1955年の野球
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< 1955年 | 1955年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.1.5 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 92 | 37 | 1 | .713 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 77 | 52 | 1 | .597 | 15.0 |
3位 | 大阪タイガース | 71 | 57 | 2 | .555 | 20.5 |
4位 | 広島カープ | 58 | 70 | 2 | .453 | 33.5 |
5位 | 国鉄スワローズ | 57 | 71 | 2 | .445 | 34.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 31 | 99[1] | 0 | .238 | 61.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 南海ホークス | 99[2] | 41 | 3 | .707 | - |
2位 | 西鉄ライオンズ | 90 | 50 | 4 | .643 | 9.0 |
3位 | 毎日オリオンズ | 85 | 55 | 2 | .607 | 14.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 80 | 60 | 2 | .571 | 19.0 |
5位 | 近鉄パールス | 60 | 80 | 2 | .429 | 39.0 |
6位 | 大映スターズ | 53 | 87 | 1 | .379 | 46.0 |
7位 | 東映フライヤーズ | 51 | 89 | 3 | .364 | 48.0 |
8位 | トンボユニオンズ | 42 | 98 | 1 | .300 | 57.0 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
10月15日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 4-1 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月16日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0-2 | 南海ホークス | |||
10月17日(月) | 移動日 | ||||||
10月18日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 2-0 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
10月19日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||||
10月20日(木) | |||||||
10月21日(金) | 南海ホークス | 5-2 | 読売ジャイアンツ | ||||
10月22日(土) | 第5戦 | 南海ホークス | 5-9 | 読売ジャイアンツ | |||
10月23日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 3-1 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月24日(月) | 第7戦 | 読売ジャイアンツ | 4-0 | 南海ホークス | |||
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり4回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 川上哲治 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 | ||
最優秀新人 | 西村一孔 | 大阪 | 榎本喜八 | 毎日 | ||
首位打者 | 川上哲治 | 巨人 | .338 | 中西太 | 西鉄 | .332 |
本塁打王 | 町田行彦 | 国鉄 | 31本 | 中西太 | 西鉄 | 35本 |
打点王 | 川上哲治 | 巨人 | 79点 | 山内和弘 | 毎日 | 99点 |
最多安打 | 川上哲治 吉田義男 | 巨人 大阪 | 147本 | 飯田徳治 C.バルボン | 南海 阪急 | 163本 |
盗塁王 | 本多逸郎 | 中日 | 42個 | 森下正夫 | 南海 | 59個 |
最優秀防御率 | 別所毅彦 | 巨人 | 1.33 | 中川隆 | 毎日 | 2.08 |
最多勝利 | 大友工 長谷川良平 | 巨人 広島 | 30勝 | 宅和本司 | 南海 | 24勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 350個 | 河村久文 | 西鉄 | 225個 |
最高勝率 | 大友工 | 巨人 | .833 | 中村大成 | 南海 | .852 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 別所毅彦 | 巨人 | 中村大成 | 南海 |
捕手 | 広田順 | 巨人 | C.ルイス | 毎日 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 杉山光平 | 南海 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 児玉利一 | 中日 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 木塚忠助 | 南海 |
外野手 | 渡辺博之 | 大阪 | 山内和弘 | 毎日 |
与那嶺要 | 巨人 | 飯田徳治 | 南海 | |
町田行彦 | 国鉄 | 戸倉勝城 | 阪急 |
オールスターゲーム
詳細は「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第27回選抜高等学校野球大会優勝:浪華商業(大阪府)
第37回全国高等学校野球選手権大会優勝:四日市(三重県)
大学野球
- 第4回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
東京六大学野球連盟優勝 春:明治大、秋:早稲田大
東都大学野球連盟優勝 春:日本大、秋:専修大
関西六大学野球連盟優勝 春:同志社大、秋:関西学院大
社会人野球
第26回都市対抗野球大会優勝:全鐘紡
メジャーリーグ
詳細は「1955年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
ブルックリン・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝3敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
- 前年結成された高橋ユニオンズがトンボ鉛筆と業務提携して「トンボユニオンズ」と改称するが、シーズン終了後に提携が解消され、再び「高橋ユニオンズ」に名称が戻っている。
1月
1月16日 - 中日ドラゴンズの監督の天知俊一が退任し球団副社長に就任、後任の監督には野口明が就任[3]。
2月
2月23日 - イースタン・リーグが結成される[4]。
3月
3月1日 - ウエスタン・リーグが結成される[4]。
3月20日 - イースタン・リーグ結成記念大会が駒沢球場で開かれる。
4月
- 4月 - 第27回選抜高等学校野球大会1回戦、浪華商対立教戦において、浪華商の谷本隆路と広島尚保の継投によるノーヒットノーランが達成[5]、選抜では唯一の継投による達成となっている、スコアは6対0。準々決勝、桐生対明星戦においては桐生の今泉喜一郎が ノーヒットノーラン達成、スコアは12対0。
4月8日 - 選抜高校野球の決勝戦が行われ、浪華商が桐生を延長11回にサヨナラ勝利で18年ぶり2度目の優勝を達成。
5月
5月10日 - 中日の杉下茂が対国鉄スワローズ戦(川崎球場)でノーヒットノーラン達成、スコアは1対0[6]
5月11日 - 南海ホークスの飯田徳治が対阪急戦(西宮)で日本プロ野球通算1000試合出場[7]。
5月12日 - 【MLB】シカゴ・カブスのトゥースピック・サム・ジョーンズが対ピッツバーグ・パイレーツ戦においてノーヒットノーラン達成、スコアは4対0。
5月21日 - 阪急は対近鉄パールス戦(多治見)で2回に河野旭輝、原田孝一、ロベルト・バルボンの3者連続三塁打の日本プロ野球新記録[8]。- 5月21日 - 大阪タイガースの監督の岸一郎が病気休養で、助監督の藤村富美男が以降の指揮を執る[9]
5月24日 - 毎日オリオンズの荒巻淳が対大映スターズ(後楽園球場)戦において延長10回1死まで無安打無得点に抑えていたものの、増田卓に初安打を打たれ、ノーヒットノーラン達成ならず。9回を終えて無安打無得点で延長で初安打を打たれたのはパ・リーグ史上2度目。試合は4対0で毎日が勝利[10]。
6月
6月4日 - 西鉄ライオンズの大津守が対近鉄戦(平和台野球場)でノーヒットノーラン達成、スコアは8対0[6]。
6月5日 - 駒沢球場でのナイターでの初公式戦となる、トンボ対東映戦が行われ、トンボが1対0で勝利[11]。
6月11日 - 読売巨人軍多摩川球場が大田区の多摩川に完成[12](のちに、多摩川流域には日本ハム、大洋も、川崎市側に球場が設置される)。
6月19日 - 近鉄の武智文雄が対大映戦(大阪スタヂアム)でパ・リーグ史上初の完全試合を達成、スコアは1対0[6]。
6月22日 - 大洋対阪神戦(川崎)が5回表に停電でノーゲームに[13]
- 6月22日 - 国鉄の金田正一が対中日戦の2回に日本プロ野球史上2度目の「3者連続3球三振」[14]。
6月28日 - 西鉄の太田正男と坂上淳が大映に移籍[15]。
7月
7月6日 - 大洋の青田昇が日本プロ野球通算200本塁打、史上2人目[13]
7月13日 - 国鉄は対広島カープ戦(川崎)で球団初の20得点以上となる22対4で勝利[16]。
7月23日 - 大洋が対読売ジャイアンツ戦(後楽園球場)でセ・リーグ記録を更新する14連敗[13]
7月27日 - 大洋が本拠地の川崎球場で12連敗で、本拠地連敗記録の日本プロ野球記録を更新[17]。
7月30日 - トンボユニオンズのヴィクトル・スタルヒンが対近鉄戦(川崎球場)において日本プロ野球史上初の通算300勝を達成。ただし、当時は1939年の勝利数を2つ少なくする記録の修正がされていたため、9月4日の大映戦での勝利が300勝目とされた。
8月
8月10日 - 第26回都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、全鐘紡が鐘淵化学を5対1で破り、3年ぶり4度目の優勝を達成する。
8月17日 - 第37回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、四日市が坂出商を4対1で破り、初出場で初優勝を達成する。
8月24日 - 南海の飯田徳治が対トンボ戦(川崎)においてサイクル安打を達成。
9月
9月3日 - 国鉄の金田正一が対大洋戦で毎回奪三振11を記録、通算3度目は日本プロ野球史上初[18]。
9月13日 - この日、セ・リーグで3試合[19]、パ・リーグで4試合行われたが無本塁打に終わり、6試合以上開催での無本塁打は日本プロ野球史上初の事例となった[20]。
10月
10月6日 -南海が対西鉄戦(平和台)に勝利して、南海が2年ぶり4度目のパ・リーグ優勝達成。
10月7日 - この日、セ・リーグ2位の中日が敗れたため、巨人が2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝達成。
10月11日
- 1955年度のセ・パ両リーグの最高殊勲選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最高殊勲選手にセは巨人の川上哲治、パは飯田徳治、最優秀新人にセは阪神の西村一孔、パは毎日の榎本喜八、沢村賞に巨人の別所毅彦、パの最優秀投手に南海の中村大成がそれぞれ選出される[21]。
- 巨人の藤本英雄が和歌山での対広島ダブルヘッダー第二試合の26回戦の五回より救援登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成[22]。
10月13日 - パ・リーグの全日程が終了。南海は日本プロ野球最多のシーズン99勝をあげる[23]。トンボは勝率.350を切ったため、制裁金500万円が科せられる[24]
10月19日 - 国鉄の金田正一が対大阪戦でシーズン350奪三振のセ・リーグ新記録[25]。
10月22日 - 日米野球で来日したニューヨーク・ヤンキースが、第1戦として毎日オリオンズと対戦。試合会場の後楽園球場は、日本シリーズ(巨人 - 南海)の日程が順延されたため、ナイターでのヤンキース戦の前に、デーゲームで日本シリーズ第5戦が実施された[26]。
10月23日 - ウエスタン・リーグは阪神ジャガーズ[27]が優勝[9]。
10月24日 - 日本シリーズの巨人対南海の第7戦が行われ、巨人が南海を4-0で下して4勝3敗とし、2年ぶり4度目の日本一達成[28]。
10月26日 - 大洋の監督に迫畑正巳が就任[13]。
11月
11月13日 - 来日していたニューヨーク・ヤンキースは、10月22日からこの日まで日本各地を転戦し、15勝1分け0敗という結果であった[26]。
誕生
1月
1月14日 - 岩下正明
2月
2月1日 - 新屋晃
2月12日 - グレッグ・ジョンストン
2月17日 - 羅本新二
2月23日 - 斉藤明夫
2月24日 - 山川猛
2月27日 - 池田弘
3月
3月12日 - ルパート・ジョーンズ
3月18日 - ドウェイン・マーフィー
4月
4月4日 - 高橋俊春
4月11日 - 山村善則
4月16日 - ブルース・ボウチー
4月18日 - 河埜敬幸
- 4月18日 - ボビー・カスティーヨ
4月19日 - 遠藤一彦
4月26日 - 佃正樹(+ 2007年)
4月29日 - 秋田秀幸
5月
5月3日 - 三浦道男
5月9日 - 掛布雅之
- 5月9日 - 藤田学
5月11日 - 山村善則
5月12日 - 坂巻明
5月20日 - 植上健治(+ 1995年)
5月25日 - 江川卓
5月29日 - 花増幸二
5月30日 - 深沢恵雄
6月
6月6日 - クリス・ナイマン
6月10日 - フロイド・バニスター
6月12日 - 柳原隆弘
6月20日 - 平野謙
6月24日 - 藤岡貞明
6月25日 - 石井邦彦
6月26日 - 堀場英孝
7月
7月3日 - マット・キーオ
7月13日 - 達川光男
8月
8月1日 - 古屋英夫
8月2日 - 山根和夫
8月6日 - ロン・デービス
8月13日 - 袴田英利
8月19日 - テリー・ハーパー
8月30日 - 大野豊
9月
9月2日 - 山倉和博
9月3日 - 田中由郎
9月15日 - 金光興二
9月16日 - ロビン・ヨーント
9月17日 - マーシャル・ブラント
9月26日 - 石井昭男
10月
10月5日 - 立野政治
10月8日 - 黒坂幸夫
10月10日 - 植松精一
10月17日 - ブライアン・スニッカー
10月24日 - 高英傑
11月
11月9日 - 平田恒雄(+ 2016年)
11月28日 - 馬淵史郎
12月
12月20日 - 山下浩二(+ 2007年)
12月22日 - デビッド・デントン
12月23日 - キース・カムストック
12月31日 - ジム・トレーシー
死去
11月4日 - サイ・ヤング
12月6日 - ホーナス・ワグナー
脚注
^ セ・リーグ記録
^ 日本プロ野球記録
^ 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年、58頁。ISBN 4806205141。
- ^ ab宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年、63頁。ISBN 4062061082。
^ ただし継投による達成は参考記録。
- ^ abc“無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
^ 『南海ホークス四十年史』 南海ホークス 編、南海ホークス、1978年、361頁。
^ 宇佐美徹也 1993, p. 353.
- ^ ab“タイガースHistory1955-1959”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
^ “記録メモ(個人投手編)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
^ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
^ “巨人軍年表”. 読売巨人軍公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
- ^ abcd『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、48頁。ISBN 9784583616179。
^ 宇佐美徹也 1993, p. 688.
^ 日付は公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年、116頁。ISBN 9784583616858。
^ 宇佐美徹也 1993, pp. 560 - 561.
^ 宇佐美徹也 1993, p. 162.
^ 宇佐美徹也 1993, p. 692.
^ ダブルヘッダー1試合含む、巨人と広島は試合無し。
^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年9月24日、 107頁。
^ 読売新聞1955年10月12日5面「プロ野球個人賞 川上と飯田 最高殊勲 沢村賞に別所(巨人)、パ(最優秀投手)は中村 新人王は西村一、榎本」
^ 読売新聞1955年10月12日5面「藤本(巨人)二百勝あぐ 大友、今季両リーグ初の30勝」
^ ホークス四十年史 1978, p. 150.
^ “パシフィック・リーグ略史(1949年~2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
^ “球団のあゆみ 1950年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年11月15日閲覧。
- ^ ab“【10月23日】1955年(昭30)ヤンキース名将認めた「打者ではヤマウチ」”. 2015年10月12日閲覧。上記ページでは「23日」となっているが、「22日」が正しい(参考 : “ベースボール博物館 収蔵品紹介”. 2015年10月12日閲覧。)
^ 大阪タイガースの二軍チーム。
^ 読売新聞1956年10月25日4面「巨人 4たび日本選手権を獲得 別所、南海を完封 決勝戦 9回止めの3点」
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