K-1
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本社所在地 | Unit A,3/F.,Queen’s Centre,58-64 Queen’s Road East,Wanchai,Hong Kong |
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事業内容 | スポーツおよび格闘技等のエンタテインメントの企画および主催他 |
代表者 | 代表取締役 マイク・キム |
外部リンク | K-1公式サイト |
K-1(ケイ-ワン)は、1993年より開催されているヘビー級を中心とした世界的に知名度の高いキックボクシングのプラットフォーム、格闘技ブランド。2012年1月より、香港に登記されるK-1 Global Holdings Limitedが商標権等諸権利を取得し、世界各地でイベント運営が行なわれている。
目次
1 名称の由来
2 歴史
2.1 ケイ・ワン体制
2.2 FEG体制
2.3 体制の混乱
2.4 K-1Global Holdings Limited体制
2.5 スポーツジム運営
2.6 K-1実行委員会
3 ルール
4 試合中継
4.1 K-1 WORLD GPシリーズ
4.2 K-1 WORLD MAXシリーズ
4.3 K-1 甲子園、K-1 WORLD YOUTHシリーズ
4.4 Dynamite!!
4.5 K-1 JAPAN シリーズ
4.6 K-1 ROMANEX、HERO'S
4.7 K-1 WORLD GP JAPAN
4.8 テーマ曲
5 大会一覧
6 歴代優勝、準優勝者、3位
6.1 K-1 WORLD GPシリーズ
6.2 K-1スーパーヘビー級王座 (100kg以上)
6.3 K-1ヘビー級王座 (100kg未満)
6.4 K-1 WORLD GP ヘビー級王座 (無制限)
6.5 K-1 WORLD GP -95kg王座
6.6 K-1 WORLD GP クルーザー級王座 (-90kg)
6.7 K-1 WORLD GP -85kg王座
6.8 K-1世界ライトヘビー級
6.9 K-1 WORLD MAXシリーズ
6.10 K-1 WORLD GP スーパー・ウェルター級王座(-70kg)
6.11 K-1 WORLD GP ウェルター級王座(-67.5kg)
6.12 K-1 WORLD GP -65kg世界最強決定トーナメント
6.13 K-1 WORLD GP スーパー・ライト級王座(-65kg)
6.14 K-1 WORLD GP ライト級王座(-62.5kg)
6.15 K-1 WORLD GP スーパー・フェザー級世界最強決定トーナメント
6.16 K-1 WORLD GP スーパー・フェザー級王座(-60kg)
6.17 K-1 WORLD GP フェザー級王座(-57.5kg)
6.18 K-1 WORLD GP スーパー・バンタム級王座(-55kg)
6.19 K-1 甲子園
6.20 K-1 カレッジ
6.21 K-2 GP
6.22 K-3 GP
7 各種記録等
8 参戦選手
9 王者
10 大会一覧
11 連動番組
12 脚注
13 外部リンク
名称の由来
「K」は「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技あるいは「格闘技」そのもの、そして「KING」の頭文字を意味し、1はナンバーワンを意味しており、空手やキックボクシングなどの打撃系立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行うというのが設立のコンセプトである。命名者は全日本新空手道連盟創師の神村榮一[1][2]。
「K-1」の商標権は元々は創設者である石井和義が所有していたが、2011年7月に不動産デベロッパーのバルビゾンに移管[3]。2012年1月にEMCOMホールディングスがバルビゾンの持つ商標権を買収することを発表し[4]、最終的には当時EMCOMの子会社だったK-1 Global Holdings Limitedが諸権利を取得するに至っている。
歴史
ケイ・ワン体制
1992年10月4日、『格闘技オリンピックIII〜'92カラテワールドカップ』で、「"10万ドル争奪世界最強決定トーナメント"を来年開催する」と発表。後のK-1となる大会が初めて発表された。
1993年4月30日に第1回大会『K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催され、8選手による無差別級トーナメントが行われた。
1995年にはアンディ・フグをメインイベンターに据えてK-1初の海外大会をアンディの母国であるスイス・チューリッヒのハレンスタジオンで開催。以後、2000年まで毎年同スタジアムで大会を開催し、同スタジアムの最多観客動員記録を更新。
1996年にはフジテレビの全国ネットとゴールデンタイム放送に進出。
1997年、「三大ドームツアー」と称してナゴヤドーム、大阪ドーム、東京ドームで大会を開催。特に東京ドームで開催されたK-1 GRAND PRIX '97 決勝戦は満員となる54,500人の観客を動員し、平均視聴率20.7%、瞬間最高視聴率27.3%を記録した。また、同年には日本人選手を主軸とする『K-1 JAPAN GP』シリーズを立ち上げた。
2000年には、『K-1 GRAND PRIX』シリーズを『K-1 WORLD GP』シリーズと改称し、北米、ヨーロッパ、豪州などで地区予選大会を開催するなど本格的に世界進出を開始。7月30日、「K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA」ではK-1の大会内でプロボクシング公式戦ヘビー級6Rマイク・ベルナルドVSジャスティン・フォーチュンを実施(1R無効試合、BoxRec記載)。石井は日本IBFと連携しマイク・タイソンや西島洋介のスカウトに動いた。
同年8月24日、「青い目の侍」「ミスターK-1」などと呼ばれ、スター選手の1人だったアンディ・フグが急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳で死去。
2002年にはミドル級(-70kg)部門の『K-1 WORLD MAX』シリーズを立ち上げる。また、2008年にはライト級(-60kg)もMAX内にて新設された。中継局はTBSテレビ。
2002年にはジェロム・レ・バンナ、マーク・ハント、アーネスト・ホースト、ミルコ・クロコップら多くの主力選手が好調期を迎え、さらに実力的に全盛期だったボブ・サップが派手なパフォーマンスと親しみやすいキャラクターで一般層への知名度も爆発的に急上昇したこともあってK-1人気は全盛期を迎える。
2002年8月28日、総合格闘技「PRIDE」を主催するドリームステージエンターテインメント(DSE)の全面協力のもと、国立霞ヶ丘競技場では初となる格闘技イベント『Dynamite!』を開催。日本国内格闘技大会史上最多観客動員記録となる91,107人を記録した。
同年12月7日に東京ドームで開催されたK-1 WORLD GP 2002 決勝戦ではチケット完売となる74,500人の超満員の観客動員。
FEG体制
2002年12月、興行会社である株式会社ケイ・ワンが法人税法違反で摘発され(ケイ・ワン脱税事件)、これにより、K-1を取り仕切っていた石井和義がK-1の全役職を辞任する。2003年からは元格闘技雑誌編集者の谷川貞治が設立した新会社『FEG』が主催・運営することとなる。谷川はイベントプロデューサーに、この年に引退した角田信朗が競技統括プロデューサーに就任。
2003年に谷川貞治がK-1プロデューサーに就任して以来、曙太郎などの身体が大きくて実力よりも話題性のある選手やボビー・オロゴンなどのタレントを参戦させるなど、K-1をスポーツ競技として発展させることよりも目先の視聴率を優先して、実力よりもキャラクター先行の色物選手を優先した『谷川モンスター路線』が始まった(詳細は谷川貞治の「谷川モンスター路線」の項を参照)。なお、モンスター路線開始当初は一般層への話題性もあって高視聴率を獲得したが、従来の実力路線を望むファンからの批判もあった。
2003年12月31日、単独では初の大晦日興行となる『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』を開催、大相撲の元横綱・曙太郎とボブ・サップの対戦において、曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻の第54回NHK紅白歌合戦の35.5%を上回る43%だった[5]。
2003年、当時K-1と契約していたミルコ・クロコップの引き抜き問題を巡って、これまで協力体制を築いていたPRIDE』の運営元であるドリームステージエンターテインメント(DSE)と決別する。2004年には単独で総合格闘技にも進出、『K-1 ROMANEX』を立ち上げるが、単発のイベントに終わる。
2005年、前年の『K-1 ROMANEX』を引き継いだ新たな総合格闘技イベント『HERO'S』を立ち上げる。DSEの解散に伴って、PRIDE参戦選手が合流し、2008年3月に『DREAM』としてリニューアル。
2007年からは、スター不在とされる日本人ヘビー級選手の発掘を目的としたトライアウト『K-1 JAPAN TRYOUT』を実施。元プロ野球選手の立川隆史や、まだ無名だった頃の漫才コンビ・オードリーの春日俊彰が試合をした。
2008年より若年部門『K-1 YOUTHシリーズ』を新設。以降、『K-1甲子園』と題し、現役高校生を主軸としたトーナメントを実施。
2009年より女子部門の新設を表明。3月20日の『K-1 AWARD & MAX KOREA 2009』にて、イム・スジョン vs. レーナ戦が組まれた。
2010年にはライト級(-63kgに変更)が本格的に始動、5月2日に初の単独興行を開催した。
体制の混乱
2010年以降K-1の主催会社であるFEGが深刻な財政難に陥り、多くの選手へのファイトマネーの不払いが発生。興行開催に支障をきたし始めた。それを踏まえて2010年7月16日、FEGは上海の投資銀行『PUJI Capital』と提携することを発表し、アジアや欧米での市場拡大のために資金調達をしていくことを表明した[6]。しかし、それでも財政難に歯止めはかからず、その後も選手・関係者への給与未払いが続出。2011年のK-1 GRAND PRIX開催ができなかった(詳細はFEGを参照)。
2012年5月7日、ゴールデン・グローリー代表のバス・ブーンからFEGのファイトマネー不払いへの訴訟を起こされ、東京地方裁判所民事第20部よりFEGが破産手続開始の決定を受けた[7][8]。
2012年8月15日、旧ケイ・ワンから商号を変更したライツコムが破産手続開始の決定を受けた[9]。
これらの混乱のなか、2011年11月にK-1創設者の石井和義はK-1の新たな主催団体として国際K-1連盟(FIKA)を設立し、2012年よりFIKA主体でK-1の興行体制を再構築する方針を明らかにした[10]。
K-1Global Holdings Limited体制
一方で香港では、2011年8月に新会社「K-1Global Holdings Limited(以下K-1グローバル)」が設立される。2012年1月にEMCOMホールディングスがK-1グローバルを買収。過半数の株式を取得して、K-1の世界大会の興行権を獲得した[4]。
2012年5月16日、元K-1 MAX世界王者の魔裟斗がエグゼクティブプロデューサーに就任[11]。
2012年5月27日、K-1グローバルが運営会社となって初めての大会「K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~」がスペインのマドリードで開催。この大会では、K-1のミドル級トーナメントのFINAL16が行われ、アンディ・サワーら多くの強豪選手が出場したほか、スーパーヘビー級ワンマッチには2003年3月30日以来9年ぶりのK-1参戦となるミルコ・クロコップ、キックボクシングを引退してプロボクシング転向を表明していたバダ・ハリらが参戦した。
2012年10月14日に東京・両国国技館で無差別級トーナメントの1回戦となる「K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16」を開催した。
2012年11月、K-1グローバルに対してイギリス領ヴァージン諸島に本社を置くLEXI INVESTMENT LIMITEDを割当先とする第三者割当増資が実施され、EMCOMの連結対象から外れる[12]。また、2012年限りで魔裟斗がEP辞任[13]。
2013年3月15日にクロアチアで、10月14日勝者による無差別級決勝トーナメント「K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB」が開催され、ミルコ・クロコップが初優勝を納めた[14]。
2013年12月からはK-1 WORLD MAX 2013が順次開催されており、2014年3月に決勝が行われる。
スポーツジム運営
格闘技興行の一方で、2013年より「K-1 GYM」のブランド名で総合格闘技を中心としたスポーツジムの展開を始めている(運営は株式会社M-1スポーツメディア)。2013年8月には1号店を東京・武蔵小山(旧高田道場跡地)にオープンし[15]、2014年4月には小比類巻貴之率いる「小比類巻道場」をリニューアルする形で恵比寿に2号店をオープンした[16]。同月には続けて総本部を新宿のGENスポーツパレスにオープンした[17]。
K-1実行委員会
2014年5月29日、「K-1 WORLD LEAGUE」の発足が発表された。K-1 WORLD LEAGUEはK-1グローバルから日本地域の独占ライセンスを取って、「K-1実行委員会」が主催し、実行委員会にはプロデューサーの前田憲作、内田康弘、小比類巻貴之、梶原龍児らが参加している。運営は立ち技格闘技イベント『Krush』を主催しているグッドルーザー、制作はM-1スポーツメディアがそれぞれ担当する。7月21日にアマチュア大会の「K-1 CHALLENGE」を開催し、K-1 WORLD LEAGUEは国立代々木競技場第二体育館で11月3日に旗揚げされる[18]。
「K-1 WORLD LEAGUE」は旗揚げ目前の2014年9月26日付で「K-1 WORLD GP」に改称し、K-1グローバルと協議の上で日本国内で開催される大会名として「K-1 WORLD GP IN JAPAN」を使用する[19]。
2016年11月3日の国立代々木競技場第二体育館大会から大会名を「K-1 WORLD GP JAPAN」に変更した(「IN」が無くなった)[20]。
2016年11月をもって、プロデューサーが前田からkrushプロデューサーである宮田充に交代した。
2017年6月からはさいたまスーパーアリーナコミュニティセンターで大会を開催している。また旧K-1と異なり国内の選手は専属契約であることを明言している[21]。
2018年12月17日より宮田に替わってK-1とkrushで解説を担当している格闘技ライターの中村拓己がプロデューサーに就任した。
ルール
- 6メートル以上四方のリングで試合を行う。ロープは4本
- パンチ、キック、膝蹴りなどの打撃技のみ使用が許される一方、肘打ち、頭突きなどは反則となる。また、バックハンドブローにも制約がある。もちろん投げ技、寝技も反則である
首相撲からの膝蹴りは禁止(石井和義体制の頃は無制限。それから規制ができ2009年までは1回のみ認められた)。ただし、片手のみで相手を押さえての膝蹴りは1回のみ可。K-1 WORLD GP JAPAN(いわゆる新生K-1)では組んだ状態での攻撃が完全に禁止となり、片手のみで相手を押さえての膝蹴りも禁止となった。
- 通常のワンマッチは、当初は3分5ラウンド最大延長2Rだったが、2004年以降は3分3ラウンド延長2R。トーナメントは決勝戦を除き3分3ラウンドで延長1R。ただし、選手育成を目的とした試合では引き分け裁定を取る場合もある
- 勝敗は以下の要素で決定する
- ダウンして10カウント以内に立ち上がれない、もしくは立ち上がれても続行が不能である(ノックアウト)
- 1ラウンド内に2回ダウンした場合(「2ノックダウンシステム」、トーナメント戦の決勝以外で採用される)、もしくは3回ダウンした場合(「3ノックダウンシステム」、ワンマッチやトーナメント戦の決勝試合)はKO決着で試合終了となる
- レフェリー、医師が続行不能と判断した、もしくはセコンドによってタオルが投げ入れられた場合(テクニカルノックアウト)
- 決着がつかずに試合が終了した場合は、ジャッジ3名による判定(ラウンドマストシステムは延長戦最終ラウンドを除き不採用)
- 悪質な反則行為(失格)
- 偶然のバッティングにより試合続行が不可能となった場合、1R終了前は無効試合、2R以降なら負傷判定(引き分け裁定あり)に入る。ただし、トーナメントまたはトーナメント開幕戦においては負傷していない選手のTKO勝ちとして扱う。
- リングシューズの着用は許可されているが、代わりに(膝から下を使う)足技の使用が禁止される(着用例としては、ボクシング出身の西島洋介)
これらはあくまでK-1のオフィシャルルールに過ぎず、実際の興行では、異なるルール、例えば総合格闘技ルールやそれとの折衷ルールの試合も行われている。
試合中継
K-1 WORLD GPシリーズ
無差別級トーナメント、スーパーヘビー級(100kg以上)・ヘビー級(100kg未満)のワンマッチを中心とした大会。
1993年の第1回からフジテレビで放送され、1996年の大会から全国ネットとゴールデンタイム放送に格上げされた。旗揚げ当初から『K-1 GRAND PRIX』という名称だったが、本格的な世界進出を開始した2000年に現在の『K-1 WORLD GP』シリーズへと改称された。また、CS放送・フジテレビNEXTでも2009年まで放送されていた(CS放送はステレオ2音声の放送となり、第1音声は通常の実況放送。第2音声はリングノイズ=実況音声なしで会場内音声のみの放送となる)が、2010年からはスカチャンでのPPV生中継に移行した。
同局の格闘技情報番組『SRS』(2008年9月終了)と連動しており、同番組の歴代「格闘ビジュアル・クイーン」がリポーターを務めていた。
ハーフタイムショーでは、話題となっているグループのパフォーマンスが行われる。K-1 WORLD GP 2009 FINALではAKB48が、K-1 WORLD GP 2010 FINALではももいろクローバーが出演した。
- 司会進行
藤原紀香・長嶋一茂・優木まおみ
- 解説
- 石井和義(ケイ・ワン体制時代)
- 谷川貞治
- リングアナウンサー
ボンバー森尾(メイン)
マイケル・バッファー(WORLD GP決勝トーナメント)
関根勤(ゲスト)
- ナレーター(テレビ放送)
武居“M”征吾(初回-2006年3月5日放送分(ニュージーランド大会)
鈴木英一郎(2006年4月30日放送分(ラスベガス大会)-2007年12月8日)
立木文彦(2008年4月13日放送分(横浜大会)-)
- VHS・DVD版
青嶋達也(フジテレビアナウンサー)
奥寺健(同)
竹下陽平(同) など
K-1 WORLD MAXシリーズ
ミドル級(70kg契約)およびライト級(-63kg契約)のトーナメントおよびワンマッチの大会。
2002年の第1回からTBS系列で放送されており、日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回開催された。地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルやBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送されていたが、2010年5月のライト級トーナメントからはスカチャンのPPVにてMAXでは初となる生中継を行った。
TBSによる編成上の都合からか、平日と祝日に開催された。2009年以降は、内藤大助や亀田興毅・大毅兄弟のボクシング世界タイトルマッチとセットで中継される機会が多くなった(ボクシング中継が1時間程度、K-1が2時間程度)。
- 司会進行
井上和香(2008年まで)
佐々木希(2009年 - 2010年)
- 解説
- 畑山隆則
- 前田憲作
- リングアナウンサー
ボンバー森尾(メイン)- パトリック・ハーラン
渡辺いっけい(ゲスト)
- ナレーター
- 田子千尋
根岸朗(2005年 - 2006年)
K-1 甲子園、K-1 WORLD YOUTHシリーズ
2007年よりTBS系列で放送。
2007年2月、『K-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメント』にて、ヘッドギア着用の特別試合として現役中学生だったHIROYAがK-1史上最年少デビューを果たして3RKO勝利を収め、翌日のスポーツ新聞の一面を飾るなど話題となったことをきっかけにスタートした。
K-1甲子園は年齢18歳以下の現役高校生ファイターによるイベント。同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』でスタートし、2008年までは62kg以下級のみで行われていたが、2009年からは70kg級も行われることになった。名称の由来は全国高等学校野球選手権大会が行われている阪神甲子園球場から。新空手との全面協力で行われている。2008年はK-1甲子園の地区予選トーナメントが各地区ごとに「K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール」に則って行われ、予選優勝者がK-1甲子園トーナメントに進出し、決勝大会は同年大晦日のDynamite!!で行われる形式だった。2009年からは地区代表決定戦もリングの上で試合を行うこととなった。
K-1 WORLD YOUTHシリーズはK-1甲子園の反響の大きさを受けて2008年にスタート。20歳以下のK-1選手育成・強化を目的とする世界的プロジェクトである。世界各国においてU-20のトライアウトを実施し、強化選手を選抜しナショナル・チームを編成して国別対抗戦を行っている。K-1 WORLD MAXシリーズの大会で対抗戦を行うこともある。WORLD YOUTHの日本代表チームの監督は前田憲作が務めている。
Dynamite!!
2003年よりTBS系列で放送。
2001年・2002年の大晦日にTBS系列で放送していた『INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)』が2003年は日本テレビに移り、代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。
K-1 WORLD MAXシリーズ・DREAMと同様に、フジテレビが主に扱うヘビー級選手の出場もある。
開催地は、2003年のみナゴヤドーム、2004年からは大阪ドーム、2008年からはさいたまスーパーアリーナ。
K-1 JAPAN シリーズ
1997年から日本テレビ系列で放送開始。2004年の6月の大会を最後に打ち切り。
日本人ファイター育成を目的に立ち上げられたシリーズだが、日本人ファイターと規格外の体格を持った、いわゆる「モンスター系」のファイターとを対戦させ、総合格闘技ルールの試合も行うなど、実験的要素の多いシリーズでもあった。このシリーズでブレイクしたモンスター系ファイターのひとりにボブ・サップがおり、サップは後に新日本プロレスのIWGPヘビー級王座を獲得した。
また、新たなK-1ファン掘り起こしのため、系列局などのタイアップによる地方興行も積極的に行っていた。
現在は独立したシリーズとなっているK-1 MAXシリーズも元々このシリーズの中で『K-1 J MAX』として実施しており、魔裟斗や小比類巻貴之もここでK-1デビューしている。
協栄ボクシングジムがシュートボクシング初代全日本カーディナル級王者・大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げて参戦したこともあった。
テレビ放送のナレーターは垂木勉。VHSやDVD版は基本的にナレーターなし。マスコットガールは優香。
K-1 ROMANEX、HERO'S
共にTBS系列で放送。また、地上波の放送から数週間後以降にBS-iやCS放送・TBSチャンネルでも放送される(K-1 WORLD MAXシリーズも含む)。J SPORTS ESPNでもメインの試合をピックアップして放送された。
『DREAM』への移行に伴い終了。
K-1 WORLD GP JAPAN
2014年11月3日の「K-1 WORLD GP IN JAPAN」第1弾となる「K-1 WORLD GP 2014 〜-65kg初代王座決定トーナメント〜」は、GAORA SPORTSで生中継され[22]、以降逐次同チャンネルで放送。
2015年9月22日の「K-1 WORLD GP 2015 〜SURVIVAL WARS〜」はBSスカパー!で生中継[23]。
同年10月8日より、新生K-1にとって初となる地上波の情報番組『新K-1伝説』がテレビ東京にて放送をスタート[24]。
テーマ曲
- K-1 WORLD GPシリーズ(フジテレビ中継)のテーマ曲はプリンス(Prince)(当時はジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(The Artist Formerly Known As Prince))のアルバム「ゴールド・エクスペリエンス(Gold Experience)」収録曲の「エンドルフィンマシーン(Endorphinmachine)」。エンディング曲は同じくプリンスの同アルバムの収録曲の「ゴールド(Gold)」。
- K-1 JAPAN GPシリーズ(日本テレビ中継)のテーマ曲はB'zのボーカリストである稲葉浩志の「AKATSUKI」。
- K-1 WORLD MAXシリーズ(TBS中継)のテーマ曲はガンマ・レイ(GAMMA RAY)のアルバム「ノー・ワールド・オーダー(No World Order)」収録曲の「インダクション(Induction)」。オープニングテーマはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の「レクイエム ニ短調 K.626 第3曲 セクエンツィア」。
大会一覧
歴代優勝、準優勝者、3位
K-1 WORLD GPシリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
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1 | 1993年4月30日 | ブランコ・シカティック | アーネスト・ホースト | 佐竹雅昭 |
モーリス・スミス | ||||
2 | 1994年4月30日 | ピーター・アーツ | 佐竹雅昭 | パトリック・スミス |
ブランコ・シカティック | ||||
3 | 1995年5月4日 | ピーター・アーツ (2) | ジェロム・レ・バンナ | アーネスト・ホースト |
マイク・ベルナルド | ||||
4 | 1996年5月6日 | アンディ・フグ | マイク・ベルナルド | アーネスト・ホースト |
ムサシ | ||||
5 | 1997年11月9日 | アーネスト・ホースト | アンディ・フグ | フランシスコ・フィリォ |
ピーター・アーツ | ||||
6 | 1998年12月13日 | ピーター・アーツ (3) | アンディ・フグ | マイク・ベルナルド |
サム・グレコ | ||||
7 | 1999年12月5日 | アーネスト・ホースト (2) | ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチ | ジェロム・レ・バンナ |
サム・グレコ | ||||
8 | 2000年12月10日 | アーネスト・ホースト (3) | レイ・セフォー | フランシスコ・フィリォ |
シリル・アビディ | ||||
9 | 2001年12月8日 | マーク・ハント | フランシスコ・フィリォ | ステファン・レコ |
アレクセイ・イグナショフ | ||||
10 | 2002年12月7日 | アーネスト・ホースト (4) | ジェロム・レ・バンナ | レイ・セフォー |
マーク・ハント | ||||
11 | 2003年12月6日 | レミー・ボンヤスキー | 武蔵 | シリル・アビディ |
ピーター・アーツ | ||||
12 | 2004年12月4日 | レミー・ボンヤスキー (2) | 武蔵 | フランソワ・ボタ |
ガオグライ・ゲーンノラシン | ||||
13 | 2005年11月19日 | セーム・シュルト | グラウベ・フェイトーザ | レミー・ボンヤスキー |
武蔵 | ||||
14 | 2006年12月2日 | セーム・シュルト (2) | ピーター・アーツ | アーネスト・ホースト |
グラウベ・フェイトーザ | ||||
15 | 2007年12月8日 | セーム・シュルト (3) | ピーター・アーツ | ジェロム・レ・バンナ |
レミー・ボンヤスキー | ||||
16 | 2008年12月6日 | レミー・ボンヤスキー (3) | 空位 | グーカン・サキ |
エロール・ジマーマン | ||||
17 | 2009年12月5日 | セーム・シュルト (4) | バダ・ハリ | レミー・ボンヤスキー |
アリスター・オーフレイム | ||||
18 | 2010年12月11日 | アリスター・オーフレイム | ピーター・アーツ | グーカン・サキ |
セーム・シュルト | ||||
19 | 2013年3月15日 | ミルコ・クロコップ | イスマエル・ロント | パヴェル・ズラフリオフ |
ゼパッド・ポトラック |
K-1スーパーヘビー級王座 (100kg以上)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年3月4日 - 2013年6月(引退) | セーム・シュルト | 4 |
K-1ヘビー級王座 (100kg未満)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年4月28日 - 2008年12月17日(剥奪) | バダ・ハリ | 1 |
2 | 2009年3月28日 - 2011年10月21日(返上) | 京太郎 | 1 |
K-1 WORLD GP ヘビー級王座 (無制限)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2017年11月23日 - 2018年3月21日 | アントニオ・プラチバット | 0 |
2 | 2018年3月21日 - 現在 | ロエル・マナート | 0 |
K-1 WORLD GP -95kg王座
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2016年10月27日 - 現在 | ロマン・クリークリャ | 0 |
K-1 WORLD GP クルーザー級王座 (-90kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2018年9月24日 - 現在 | シナ・カリミアン | 0 |
K-1 WORLD GP -85kg王座
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2016年12月3日 - 現在 | ティムール・アイリアロフ | 0 |
K-1世界ライトヘビー級
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2017年6月10日 - 現在 | ピーター・マエストロビッチ | 0 |
K-1 WORLD MAXシリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2002年5月11日 | アルバート・クラウス | ガオラン・カウイチット | 魔裟斗 |
小比類巻貴之 | ||||
2 | 2003年7月5日 | 魔裟斗 | アルバート・クラウス | サゲッダーオ・ギャットプートン |
ドゥエイン・ラドウィック | ||||
3 | 2004年7月7日 | ブアカーオ・ポー.プラムック | 魔裟斗 | 小比類巻貴之 |
アルバート・クラウス | ||||
4 | 2005年7月20日 | アンディ・サワー | ブアカーオ・ポー.プラムック | 安廣一哉 |
アルバート・クラウス | ||||
5 | 2006年6月30日 | ブアカーオ・ポー.プラムック (2) | アンディ・サワー | ドラゴ |
魔裟斗 | ||||
6 | 2007年10月3日 | アンディ・サワー (2) | 魔裟斗 | アルバート・クラウス |
アルトゥール・キシェンコ | ||||
7 | 2008年10月1日 | 魔裟斗 (2) | アルトゥール・キシェンコ | 佐藤嘉洋 |
アンディ・サワー | ||||
8 | 2009年10月26日 | ジョルジオ・ペトロシアン | アンディ・サワー | 山本優弥 |
ブアカーオ・ポー.プラムック | ||||
9 | 2010年11月8日 | ジョルジオ・ペトロシアン (2) | 佐藤嘉洋 | マイク・ザンビディス |
ドラゴ | ||||
10 | 2012年12月15日 | ムルテル・グロンハート | アルトゥール・キシェンコ | マイク・ザンビディス |
アンディ・サワー |
K-1 WORLD GP スーパー・ウェルター級王座(-70kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2015年7月4日 - 2016年12月6日(返上) | マラット・グレゴリアン | 0 |
2 | 2017年6月18日 - 現在 | チンギス・アラゾフ | 1 |
K-1 WORLD GP ウェルター級王座(-67.5kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2017年9月18日 - 現在 | 久保優太 | 1 |
K-1 WORLD GP -65kg世界最強決定トーナメント
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2016年6月24日 | ゲーオ・ウィラサクレック | イリアス・ブライド | 野杁正明 |
山崎秀晃 |
K-1 WORLD GP スーパー・ライト級王座(-65kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2014年11月3日 - 2017年6月18日 | ゲーオ・ウィラサクレック | 2 |
2 | 2017年6月18日 - 2018年8月19日(返上) | 野杁正明 | 1 |
3 | 2018年11月3日 - | ゲーオ・ウィラサクレック |
K-1 WORLD GP ライト級王座(-62.5kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2017年2月25日 - 2018年3月21日 | ウェイ・ルイ | 1 |
2 | 2018年3月21日 - 現在 | 卜部功也 | 0 |
K-1 WORLD GP スーパー・フェザー級世界最強決定トーナメント
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2016年9月19日 | 卜部功也 | 大雅 | パウロ・テバウ |
卜部弘嵩 |
K-1 WORLD GP スーパー・フェザー級王座(-60kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2015年1月18日 - 2015年11月21日 | 卜部功也 | 0 |
2 | 2015年11月21日 - 2017年2月25日 | 卜部弘嵩 | 0 |
3 | 2017年2月25日 - 2018年2月3日(剥奪) | 大雅 | 0 |
4 | 2018年3月21日 - 現在 | 武尊 | 1 |
K-1 WORLD GP フェザー級王座(-57.5kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2016年11月3日 - 2018年3月20日(返上) | 武尊 | 1 |
2 | 2018年6月17日 - 現在 | 村越優汰 | 0 |
K-1 WORLD GP スーパー・バンタム級王座(-55kg)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2015年4月19日 - 2016年8月28日(返上) | 武尊 | 1 |
2 | 2017年4月22日 - 現在 | 武居由樹 | 1 |
K-1 甲子園
回 | 開催日 | クラス | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2007年12月31日 | 雄大 | HIROYA | 久保賢司 | |
才賀紀左衛門 | |||||
2 | 2008年12月31日 | HIROYA | 卜部功也 | 嶋田翔太 | |
日下部竜也 | |||||
3 | 2009年12月31日 | 野杁正明 | 嶋田翔太 | HIROYA | |
石田勝希 | |||||
4 | 2010年11月20日 | 翔栄 | 秋元晧貴 | 佐々木涼助 | |
石田圭吾 | |||||
5 | 2012年3月17日 | 小川翔 | 柴田憂也 | 山口佑馬 | |
6 | 2014年11月3日 | 平本蓮 | 佐野天馬 | ||
7 | 2015年11月21日 | -55kg | 西京春馬 | 椿原龍矢 | |
-65kg | 篠原悠人 | 近藤拳成 | |||
8 | 2016年11月3日 | -55kg | 軍司泰斗 | 椿原龍矢 | |
-60kg | 西京佑馬 | 横山巧 | |||
-65kg | 近藤拳成 | 本間海 | |||
9 | 2017年11月23日 | -55kg | 椿原龍矢 | 小堀厳基 | |
-60kg | 兼田将喗 | 横山朋哉 | |||
-65kg | 近藤魁成 | 小島瑠久 | |||
10 | 2018年9月24日 | -55kg | 多久田和馬 | 笠見瑠伊 | |
-60kg | 山浦力也 | 清水隆成 | |||
-65kg | 近藤魁成 | 大庭龍華 |
K-1 カレッジ
回 | 開催日 | クラス | 優勝 | 準優勝 |
---|---|---|---|---|
1 | 2016年9月19日 | -55kg | 桑田裕太 | 野村優 |
-60kg | 森井洸介 | 内田道隆 | ||
-65kg | 森香津眞 | ホン・チンヤオ | ||
2 | 2017年9月18日 | -55kg | 野村優 | 金塚聖矢 |
-60kg | 内田道隆 | 下地涼 | ||
-65kg | 佐野純平 | 半井龍 |
K-2 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年12月19日 | アーネスト・ホースト | チャンプア・ゲッソンリット | アダム・ワット |
タシス"トスカ"ペトリディス |
K-3 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1995年7月16日 | イワン・ヒポリット | 金泰泳 | 後川聡之 |
オーランド・ウィット |
各種記録等
- 決勝トーナメント最多優勝記録
- WORLD GP記録:アーネスト・ホースト、セーム・シュルト(4度)
- WORLD MAX記録:ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー、魔裟斗、ジョルジオ・ペトロシアン(2度)
- 決勝トーナメント最多連続優勝記録
- WORLD GP記録:セーム・シュルト(3年連続)
- WORLD MAX記録:ジョルジオ・ペトロシアン(2年連続)
- トーナメント最短優勝記録(トーナメント全試合の合計試合時間):ベン・エドワーズ(2010年7月10日、K-1 OCEANIA GP、3分26秒)
- 決勝トーナメント最短優勝記録(決勝トーナメント全試合の合計試合時間):セーム・シュルト(2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINAL、5分53秒)
- 決勝トーナメントファイナル最多出場記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(6度)
- WORLD MAX記録:アンディ・サワー、魔裟斗(4度)
- 決勝トーナメントファイナル連続最多出場記録
- WORLD GP記録:アンディ・フグ、セーム・シュルト(3年連続)
- WORLD MAX記録:ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー(3年連続)
- 決勝トーナメント最多出場記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(17度)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(9度)
- 決勝トーナメント最多連続出場記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(16年連続)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(9年連続)
- 決勝トーナメント最年少優勝記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(23歳6ヶ月)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(21歳9ヶ月)
- 決勝トーナメント最年長優勝記録
- WORLD GP記録:ブランコ・シカティック(38歳6ヶ月)
- WORLD MAX記録:魔裟斗(29歳7ヶ月)
- 最短KO記録試合:レミギウス・モリカビュチスvs. 我龍真吾(2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜、1ラウンド8秒)
- 最多連勝記録:ピーター・アーツ(19連勝)
- KOもしくはTKOでの最多連勝記録:ピーター・アーツ(9連勝)
- 最多対戦回数:ピーター・アーツ vs. マイク・ベルナルド(6度)
参戦選手
王者
大会一覧
連動番組
日本テレビ系列
超K-1宣言!(1998年 - 2002年)
最強魂(2002年 - 2003年)
TBS系列
格闘王(2001年 - 2009年)
格闘王子(2009年 - 2010年)
フジテレビ系列
SRS(1996年4月 - 2008年10月3日)
- テレビ東京
新K-1伝説(2015年10月8日 - )
脚注
^ 全日本新空手道連盟創師 神村榮一 略歴 (PDF)
^ kamipro 2010 No.146
^ 格闘技「K-1」事実上の身売りか!? 主な商標が"海老蔵暴行ビル"の所有会社に移管 - 日刊サイゾー・2011年8月2日
- ^ ab当社子会社による、K-1 Global Holdings Limited の株式取得(子会社化)および新規事業(MOBILE, ONLINE IT エンタテインメント事業)参入に伴う債権譲渡契約書締結に関するお知らせ (PDF, 32KB) - EMCOMホールディングス・2012年1月31日
^ “[大みそか視聴率] サップ×曙、紅白上回る43%。PRIDEも健闘”. バウトレビュー (2004年1月5日). 2010年5月4日閲覧。
^ “上海の投資銀行Pujiと提携。年内に中国進出へ”. バウトレビュー (2010年7月16日). 2010年9月12日閲覧。
^ 官報、2012年5月23日
^ 大型倒産速報 (2012年5月16日). “元・総合格闘技「K-1」の運営 株式会社FEG 第三者から破産を申し立てられ、破産手続き開始決定受ける”. 帝国データバンク. 2012年5月16日閲覧。
^ 大型倒産速報 (2012年8月15日). “元・総合格闘技「K-1」の運営 株式会社ライツコム 破産手続き開始決定受ける”. 帝国データバンク. 2012年8月15日閲覧。
^ “石井氏 国際K1連盟を設立 北京で会見”. 日刊スポーツ (2011年11月3日). 2011年11月4日閲覧。
^ 魔裟斗のK-1新エグゼクティブプロデューサー就任について (PDF) EMCOMホールディングスプレスリリース 2012年5月18日
^ 当社子会社による第三者割当増資及び子会社の異動に関するお知らせ (PDF) EMCOMホールディングスプレスリリース 2012年11月21日
^ “魔裟斗、エグゼクティブプロデューサーを辞任”. イーファイト (2013年1月2日). 2013年4月5日閲覧。
^ “【K-1】3年ぶりに開催のK-1GP決勝でミルコが初優勝!”. イーファイト (2013年3月16日). 2013年4月5日閲覧。
^ 【K-1】全国展開を目指しK-1ジムが東京にオープン - イーファイト・2013年8月12日
^ 小比類巻貴之がプロデュース!4月1日よりK-1 GYM EBISU 小比類巻道場がオープン - Krush・2014年3月14日
^ K-1 GYMの総本部が新宿にオープン!「格闘技界を盛り上げるためにいい選手を育てることで恩返ししていきたい」(前田代表) - Krush・2014年4月19日
^ 長谷川亮 (2014年5月29日). “新生K-1「K-1ワールドリーグ」発足 11.3代々木競技場第二体育館で旗揚げ”. スポーツナビ. 2014年5月29日閲覧。
^ “新生K1、「ワールドGP」に大会名変更”. 日刊スポーツ. (2014年9月27日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20140927-1373510.html 2014年11月7日閲覧。
^ “【サブタイトル変更】K-1 WORLD GP #11”. GAORA. http://www.gaora.co.jp/info/program/1532 2016年10月25日閲覧。
^ ただし、運営側からの許可、推薦があれば提携団体への出場は認められている。
^ K-1 WORLD GP 2014 ~-65kg初代王座決定トーナメント~
^ K-1 WORLD GP 2015 IN JAPAN ~SURVIVAL WARS~
^ 新生K-1が地上波テレビ進出!テレビ東京「新K-1伝説」10.8(木)スタート!!
外部リンク
- K-1公式サイト
- K-1中国公式サイト
- K-1日本公式サイト
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