗野球大会優勝:丸善石油
メジャーリーグ
詳細は「1959年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝2敗) シカゴ・ホワイトソックス(ア・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月9日 - 近鉄パールスは新ニックネームを「バッファロー」に決定したと発表[2]。
2月
2月1日 - 大毎は球団代表が松村喜平に変わり和田準一が就任したと発表[3]。
2月5日 - パ・リーグは丸の内の東京会館にてオーナー、代表者合同会議を開き、専任のリーグ会長に野球評論家の中沢不二雄が就任することを決定[4]。
3月
3月15日 - 中日ドラゴンズの西沢道夫の引退試合が行われる。また西沢の背番号15は永久欠番に制定。
4月
4月10日 - 第31回選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、中京商が岐阜商を3対2で破り、3年ぶり3度目の優勝を達成する。
4月11日 - 読売ジャイアンツのルーキー王貞治が開幕戦の対国鉄スワローズ戦(後楽園球場)で先発出場するが、金田正一に2三振1四球。
4月19日 - 南海ホークスの蔭山和夫が対大毎オリオンズ戦(後楽園)通算1000試合出場[5]。
4月26日 - 巨人の王貞治が初ホームラン。それまで開幕以来26打席連続無安打。
5月
5月2日 - シンシナティ・レッズのフランク・ロビンソンがサイクル安打を達成する。
5月10日 - 近鉄バファローは日生球場での西鉄ライオンズ3回戦で、延長11回裏に関根潤三が稲尾和久からサヨナラ適時打を打ち3対2で勝利。近鉄は1956年5月17日以来22連敗を喫していた稲尾から初の白星[6]。
5月20日 - 西鉄の中西太が平和台球場での対東映8回戦の六回裏に安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[7]。
5月21日 - 大阪タイガースの村山実が甲子園球場での対巨人8回戦に先発し、無安打に抑えるが失策による2失点で完投勝利。セ・リーグ初の毎回奪三振を記録[8]。
5月30日 - 西鉄対大毎戦で7回、西鉄は日本プロ野球新記録の1イニングに投手を5人登板。打者6人に対し2安打1四球1三振無失点。試合は3対0で大毎が勝利[9]。
6月
6月3日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対近鉄ダブルヘッダーの第1試合に登板して1失点完投勝ちし、プロ通算100勝を達成[10]。
6月12日- 野球殿堂博物館が開館。
6月20日 - 広島カープの大和田明が対大洋ホエールズ戦(広島市民球場 )においてサイクル安打を達成。
6月25日 - 日本プロ野球史上初の天覧試合となる、読売ジャイアンツ対大阪タイガース戦を昭和天皇と香淳皇后が巨人対大阪戦(後楽園)を観戦。巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実からサヨナラ本塁打。長嶋と王貞治によるによるアベック本塁打が初めて記録された試合となった。
7月
7月5日 - 南海の岡本伊三美が対大毎戦(大阪)で通算1000試合出場[5]。- 7月5日 - 大洋対広島戦で、2回に大洋の幸田優は先頭打者の大和田明を三振、振り逃げで出塁、その後タイムリーによる1失点を挟んで3奪三振で、日本プロ野球史上初の1イニング4奪三振[11]
7月12日 - 後楽園での巨人対国鉄戦を常陸宮正仁親王、清宮貴子内親王が観戦。試合は6対3で巨人が勝
利[12]。
7月19日 - 大毎対西鉄戦において、判定を巡って二出川延明が「俺がルールブックだ」と言ったとされる(詳細は参照)。
8月
8月1日 - 西鉄の大下弘が大阪球場での南海対西鉄17回戦の三回表に2号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[13]。
8月3日 - 第30回都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、丸善石油が富士鉄釜石を6対4で破り、初優勝を達成する。
8月18日 - 第41回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、西条が宇都宮工を延長15回の末8対2で破り、初優勝を達成[14]。
8月25日 - 平和台球場での西鉄対阪急19回戦で、阪急は六、七回表に連続で六人の代打を送る[15]。
8月26日 - 平和台球場での西鉄対阪急ダブルヘッダー第二試合の21回戦が延長12回1-1の引き分けに終わり、西鉄はシーズン11度目の引き分けとなり、パ・リーグ新記録となる[16]。
9月
9月27日 - 大洋の桑田武が日本プロ野球新人最多本塁打新記録の30本塁打。
10月
10月3日 - 巨人が対広島戦(広島)に勝ち、巨人が5年連続8度目のセ・リーグ優勝達成[17]。
10月4日 - 南海が対大毎戦ダブルヘッダー(後楽園)の第2試合に勝利し、南海の4年ぶり5度目のパ・リーグ優勝[18]。
10月8日 - ワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャースがシカゴ・ホワイトソックスを4勝2敗で破り、5年ぶり2度目の優勝を達成。
10月20日
- 最高殊勲選手にパ・リーグは杉浦忠が、セ・リーグは藤田元司が選出されたとコミッショナーが発表[19]。杉浦は満票。
- 最優秀新人にパ・リーグは張本勲が、セ・リーグは桑田武が選出されたとコミッショナーが発表。
10月29日 - 日本シリーズで南海が前身、後身を通じて球団史上初で、シリーズとしては史上初の4連勝のストレート勝ちで巨人を下し、2リーグ制以降初の日本一達成。
10月31日 - 南海が御堂筋で優勝パレード。沿道には20万人が集まった[20]。
11月
11月19日 - 西鉄は午前11時より球団代表の西亦次郎が東京八重洲の国際観光ビル4階の西鉄東京事務所にて監督の三原脩の辞任を正式に発表[21]。
11月21日
- 大洋は午前11時より東京新丸ビルの大洋漁業本社にて三原脩と正式に契約[22]。
- 西鉄はヘッドコーチの川崎徳次が監督に就任したと正式に発表[23]。
11月25日 - 阪神は午後3時、大阪市北区の新阪神ビル5階の球団事務所にて監督の田中義雄と、コーチの金田正泰の監督就任を発表[24]。
12月
- 12月11日 - 阪急は青田昇が現役を引退したと発表[25]。
誕生
2月
2月1日 - 荘勝雄
2月4日 - 大久保弘司
2月7日 - カルロス・ポンセ
2月20日 - ビル・ガリクソン
2月25日 - 都裕次郎
2月27日 - ケニー野村
- 2月27日 - 田中幸雄
3月
3月11日 - フィル・ブラッドリー
3月19日 - 森厚三
4月
4月3日 - 米村理
4月8日 - 中田良弘
4月10日 - 福家雅明
4月17日 - 山口哲治
4月21日 - 矢野実
4月22日 - 尾上旭
- 4月22日 - テリー・フランコーナ
4月25日 - 梅沢義勝
5月
5月1日 - 川本智徳
5月3日 - 杉本正
5月4日 - 西口裕治
5月6日 - 浜本龍治
5月9日 - 仁村薫
5月10日 - 小松辰雄
5月12日 - 山本桂
5月14日 - 伊藤寿文
5月17日 - 池田親興
5月25日 - 広瀬明彦
6月
6月1日 - 中原朝日
6月3日 - 山中重信
- 6月3日 - 竹口昭憲
6月5日 - 三浦広之
6月11日 - 屋鋪要
6月29日 - 後藤雄一
7月
7月6日 - 鈴木康友
7月8日 - 川口和久
7月9日 - 服部浩一
7月21日 - 井辺康二
7月23日 - 岩本好広
7月26日 - 山沖之彦
7月31日 - 平田勝男
8月
8月6日 - 米村明
8月9日 - ジム・アドゥチ
8月18日 - 桃井進
8月27日 - 田中毅彦
8月29日 - 渋井敬一
- 8月29日 - 五十嵐信一
8月30日 - 駒崎幸一
- 8月30日 - 田辺繁文
9月
9月9日 - 宮本賢治
9月13日 - 佐藤兼伊知
9月15日 - 田中和博
9月18日 - ライン・サンドバーグ
- 9月18日 - 及川美喜男
10月
10月5日 - ロッド・アレン
10月7日 - 清家政和
10月8日 - 二村忠美
10月21日 - ジョージ・ベル
10月22日 - 新井克太郎
10月23日 - ジョージ・ヒンショー
10月24日 - 田村藤夫
10月29日 - ジェシー・バーフィールド
11月
11月5日 - ロイド・モスビー
11月11日 - フランク・ランペン
11月23日 - ブルック・ジャコビー
12月
12月6日 - ラリー・シーツ
12月17日 - 青山道雄
- 12月17日 - マーベル・ウイン
12月29日 - マイク・ブラウン
死去
4月27日 - 山本静雄(* 1921年)
5月26日 - エド・ウォルシュ(* 1881年)
12月6日 - 筒井敬三(* 1925年)
脚注
^ 大阪タイガースと中日ドラゴンズは同率の2位であるが、この年は引き分けとして0.5勝+0.5敗を勝率に加算されていたため、引き分けとして0.5勝+0.5敗を勝率に加算されていなければ、大阪は勝率.5123、中日は勝率.5120となり、両球団の勝率が3毛差となり大阪は2位、中日は3位となる。
^ 読売新聞1959年1月10日5面「『バッファロー』近鉄の新愛称」
^ 読売新聞1959年2月2日4面「大毎代表、和田氏内定」
^ 読売新聞1959年2月6日5面「専任会長に中沢氏 パ・リーグ・オーナー会議で決る」
- ^ ab『南海ホークス四十年史』 南海ホークス 編、南海ホークス、1978年、361頁。
^ 読売新聞1959年5月11日6面「稲尾、近鉄に初黒星 23試合目」読売新聞縮刷版1959年5月p176
^ 読売新聞1959年5月21日6面「中西が千本安打」読売新聞縮刷版1959年5月p352
^ 読売新聞1959年5月22日7面「村山巨人をノー・ヒット セ・リーグで初の毎回奪三振奪取も 阪神ついに3連勝飾る」読売新聞縮刷版1959年5月p369
^ 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年、802頁。ISBN 4062061082。
^ 読売新聞1959年6月4日5面「稲尾100勝あげる 近鉄相手に軽く 金田も及ばぬペース」
^ “【7月5日】1959年(昭34) 1イニング4奪三振 1点まで取られた幸田優”. スポーツニッポン (2010年7月11日). 2015年11月19日閲覧。
^ 宇佐美徹也 1993, p. 170.
^ 朝日新聞1959年8月2日7面「西鉄また南海に屈す 大下、プロ入り二百号ホーマー」朝日新聞縮刷版1959年8月p25
^ 朝日新聞1959年8月18日夕刊1面「西条高が初の優勝 高校野球激闘15回」朝日新聞縮刷版1959年8月p325
^ 朝日新聞1959年8月26日7面「阪急、連続六代打もムダ」朝日新聞縮刷版1959年8月p459
^ 朝日新聞1959年8月27日7面「気の入らない阪急 21回戦 やっと引分に持ち込む」朝日新聞縮刷版1959年8月p475
^ 宇佐美徹也 1993, p. 135.
^ 毎日新聞1959年10月5日7面「南海、4年ぶりに優勝 『杉浦38勝』で飾る 無失点続く 大毎の追撃かわす」毎日新聞縮刷版1959年10月p81
^ 毎日新聞1959年10月21日8面「最高殊勲選手 パは杉浦 セは藤田」毎日新聞縮刷版1959年10月p378
^ “【10月31日】1959年(昭34) 打倒巨人成る!鶴岡南海涙の御堂筋パレード”. スポーツニッポン (2007年10月16日). 2015年11月19日閲覧。
^ 読売新聞1959年11月19日夕刊5面「三原監督辞任 西鉄、正式に発表」読売新聞縮刷版1959年11月p365
^ 読売新聞1959年11月21日夕刊7面「三原監督、大洋と正式契約」読売新聞縮刷版1959年11月p405
^ 読売新聞1959年11月21日夕刊7面「西鉄、川崎コーチ昇格」読売新聞縮刷版1959年11月p405
^ 読売新聞1959年11月26日7面「阪神の新監督に金田コーチ昇格」読売新聞縮刷版1959年11月p495
^ 読売新聞1959年12月12日5面「青田(阪急)が引退」
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