ラクダ















ラクダ

ヒトコブラクダフタコブラクダ

ヒトコブラクダ(上)、フタコブラクダ(下)


分類







































:

動物界 Animalia


:

脊索動物門 Chordata

亜門
:

脊椎動物亜門 Vertebrata


:

哺乳綱 Mammalia


:

ウシ目 Artiodactyla


:

ラクダ科 Camelidae


:

ラクダ属 Camelus


学名

Camelus
Linnaeus, 1758



  • ヒトコブラクダ


Camelus dromedarius Linnaeus, 1758

  • フタコブラクダ


Camelus ferus Przhewalski, 1878


Dromedary Range.png
ラクダの生息域


ラクダ駱駝)は、哺乳類・ウシ目(偶蹄目)・ラクダ科・ラクダ属 Camelus の動物の総称。西アジア原産で背中に1つのこぶをもつヒトコブラクダ Camelus dromedarius と、中央アジア原産で2つのこぶをもつフタコブラクダ Camelus ferus の2種が現存する。砂漠などの乾燥地帯にもっとも適応した家畜であり、古くから乾燥地帯への人類の拡大に大きな役割を果たしている。




目次






  • 1 分類


  • 2 体の構造


  • 3 酷暑・乾燥に耐える生理機構


  • 4 牧畜


  • 5 野生における個体群


    • 5.1 ヒトコブラクダ


    • 5.2 フタコブラクダ




  • 6 生息域


  • 7 年齢


  • 8 雑種


  • 9 人間との関わり


    • 9.1 乗用


    • 9.2 食用


    • 9.3 宗教上の禁忌


    • 9.4 皮革・その他


    • 9.5 ラクダレース


    • 9.6 ラクダ相撲


    • 9.7 観光


    • 9.8 文化




  • 10 脚注


  • 11 参考文献


  • 12 外部リンク





分類


フタコブラクダは古くから家畜種Camelus bactrianus Linnaeus, 1758 が知られていた。19世紀後半に、ロシア人の探検家ニコライ・プルジェワーリスキー(プルツェワルスキー)が中央アジアで野生の個体群を発見し、Camelus ferus Przhewalski, 1878 と命名した。この二つは最近まではどちらもCamelus bactrianus に含まれていたが、2003年に動物命名法国際審議会は、C. ferus を保全名とし、より古いC. bactrianus に対して有効であるとの裁定を下した[1]。これは野生種と家畜種とを同種として扱う場合にはC. ferus としなければならないことを示しており、IUCNレッドリストにおいてはC. bactrianusC. ferus のシノニムとして扱われている[2]



体の構造




ヒトコブラクダのこぶの中身(脂肪)。国立科学博物館の展示。[3]


背中のこぶの中には脂肪が入っており、エネルギーを蓄えるだけでなく、断熱材として働き、汗をほとんどかかないラクダの体温が日射によって上昇しすぎるのを防ぐ役割もある。いわば、皮下脂肪がほとんど背中に集中したような構造であり、日射による背中からの熱の流入を妨げつつ、背中以外の体表からの放熱を促す。こぶの中に水が入っているというのは、長期間乾燥に耐えることから誤って伝えられた迷信に過ぎない。ただし、水を一度に80リットル程度摂取することが可能である。出生時にこぶは無く、背中の将来こぶになる部分は皮膚がたるんでいる。つまり脂肪を蓄える袋だけがある状態で生まれてくる。


ラクダは砂漠のような乾燥した環境に適応しており、水を飲まずに数日間は耐えることができる。砂塵を避けるため、鼻の穴を閉じることができ、目は長い睫毛(まつげ)で保護されている。哺乳類には珍しく瞬膜を完全な形で備えている。また、塩性化の進行した地域における河川の水など塩分濃度の非常に高い水でも飲むことができる。さらに膝の皮膚が分厚く発達しており断熱性に優れ、ここを接地して座れば高温に熱された地面の影響を受けることなく休むことが出来る。


他の偶蹄目の動物と同様、ラクダは側対歩(交互に同じ側面の前後肢を出して歩く)をする。しかし、偶蹄目の特徴が必ずしもすべて当てはまるわけではなく、偶蹄目の他の動物などのように、胴と大腿部の間に皮が張られてはいない。また、同様に反芻を行うウシ亜目(反芻亜目)は4室の胃をもつが、ラクダには第3の胃と第4の胃の区別がほとんどない。従来ラクダ科を含むラクダ亜目は反芻をしないイノシシ亜目と反芻するウシ亜目の中間に置かれていた。しかし遺伝子解析による分析では、ラクダ亜目は偶蹄目の中でもかなり早い時期にイノシシ亜目とウシ亜目の共通祖先と分岐しており、同じように反芻をするウシやヒツジ、ヤギなどは、ラクダ科よりもむしろイノシシ科やカバ科、クジラ目の方に近縁であることが明らかになっている。


ラクダの蹄(ひづめ)は小さく、指は2本で、5本あったうちの中指と薬指が残ったものである。退化した蹄に代わり、脚の裏は皮膚組織が膨らんでクッション状に発達している。これは歩行時に地面に対する圧力を分散させて、脚が砂にめり込まないようにするための構造で、雪上靴やかんじきと同じ役割を持つ。砂地においては、蹄よりもこちらの構造が適しているのである。



酷暑・乾燥に耐える生理機構


ラクダの酷暑や乾燥に対する強い耐久力については様々に言われてきた。特に、長期間にわたって水を飲まずに行動できる点については昔から驚異の的であり、背中のこぶに水を蓄えているという話もそこから出たものである。体内に水を貯蔵する特別な袋があるとも、胃に蓄えているのだとも考えられたが、いずれも研究の結果否定された。


実際には、ラクダは血液中に水分を蓄えていることがわかっている。ラクダは一度に80リットル、最高で136リットルもの水を飲むが、その水は血液中に吸収され、大量の水分を含んだ血液が循環する。ラクダ以外の哺乳類では、血液中に水分が多すぎるとその水が赤血球中に浸透し、その圧力で赤血球が破裂してしまう(溶血)が、ラクダでは水分を吸収して2倍にも膨れ上がっても破裂しない。また、水の摂取しにくい環境では、通常は34-38度の体温を40度くらいに上げて、極力水分の排泄を防ぐ。もちろん尿の量も最小限にするため、濃度がかなり高い。また、人間の場合は体重の1割程度の水が失われると生命に危険が及ぶが、ラクダは4割が失われても生命を維持できる。そのかわり、渇いた時には一気に大量の水を飲むので、ラクダの群れに水を与えるには非常に大量の水を必要とすることとなる。


一方で、ラクダは湿潤環境には弱い。ラクダは湿潤環境に多く発生する疫病に対して抵抗力がない。また、足が湿地帯を移動するようにできておらず、足を傷めることが多い[4]。アフリカにおいてはニジェール川がもっとも砂漠に近くなるニジェール川大湾曲部のトンブクトゥあたりが南限であり、これ以南では荷役動物がロバへと変わる。



牧畜


ラクダは乾燥地帯において主に飼育される家畜の一つである。もっとも、遊牧においてラクダのみを飼育することは非常に少なく、ヒツジやヤギ、ウシなどといった乾燥地域にやや適応した他の家畜と組み合わせて飼育されることが一般的である。これは、飢饉や疫病などによって所有する家畜が大打撃を受けた時のリスク軽減のためである。また、ラクダは繁殖が遅く増やすのが難しい。
オスは6歳にならないと交尾が可能とならず、発情期は年に1回しかない[5]。メスも他の家畜と比較して成熟に多くの時間が必要であり、妊娠期間は12ヶ月近くに及ぶ[5]


反面、寿命は約30年と長く、乾燥に強いために旱魃の際にも他の家畜に比べて打撃を受けにくい。このため、ヒツジやヤギが可処分所得として短期取引用に使用されるのに対し、ラクダは備蓄として、長期の資産形成のため飼養される[6]。一方、ラクダとヤギやウシを同じ群れとして放牧すると食物を巡って争いを起こしやすいため、ラクダの群れはほかの動物と分けて放牧するのが通例である。



野生における個体群


ラクダ科の祖先はもともと北アメリカ大陸で進化したものであり、200万年から300万年前に陸橋化していたベーリング海峡を通ってユーラシア大陸へと移動し、ここで現在のラクダへと進化した。北アメリカ大陸のラクダ科は絶滅したが、パナマ地峡を通って南アメリカ大陸へと移動したグループは生き残り、現在でもリャマやアルパカ、ビクーニャ、グアナコの近縁4種が生き残っている。


ヒトコブラクダとフタコブラクダの家畜化はおそらくそれぞれ独立に行われたと考えられている。ヒトコブラクダが家畜化された年代については紀元前2000年以前・紀元前4000年・紀元前1300 - 1400年などの諸説があるが、おそらくはアラビアで行われ、そこから北アフリカ・東アフリカなどへと広がった。フタコブラクダはおそらく紀元前2500年頃、イラン北部からトルキスタン南西部にかけての地域で家畜化され、そこからイラク・インド・中国へと広がったものと推測されている[7]



ヒトコブラクダ


ヒトコブラクダの個体群はほぼ完全に家畜個体群に飲み込まれたため、野生個体群は絶滅した。ただ、辛うじてオーストラリアで二次的に野生化した個体群から、野生のヒトコブラクダの生態のありさまを垣間見ることができる。また、2001年には中国の奥地にて1000頭のヒトコブラクダ野生個体群が発見された。塩水とアルカリ土壌に棲息していること以外の詳細は不明で、遺伝子解析などは調査中である。この個体群についても、二次的に野生化したものと推測されている。したがって、純粋な意味での野生のヒトコブラクダは絶滅した、という見解は崩されずにいる。



フタコブラクダ


野生のフタコブラクダの個体数は、世界中で約1000頭しかいないとされている[8][9]。このため、野生のフタコブラクダは2002年に、国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定され、レッドデータリストに掲載されている。



生息域


2010年には全世界で1400万頭のラクダが生息しており、その90%がヒトコブラクダであった。ヒトコブラクダとフタコブラクダの生息域は一部では重なり合うものの、基本的には違う地域に生息している。ヒトコブラクダは西アジア原産であり、現在でもインドやインダス川流域から西の中央アジア、イランなどの西アジア全域、アラビア半島、北アフリカ、東アフリカを中心に分布している。なかでも特にアフリカの角地域では現在でも遊牧生活においてラクダが重要な役割を果たしており、世界最大のラクダ飼育地域となっている[10]。世界で最大のラクダ飼育頭数を誇るソマリア[11]や、エチオピアにおいてラクダは現在でも乳、肉、移動手段を提供し続けている[12][13][14][15]。フタコブラクダのほうは中央アジア原産であり、トルコ以東、イランやカスピ海沿岸、中央アジア、新疆ウイグル自治区やモンゴル高原付近にまで生息している。頭数は140万頭程度で、ラクダのうちの10%程度である[16][17][18]。家畜として飼育する場合は通常どちらかの種しか飼育しないが、両種の雑種は大型となるため荷役用として価値が高く、中央アジアでは両種をともに飼育して常に雑種を生み出し続けるようにしていた(後述)。


また、ヒトコブラクダは砂漠の広がるオーストラリアに人為的に持ち込まれ、現在では野生化して繁殖している[19]。この個体群は19世紀から20世紀にかけてオーストラリアに持ち込まれたものが野生化したもので、オーストラリア中央部の砂漠地帯に約70万頭が生息している[20][17][21]。この数字は年間8%ずつ増大している.[22]。この野生ラクダはオーストラリアで盛んなヒツジの牧畜用の資源を荒らすため、オーストラリア政府は10万頭以上を駆除している.[23]



年齢


ヒトコブラクダは歯を見ることで年齢を知ることが出来る。生まれた時は22本の乳歯があり、加齢と共に歯が生え変わり7歳で34本の永久歯に生え変わる。このため、古くからラクダを取引するアラブ商人たちはラクダの歯の生え方で値段を決めていた。また、地方によっては歯の生え方で呼び方を変えることもあり販売価格などと密接に関係している。
ラクダの平均寿命は25歳前後だが、アラブ社会では古くからラクダの寿命は33年3ヶ月と3日と言われてきた。ヒジュラ暦は1年が11日ほど短いため33年3ヶ月と3日で季節が33回変わり、太陽暦の33年に相当する。


ラクダの年齢は歯が一組変わるごとに1歳加齢される独特の年齢加算法を用いる場合があるので、実際の年齢とラクダ商人が数える年齢が一致しないことがある。



1歳

上顎両側に4本の臼歯と下顎両側に3本の臼歯

2-3歳

上顎両側に5本の臼歯と下顎両側に3本の臼歯

4歳半

糸切歯が生え始める。

5歳

上顎両側の乳歯1本が2本の永久歯に生え変わり、下顎両側に1本の臼歯が乳歯から永久歯に生え変る。

アラブ社会では古くから、上顎両側に6本の奥歯があるラクダを砂漠の横断が可能な大人のラクダとしていた。

5歳半

2本目の糸切歯が生え始める。

6歳

上顎にも糸切歯と犬歯が生える。

7歳

全ての歯が乳歯から永久歯に変わる。

10歳以上

永久歯の磨り減り具合で判断する。

歯の磨り減り方は生活環境によって異なるため、必ずしも実際の年齢とは一致しないが、アラブ社会では古くからラクダの年齢を知る方法として用いられてきた。歯が磨り減ってしまうと通常の餌が食べられなくなるため、近代以前は寿命とされてきた。



雑種




  • ブフト・・・ヒトコブラクダとフタコブラクダの間には雑種ができ、カザフスタンではブフト(bukht)と呼ばれる。雑種の瘤は一つで、どちらの種よりも体格で勝るため役畜として重用される。雌のブフトはフタコブラクダと戻し交配することができ、ヒトコブラクダの血を25%、フタコブラクダの血を75%引く乗用のラクダがつくられる。


  • キャマ・・・ヒトコブラクダとリャマとの間に人工的に作られた種間雑種



人間との関わり


ラクダを最初に家畜化したのは古代のアラム人ではないかと考えられている。アラム人はヒトコブラクダを放牧する遊牧民、あるいはラクダを荷物運搬に使って隊商を組む通商民として歴史に登場した。砂漠を越えることはほかの使役動物ではほぼ不可能であるため、ラクダを使用することによってはじめて砂漠を横断する通商路が使用可能となった。やがて交易ルートは東へと延びていき、それに伴ってラクダも東方へと生息域をひろげていった。


シルクロードの3つの道のうち、最も距離が短くよく利用されたオアシス・ルートは、ラクダの利用があって初めて開拓しえたルートである。シルクロードを越えるキャラバンは何十頭ものラクダによって構成され、大航海時代までの間は東西交易の主力となっていた。サハラ砂漠においては、それまでおもな使役動物であったウマに代わって3世紀ごろに東方からラクダがもたらされることで[24]はじめてサハラを縦断する交易ルートの開設が可能となり、サハラ交易がスタートした。また、ラクダは湿潤地帯で荷役を行わせることは困難であるため、砂漠とサヘル地帯の境界に近いニジェール川大湾曲部のトンブクトゥなどはラクダとニジェール川水運やロバとの荷の積み替え地点として栄えた。


歴史学者のリチャード・ブリエットは別のストーリーとして、紀元前3000年ごろ、アフリカから中央アジアにかけてラクダを捕食対象としていた狩猟採集民のうち、アラビア海南部沿岸(今日のソマリア周辺)地域のグループが最初にヒトコブラクダを馴化させたと主張している[25]。最初の利用目的は乳の採取だったといい、牧草地を求めて遊牧を始めたことから駄獣としての利用に発展したという。


ブリエットによれば、フタコブラクダの家畜化は紀元前2500年ごろ、イランとトルクメニスタンのあいだの高原地域で生活していた遊牧民によって行われ、その手法が中央アジアを経てメソポタミアに広がったという[25]。アッシリア人の戦勝記念に描かれたレリーフに現れるラクダの多くは荷車を牽いている。



乗用





エリトリアで活動するPKFの隊員(2005年)


ラクダと人類とのかかわりにおいて、最も重要なものは乗用利用である。ラクダは『砂漠の舟』とも呼ばれ、ほかの使役動物では越えることのできない乾燥地域を越える場合にはほぼ唯一の輸送手段となっていた。特に利用されていたのは砂漠の多いアラブ世界であり、20世紀後半に自動車が普及するまで重要な移動手段であった。前述のように側対歩で歩行するラクダは歩行時に身体が大きく左右に揺れる。このため慣れない者がラクダに乗る場合、船酔いならぬラクダ酔いを起こすことがある。


初期のラクダの鞍はコブの後部に置かれたマットを前方に伸ばした帯でコブに固定したもので、主に荷役用として使われた。やがて騎乗を目的としたコブの前に乗せる馬蹄形の鞍が現れたが、初期の騎乗用の鞍はぐらつきが大きく戦闘には向かなかった[25]。アラビアでは紀元前500年ごろ以降に、コブではなく肋骨に負荷をかける設計の鞍が現れたことによって騎乗戦闘が可能となり、紀元前2世紀ごろには遊牧民と商業国家のパワーバランスを変えるなど、社会に変革をもたらすほどの影響を与えるようになった[25]


現代においてはほとんどが自動車にとってかわられたものの、マリ北部のタウデニから南のトンブクトゥへと塩の板を運ぶキャラバンなどは現在でもラクダが使用され、2000頭から3000頭ものラクダのキャラバンが10月から5月までの涼しい時期に1か月以上かけて両地を往復する[26]


また砂漠地帯で長時間行動できるため、古くから駱駝騎兵として軍事利用され、現代でも軍隊やゲリラの騎馬隊がラクダを使用することがある。現代ではインドと南アフリカの2か国が純軍事的にラクダ部隊を保有しており、2007年には、ダルフール紛争の国連平和維持活動に対し、インド政府がラクダ部隊を派遣すると報道された[27]



食用


ラクダの肉は食用とされ、また乳用としても利用される。血液を禁忌とするムスリムとユダヤ教徒以外は、生き血を飲むこともある。また、ユダヤ教徒はラクダはコーシャーではないため食べることはできない(後述)。


食用としてのラクダ利用において最も重要なものはラクダ乳の利用である。イスラム圏において古来乳用動物として飼育されてきたものはラクダ、ヒツジ、ヤギであるが、ラクダはヒツジやヤギに比べて授乳期間が長い(約13か月)上に乳生産量も一日5リットル以上と非常に多かったため、砂漠地帯の遊牧民の主食とされてきた[28]。アラブにおいては、ヒツジやヤギの乳搾りが女性の仕事とされたのに対し、ラクダの乳搾りは男性の仕事とされてきた。ラクダ乳は主にそのまま飲用されたが、発酵させて酸乳(ヨーグルト)とすることもおこなわれた。ラクダ乳はウシやヒツジ、ヤギの乳と脂肪の構造が異なり、脂肪を分離することがやや困難である。さらにヤギやヒツジの乳のほうが脂肪の含有量も多いため、バターやチーズといった乳製品は主にヒツジやヤギから作られていた。しかし、ラクダ乳からバターやチーズを作ることも歩留まりが悪い上に技術も必要だが可能であり、その希少性ゆえに高級品として高く評価されていた[29]


近年、栄養価の高いラクダ乳は見直される傾向にあり、ヨーグルトやアイスクリームなどのラクダミルク製品を製造する会社も設立されている[30]。アラブ首長国連邦のドバイでもラクダミルク製品の開発がすすめられており、ラクダチーズやラクダミルクチョコレートをはじめとする製品の世界各地への売り込みを図っている[31]。アメリカ合衆国でも、アーミッシュを中心にラクダの飼育とラクダミルクの商品化が行われ、カリフォルニアを中心にラクダミルクを取り扱う店があらわれはじめている[32]。2018年では、ミルクの9割がアフリカと中東で生産されており、その他の地域では価格が高騰してしまうが、米国やアジアでも需要が増加している[33]。19世紀に乗り物としてラクダがオーストラリアに輸入され、自動車の登場によって放置されて野生化、2018年までにはこれを捕獲してラクダミルクを製造する企業が現れ、飼育数が増加すればオーストラリアの生産でも価格が安くなり、シンガーポールに輸出し始めている[33]。ドバイの企業は、2018年にラクダミルクの粉ミルクの開発を発表し、アラブ首長国連邦で発売されることになる[34]


ラクダの肉は食用とされるが、再生産が可能であり生産量も多いラクダの乳に比べると二義的なものとなる。若いラクダの肉は美味とされることもあるが、年老いて繁殖や乳生産のできなくなったラクダが食肉用に回されることが多く、そのため評価は一般に高くない。エジプトではラクダ肉は食肉として一番安く、カイロには食肉用と荷役用のラクダ市がそれぞれ立つ。7歳から9歳程度のラクダが主に食用とされるものの、脂分が非常に多く味が悪いため人気がない[35]


近年の中華料理において駱駝の瘤は駝峰・駝峯(驼峰・驼峯、トゥオフォン)と呼ばれ、八珍の一つとして珍重される食材である。繊維はあるものの脂肪の塊なので、味付けが重要な食材だが、味が付きにくいという欠点があり、上手に調理するにはある程度の技法が必要である。また、ラクダの足も駝掌と称して食用とされる[36]



宗教上の禁忌


イスラム教ではラクダはハラールとされているため、イスラム教徒はラクダの肉や乳を食べることができる。しかし、いくつかのイスラムの学派においてはラクダは不純物の量が多いとされ、そのため食した後に一部沐浴(Wudhu)をすべきと定めている学派もある[37]


また、同様の理由でラクダがうずくまっていた、あるいはすわっていた場所はシャイターンの場所であるとして、その場所での礼拝をハラームであるとして禁じている学派もある.[37][38]


ユダヤ教においては、ラクダはコーシャーではないとして食用とすることはできない[39]。これは、ラクダはコーシャーである食肉の条件のうち一つしか満たしていないとされているためである。コーシャーの条件は反芻をし蹄が分かれているものに限られるが、ラクダは生物学的には蹄が分かれ、反芻をするものの、外見上蹄が毛に覆われて分かれているように見えないためカーシェールからはずされている。これはレビ記11章にしるされている。



皮革・その他


皮はなめして用いられ、毛は織物、縄、絵筆などに利用される。古くから利用されており、マタイによる福音書によれば洗礼者ヨハネはラクダの皮で作った服を着ていたとされる。


日本でも「らくだのももひき」と親しまれているが、これはラクダの毛を利用したものではなくラクダ色であることを根拠としている品がある。落語にもなっている[40]。特に寒冷な中央アジアのフタコブラクダの毛は織物の素材として優秀である。木材が貴重品である乾燥地帯において、かつてはラクダの糞が貴重な燃料でもあった。



ラクダレース


ラクダを飼育する中東の諸国においては、ヒトコブラクダのレースである競駝(けいだ)が盛んに行われている。とくにアラブ首長国連邦などアラビア半島の諸国においては非常に盛んであり、競馬のように、性別・年齢別でレースが行われる。レース距離は5-10kmと、競馬に比べると長距離である。遊牧民の流れをくむ湾岸諸国においてはラクダレースは最も格の高いスポーツであり、首長一族も観覧に訪れ、勝ったラクダの所有者には名誉が与えられる[41]。ドバイにおいては冬季である1月から3月にかけてラクダレースが盛んに開催され、地元民のみならず観光客も多くおとずれる人気のイベントとなっている。また、サウジアラビアにおいては首都リヤドで1974年以来一年に一度大ラクダレースが行われている[42]。ラクダは全力疾走させるのに馬ほど技術が必要でないため、ラクダレースの騎手は近隣諸国からやってきた子供が務めることも多かったが、欧米の人権団体の非難によって騎手に年齢制限が設けられ、こうした光景は姿を消した。また、カタールやアラブ首長国連邦などにおいては、騎手をロボットにおきかえたレースも行われるようになってきている[43]



ラクダ相撲



また、ラクダ同士を戦わせる競技の存在もある(ラクダ相撲)。この競技は、主にトルコで行われる[44]。また、アフガニスタンでは、闘ラクダはノウルーズの伝統行事の一つとなっている[45]



観光


ラクダは砂漠のイメージと固く結びついており、砂漠の観光名所には観光客を乗せるためのラクダがいるところも多い。エジプトのカイロにはギザのピラミッドやスフィンクスへ向かう観光客相手のラクダ屋が多い[46]。これはラクダの生息域だけの話ではなく、ラクダの生息していないメキシコのバハ・カリフォルニアなどでも観光客をラクダに載せるビジネスは行われている[47]。また、日本の鳥取砂丘は砂漠ではないが、砂漠のない日本人には砂漠を連想させる光景であるため、やはりラクダがいて観光客が乗ることができる[48]



文化


イスラム教の祝日であるイード・アル=アドハー(犠牲祭)においては動物を犠牲に捧げ神への感謝をおこなうが、犠牲とされる動物の中でもっとも価値が高いものはラクダだとされている[49]


イエスは「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」として金持ちを戒めた(新約聖書、マタイ19:24、マルコ10:25、ルカ18:24)。アラム語では、「ラクダ」と「ロープ」が同音語なので、福音書がギリシャ語で書かれる時、「ロープ」を「ラクダ」と誤訳したという説がある[要出典]。一方で、当時は「ラクダ」が大きな物の喩えとして用いられており、誤訳ではないという説もある。



脚注


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  1. ^ BZN vol.60 : OPINION 2027 (Case 3010) Archived 2008年12月19日, at the Wayback Machine.


  2. ^ IUCNレッドリスト フタコブラクダ(英文)


  3. ^ 国立科学博物館 ヒトコブラクダ(こぶ)


  4. ^ 三輪睿太郎(監訳) 「主要食物:栽培作物と飼養動物」『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典』2、朝倉書店、2004年、2、519-520頁。

  5. ^ abマーヴィン・ハリス『食と文化の謎:Good to eatの人類学』 岩波書店 1988年、ISBN 4000026550 p.93.


  6. ^ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店 2004年9月10日 第2版第1刷 p.526


  7. ^ 今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科4 大型草食獣』、平凡社、1986年、p68


  8. ^ “Bactrian Camel: Camelus bactrianus”. National Geographic. 2012年11月28日閲覧。


  9. ^ Hare, J.. “Camelus ferus”. IUCN Redlist. International Union for Conservation of Nature and Natural Resources. 2012年12月7日閲覧。


  10. ^ Bernstein, William J. (2009). A Splendid Exchange: How Trade Shaped the World. p. 56. ISBN 9780802144164. 


  11. ^ Mukasa-Mugerwa, E. (1981 pages=1, 3, 20–21, 65, 67–68). The Camel (Camelus Dromedarius): A Bibliographical Review. International Livestock Centre for Africa Monograph. 5. Ethiopia: International Livestock Centre for Africa


  12. ^ “Camel Milk”. Milk & Dairy Products. FAO's Animal Production and Health Division (2012年9月25日). 2012年12月6日閲覧。


  13. ^ Abokor, Axmed Cali (1987). The Camel in Somali Oral Tradition. Nordic Africa Institute. pp. 7, 10–11. ISBN 9789171062697. 


  14. ^ “Drought threatening Somali nomads, UN humanitarian office says”. UN News Centre (2003年11月14日). 2012年12月7日閲覧。 “A four-year drought is threatening the lives of Somali nomads, and those of the camel herds on which they depend for transportation and milk”


  15. ^ Farah, K. O.; Nyariki, D. M.; Ngugi, R. K.; Noor, I. M.; Guliye, A. Y. (2004年). “The Somali and the Camel: Ecology, Management and Economics”. Anthropologist 6 (1): 45–55. "Somali pastoralists are a camel community...There is no other community in the world where the camel plays such a pivotal role in the local economy and culture as in the Somali community. According to the UN Food and Agriculture Organization (FAO, 1979) estimates, there are approximately 15 million dromedary camels in the world"  Plain text version.


  16. ^ Fedewa, Jennifer L. (2000). "Camelus bactrianus". Animal Diversity Web. University of Michigan Museum of Zoology. Retrieved 4 December 2012

  17. ^ abDolby, Karen (2010-08-10). You Must Remember This: Easy Tricks & Proven Tips to Never Forget Anything, Ever Again. Random House Digital, Inc. p. 170. ISBN 9780307716255. 


  18. ^ “Bactrian Camel”. Denver Zoo. 2013年5月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年12月7日閲覧。


  19. ^ 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店  2004年9月10日 第2版第1刷 pp.518-519


  20. ^ Webster, George (2010年2月9日). “Dubai diners flock to eat new 'camel burger'”. CNN World. CNN. 2012年12月7日閲覧。


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参考文献


  • ブライアン・フェイガン 『人類と家畜の世界史』 東郷えりか訳、河出書房新社、2016年。ISBN 9784309253398。


外部リンク














  • National Camel Research Centre, Bikaner (Rajasthan), India








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